95.神の都と亜人の案内人
先に歩き出したスキアたちに続き、ロウたちも茨の鉄門へと歩み出す。
途端、一瞬眩い光に包まれると共に、そこに広がる景色が一変した。
遠い天井、等間隔で並ぶ幾つもの大きな柱。後ろには、先のものより巨大で精工な女神像と、月と薔薇の大きな刻印。この広い部屋自体は全体的に薄暗いが、天井から差し込む光が何度も屈折し、周囲を明るく照らしている。
広間の中空を屈折した光は、最後は直線の通路を真っすぐ進み、出口まで届いていた。光で照らされた場所以外の通路は暗く見えるが、壁には魔石のようなものが埋め込まれ、宝石のように煌めいている。照らされた通路の左右の床には、様々な種類の花が並んでいた。
そんな神秘的な空間の通路を塞ぐように、二人の女性が並んで佇んでいる。
その姿を前に一瞬、ロウたちは自分の目を疑った。
ディザイア神話に登場する者は、なにも人間だけじゃない。
人、神、
一人は、腰まである金色の長い髪。頭の左右には大きく丸い
上半身がコルセット状になった白いドレス型の裾は左側がたくし上げられ、腰には黒いパレオを纏い、覗く肌は透き通るように白く美しい。
肩に羽織った、金で縁取られた黒いケープの中央にある丸い留め具には、月と薔薇の刻印が施されていた。
もう一人はそれとは対照的に、肩くらいの短い銀髪は外に跳ね、ふわりと浮いたような前髪が左目を覆い隠し、右の瞳は青玉のように冷たい光を宿している。
身に纏う衣服も、二の腕まで伸びた手袋も、ピタリとした膝下までのブーツも、すべて同じ
たくし上げられた右側の裾から覗くのは、健康的な褐色の肌。
そんな二人を一目見て、人成らざる者であるとわかる理由。
金髪で紅玉の瞳を持つ女性は腰から蝙蝠の羽のようなものが生え、丁寧に前で組んだ手に合わせるように、腰を覆っている。
銀髪で青玉の瞳を持つ女性は獣の耳をピンと立て、ふわりと毛並みの良い尻尾が、同じく前に組んだ手に合わせるように足の前に垂れていた。
つまるところ、明らかにこの二人は、ロウたちの知る
「お待ちしておりました。私はクローフィと申します」
「私はリコス。以後、お見知りおきを」
耳通りの良い澄んだ声。それでいて前者は柔らかさを帯び、後者は凜とした力強さがあった。
羽の生えた者がクローフィ、獣の耳と尻尾を持った者がリコスと名乗ると、二人は綺麗に佇んでいた姿勢を折り、シンカたちに向かってか軽く頭を下げた。
そんな二人に気付いたスキアたちは、片膝を地面につきながら片腕を腹部に回して跪くと、小さく頭を下げる。
「クローフィ様、リコス様。なぜこのような場所に?」
「貴方の元隊長に似た者をお迎えに、というのもありますが……」
「お前たちがやらかす前に様子を見に来た」
問いに答えた二人の言葉に、スキアが首を傾げた。
そんな姿を見たクローフィは呆れたように瞑目し、呆れ混じりの声を零す。
「やはり来て正解だったようですね。アフティ、貴方がついていながら……」
「その前に説明してはどうだ? その者たちが戸惑っている」
スキアたちが立ち上がりながら振り返ると、シンカたちがその場で目を丸くしながら硬直していた。
とはいえ、それも無理のない話だろう。この神秘的な空間に、蝙蝠のような羽の生えた人間と、獣の耳と尻尾のついた人間がいきなり現れたのだから。
「し、尻尾に耳に……羽?」
セリスが驚いた表情を浮かべたまま静かにそう漏らすと、リコスは耳をぴくっと動かし、クローフィは静かに羽を揺らしてみせた。
「本物……みたいね」
「か、可愛いです……はっ!?」
スキアたちの態度を見るに、この国での二人の地位は高いのだろう。
年齢も上で地位も高い女性相手に、つい可愛いと言ってしまったのを気にしたのか、カグラはハッとした表情で自分の口を両手で押さえつけた。
しかし、二人の様子を見るに、どうやら気にしていないようだ。カグラはほっと安堵の息を吐きながら胸を撫で下ろした。
リアンはというもの、もう有り得ないはずの事をいろいろと経験しすぎたからだろうか。すでに動じる事無く、二人や周囲を興味深そうに観察していた。
「このお二方はこの国、月国の女神であるアルテミス様の側近よ。クローフィ様は
