第4話「僕とアニー」

 そこにいた彼女は、ただ月を見上げていた。欄干の上で、月明かりに浮かぶ黒いシルエット。

 鳴きもせずじっと空を見上げるその姿は相変わらず神々しくて、僕はあの日のように、静かに声をかけなおした。


「こんばんは、綺麗な猫さん」

「こんばんは、魔術師さん」


「猫の妖精ケット・シーじゃなかったんだねアニー」

「そんな良いものじゃないって言わなかったかしら。大人しく、あのまま魅了にかかっていてくれれば良かったのに。この一ヶ月、楽しかったわ」


 そりゃぁ、魅力的に見えるわけだ。彼女はあの時点で、魔力を操る者としての僕を警戒して一計を案じていたのだ。遺体の処理に魔力を使い切っていたとはいえ、我ながら情けない。


「もう使い魔じゃないんだろうアニー。君の主人はもういない」

「そうねテト。だから、何なのかしら」


 今の彼女は術式の一部であり、主人を吸い殺してしまった元使い魔だ。その在り方は変化した。主人を殺した使い魔という時点で悪い方向へ変転しているのだろう。


 それに加え僕が訪れる前、この街には戦により淀んだ負のマナが大量にあったはずだ。どれがどう作用したかまではわからないが、男の執念が死後もまとわりついているのかもしれない。


「一ヶ月前は発動させなかった」

「まだ魔力が足りていなかった。そしてあなたが居た。あなたの実力もわからないのに、焦って中途半端に発動させても逆効果でしょう?」


「もう発動なんてしなくても良いんじゃないかな?」

「さぁどうかしら。ただ、私という存在が使い魔から変わったとしても、その根底に発動させなければならないという命令が組み込まれていて、それが煩くて仕方がないのよテト」


 アニーはこちらに向き直る。黒いシルエットの中央、胸元には月明かりで浮かび上がる、白い毛並みがあった。


「ほら、見て。私の毛色、まだ使い魔だった頃の名残があるわ。あの頃のような白い毛が残っているの。これがある限り、未だ私は使い魔のまま。こんなことさっさと終わらせて解放されたいの」


 ああ、だとしたら。だとしたら僕は彼女の望みを叶えることは出来ない。だって、僕は未だに彼女のことが惜しいのだ。そして彼女には悪いけれど、その白い毛が残っている以上、僕の方には望みがある。


 街を救いたいなんて大層な願いを僕は抱けなかった。ただ師匠に修行の一環として放り込まれただけで、僕らいにしえ魔導士ヘクセという者は自然であるよう魂のゆりかごたちを正し導くのが生業だ。


 歪みは均せど、その発端である戦には介入しない。今回の件も、戦の延長である以上僕が動く理由はない。

 あの議長にいっぱい食わされたのだって、どうでも良い。いや、ちょっと悔しいから放置してやろうみたいな意地悪な部分も少しはあるけれど。


 僕が動いたのは、ただ。書きなぐられた設計に、発動のキーは負荷に耐えきれず砕け散るという記述があったからだけだった。


 だから、僕は手にした秘策を握りしめる。タイムリミットになる危険を冒してまで、あの部屋で探していたものがあった。うまくいくかは賭けだけれど。


「どうしても、やるんだねアニー」

「そうよテト。やっと私は自由になるの」


 僕は覚悟を決めて、彼女の望みを砕くことにした。

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