一.

 あれから4日。

 僕はまたあの時と同じ電車に乗ろうとしていた。

 彼女とはあれから会っていない。

 会う約束はしたけれども、彼女の連絡先はおろか、名前も知らない。故に、この駅を使うたび彼女を探してしまう。

 もしかして彼女は、もうこの世には居ないのであろうか。そうだとしても仕方ないだろう、とは思う。名前も連絡先も知らない男にこの世で会う約束をした所で、約束を守る義理はないだろう。むしろ、人は赤の他人に自分の行為を止められて、わざわざ止まるだろうか。答えはいなだ──そう思った時、誰かに肩を軽く叩かれた。後ろを向くと、彼女が芍薬しゃくやくのような佇まいで居直っていた。その姿に思わず見とれる。僕は気を取り直すため、1つ咳払いをして彼女に話しかけた。

「久しぶり、です」

 少し間の空いた言い方をしてしまった。これじゃ緊張している事がバレバレだ。

 彼女はくすりと笑って、いたずらっぽく言った。

「久しぶりって、この間お会いしたばかりですよ?」

 彼女の笑いにつられて僕も思わず笑う。彼女の笑みには何か魔法でもかかっているのだろうか。不思議とこちらまで笑顔になってしまう。

「そうだ、これ、この間のお詫びの印です。ほんのお口汚しですが…」

 そういって、彼女は僕に紙袋を差し出した。僕の好きな、シャトワールのお菓子の紙袋だ。

「そんな、受け取れないですよ。僕は当たり前のことをしただけですし…」

 口ごもると、彼女は静かに首を振った。

「当たり前が時に、人を救うことがあるんです。ほら、私が救われたみたいに。」

 そういってまた彼女が微笑む。微笑みにつられて、僕は紙袋を受け取った。

「僕、この店のお菓子好きなんです。」

 そういうと、彼女はよかった、と安堵の表情を見せた。

「あまり、贈り物とか詳しくなくて。お気に召していただけて嬉しいです。」

 喜ぶ表情は、まるで子供のようだ。

 近くで見ると、より一層彼女の端正な顔立ちがはっきりとわかる。僕は火照ほてる顔を軽く背けた。

「あ、もうこんな時間。」

 彼女は花柄の腕時計を見ながら言った。

 そう言われて僕もスマホで時間を確認する。16:37。あと2分で電車が来る。

 4日前、彼女に出会った時もこのくらいの時間だった。

「あ。」

 彼女が僕のスマホを見て短く言う。

「それ、麦田さんのキーリングですよね?Gooseの初回限定特典の。」

 麦田さんとは、シンガーソングライターの麦田翔の事だ。僕は高校時代から麦田翔のファンである。

「うん、そうだよ。」

 そう答えると、彼女は目を輝かせた。

「私も麦田さん大好きなんです!麦田さん好きの人にお会い出来るなんて…!」

 麦田翔はまだ売り出し中のアーティストだ。歌は上手いものの、まだ知名度はそこまでない。だから、こうして麦民、もとい麦田翔ファンと会えるのは珍しいのである。

「僕も会えるとは思いませんでした…!麦田さんの曲、どれも素敵ですよね!」

 僕もなかば興奮気味だ。

「わあ…凄く嬉しい…!あの、もしよろしければ連絡先交換しませんか?麦民同士語り合いたいので…!」

 彼女はより一層目を輝かせて言う。まるでその瞳は太陽に輝く露のようだ。その煌めきに、抗おうとするものがいるだろうか。

 僕らが連絡先を交換すると、タイミングを見計らったように電車が来た。

 そろって乗車する。

「どこの駅で降りるんですか?」

「僕は次の立川で降りるよ。」

「奇遇ですね、私も立川で降りるんです!」

 ふわりとした表情で笑う。

 なんだか共通点探しをしているみたいだ。

 1駅の間が、普段よりも短く感じた。


 *


 その夜。

 僕は彼女のLINEのプロフィールを見ていた。

 名前は『もも🍑』になっている。

 下の名前の1部なのだろうか。それとも苗字?

 どちらにせよ、彼女を一目見た時に僕が思ったことは少なからず正しかったようだ。

 桃───

 桃の花のように美しく、愛らしい彼女にぴったりだ。

 気づけば、僕の頭の中は彼女のことでいっぱいだった。そのことを意識した瞬間、一気に顔に血が集まったようだった。これが一目惚れ、なのだろうか。いや、まだ出会って日が浅い。断定するのはまだ早い。心の中で葛藤していると、彼女から一通のメッセージが届いた。

『夜分遅くに失礼します。

 先日はどうもありがとうございました。

 名前を申し上げておりませんでしたので、連絡致しました。

 私は白樺桃奈しらかばももなと言います。

 麦民同士、是非仲良くしましょう\(*´ `*)/』

 礼儀正しい文だ。それでいて、文末に顔文字をつける辺りがとても可愛らしい。

 僕は返信文を打つ。

『わざわざご丁寧にありがとうございます。

 僕は星宮友也ほしみやともやと言います。

 こちらこそ、仲良くして頂けるととても助かります。』

 送信ボタンを押す。

 しばらくして、また彼女から返信が来た。

『とても素敵な名前ですね!