リンの説明に、クローフィは再び頭を丁寧に下げた。
「で、このけもけもしたリコちゃんは
笑顔のオトネがそう説明すると、リコスがスキアに鋭い視線を送る。
「……相変わらず部下の躾がなっていないようだ」
「オ、オトネがこんな性格なのは前隊長の……あ、いえ……も……申し訳ありません」
言い訳を中断し、謝罪したスキアの体中には冷や汗が流れていた。
リコスは呆れ混じりの息を小さく吐きながら視線を外し、クローフィと瞳を合わせて頷き合う。
すると、クローフィとリコス、二人の眼光が真っすぐにロウを射貫いた。
これまでの間、ロウはずっと一人で戸惑っていた。そしてそれは今も続いている。
綺麗な容姿の二人に見つめられて照れた、ということではもちろんない。
同時に、二人が普通の人間のそれと容姿が異なっていたからでもない。
既視感――ロウの戸惑いはそれだった。
断定できるわけではない。しかし、知っているような気がした。
脳裏に何かが掠めたわけでも、沈んだ記憶が刺激されたわけでもない。ただ漠然と、胸の奥に潜む何かがそう告げたような感覚だ。
そんな彼をよそに、二人は足音も立てないほど静かな動作でロウへと歩み寄る。
そして……
「ロウ様、よくぞ御無事で」
「ロウ様の御帰還。このリコス、心待ちにしておりました」
二人は先のスキアたち同様、静かに地へと膝を折った。
その光景に驚愕したのは何もシンカたちだけではない。
スキアたちも同様である。むしろ、彼らの驚きの方が凄まじかっただろう。
女神アルテミスの側近である二人が膝を折る相手など、それこそ神以外にいないはずなのだから。
「ど……どういうことですか? クローフィ様……リコス様」
「貴方たちが知る必要はありません」
「でも!」
「くどい。今はまだ期ではないということだ」
リンの言葉に、一切の答えるつもりはないときっぱりと言い切る二人に、リンは納得のいかない様子で一歩下がりつつ、頭を垂れた。
「も……申し訳ありません」
「リンちゃん……」
心配そうに向けたオトネの視界の中、リンは瞼を閉じ、強く下唇を噛み締めていた。
「……俺のことを知ってるのか?」
この既視感に戸惑いながらも、やっとの思いで口にした言葉は単純だった。
さっきの二人の発言から、知らないということはあり得ない。それこそ、わざわざ聞き返すようなことではないだろう。
そして二人は案の定、さも当然のように言葉を口にする。
「もちろんでございます。この世の誰よりも……というにはいささか敵が多すぎますが、そうありたいと願う心は誰よりも。そう、自負しております」
「無論、私もクローフィと同じです。ロウ様にこれを」
迷いのない言葉。遠くまで響くような澄んだ声音で告げた言葉から、やはり二人はロウの過去を知っているのだろう。それも、かなり深いところまで。
ロウはごくりと唾を飲み、手渡された物に視線を落とした。
「これは?」
差し出されたのはお面だった。なんの、と聞かれたら困るようなそれは、狼のような顔でありながら、頭に蝙蝠の羽のようなものが生えている。
間違いなく市販品ではないだろう。とすれば、手作りだろうか。
なんとも面妖というか奇っ怪というか……そんなお面だった。
「確認しにきた、というのはこのことです。スキア、貴方はロウ様をこのまま外へお連れしようとしていたのですよね?」
「え? あっ、はい」
「……はぁ」
立ち上がって質問したクローフィにスキアが答えると、リコスは小さく落胆したような息を吐いた。そしてリコスも立ち上がり、アフティ、リン、オトネへと視線を移していく。
どうして呆れたような反応をされたのかわららない四人は、きょとんとした表情を浮かべたままだ。
「お前たちも何も気付かなかったのか? ロウ様がお前たちの隊長に似ているというのであれば、顔を隠さないとこの国の者たちが混乱するだろう。お前たちの元隊長はそれだけ有名だった。お前たちだけの問題ではないのだぞ」
その言葉にスキアたち四人が、あっ、という表情を浮かべた。
確かにブラッドとロウの容姿がそこまで似ているのであれば、冷静に考えれば当たり前のことだった。
