夏の雪 ー寛喜《かんぎ》の飢饉《ききん》ー

河依龍摩

第1話夏に舞い散る、白き羽

安貞あんてい三年(西暦一二二九年)


 この年、異変の片鱗へんりんを見せ始めていたが、この時、誰もそれを予知出来る者はいなかった。


 天候不順による、飢饉ききんの状態にあり、危機を感じる事態にはあったのだが、それは今後起こる事への序章にしか過ぎなかった。


 時は鎌倉、時の天皇、後堀河天皇ごほりかわてんのうはこの飢饉を重く感じ、三月五日、年号を「寛喜かんぎ」と改めた。


「はぁ、今年も作物の育ちが悪い。こんなのがいつまで続くのか」


「五十年前に比べれば、まだ良いのでは無いか。あのときは、源氏と平家の争いが激化しており、酷いもんだったと聞く」


「だが、そのおかげで俺たちの今の立場があるわけだし、何ともいえんなぁ」


 都を歩く、武士とおぼしき者が、今の現状を嘆きながら会話をしていた。


「だが、あの時は農民が土地を投げ出す者も多く、年貢ねんぐが取れず大変だったそうだ」


「あの頃は、公家くげ中心だったから、主に困ったのは貴族だったが、今は我々武士の時代だ、今回の事で困るのは我々なのでは無いか」


「いやぁ、都はまだ公家のほうが力はある、我々の立場は昔よりはいいとはいえ、こちらの力はここでは余り影響力がない。とはいえ不作になるのは今後を考えると良くない兆しだな」


「そうだな、あまり長引かぬ事を祈るしかないな」



 この時より約五十年ほど前、治承じしょう寿永じゅえいの乱、いわゆる源平合戦まっただ中に、養和ようわ飢饉ききんが起きた。干ばつにより西日本一帯が不作になり、土地を放棄する農民達も発生し、年貢の入らぬ都は混乱に陥った。


