92.急く航海からの後悔

 泊まった宿から王城までの道のりはそう遠くない。

 しばらく歩くと、城へとかかる跳ね橋の前で、数人の兵が何やら話している姿が見えてくる。内一人は、ロウたちの見知った人物だった。

 向こうもロウたちに気付くと、男は大きな声を張り上げる。


「これはこれは、ロウ殿! 皆様も、今日はどうされましたか?」

「ファナティさん、今日は――」

「ファナティと!」

「……」


 一応、若い兵士の前だからとロウは気を遣ったのだが……


「ファナティと!」

「フ、ファナティ。今日は陛下に挨拶をと思ってな。俺たちは今日でここを立つことになった。急ですまないが、陛下に謁見は可能か?」


 凄まじい執念に押され、ロウは苦笑しながらいつもの口調で説明すると、ファナティは心底残念そうに影を落とした。


「な、なんと……もう行かれるのですか?」

「あぁ、一度魔扉リムが開いたここを離れるのは、正直心が――」

「いいえ! 皆様は世界を救う御方! ここに留まっていてはそれも叶いますまい! 導きのまま、どうか平和な世界を取り戻して頂きたく!」


 ロウたちの気持ちは重々に承知している、といわんばかりの勢いだ。

 言おうとしていた通り、一度魔門リムが開いたこの国を離れるのは、とても心苦しいものがあるのは間違いない。

 だが、ミソロギアを離れた時と同じく、この場に留まるのは得策ではないだろう。

 より多くを、世界を救うために、ロウたちは立ち止まるわけにはいかないのだ。


「……あぁ、頑張るよ。で、陛下は――」

「おい、お前たち! この皆様が一昨日、この王都を救って下さったのだ。感謝の言葉を」

「「はっ!」」

 

 遮るように言ったファナティの言葉に、傍にいた二人の新兵らしき若い兵士が足を踏み鳴らしながら姿勢を正すと、ロウたちの前へと歩み出た。

 ファナティに決して悪気はないのだろうが、その勢いにロウたちは引きつった笑みを浮かべている。


「皆様、本当にありがとうございました!」

「リアン様にいたっては、姫様を救って頂いたと聞いております!」


 二人の若い兵が綺麗な敬礼をしつつ言うと、ファナティはじっとりと少し細めた目をリアンへ向けつつ、実にわざとらしい声で……


「ん? なんだ、リアン。貴様もいたのか。だが、残念だったな。姫は今忙しいのだ。顔を見ることは叶わぬだろう」

「え? ファナティ様、姫様は――」

「お前は黙っていろ! この男は姫をたぶらかす危険因子! そう易々と会わせるわけにはいかぬのだ!」

「……阿呆が」


 正直、リアンにとって姫に会えるかどうかなど実にどうでもいいことだ。なぜか自分にばかり絡むファナティの相手を、まともにする気などないのだろう。

 リアンは視線を斜めに下げつつ、心底面倒臭そうに深い溜息を吐いた。


 そんな中、城の裏手にある庭園の方から歩いて来る少女がこちらの一団に気付き、大きく手を振りながら少しその足を速める。


「皆様! おはようございます!」

「なっ!? 姫! ど、どうして……」

「ファナティ様。あのように大きな声を上げていては、すぐそこにいた姫様に聞こえていてもおかしくはありません」

「……ぬっ。リアン、貴様……」

「どうして俺を睨む。俺は何もしていないだろう」


 勝手に自爆しておいて、どうして責められなければならないのか。あまりにも理不尽だと思いつつ、悔しそうに睨みつけるファナティから視線を外し、リアンは再度溜息を吐いた。と……同時に、彼の瞳にほんの少し哀切な色が浮ぶ。

 それは本当に些細な色だった。普通なら気付かない程度の、小さな感情の揺れだ。

 しかしそれは短い時間だったとはいえ、リアンとあの男のやり取りを見てきたロウたちだからこそ気付けるものだった。

 トレイト……きっとリアンの中で一瞬、彼の姿が過ったのだろう。

 

 戦死者の家族に悲報と彼らの勇姿を伝える為、それなりの地位にある者がすでに彼らの故郷に送られているはずだ。

 ロウたちがミソロギアを離れる時は、まだ遺族にどこまで情報を開示するのかは決まっていなかったが、悲痛な面持ちで泣かれ、罵られるような辛い弔問ちょうもんの旅になるのは間違いない。