ブラッドがこの国でどれほど有名だったのかわからないロウたちとは違い、同じ隊にいたはずの彼らはそれをよく知っているのだから。
そして”あっ”とした表情を浮かべた彼らとは別に、”えっ”とした表情を浮かべたのが一人いたことは言うまでもない。当然、お面を渡された当の本人だ。
「……お、俺にこれを被って過ごせと?」
「はい。ロウ様、そのお面についた魔石には、人の人相を変える……というよりも、誤認させる能力を有した者の魔力が込められております。すでにロウ様をロウ様と認識している者以外が見ると、ロウ様の顔は別人のように見えることでしょう。ただ、お気を付けください。その魔石が効力を発揮する前に、ロウ様をロウ様と認識している者には効果を発揮いたしませんので」
じっとお面を見つめながら問うたロウに、クローフィがお面に付いた魔石について説明すると、横やりを入れたのはカグラだった。
「で、でも、お面を付けていればどの道、顔は見えないんじゃ……はっ!」
つい突っ込んでしまった少女は、再びハッとした表情を浮かべた。
そして慌てて自分の口を塞ぐと、もう何も言うまいというのを行動で表すかのように、シンカの後ろに隠れてしまった。
そんなうっかりな妹に、シンカは苦笑いを浮かべながらその頭を優しく撫でる。
「でも逆に言えば、その魔石だけありゃお面はいらねぇってことじゃねぇのか?」
「ば、馬鹿かセリス! このお二人のことだ! ちゃんと理由があるんだよ!」
確かにセリスの言うことはもっともだ。
クローフィの説明からして、お面に付いた魔石は魔塊石ということだろう。しかし、魔塊石は別に何かに装飾せずとも、当然その効果を使用することは可能だ。
現に、ロウの力を込めた魔塊石をシンカもカグラも素の魔石のまま使用したこともある。
つまりセリスの意見は正しい。確かに正しいのだが……
慌てて否定したスキアがそっと視線を向けた先。
クローフィもリコスも、その表情こそ変わらず姿勢も綺麗に整ったままだが、その視線が何よりも物語っていた。黙ってろ……と。
まだ出会ったばかりのセリスにそれがわかるはずもなく、きょとんと首を傾げているが、スキアの額からは嫌な汗が吹き出し、その心臓は早く脈打っていた。
しかし、セリスの言葉は当然、ロウの耳にもしっかりと届いている。
昨晩、ちょうどお面をつけるつけないの話をしていたが、ロウの言葉はリンたちに対する気遣いであり、よもや本当にお面を被って過ごす日々が来ることになるとは夢にも思っていたなかったのだ。
故にロウはお面の裏側についていた魔石をパコッと外すと、何も言わず、お面をそっと二人に差し出した。
「「――!?」」
途端、二人は無の表情をそのままに、ずっと保ってきた姿勢も崩すことなく、だがしかし、誰の目から見ても明らかなほどに打ちひしがれていた。
何故そう見えるのか……簡単な話だ。
クローフィにしてもリコスにしても、そこまで表情を変えることはない。
まるで人形のような無の表情……鉄仮面とでもいうのだろうか。冷たさを帯び、真面目に必要なことだけをこなし、目と口だけで語るような類の者だ。
お面を作っている二人の姿などまるで似合わな……想像もできないくらいに。
だが、鉄の表情で綺麗な姿勢を保ってはいるものの、その体はぷるぷると震えていた。これはあれだろう……今にも泣き出す直前の子供のような……。
おまけにクローフィの羽やリコスの耳や尻尾といった、亜人特有の可愛らしいそれが、萎れた花のように力無く垂れている。
「……」
「……」
色艶のある唇から音がでることもなく、かとって、返されたお面を手にとろうともしない。
これほどまでに
途端、それを見かねて急に声を張り上げたのはオトネだ。
「ロウちゃんダメだよ! クロちゃんとリコちゃんが可哀想だよ!」
「オ、オトネ、その呼び方でさっきスキアが怒られたばかりですよ」
「そうだぞ! もっと俺のことも考えろ、バカッ!」
「でも、クロちゃんとリコちゃんの方が可愛いんだもん!」
「そういうことではありません!」
アフティが突っ込み、スキアもそれに乗っかって騒いでいるが、当事者の二人にオトネたちの声はまるで届いていないようだ。
