第十話 フレッド王国のフィリーネ王女
お昼に差し掛かる頃、ミナヅキは突然の客に頭を抱えていた。
「……まー、そろそろ来るだろうとは思ってたがな」
田舎町の片隅にある一軒家の前に、一台の馬車と王女様。あまりにもアンバランスなその光景は、注目の的に他ならない。
もっとも町の人々は、別の意味で注目していたのだが。
「いい加減アポなしで来るのはやめてくれよな……フィリーネさんよ」
「ホッホッホ、お主も相変わらずじゃのうミナヅキ」
ため息をつくミナヅキに対し、フィリーネは嬉しそうに笑った。決してからかいのそれではなく、純粋に会えたことに対する喜びであることは明らかであった。
「して、そちらがお主の奥方ということで良いかの?」
フィリーネがミナヅキの隣にいるアヤメに視線を向ける。呆然としていたが、声をかけられてようやく我に返った。
「あ、えと、その……初めまして、アヤメと申します。僭越ながら、ミナヅキの妻を務めさせていただいております」
「うむ、妾はフレッド王国の王女を務めておるフィリーネと申す。ヨロシクな」
フィリーネが自ら手を差し出し、それを緊張気味に受け取ったアヤメは、ぎこちない握手を交わした。
「しかしまぁ、そう固くなることはないぞ」
未だ緊張が解けないアヤメに、フィリーネは軽い口調で言う。
「今の妾は王女ではなく、単なるミナヅキの友達として赴いているだけに過ぎん。故にそうかしこまられることは、妾にとっても本意ではないのじゃ。現にミナヅキも見てのとおり、妾に対して遠慮というモノをしておらん。そなたも是非とも、そのようにして欲しいところなんじゃがの」
「と、言われましても……」
急にそんなことできるワケがない。それがアヤメの率直な感想であった。フィリーネの後ろに控えているダンやベティも苦笑している。そりゃそうだよなぁと言わんばかりに。
一方ケニーは、口をポカンと開けて呆然としていた。
相手は一国の王女だというのに、緊張のきの字もしていないばかりか、堂々と軽く文句まで言ってしまう。
そんなミナヅキという青年が、ケニーには未知の存在に見えてならなかった。
「良いんじゃないか? フィリーネもこう言ってんだしよ」
そこに再び、ミナヅキが衝撃を与えてきた。
ナチュラルに呼び捨てにする。一体どういう神経をしているのか。それともこれも一種の慣れなのか。自分では決して手が届かないほどの経験値を彼は積み重ねてきているということなのか。
ケニーは軽く混乱しながら、目の前の状況を見守っていた。
とてもこれだけで終わるとは思えない。これから何が起こるというのか。次はどんなモノで自分を驚かせてくるのだ。
そんな考えがグルグルと脳内を駆け巡る中、フィリーネが動き出す。
「アヤメよ。そなたはなかなか心の芯が強そうで興味深い。妾はそなたと友の関係を築きたいと思っておる。決して打算などではない。単なる同年代同士、気兼ねなく語り合える存在を作りたいだけなのじゃ」
「……だってさ」
フィリーネの願いに、ミナヅキが後押しの如く、文字どおり一言付け足した。
自分を見上げてくる王女様の真剣な表情が飛び込んでくる。
――妾は本気じゃ。
アヤメはそんな強い言葉が聞こえてきたような気がした。
ここで曖昧な言葉を返すのは、たとえどんな相手だろうと失礼だ。そう思ったアヤメは覚悟を決め、表情を引き締める。
「分かったわフィリーネ。私からもお願いするわ。お友達になりましょう」
「うむ、こちらこそヨロシクなのじゃ!」
今度はアヤメから差し出した手を、フィリーネは嬉しそうな笑みとともに取る。ガシッと固い握手が交わされ、二人の間に新たな関係が築き上げられた。
「フィリーネ様に新たなご友人が……なんとお喜ばしい……っ!」
ベティが目に浮かんだ涙をハンカチで拭う。
「お城に仕えて幾数年、フィリーネ様にお仕えして十六年! このベティもすっかり涙腺が弱くなってしまいましたね」
「でも、そんな言い方してると、姐さんが今どれぐらいのトシ……ひぃっ!?」
ダンが『トシ』と言ったその瞬間、喉元に銀色のフォークが突きつけられる。視線をゆっくりと向けると、フォークを持った手を伸ばしながら、ベティがにこやかな笑みを浮かべていた。
「口は災いの元――という言葉をご存じありませんか?」
「……十分知っております故、どうかそのフォークを引っ込めてくだせぇな」
「その前にどこからフォークを出したんですか」
ケニーは表情を引きつらせながらも、なんとか無難なコメントを出す。下手なことを言えば自分にも火の粉が飛んでくることは間違いない。それだけは絶対に避けたいことであった。
しかし――
「ふふっ、女性に対して深い詮索をするのも、どうかと思いますよ?」
「失礼いたしましたっ!」
ベティの視線がにこやかなまま、ケニーのほうに移る。地雷を踏みかけてしまったのかと思い、ケニーは瞬時に姿勢を正して頭を直角同然に下げた。
「おいケニー、おめぇにゃ王宮騎士としてのプライドってもんがねぇのか?」
「アンタにだけは言われたくないですよ、先輩!」
騎士二人が小声で見苦しく言い合いを始める。その姿を――
(さっきからあそこは何をやってるんだ?)