 その後、ご存じ平家滅亡に至り、鎌倉幕府成立となるのだが、東日本一帯は幕府の力が及ぶも、西日本まで力が及ばず、二大勢力による二重支配状態となるのである。



 寛喜かんぎと呼ばれる年号は、その後前代未聞の異常気象を引き起こすのである。



 寛喜二年、この年は前年からつづく飢饉はじわじわと拡大していた。


 冬が終わり春を迎え、夏が近づきつつあるにも関わらず、まったく暖かくなる兆しが無い。いわゆる冷夏である。


「もうすぐ夏だというのにまったく暖かくなる兆しが無い、どうしたことか」


「昨年の不作で備蓄びちくもない、今年も不作となると年貢も納められぬどころか、いずれ食べるものもなくなるぞ」


 農民の男達は困り果てた様子で、発育のわるい苗を見る。このまま苗が育たなければ秋の収穫に影響が出るのは必至、農民達にとっては死活問題である。


「まぁ、まだ夏には時間が少しある、様子をみるしかあるまいて」



 だがこの後、今より状況が悪くなってしまい、経験したことの無い冷夏れいかとなるのである。


「かあちゃん、寒いよ。冬みたいだよ」


 幼い娘が、部屋の片隅で体をさすりながら、母親に語る。


「そうね、こんな寒い夏は始めてだわ。このままでは作物の生長にも影響が出るね、心配だわ」


「ねぇ、このまま冬になったらもっと寒くなるのかな、そんなのいやだよ」


「そんなことはないよ、この寒さはいまだけよ、きっと」


 幼い娘を気遣うように、女性は優しく頭をなでる。


「やっぱり駄目だ、稲の生長が止まっている。このままじゃ今年もろくに米がとれんぞ」


 そこに外から戻ってきた、男性とその子供とおぼしき数人が入ってくる。


「外は冬みたいに寒いよ、母さん。山でなんとか鹿はとれたけど、米がとれないと食べ物がなくなちゃうよ」


 長男であろうか、鹿を足下におくと、そうため息をつく。


 ここは、美濃国石津群蒔田荘みのこくいしづぐんまきだしょう(現岐阜県大垣市上石津町)と呼ばれる地で、三方山に囲まれた地である。


 とはいえ、夏にここまで寒いというのは過去に、いやこの先にも無いことであった。


 そして、それがさらなる異常気象を、巻き起こすことになるのである。



寛喜かんぎ二年(西暦一二三零年) 六月九日 同地



「ねぇ、今日とても寒いよ、今夏だよね」


「ああ、朝とはいえここまで寒いというのはおかしい。稲も気になるしすこし外をみてくるか」


 末娘にそう語ると、男は様子を見るべく建物の外へ足を運ぶため、身なりを整える。


 寒さを感じながらも、軽装で外へ出たとき、男は目を疑うことになる。


 今が夏であるはずなのに、夢でも見ているのかと、硬直した。一瞬自分の頭を疑ったが、それは紛れもない事実であった。


 目の前を通り過ぎ、降り注ぐのは、風にゆれる白き羽のような、ふわりとしたもの。手を伸ばせば、ひやりと冷たく、手の中で消えていく。灰色のそらから降り注ぐもの、雨では無く雪だった。


 一面銀世界のまるで冬のような景色、そこに舞い散る、雪、雪、雪。


「な、なんてことだ、こんな事あるのか」


 男はその場で呆然と立ち尽くすと、自分の頬をつねる。夢などでは無い、現実である。


 すぐさまきびすを返し、慌てて家の中へと戻ると。


「おい、みんな起きろ、雪だ、雪が積もっているぞ!」


 父親は、顔面蒼白でそう叫び、家族をたたき起こした。


 父の言葉に、耳を疑った家族は、慌てて外に飛び出す。


「な、なんだこれは、今、夏だよな。おかしいよ」


 山も、地も、目に見えるところ、一帯が真っ白である。


「すごーい、夏に雪なんて凄いね」


 一番下の末娘は、雪を前に走り出すと、はしゃぐように雪と戯れる。それに続くように、猟犬も娘と一緒に走り回り、楽しそうにじゃれついている。


 だが、それ以外の家族は全員、硬直している。それもそのはず、このような事は、経験もなければ、今後の生活を思えば、むしろ良くない兆しである。


「こ、こんな事って……」


 母はそうつぶやくと、その場で座り込んでしまっていた。



 この年、全国的に長雨を引き起こしたあげく、別地では八月六日には大洪水を引き起こす。


 さらに冬には夏とは打って変わって、極端な暖冬となり、農作物に大打撃を与えていた。


 翌年は、蝦夷えみし伊予之二名島いよのふたなしまで、凶作になり、都、鎌倉には流民が集中し、餓死者が増加の一途をたどることになる。



寛喜三年(西暦一二三一年) 某日 鶴岡八幡宮つるおかはちまんぐう


「これで、少しは良くなると良いのだがな」


「そうですね、あまりに長く続いては、死者が増えるばかりか、残った人たちも疲弊していしましますから」


 この年、鎌倉幕府、北条泰時ほうじょうやすときは事態を重く見て、備蓄米を放出した。そしてここ鶴岡八幡宮で国土豊年こくどほうねん祈願きがんを行うに至っていた。


 だが、それでも事態収拾に至らぬ為、翌年、年号を貞永じょうえいへと改めるも、飢饉ききんが収まる気配が無く、数年後には、幕府は、異例の人身売買を認める処置まで行うことになる。


 それによって、妻子だけに飽き足らず、自分自身までも売り出す者が出る事になってしまう。それは、以後の混乱も引き起こすことになるが、それはまた別の話である。


 この飢饉がいつ収拾したのかは、定かではないが、数年は続いたとみられる。

 


 これら一連の騒動は、鎌倉時代最大の飢饉。


 後に「天下の人種三分の一失す」とまで語られる規模に至る「寛喜かんぎ飢饉ききん」とよばれるものになり、歴史の片隅に記録されることとなった 。

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夏の雪 ー寛喜《かんぎ》の飢饉《ききん》ー 河依龍摩 @srk-ryu

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