固まったまま、まったく動く気配がない。
瞳に魂が映っていたら、おそらく二人の魂は今にも口から離れようとしていることだろう。
「はぁ……お二人をこんな状態にしたのは、きっと貴方が初めてよ」
腕を組みながら呆れた様子で溜息を吐いたリンが、片目を瞑りながら横目にロウを見た。
その瞳は確かにこう告げている。……どうにかしてよ、と。
「そんなことを言われても……」
ロウは戸惑いながら固まったまま萎れる二人を見るが、どうにもこのままでは立ち直るのに時間が掛かりそうだ。
助けを乞うような瞳をシンカへ向けると、彼女は小さく苦笑しながら無言のままの身振り手振りをしてみせる。その意味はロウにも伝わったが、それを行動するには少しばかり心の準備が必用だった。
そして小さく嘆息し、シンカの
「こ、これでいいか?」
その光景にクローフィとリコスの
「お見苦しい所をお見せいたしました」
「申し訳ありません」
その表情と同様、口からでた声音は相も変わらずといったところだが、クローフィの羽はゆっくりと嬉しそうに揺れ動き、リコスの耳はぴこぴこと、尻尾は左右にふぁさふぁさと揺れている。
要は、非常にわかりやすかった。
意図して
「では、参りましょうか。女神がお待ちです」
「待て」
立ち直り、踵を返そうとしたクローフィに、今まで考え込むように一言も言葉を発していなかったリアンが口を開いた。
当然、皆の視線が集中するが、彼は物おじすることなく続ける。
「ロウの記憶のことはいい。どうせ聞いても、教えてはくれないんだろうからな」
「お、おい、リアン。その言い方は――」
「お前は黙れ」
セリスの制止も聞かず、リアンは二人の亜人に訝し気な視線を向けたままだ。
「いいのですよ。それで、要件は?」
クローフィが話を促すと……
「お前たちが女神の側近だというのなら、お前たちのその態度から、ロウは確かに昔ここにいて、ここでの地位は高かったんだろう。それほどの奴を……なぜお前たちは知らなかった?」
視線を送った先は、当然この国に住む四人だ。
しかし、スキアたちは困惑したように互いに顔を見合わせた。
確かに女神の側近である二人が頭を下げたとなれば、ロウのここでの地位が高かった証明となるだろう。それを内界でいうところの軍人にあたるスキアたちが、まったく知らないというのも実におかしな話だ。
となれば、導き出される答えは二つに一つ。
その存在が秘匿されたものだったか、もしくは……
「スキアたちが知らないとなると、他の連中も知らない可能性が高い。だからブラッドという男と混同しないように、この面を付ける。そういうことだな? だが……本当にそうなのか? 俺たちはブラッドという男の顔を見たことがない。ロウが遭遇した時も、相手は鎧を着ていたらしいからな。それに……おい、リンと小さい方。お前たちは、ブラッドの容姿を確認できるものを持っているか?」
「い、いいえ……持ってないわ」
「う~ん……って、小さい方って私のこと? 私はオトネ!」
リアンの質問に対しリンが困惑気味に返すと、オトネは小さく唸った後、自分を指差しながらその名を強調して声を上げた。
「……小さいほ――」
「オ! ト! ネ!」
「……オトネは持ってないか?」
「う、うん。持ってないね」
名前で呼ばれなければ気が済まないのだろう。オトネの気迫に押され、初対面では基本的に相手の名を呼ばないリアンが押し負けた。
するとオトネは満足そうに乗り出した身を引きながら、リンと同じ答えを口にした。
推測通りだった二人の答えに、リアンは一つの魔石を取り出し、
「ブラッドに執着する者が、それを持っていないのはおかしいだろう。写真でなくとも、記録石には大切な映像を残せる」
取り出した魔石から、リアンは中空にある光景を映し出した。
古ぼけた白い建物。そこは昔、リアンとセリスがいたパトリダ孤児院だ。
セリスはその映像をとても懐かしそうに見つめていた。
少し再生してリアンは記録石をそっとしまうと、さらに言葉を重ねていく。