 だが遺族の痛みに比べれば、そのような辛さなどまるで比較にならないだろう。


 おそらく、中央守護部隊第三小隊隊長であったトレイトの母親には、息子の戦死をすでに伝えられている頃だ。

 本当なら、リアン自らが弔問に向かいたかったのは言うまでもない。

 だが、トレイトの最後の想いを無駄にしない為にも、今はまだ……。

 


 少ししてスィーネが近くまで駆け寄ってくると、ロウが少し頭を下げて挨拶をかわす。


「スィーネ姫、おはようございます。陛下との謁見は叶いますか?」

「ロウ様、どうかファナティやお父様とお話する時のように、私ともそうして下さい。皆様も、どうかお願いします」

「ですが……」

 

 戸惑うようにそっとファナティへ視線を送ると、彼は両手を組みながら満足そうに何度も頷いた。どうやら彼に異論はないらしい。最初の時と比べ、本当に柔らかくなったものだ。柔らかくなったというのも適切な表現とはいえないが、もうそこに棘はない。


「ロウ殿、どうか姫の願いを聞き入れて頂きたい。姫は友達が欲しいのです。が! 貴様は許さんぞ、リアン! 貴様は――」

「ファナティ! 貴方という人は、どうしてそうリアン様にだけきつく当たるのです?」

「そ、それは姫――」

「リアン様に救われたのは私だけではなく、貴方もそうなのですよ?」

「ぐっ……そ、それはそうですが……」


 何も言い返せず、ファナティは悔しそうに言葉を詰まらせた。

 そんな光景を前に、ロウたちの心の中の声はどれも等しかった。

 また話がそれてしまった。いつになったら話が先に進むのか……と。

 ファナティはスィーネが幼い頃から側に仕えていたと言っていた。彼女のこういった性格はもしかすると、彼の影響が大きいのかもしれない。


 そんなことを考えていると、スィーネがロウたちに向き直り笑顔を向けた。


「そういうことですので、どうかよろしくお願いします」

「は、はい」

「ロウ様?」

「えっ、あぁ……よろしく頼む」

「シンカ様とカグラ様、それにセリス様も」

「よ、よろしくね」

「よろしく……お、お願いします」

「姫さんと友達かぁ。なんかすげぇな」


 ぎこちないロウたち三人とは違い、セリスは笑顔で返した。

 考えるのが苦手なセリスにとって、相手がいいというのなら素直に受け取る。それは長所でもあるのだろうが、軍人としてどうなのかと思うところもなくはない。ずっと同じ隊だったリアンは、さぞ苦労していたのだろう。


「リアン様も」

「……よろしくお願いします」

「むっ、む~っ」


 敢えて敬語を使ったリアンに、スィーネは頬を膨らませるも、後ろにいたファナティは実に満足そうに頷いている。


「リアンも自分の立場がわかっているようでなによりだ。それでいい」

「ファナティのせいです!」

「そ、そんな、姫っ」


 拗ねたスィーネを宥めようと焦るファナティに、ロウはわざとらしく咳払いすると、当初の目的である話に戻そうと試みた。


「コホン。で、陛下に謁見することはできるか?」

「お~、ロウ殿。そうでしたな。ですが、残念ながら陛下は今、近隣の町へ足を伸ばしているのです。一昨日のこともあり、魔門ゲートへの対策をと」


 ここまで引っ張っておきながら、結局陛下に謁見することが叶わないという事実に、ロウたちはどっと疲れたような気分になっていた。


「そうか……じゃあ、陛下によろしく伝えといてくれ。きっとまた立ち寄らせてもらう日が来ると思う」

「承りました。本当は皆様に会わせたい者がいたのですが、生憎と今は任務中でして。私の幼馴染みで名をピリアというのですが、私と同じく姫と親しくさせて頂いてる者です。次に立ち寄られた時は、是非とも会ってやってください」

「ふふっ、会いたがっていましたものね。私からもお願いします」


 ファナティの母は今は亡きセラフィ王妃と同じ、イダニコ村の出身だ。

 セラフィがパソスに見初められた時、彼女の世話係として選ばれたのが、当時仲の良かったファナティの母だった。

 そしてスィーネが生まれ、ファナティは彼女を護る為の教育を受けた。

 友達がいないことを悲しんでいたスィーネを、彼女と歳の近いファナティの幼馴染みであるピリアと引き合わせ、今の親しい関係ができあがっている。 

 ピリアはこれまでのスィーネにとって、唯一の友達のような相手だったのだ。


 一昨日の話をピリアにすると、いつものスィーネのお転婆どころの騒ぎではない程の無謀に当然のように酷く取り乱していたが、それで王都を救ったロウたちに会ってみたいというのは自然な流れだろう。


