第8刀 怨の一文字、恩の一文字

 猛仙は、しばらく恐ろしい真顔でミナを道に下ろし、ゆっくりと家路についていたが、途中でミナがこの地獄のような空気を変えるべくコンビニに入り、二つに分けるアイスを与えたところ立ちどころに機嫌が直った。


「うまいねえ今のお菓子は」

「そうね、私これ好きなんだよね」


 なんでだ? とこちらを見てくる猛仙に、ミナは指を二本立てる。


「私ね、同じものを分けっこして食べるのって幸せだと思うんだよ」

「……わからんでも、ない」


 姉たちを思い浮かべているのだろう、彼はそれから黙ってアイスをすすりながら家の前でふわりと消えた。

 ミナは家に入り、いつものごとく課題をこなし、夕食を取り、風呂に入ってベッドに入る。天井を見ると、なけなしのバイト代をはたいて集めたアニメグッズの中でも特に大事にしているポスターが目に入る。


「竜障くん! ほんとかっこいい」


 ミナは『ドラグーンハーツ』というアニメにご執心で、順調にファンが増えている人気作品である。有名になる前からせっせとグッズが出るたびに集めているのだ。あらすじは大まかに北欧神話をなぞっており、このアニメの原作漫画を読めばある程度北欧神話を理解できるという完成された読み物といっても過言ではない、と主観全開の主張をいつもしている。


 そのまま目を閉じる。閉じる寸前に誰かの顔を見た気がする。……顔?


 ガッと目を開くと、目の前には誰もいなかった。しかし、しまったはずの椅子がおかしな方向を向いている。机の上には何か置いてある。

 それを注意しなければという気持ちに反して体のほうは安心しきってしまい、ものすごい眠気が一気にやってきた。眠くてしょぼつく目を何とか開いておいてあるものを確認した。


 ”先刻は厭な物を見せて済まない あいす 旨かった 心ばかりの返礼だ 役に立てて”


 猛仙が来ていたようだ。おそらく一瞬で出ていったがその時椅子にぶつかったとかだろう。重石代わりに置かれていたものは、木を削って作った尺八だった。見事な装飾だ。手で削ったのだろう、ところどころ傷やヒビが入っている。もしや、この尺八は遠い昔に猛仙が作ったものかもしれない。尺八はうまく息を吹き込まないと音が出ないという。試してみたい気持ちはあったが、それはまた明日にしよう。


 そうして夜が明ける。


「うーん、微妙に眠い」


 起き抜けに尺八が目に入る。よく見ると細かい文字が彫り込まれている。古文書のような奇妙な崩し字なので、何が書いているのか分からないが経文じみている。


 ミナの通う大学には古文書の解読をしている研究室があったはずだ。そこで持ち込んでみようかな。


 ――この行動はうかつだった。


「こ、この尺八! こ、これ、どこから出土したんだい!?」

「今すぐ年代測定しましょう! これは大発見ですよ! まさか、”戦国最強の傭兵一族”謎多き当主になるはずだった名前に出会えるとは……」


 教授と院生はまるで捧げものを持つかのように尺八を抱え、てんやわんやだ。

 ミナは返してもらおうと手を伸ばそうとするが、すさまじい熱量で話しかけられ思わず手を引っ込めた。自分も大概だが、オタクの性を久しぶりに見た。

 教授のほうが先に我に返る。お茶を持ってきてくれた。そしてゆっくりと、自分を落ち着かせるように語りだす。


「この尺八、削り方が面白いだろう? これは戦国時代で見られる彫り方の一つだ。家紋を製作過程で彫り込む。現代では最後に刻むけど、この時代は途中で彫り込んでから仕上げるんだ。だからこんな風にいびつな持ち手になるんだよ」


 さらに話は続く。


「うちの研究室はね、を追っているんだ。戦国時代の中期から末期、そう、まだ徳川の天下ではなかった頃にとある一族が居たとされている。存在は各地の古文書に残っているんだけどもね、星鹿せいかという一族だ。その一族は傭兵稼業を生業にしていたらしく、全員が奇妙な術を使うと記述がある。


 今、わかっているのは物を引き寄せる、逆にはじき飛ばす能力がある双子と、星鹿の初代当主の名、初代当主は乍螺さらとある。もう一つ、最新の成果なんだけど我々は史跡から手記を回収したんだ。特定の名前が何回も出てきていて、すさまじい恨み言が書かれている。ほとんど呪詛だね……。徹底的に焼かれて、消されてたけど現代の技術はごまかせない。原型とどめないくらいの破損でもある程度は直せるし、一文、二文ほど解読出来れば最高峰のデータベースから類似の文書を抽出し、大まかな概要を掴める。その名は


「も、猛仙……!?」


 大太刀を担ぎ、薄桃色の瞳を持つ少年。追手に『親不孝者』と罵られていた、無慈悲だが間違いなく優しい彼。


「なにかあったかな?」

「い、いえ、何でもないです。ところで、その尺八にはなんて書かれているんですか?」


 ああ、読めるかなぁ。と自信なさそうに教授は目を凝らす。そりゃそうだ、日本全国の優秀な人たちですら多くの古文書を解読しきれていないのだから。


「これは、うーん。『我が愛弟子……猛仙に、生涯の……幸福、を願わん。何があろうとも、私、は味方をする……と誓う……』だめだ、師匠の名前は全然読めない。でも彼にすごく目をかけていたんだね。いい師匠だ」


 猛仙があの人格でギリギリいられたのはこんな風に、全力で愛情を注いでくれた人がいたからなのだろう。生みの親より育ての親とはこのことだろう。本人から話を聞いているだけに、点と点がつながった気分だ。


 お礼を言い、尺八を回収しようとしたが院生が放そうとしてくれない。

 教授がそれをたしなめ、尺八を返却してくれた。それをバッグにしまおうとすると、院生が言う。


「それ、吹いてみてよ」

「え!? 私……」


 持っているということは吹けるって事だよね? と詰められ、後に引けなくなる。


「調子悪いときは音出ないですよ」


 精一杯の予防線を張り、尺八といえば虚無僧。どう吹いているかを思い浮かべ、意を決して息を吹き込む。


 ……どこか情けないが、風情を感じる音が出た。


 次の瞬間、ミナの後ろから見覚えのある顔がひょっこり頭を出した。


「よんだか?」

「そういうシステムなのね」


 小さい声でミナはつぶやく。古文書に興味津々で読み上げ始めた猛仙を置いて研究室を出ようとするが、急に嫌な予感がした。あの手記をこいつにみせちゃだめだ。しかしここで猛仙を呼べばさらに厄介ごとになる。


 ミナはひらめいた。研究室を出た直後にドアを閉め、尺八を吹く。今度はまだましな音が出た。


「さ、かえろ、猛仙」


 振りむくとそこには先ほど思い浮かべた虚無僧みたいな恰好の異形が居た。

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