 そうだ、今度お茶しませんか?

 麦田さん語りましょう…!』

 麦田愛がとても伝わってくる。

 僕は何故か複雑な気持ちになった。

『そう言っていただけるととても嬉しいです。

 是非お茶しましょう。

 僕は、今週の土日か、もしくは来週月曜日の14:00頃なら空いています。』

 その後、お互いにLINEのやり取りをして、来週の月曜日、立川駅に14:00に待ち合わせにした。彼女はJoysonの桃のパンケーキを食べに行きたいのだそう。僕もパンケーキは好きなので、お互いに良い時間をすごせそうだ。

 気がつけば、僕は手汗をかいていた。


 *


 月曜日。

 2番線ホームに降りる。大学で教授に捕まってしまったので、一旦家に帰ることができず、お昼は食べれずじまいだ。時刻は13:54。ギリギリだ。Joyson側の出口に向かう。

 改札を出ると、彼女は既に居た。何度見てもきらびやかな佇まいだ。

「すみません、お待たせしてしまって…」

「いえ、気にしないでください。私も先程到着したところですので。」

 そう言って微笑む。この微笑みには、なにか魔法がかかっているのかと僕は疑わざるを得ない。

「では、行きましょうか。」

 彼女と並んで歩く。僕は少し緊張気味だ。女の子と2人で歩くなんて、何年ぶりだろう。

 僕は高校生のとき好きだった人がいた。その子とは同じクラスだった。たまたま席が近いことが重なり、僕は次第にその子に好意を寄せるようになった。ある日、帰り道でその子を見かけ、2人で帰った。その一時はとてもかけがえがなく、一生この瞬間を覚えていようと思ったほどである。気がつけば電車のホームでその子に告白していた。しかし、その子には好きな人がいたようで、僕は振られてしまった。その後、その子には彼氏ができ、教室で会ってもよそよそしい態度でいた。それ以来僕は女の子とは無縁の生活をしてきた。──ましてや、今僕の横にいる彼女のような女の子と。

 横目で窺う。

 彼女はまるで「なに?」と言いたげに小首を傾げた。

 可愛い。

 いや、可愛いってものでは言い尽くせない。くりくりとした目。ぱちりとした睫毛。目と同じ色の、少し茶のかかった髪色。そして上目遣い。

 何をどうしたらこんなに可愛い子が産まれるのだろうか。神様の贔屓ひいきか。

 ふと彼女の唇に目が行く。

 桃色で、プルンとしている───

 僕は目を逸らした。これ以上考えてはいけない。僕の想像上でさえ、彼女を汚してはいけない、そう思った。

「あ、joyson、見えてきましたよ!」

 彼女がじゃれた子供のように言う。

 さすが駅近とあって、駅を出てすぐに見えてくる。joysonの前には、桃のパンケーキがかかれたのぼりがたててある。

 彼女の眼差しは幟に注がれており、『早く食べたい』と言わんばかりの輝きであった。

 店内に入ると、ティータイムともあり、スイーツのかんばしい香りで満ちていた。まるで店内の人全員がスイーツを頼んでいるかのようだ。

「まるでスイーツの国に来たみたいですね!」

 彼女が言う。例えも可愛らしい。きっとここが漫画の世界であれば、彼女の頭上には音符マークとハートマークがついているだろう。

 店員さんに案内され、僕らは4人掛けの席に座った。

 彼女はなにやらパンパンに詰まった可愛らしいリュックを座席に置いた。

 メニューをみると、『肉バル』というフェアをやっているらしい。

「メニューいっぱいありますね!星宮さんは何にしますか?」

「僕は昼ご飯まだ食べてないので、この肉バルのビーフにしようかなと。」

「結構がっつりいきますね…!」

 感嘆した調子で彼女が言う。

 その後彼女はメニューを見て、しばらく吟味してからサラダと桃のパンケーキを頼んだ。女の子らしいチョイスだ。一方の僕は先程言った肉バルのビーフ、加えてトマトとナスのオーブン焼きという、健康に気を使っているのか使っていないのかよくわからないチョイスをした。だけど、この組み合わせは最強だ、と自分の中で勝手に認定している。