 次に立ち寄った時は必ず……そう、皆で約束を交わすと、


「俺が言うことじゃないかもしれないが……この国を頼む」

「はっ! お任せください! 必ずや、ロウ殿の期待に応えてみせます!」

「おい」


 気合を入れ、熱の籠った声で答えたファナティに、珍しくリアンが呼びかけた。

 彼がファナティに対して自ら声をかけたのは、これが初めてのことだ。

 何事かと視線が集まる中、リアンは突然脈絡のない言葉を口にする。


「お前に家族はいるのか?」

「は? 何を言っているんだ貴様は。いるに決まっているだろう」

「母親は大切か?」

「なっ!? 私はもう二十歳だ。この歳にもなって母親だのなんだの――」

「……」

 

 傍にスィーネがいるからか、若い兵がいるからか、ファナティは恥ずかしそうに少し顔を紅潮させながら言葉を発するものの、リアンの無言の圧力に言葉を切った。

 ファナティとて軍人だ。だから彼にはよくわかる。その質問の意図はわからずとも、今リアンのした質問は、リアンにとってとても重要なことなのだと。


 だからファナティは彼の目の前まで足を進め、しっかりとその瞳を見据えた。


「母は私を五体満足で産んでくれた。私が姫の御側に仕えることができるのも、母が私をここまで育ててくれたおかげだからだ。大切じゃないなど、どうしていえる? 母に感謝の思いを忘れたことなど、ただの一度もない。私の誇りだ」

「……そうか。なら、お前は死ぬな。…………お前は……死ぬな」


 この言葉に込められた思いを、当然ファナティが理解できるはずもない。

 しかし、理解はできずとも感じることはできる。

 きっと目の前のこの男は、自分と誰かを重ねているのだろう、と。

 そして重ねたその誰かは、もうすでにこの世にはいないのだろうと。


 だからこそ、ファナティは敢えていつものように振る舞って見せる。


「ふんっ、貴様に言われるまでもない。貴様より生きて、先に死んだ貴様を笑ってやる。笑われたくなければ、せいぜい貴様も死なぬことだ」

 

 鼻で笑いながらもそう答えたファナティの言葉は、嫌みの乗った優しい言葉だった。

 

「忠告は必要なかったようだな。……スキアが待ってるはずだ、行こう」


 両瞳を閉じ、リアンは僅かに口の端を持ち上げ微笑みを零した。

 そして、もう話すことはないというように背を向ける。

 

「そうね。スィーネ様、ファナティさん。また会いましょう」

「次に来られた時は、どうかゆっくりしていってくださいね」


 言って、スィーネは眩しいほどの無邪気な笑顔を浮かべた。

 本当はもっとたくさん話たかったが、長く引き留める訳にはいかない。

 目の前の五人には、何もできない自分とは違い、成すべきことがあるのだから。

 わかっている。我儘はいえない。だから――


「……リアン様」


 スィーネは振り向いたリアンの前に立ち、真剣な瞳を向けた。

 先ほどの砕けた雰囲気はなく、伸ばした背筋、真っすぐに見上げる瞳。

 毅然とした態度で彼の目の前に立つのは、まさに一国の姫の姿だった。

 

「私は一昨日の出来事を経験し、本当の意味で現実の厳しさをしりました。それでも、やはり私は理想を捨てることなどできません。ですが、リアン様のおっしゃる通りそれはただの綺麗事なのでしょう」

「……」

「だから、私が力をこの身につけ、本当の意味での責任を自らとれるようになったとき。理想をただの理想で終わらせない姿を見せることができたなら、そのときは……そのときは、私を認めてくださいますか?」