「男連中が持ってないのはわかる。と言いたいところだが、スキアが持っていなかったのも、今考えると明らかにおかしい。人を探すのに、容姿のわかるものを持っていないのは効率が悪すぎる。どうしてブラッドに執着するお前たちが、誰一人として何も持っていない?」
その問いに、スキアたちは酷く困惑した表情を見せた。
スキアやリンの態度から、ブラッドに対する執着のようなものはとても大きいと判断することができる。なにせ生死のわからなかった者を、七年も探し続けるていたのだから、そこにある想いは計り知れないものがあるだろう。
ましてやリンは船の上で、ブラッドに対して好意のようなものがあるとまで言っていた。
そんな彼女が、ブラッドの写真一つ持っていないのは確かに妙だ。
「本当にブラッドという男は、ロウと見間違うほどに容姿が似ているのか? それも、隠さなければならないほどに。そもそもそこまで執着している、長年共にいた奴らが見間違うほどに似た容姿の者が……本当に存在するのか?」
確かに瓜二つという言葉はある。双子など、見間違うような人はいる。たとえ赤の他人でも、世の中に似た人物が三人はいるというのは実際にある話だ。
だがそれでも、辿ってきた道と状況を鑑みれば、偶然として片付けるのはもはや不可能の領域だといえるだろう。
神話の世界が存在し、今の話を合わせれば、
そんな事、口に出すのも悍ましいとリアンはそれを呑み込みながら、
「どうしてそれを誰も疑問に思わない。セリスは何も考えていなからいいとして、本当に誰も疑問に思わなかったのか? 上手くは言えないが、この感じは……とても気味が悪い」
眉を寄せ、顔をしかめたリアンの言葉に皆は頭を悩ませた。
なぜかついでのように貶められられたセリスさえ、そのことに気付かないほど頭を抱えている。本当に考えているのか、考えた振りをしているのかは定かではないが。いや……本人はいたって真面目なのだろう。
スキアたちの態度を見るに、どうやら彼ら自身、なぜブラッドの写真一つないのかが不思議なようだ。
何故、誰も思い出のような何かを所持していないのか。
何故、今までそれを誰も疑問に思わなかったのか。
考えれば考えるほど不自然だ。不自然過ぎて気持ちが悪い。
まるで目には見えない力が働いているような、まるで誰かの掌の上で踊らされているかのような……いくら考えたところで、残るのは確かな違和感だった。
そんな中、答えにならないような答えで誤魔化したのはリコスだ。
「それは秘匿事項だ。だが、その疑問もロウ様の過去を知れば晴れるだろう」
「今のロウ様は、失った過去の記憶を取り戻すためにここに来られた。間違いありませんね?」
「あぁ、約束を守るために。それに、二人も俺を知っているのなら、早く思い出さないと貴女たちに対しても失礼だ」
ロウの中にあったのは罪悪感だった。
目の前の二人は自分のことを知っているのに、自分は彼女たちのことを何も知らないのだ。いや、知っていたはずのことを忘れてしまっている。
ブラッドとヴォルグ、彼らと話す前からロウの中に、過去に共にいたはずの誰かへの想いは確かにあった。誰かと何かを約束していたかもしれないし、待っている人がいるかもしれない。
しかし、記憶の手掛かりを何一つ掴めないまま、気付けば七年。
ロウの中には無意識に諦めがあったのかもしれない。それはセツナの願いでもあったし、どの道、今更思い出しても誰も自分を待つ者はいないだろうと。
そんな中、現れたブラッドたちの告げた言葉はロウの心を深く、鋭く貫いた。
そして今、自分を知る彼女たちを前にして、申し訳ない気持ちが次々に溢れ出る。胸が張り裂けそうなほど痛み、早く記憶を取り戻したいと切に願っていた。
対してクローフィとリコスは表情こそ変わらないものの、その頬を少しだけ赤く染めていた。萎れた、というより少し垂れた
だが、クローフィはそんなこそばゆい感情を胸の奥へと押し込みながら、毅然とした声で問いかけた。
「ロウ様のお仲間の皆さんも、覚悟はできておりますか?」
「無論だ」
「あぁ、ロウにどんな過去があっても関係ねぇさ」
即答――リアンとセリスに元より迷いなど一切ない。あるはずがないのだ。
何故なら世界を救うという大袈裟なまでに重い使命感など、彼らには最初からなかったのだから。