 ふと斜め前の4人がけの席を見ると、昼間からワインを嗜んでいる主婦の2人組がいた。

「お酒…飲めるけどさすがに昼間からは無理ですね。」

「お酒ですか。私も昼間から飲める自信はありません…。そういえば、星宮さんはお幾つですか?」

「僕は20歳だよ。白樺さんは?」

「え──あ、私も20歳です。正確には、まだ19です。」

 僕が20歳に見えなかったのだろうか。彼女は戸惑ったように答えた。それも無理はない。僕はつい2週間前に誕生日を迎えたのだから。

「19ってことは、まだ誕生日じゃないんですね。誕生日はいつですか?」

「6/17です。星宮さんはいつですか?」

「僕は4/12です。ほんとに、つい最近20歳になったばかりで。そうだ、同い年ならタメにしませんか?そのほうが気楽だと思いまして。」

「はい、そのほうがいいかもですね。えっと…星宮…くん?」

「はい。えっと…白樺…さん。あれ、僕の呼び方変わってないな。」

 お互いに笑う。

 初対面のジレンマなど、この時にはなくなりつつあった。

 程なくして、サラダと桃のパンケーキ、肉バルのビーフが運ばれてきた。

 白樺さんは目を輝かせながらパンケーキの写真を撮り、丁寧に切り分けてパンケーキを頬張った。

 僕はビーフを食べながら白樺さんが桃のパンケーキを美味しそうに食べるのを眺めていた。

 桃…か。

 昨晩、白樺さんのLINEの名前を見ても考えなかったことを思い出した。

 ──あいつ、ちゃんと成仏できたのかな。

「…どうしたの?」

 僕の憂いを察したのか、白樺さんは僕に聞いてくる。

「…いや、僕の親友を思い出しちゃって。知ってる?6年前、立川で起こった、父親による一家殺人事件の話。」

 白樺さんは軽く頷いた。有名な事件というのもあり、知っていたのだろう。

 その事件では、父親が母親を刺し、それを見た息子、もとい僕の親友が父親を止めようとしたが刺されてしまったのだ。しかし父親はそれだけでは止まらず、言い争う声を聞いて家の周りに集まった野次馬を次々と刺していった。その結果、母親と親友、野次馬の何人かが亡くなり、父親は逮捕され、1年前の裁判では死刑が確定したようだ。

「僕、あの事件で親友亡くしたんだ。そいつが桃木ももきなんで、桃ちゃんってあだ名つけてたんだけど。今、ちゃんと成仏出来てるかなって思っちゃって。」

 少し悲しそうな顔をした後、少し間を空けて彼女が言う。

「大丈夫だよ、きっと。星宮くんと親友になれて、桃ちゃんさんも幸せだったと思う。」

「それなら嬉しいんだけどなあ。」

 苦笑い交じりに言う。

 あいつは、僕と親友になれて幸せだっただろうか。

 少なくとも、僕は幸せだった。中学からの友達だったが、どんなときも僕の味方でいてくれた。ふざけ合えるのも、本当に楽しかった。

 過去のことがフラッシュバックする前に、僕はその事を忘れようと、飲みかけのアセロラジュースを飲み干した。


 *


「星宮、お前市瀬とどうなったんだ?」

 痛いところをついてくる。

「見事に振られました。」

 笑い交じりに言った。

「おっと、昨日二人で帰ってるからもしかして…と思ったけど違ったか。すまんな。なにか奢ってやる。」

「じゃあjoyson連れてってくれえ。」

「また肉食うつもりかよ。だから振られるんじゃね?」

 桃ちゃんも笑い交じりに言う。桃ちゃんはいつも僕をいじるけど、そこには優しさがある。

「そー言う桃ちゃんだって彼女いないじゃんか。」

「その呼び方やめろよなっ。彼女居ないんじゃなくて、作らないだけだ。そもそも、うちの妹より可愛い子が現れない。」

「出た出た、桃ちゃんのシスコン。」

「シスコンじゃねぇっ。ただの兄バカだ。うちの百合華ゆりかは神様の贔屓か?って思うほど可愛いんだよ。」

 いや、シスコンも兄バカも同じだろ、と心の中で突っ込む。

 百合華ちゃんには会ったことは無いけど、女の子にうるさい桃ちゃんが言うならきっとすごく可愛いのだろう。

「百合華ちゃんより可愛い子が現れたら付き合うのか?」

「どうだろな。可愛くても、性格が伴わなかったら意味ねぇし。」

「理想高すぎだろ。」

 お互いに笑みを零す。


 次第に桃ちゃんが遠くなり、目の前にはいつものワンルームが広がっていた。1年前、親元を離れて初めて借りた部屋だ。

 上体を起こす。いつの間にか寝ていたようだ。

 それにしても、久しぶりに過去のことを夢に見た。夢の中でもあいつは変わってなかった。

 スマホが光っている。白樺さんからLINEが来ている。白樺さんがもし2つ年下なら、あいつの妹の百合華ちゃんと同い年になる。百合華ちゃんは、白樺さんみたいにいい子で可愛い子なんだろうか。もしそうだとしたら、桃ちゃんが可愛がるのもわかる。

 ただ、彼女は数奇な花びらになってしまった。ただ1人のあの事件の生存者。僕はあの後、彼女がどうしているのかは知らない。

 ──ああ、そうか。

 僕は心のどこかで桃ちゃんの幸せと、桃ちゃんの可愛がっていた百合華ちゃんのことをずっと気にかけていた。

 だから、目の前で花びらとなって散ってしまいそうな白樺さんを救ったのだ。6年前、僕は桃ちゃんにも、百合華ちゃんにも何も出来なかったから。

 百合華ちゃんを救えなかった代わりに、白樺さんに何かあったらまた救いたい。

 そこまで考えを巡らして、もう一度僕は横たわり、LINEを返し、彼女の幸せを願った。

 その時はまだ、彼女の抱えているものまで考えを至らせることはできなかった。

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