 いきなり何を言い出すのか。どうしてそんな言葉を、真剣な瞳を自分へと向けるのか。

 ……リアンにはわからなかった。

 理想は理想。それを現実にするという道が、どれだけ険しい道なのか。

 それだけの力を身につけることなど、そうそうできはしないというのに。

 そう思っても、スィーネの力強い瞳を前にして、リアンはその言葉を否定することはできなかった。


「どうしてそれを俺に?」

「孤児院で子供たちに見せたリアン様のお姿。あれが本当のリアン様のお姿なら、リアン様がリアン様のままでいられる世界を、私も守りたいと思ったからです」


 毅然とはっきりと告げた答えに、リアンは目を丸くしながら目の前の姫を見つめた。止まった思考は、彼に返す言葉を与えてはくれない。


 スィーネの意図を計り兼ねている中、返事をすることもできずただ唖然としていると……


「どうか御武運を。皆様、またお会しましょう」


 綺麗な姿勢で腰を折ると、スィーネは踵を返し、城の方へと歩いて行った。


「ひ、姫、お待ちください! では、皆様、私も御武運をお祈りしております!」


 ファナティが兵をつれ、スィーネの後を追いかけていく。

 リアンはただ、去っていく彼女の背中を見つめたままだ。


「リアン、次に来たときはちゃんと答えを聞かせてあげるのよ?」

「機会があればな。俺たちも行くぞ」


 シンカと視線を合わさず、リアンは迷いを振り切るように先に歩き出した。

 そんな彼の背中を見つめながら、シンカは小さな溜息を零す。


 ロウたちと出会った頃、力無き理想を口にしていたシンカの中で、現実の厳しさを垣間見た時の自分の姿とスィーネの姿が重なって見えていた。

 スィーネにとってのリアンは、まさにシンカにとってのロウと同じなのだろう。

 だからわかる。……その人に認めて欲しいという気持ちは、痛いほど。


 シンカはリアンに続いて先に歩き出したロウの背中を見つめながら、思った。

 いつか必ず、本当の意味で自分もロウに認めて貰うのだ、と。

 


 …………

 ……



「そういうわけだから、今から連れて行く。リンとオトネのことは任せたぜ」


 白い船の甲板で、スキアは伝達石を使用していた。

 ロウたちを連れて行くことを、本国に連絡しているのだろう。


『待って下さい。いきなりすぎてそんなの無理ですよ。リンに殴られてオトネに泣かれては、さすがにどうしようもありません。それに問題はその二人じゃないでしょう。内界の人間を外界に入れるには、クローフィ様とリコス様の許可が必要なんですよ?』


 伝達石の向こうからは、アフティの慌てた声が聞こえてくる。

 確かに仲間であるブラッドを連れ帰るよう願った。だが、その正体が違ったのであれば、正式に国内へ入れるにはそれなりの手続きというものが必要なのだ。

 スキアの自由っぷりは今に始まったことではないが、その尻拭いをする気持ちも少しは考えて欲しい、などとアフティが思っていると……

 