ミナヅキが妙に冷めた目つきで見ていたのだった。
◇ ◇ ◇
その後ミナヅキたちは、昼食タイムも含めて交流を深めていった。
前々から話には聞いていたのだが、ミナヅキが本当に王女様と友達だったことに対して、アヤメは驚きを隠せなかったと話す。
一方のフィリーネも、ミナヅキが結婚したことには心底驚いたという。
どうやらミナヅキに恋愛事情がまるで見られず、友達として少しばかり心配していたらしい。
もしも行き遅れるようならば自分がもらおうと考えていた――フィリーネは笑いながらそう言ってきた。
流石に冗談だろうと思っていたが、さてなと答えるフィリーネの表情からして、どうにもからかいの色は薄いように思えてならない。
夫婦揃って戸惑いの表情を浮かべる中、ベティはこっそりと握り拳を作り、女の強さを身に着けられたのですねと、何故か喜んでいたのはここだけの話である。
「ほーれほれー♪ ぽよぽよーなのじゃー♪」
「ぴぃっ♪」
広い芝生の庭にて、フィリーネとスライムがじゃれ合っている。野生の魔物ではあるが、全くといって良いほど敵意はなく、むしろフィリーネによく懐いているようにしか見えなかった。
その様子に、ケニーは再び戸惑いを浮かべずにはいられなかった。
(本当にあれは、俺が普段見ている王女様なのか? あれじゃまるで、ただの子供そのものじゃないか)
王宮では煌びやかなドレスに身を包み、おしとやかで城の騎士や国民に優しい表情を振りまき、時には厳しい表情で現実を直視する姿は、国の未来を担う女王に相応しい存在だと思ってきた。
まさに輝かしき光のようなお方――それがケニーの中でのフィリーネだった。
しかし今、その理想像が凄まじい速度で崩れていた。
ガラガラという音が鳴り止みそうにない。もう一生続くのではないかとすら思えてくるほどであった。
「驚いてるみたいだな」
庭に出てきたミナヅキがケニーに声をかける。
「王宮で振る舞ってる姿とは別人だろ? 俺も驚いたよ」
「そ、そうなのか」
まだ戸惑いは抜けないでいるが、ケニーは内心で助かったと思った。ミナヅキが話しかけてくれなかったら、自分の精神がどうなっていたか。ギリギリのところで踏みとどまれたのかもしれないとも思えていた。
「あれが本来のフィリーネなんだ」
ミナヅキが優しげな笑みで、スライムとじゃれ合うフィリーネを見る。
「堅苦しい環境の中、公務に教育で多忙の毎日。そんな中、四六時中どこでも皆の光でいる……悪いガスが溜まらないとは、到底思えないんだよな」
「し、しかし! フィリーネ様は選ばれた存在として……」
「その選ばれた存在も、所詮は俺たちと同じ、ただの人間でしかないってことさ」
淡々と語るミナヅキに、ケニーは目を見開く。それを一瞥するミナヅキは、小さく笑みを浮かべた。
「アンタの言いたいことは分かるつもりだ。姿形を綺麗に保つのも、王女としての大事な勤めってことだろ? アイツ自身もそれは心得てるよ。前にアイツから直接聞いたからな」
そう言いながらミナヅキも思い出す。数年前、フレッド王宮で初めてフィリーネの姿を見た日を。
国民に向かって満面の笑みとともに手を振るその姿は、神々しいという言葉では言い表せないほどだった。
今でこそタメ口を言い合える仲ではあるが、当時は絶対手の届かない雲の上の存在として見ていた。名前を覚えてもらうほど知り合えるとも思えない。友達なんてもってのほか。そう思っていた。
(それが巡りめぐって、今じゃ親友か……分かんないもんだよな)
特に自分から何か行動を起こしたワケでもない。偶然に偶然が重なったことで、今の関係が生まれたのだ。
それこそ神様がめぐり合わせたのではと、本気で思いたくなるほどに。
(ユリスが関わってた……ってのはないよな。アイツはこの世界じゃ、俺を見守る役目に徹していたハズだし)
だとすれば、やはり単なる偶然と考えるのが自然だろう。今はひとまず、そう思うことにミナヅキは決めた。
「実際、フィリーネを初めて見た時は、まるで神様みたいだって思った」
