「純粋な」日本人ってなに?

「純粋な」日本人ってなに?

2019年2月5日(火) の 朝日新聞。

朝日新聞らしい論調で語られています。

大阪なおみのようなミックスルーツの人や、

宮崎園子のような帰国子女には、「純ジャパ」じゃないよ、

「純粋ジャパニーズ」という枠に入らないよということばに対して疎外感があるそうで。

日本人ってなんだろね、という問題提起です。


わたしもクリスチャンですから、

純粋ジャパニーズですかって言われりゃ、

違いますとうなだれるっきゃない。

言葉が違うとか、宗教が違うっていうのは、

文化が違うってことですから。

日本の文化をきちんと体現していない人が、

日本人だと名乗っていいのか、と自嘲ぎみに

考えたりもします。


わたしだって、いちおう、ことわざとか格言とか知ってるから、

日本文化には造詣が深いかもしれませんが、

メジャーな日本文化を知らない(歌舞伎とか俳句とかいろいろ)

人たちも、日本の若者のなかにいるわけでして、

そうだとすると、日本人である、ということの基準はなにか、

「なんとなく、みんなと同じだからいいじゃん」


って、じゃあ、地方都市へ行ってその土地特有の風習とかあったとき、

「その土地の人は日本人?」

「自分は日本人?」

って思わないのかなと疑問に思います。

最近は、地方も文化の差がなくなってきたけどさ。

食文化の違いや、方言などは、まだちょっとは残ってるからねえ。

日本語とは思えない方言が出てきたとき、

日本の中に外国がある、みたいに思えたりします。


ぼんやりと、日本人はこうだ、というイメージがあって……。

西洋から見た日本人の性格がこうで、という話がいろいろあるんですが、

その話題の日本人は、どこの土地の人たちのことで、

何歳ぐらいの人で、

性別はなにでとか、具体的には言ってくれないんですね。

みんな同じなんて言ってるけど、具体的に 「みんな」 の顔が見えてこない。

純粋ジャパニーズって、意外と閉鎖的でムラ意識が強いんじゃないかな。


クリスチャンから見ると、

純粋ジャパニーズとかいう言葉には、

なんとなく、江戸時代の鎖国政策を感じてしまうのです。

江戸時代には、一部の地域だけが朝鮮やヨーロッパやアイヌなどと交易していました。

こころの一部だけ外側の人と共感する。

承認欲求を満足させる。

クリスチャンにも選民意識はありますが、

純粋ジャパニーズという言葉にも、自分たちだけが特別である、という、

選民意識があるのかもしれません。

だからこそ、民族の独自性が保たれる、という一面も見逃すことはできないでしょう。

……ありがちな結論になってしまった。

ダメじゃん(笑)

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