「いいからいいから。お前にしか頼めねぇじゃん。それとも、連れて行かねぇほうがいいってのか?」

『その言い方は卑怯だと思います。だいたい貴方は――』

『ちょっとアフティ。相手ってスキアよね? かわりなさいよ』

『え、リン? どうして貴女がここに。って、あ、ちょっと待ってください!』


 伝達石の向こうから、リンの声が聞こえた瞬間、スキアはあからさまに表情を顰めた。


「げっ……あ、ロウたちが来たわ。んじゃ、後は任せたぜ」

『ちょ、待ってください! スキ――』


 反論を言わせまいとスキアは通信を切り、伝達石を仕舞った。

 間一髪。またリンを置いて一人で来てしまっていた以上、あそこでリンに代わられては、どれだけ長い説教になることか。

 急ぎすぎて頭がそこまで回らなかったなど、なんの言い訳にもならない。


「ったく、昔から勘が鋭いとこはあったけど、リンの鼻はまじでどうなってんだ……」


 愚痴と共に、スキアは溜息を吐きながら空を見上げた。

 今頃、アフティはリンに詰められていることだろう。

 申し訳ないと思いつつ、アフティならなんとか上手くやってくれるに違いない。そう思い込み、甲板から王都を見渡すと、ちょうどロウたちが歩いて来るのが見えた。


「お~い」


 スキアがロウたちに向かって手を振ると、向こうもスキアに気が付いた。

 セリスが大袈裟なほどに勢いよく手を振り返している。


 船に着いた皆が船の梯子はしごを使い、甲板に上がっていく中、視界の端に大きくバツ印で補強された部分が映った。

 おそらく、以前にリンが小型船で突っ込んだ箇所だろう。

 スキアがこの船を大切に思ってることを想像すれば、少し可哀相に思えなくもない。


「世話になる」

「我が家だと思ってくれ。でだ……これから行動を共にする以上、後で険悪になるのは嫌だから先に言っておく。二つあるが、まずは言いにくいほうからだ」


 その言葉からとても嫌な事実なのだろうと判断できるが、どの道後でわかることなら確かに先に知っていたほうがいい。

 面々が顔を見合わせ、スキアへと視線を送る。


 そして言いにくそうにしながらも、はっきりと告げたスキアの言葉は、ロウたちが想像していた以上に衝撃的なものだった。


「俺たちは運命の枝クライシスデイのことを……ミソロギアに魔門ゲートが開くことを知っていた」


 がつんと鈍器で殴られたような感覚。

 誰もがすぐに声を発することができず、今の言葉を受け入れるのに暫しの時間を要した。


 怒りはある。不満や文句などを言っても片付けられない程の生温い想いもある。

 スキアやリンほどの力を持った魔憑まつきがいたなら、助けてくれたなら、あの被害をどれだけ抑えることができただろうか。

 フィデリタスやトレイト、ホーネスやローニー。その他たくさんの兵の中、どれだけ生き残ることができただろうか。

 そんな思いが少女たちの胸を満たしていく。


 だがそんな中で、彼の人となりを知るからこそ、少女たちの中に浮かぶ疑問もあった。それと同時に、ロウたちの中では腑に落ちる部分も。


「じ、じゃあ……どうして……」

 

 少し小さくなったように映る少女たちの背中を見つめ、ロウは悲し気に目を伏せた。リアンは腕を組みながら瞑目し、セリスは悔し気に拳を握る。


 彼らとて少女たちの心情も、言いたいことも理解できる。悔しい気持ちも、辛い気持ちも、やるせない気持ちも、感じる想いはすべて同じだ。

 しかし、なによりスキアの立場を考えれば、そして、あの状況を考えれば仕方ないことだともロウとリアンだけは理解していた。


「シンカちゃんの言いたいことはわかる。初めて会った時、確かに俺はアンタらと宿す想いは同じと……そう言った。そのくせ、魔憑でありながらどうして戦いに参加しなかったか、だよな?」

「えぇ……」

「簡単に言ってしまえば上層部の意思だ。だけど、我が身可愛さとかそんな理由なんかじゃねぇ。俺たちが関与すれば、より多くの命が失うことになっていたからだ」

「……ルイン、だな」


 ポツリと漏らしたロウの言葉に、スキアは頷いた。そして、シンカとカグラへ頭を下げながら、


「だから俺たちは何もできなかった……すまない」


 胸の奥から振り絞ったような、痛みの滲む謝罪の言葉。悔しさを秘めた声音。

 そんな彼の姿を前にして、少女たちは何も言えず、ただただ首を左右に振ってそれに答えた。

 ここでスキアを責めても何も変わらない。そもそも、国籍の違う彼を責めること自体筋違いだ。


「……」


 しかし、スキアの言葉に納得したような少女たちとは裏腹に、今度はロウの中で一つの疑念が浮かび上がってきた。


 初めて出会った時から、スキアはルインの存在を知っていた。

 ルインの目的はわからないが、スキアたちが関与すればルインがどう動くかもわからない。仮にエクスィやテッセラのような強さを持ったルインが本気で動けば、戦場はより悲惨な末路を辿ることになっただろう。

 スキアの国の上層部が懸念していたのはそれだ。……それはわかる。


 だが、浮かんだ一つの疑念というのはスキアの言い方だ。

 より多くの命が失うことになっていた、という断定的な言葉。かもしれない、という可能性を示しているわけではない。

 まるで運命の日……いや、あの日の出来事にスキアの国が名付けた言葉で言うなら、運命の枝クライシスデイ。その日の別の未来、そうなる可能性を予め知っていたような言い方に、ロウには聞こえたのだ。


 仮にそうだとして、上層部がなぜそれを知り得たのかはわからないが、スキアの属する国はあまりにも謎が多い。

 今ロウたちのいる船もそうだが、魔石を上手く利用した最先端の技術。稀有な存在であったはずの魔憑を多く抱えていること。

 しかしそれも、スキアと共に行けば自ずと知ることができるだろう。


「お前の言っていることが真実なら、より多くを選んだだけだろう。下のお前が謝る必要はない。文句なら上に言う。それで、もう一つはなんだ?」

 

 リアンはやり場のない怒りから眼を逸らし、心の奥底に閉じ込め蓋をすると、冷静に先を促した。

 ここで感情に身を任せ、理不尽にスキアを責め立てることは簡単だ。しかし、導きの札カードはスキアの国を指し示し、ロウの過去にも関連している以上、ここで関係を壊すのは得策ではない。

