紅葉落ちれば、積日の。

散篠浦昌

0.小さな記憶。

 昔のことだ。日常に埋もれてしまいそうなほどに小さな記憶。他のことはぼやけてしまっても、覚えている記憶。


 それは冬の夜。空気はとても澄んでいて、嫌になるくらい晴れていた。星は幼い二人を彩るように明るく輝いていた。眩しくて、尊い今が、綺麗な思い出になってしまう気がして、目を逸らした。

 隣には彼女がいて、まばゆい空を見上げている。彼女は寒さに赤く染められた指先を、また塗りかえすみたいに白い息を吐きかけて、瞳に宇宙を描いていた。その姿があまりにも完成されていたから、気まずくなって俯いた。

 はぁ、と息が漏れるたび、心が跳ねるのを感じる。その鼓動も、もうすぐ感じられなくなるんだと思うと、涙が出そうだった。


「……ねぇ、もし、もしもだよ」


 躊躇いがちに、彼女が言った。冬の夜と同じくらい澄んだ声。

 何も返すことが出来なくて、ただ黙って、その声を聞いていた。

 彼女はこちらに視線もくれず、星を望んで、続ける。


「離れたくない、って。ずっと一緒にいたいって言ったら、どうする?」


 そんな、弱音みたいなことを。叶わない願望を口に出すのを、初めて聞いたから驚いて。


 ――だから。あのとき、咄嗟に言葉が出なかったことを、後悔しているんだ。


「なんて、冗談だよ。お家の都合だから……仕方ないよね」


 彼女はすぐに笑顔になったから、心を推し量ることは出来なくて、きっと、星だけがそれを見ていた。


 複雑な心境を、まだ幼い二人は曖昧に笑って誤魔化して、無理矢理いい思い出にしようとして。それ以上話すことが出来なかったから、だから、今でも覚えている。


 これは、初恋なんかじゃない。ただ、白い指先も星の夜もあの笑顔も。綺麗に終わろうとして、終われなかったあの風景を。全部全部、忘れられなかった。



 それだけの話だ。


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