ロウが少女たちのために戦うのなら、その手助けをする。その結果、世界が救われるのであればそれでいいし、多くを救えることを二人は知っている。
彼らにあるのは、今ある仲間のために力を尽くす……ただ、それだけだ。
すると次に、クローフィは二人の少女へと視線を向けた。
「えぇ、私もよ」
「わ、私もです」
当然、シンカとカグラにも迷いはない。
世界を救うために彼女たちはこの時代へとやって来た。
そして、それを叶えるためにロウの過去の記憶が絡んでいるというのなら、それは二人にとってまさに一石二鳥。願ってもないことだ。
どの道、たとえ絡んでいなかったとしても、今まで支えてくれたロウの手助けをするつもりだったのだ。そう決めていた。
だとしたら、二つの道が重なっていることに、いまさら何を迷うことがあるだろうか。
だが、そんな少女たちを見つめ……
「本当か?」
何故、シンカとカグラだけに対して、リコスが問い返したのかはわからない。
真っすぐな瞳……まるで心の奥底を覗き見るかのような、鋭い眼差し。
それでも少女たちの中の、ロウを支えるという決意は変わらない。
静かに頷き返すと、リコスとクローフィは身を返してゆっくりと歩き出した。
「行きましょう」
…………
……
さっきまでいた神殿を出ると、花の良い香りがそよ風に乗って届いてきた。
目の前に広がるのは無数の薔薇。
赤に桃、白に黄色と様々な色の薔薇が綺麗に咲いている。
「ようこそ、
オトネが笑顔で歓迎する中、ロウたちは興味深そうに周囲を見ていた。
比較的近くにある宮殿を見るに、ここは宮殿敷地内の庭園なのだろう。
かなりの広さがあるようで、今いる場所は薔薇ばかりだが、他の区画には違う花が植えられているようだ。
円柱状の建物が集まったような美しい宮殿の屋根は、半球状から円錐状と様々で、中央の開けた一角には綺麗な庭が広がっている。
ここから神都全体を見渡すことはできないが、どうやらこの神都は立体的に緩い台形の形……分かりやすく言えば、
そしてその頂上を丸匙ですくったような岩の上に宮殿が聳え立ち、くりぬかれたそこへ流れる滝の傍を含め、複数の場所に美しい造形の橋が架けられている。
段々になった
内界では決して見ることの出来ないこの光景は、言葉では言い表せないほど幻想的であり、神秘的な光景だった。
感嘆の声を漏らしながら景色を眺めている中、ふと、ロウの視界に一人の少女の姿が映り込む。
身に纏った衣服からして、ここに仕えている使用人ということはないだろう。宮殿の敷地内を自由に動ける、ある程度身分の高い子だろうか。
薔薇園の奥に咲いている鮮やかな紫色の花の下。離れていてよくは見えないが、そこに何かを埋めているように見えた。
そしてその横顔はとても寂し気で、どこか儚く、その姿はロウの脳裏にくっきりと焼き付いた。
薔薇園を抜けると、目の前には聳え立つのは大きな宮殿だ。王都クレイオにあった王城も素晴らしいものだったが、それとはまるで比較にならないだろう。
造られた建物の素材一つ一つが、とても高価な物でできているように見える。
太く長い立柱に挟まれた大きな扉を潜ると、広い廊下に幅広い階段。とても精工な作りの装飾の数々に、ロウたちは目を奪われる。
誰もが思わず息を呑んでしまうほどに、外観と内観、共にも立派なものだった。
クローフィとリコスの姿が視界に入ると、宮殿内で仕事をしている女中たちがその手を止め、静かに頭を下げている。
その後ろをついて歩くロウたちが、なんとも居心地の悪い気まずさを感じながら先へ進んで行くと、月と薔薇の刻印のあしらわれた一際凝った意匠の扉が見えてきた。
高鳴る胸と緊張に、思わず生唾で喉を鳴らしながらその部屋に入ると、とても広い空間の奥……豪奢でありながらも壮麗な椅子に、一人の女性が座っていた。
スキア、アフティ、リン、オトネが片膝を折って跪く中……
「この御方が――月の女神アルテミス様です」
この広い空間に、クローフィの澄んだ声が静かに響き渡った。
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