今しがた思い出していた内容を改めて噛み締めつつ、ミナヅキは再度切り出す。
「でも、それでも……フィリーネという王女様は、一人の人間でもあるんだ。俺たちと何ら変わらない、弱くてちっぽけな存在。それを理解して受け止められる他人が必要なんだよ」
「それがキミたちというワケか。ここでガス抜きさせるのも、その一環か」
「まぁ、そんな感じだ」
ケニーの言葉にミナヅキは小さく笑いながら頷いた。
「つってもまぁ、俺自身そこまで深くは考えちゃいないんだけどな。ただ単にアイツと友達でいたいっていう、それだけの話なんだよ」
「そうか……いや、凄く良いと思う」
「ありがとよ。ここだけの話、今喋った殆どは、ベティさんからの受け売りだ」
「ははっ、なるほどな」
ケニーが納得しつつ笑い声をあげる。もう彼の表情に戸惑いはなかった。
「ところで、前にもフィリーネ様は、ここに来たことがあるそうだが?」
「あぁ、去年ここの家を買って、その引っ越しを手伝ってくれたよ。町の人たちはメッチャ驚いてたけどな」
「そりゃあそうだろ」
呆れ気味に応えつつも、ケニーはその光景が目に浮かぶようであった。恐らくフィリーネ自らが率先して、手伝いを申し出たのだろうと。
(その時はまだ、俺が士官学校にいた時か……そう言えばダン先輩が言ってたな。去年の秋頃に、国王様がフィリーネ様のことで頭を抱えていたと……もしかしてその引っ越しの件だったのかもな)
ケニーが思い出していると、ミナヅキがふぅと軽く息を吐きながら言う。
「まぁでも、今じゃすっかり町の人たちも慣れたけどな」
「そうなのか?」
「あぁ。年明けに遊びに来た時なんか、町の子供たちと雪合戦して、メチャクチャ盛り上がってたんだぜ」
「……マジか」
驚きの反応を見せながら、ケニーは試しに想像してみる。子供たち以上に、全力で雪合戦に挑む姿が浮かんできてしまった。
「ホント凄かったぞ。フィリーネのヤツ、子供たち以上に全力で雪合戦に挑んでたからな」
「そ、そうか……それは凄いな」
自分の想像が見事当たったことに、ケニーは表情を引きつらせた。それに気づくことなく、ミナヅキは続ける。
「けど子供たちも、黙ってるつもりなんてなくてさ。結局最後は、子供たちの雪玉によって、フィリーネは見事なまでに埋まっちまったんだ」
当時のことを思い出し、ミナヅキは愉快そうに笑う。それに対してケニーは、どこか疲れたような表情を浮かべていた。
「おいおいシャレにならないこと言うなよ……ただでさえこないだ、それ関係で被害にあった冒険者を、この目でしっかり見ちまったってのに……」
ため息混じりにケニーが言うと、今度はミナヅキが驚く番であった。
「そんなことがあったのか? てゆーかこの季節に? もうすぐ夏始まるぞ?」
ミナヅキが疑問を投げかけるのも無理はない。そう思いながらケニーは、表情を引き締めて説明することにした。
「東の地方の山で、大規模な異常気象がずっと発生していてな。どうも魔力が悪さしているらしいんだが……とにかく今でもそこは、真っ白な雪山状態さ」
「ほぇー、そりゃ知らなかったな。そこで、どこぞの冒険者が?」
「あぁ、魔物に喰われた状態で発見されたんだが、どうやらその前に雪崩に巻き込まれてたらしくてな」
「……なんとも哀れとしか思えないが」
「全くだ」
ミナヅキの呟きにケニーは苦笑しながら頷き、そして再び表情を引き締める。
「ギルドカードが無事だったから、身元はすぐ分かったんだが……ソイツはフレッド王都の冒険者だったんだよ。しかもミナヅキと同じ生産職の男だ」
それを聞いたミナヅキは、目を見開きながら狼狽える。
「お、おいおい、ウソだろ?」
「ジョーダンでこんなことは言わないよ。名前もちゃんと判明している」
流石に慌ててきたかと心の中で思いながら、ケニーは冷静さを装い、そしてハッキリとミナヅキに告げる。
「その冒険者の名は――ラトヴィッジだ」
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