 未来の為、より多くを救う為に……。


 すると、クレイオを背に立ち、大きく手を広げながら次に発したスキアの言葉もまた、先と同様に衝撃的なものだった。

 しかしそれは、一つ目のように辛いものでは決してなく、むしろ――


「この国は俺たちの国が全力で降魔こうまから守る。そして、アイリスオウスもだ」

「どういうことだ? どうして今になって……」

「詳しいことは俺にもわからねぇ。上が決めたことだからな。正直、いろいろと怪しく思うところはあるだろう。運命の枝クライシスデイで何もしなかった俺たちを信じられないのも無理はない。それでも……俺と来てくれるか?」


 真っ直ぐなスキアの問いかけを受け、面々の返答は言葉ではなかった。

 まるでお前が決めろと言わんばかりに、皆の視線がロウへと集まる。 

 するとロウは深く頷き、答えを返した。


「導きは都を示した。そこに俺の過去もある。もとより答えは一つだ」

「ありがとう、ロウ」


 険悪にならずにすんだことに安堵したのか、スキアは短く息を吐きながら微笑み、いつの間にか緊張で滲み出ていた額の汗を拭った。

 罵声や恨み辛みの一つや二つ、手が出ることすら覚悟していたのだろう。


 しかし、先に真実を教えてくれたのは上から命令されたわけでなく、紛れもないスキアなりの誠意だ。

 テッセラの件では命を救われ、いろいろ世話になった相手に、そしてこれからも世話になるだろう相手に、どうしてそんなことが言えようか。

 仮に不満をぶつけるのならスキアにではなく、その上であるべきだ。



 …………

 ……



「忘れ物はねぇか?」

「えぇ、大丈夫よ。スキアさんの国にはどのくらいで着くの?」

「ん~、普通の船なら丸一日はかかるけど、この船は風とか波の影響を受けねぇからな。十二時間もあれば着くぜ」


 スキアが船の魔石をいじりながら言った言葉に、セリスは白くなり、今にも灰になって飛んでいってしまいそうになっていた。虚ろな表情。目はまるで死んだ魚だ。

 結局クレイオに来た時も、最初は大丈夫だったセリスだが、海での戦闘を終えた後は到着する直前までずっと酔いにうなされていたのだ。


 そんな彼を面々は呆れた様子で見ていたが、しだいに可哀想に思えてきた。乗り物に酔うのは、何も彼が悪いわけではない。

 すると、そんなセリスにスキアが声をかける。


「まぁその半分で行ける方法もあるにはあるんだがよ……過酷だぜ?」

「それだ! 俺はそれを所望するぞ! 丸半日もかかるほうが過酷だ!」


 過剰に反応した言葉に、すかさず突っ込みをいれたのは無論シンカだった。


「待ちなさい、セリス。カグラだっているのよ? 当然、安全なほうがいいに決まってるでしょ」

「お、お姉ちゃん。わ、私は大丈夫だよ」

「過酷と言うのは具体的にどういったものなんだ?」


 シンカたちの会話を聞いていたリアンが問いかけると、


「そりゃ丸半日で着くはずのものを、半分にするんだから答えは簡単だぜ? めちゃくちゃ速く進む! だ!」

「待て、スキア。それって相当な速さになるんじゃないのか? そんなことが可能なのか?」


 ロウの疑問はもっともだ。

 確かにこの船の性能は知っているが、それだけの速さを出すことが本当にできるのか。


 普通に出回っている船は帆で風を受けて進むため、その日の天候によって所要する時間は大きく変わってくる。一部の客船などは推進力を増す魔石が使われているため、天候による左右はあまりないが、それでも速度はお察しだ。


 ただでさえこの船は、普通に出回っているそれらの船よりも格段に速い。魔石をどう加工すればそれだけの推進力を得ることができるのか、まったく想像できないほどだ。彼の国には、ロウたちの知らない魔石も多く出回っているのかもしれない。

 そんな疑問に、スキアは親指を立てた拳を笑顔でつきつける。


「スーパーイケイケ君だからな!」


 なぜか毎回イケイケ君を押すスキアに、皆は呆れた様子だ。

 しかも、今回は語尾に何かがくっついている。

 ロウたちがそっと船の側面を覗き込むと、確かに語尾に新たな文字が付け加えられていた。やはり……油性筆マジックで、改、と。

 小破した側面をただ少し補強しただけでも、彼にとっては進化なのだろう。


 しかし皆が呆れ果てる中、このときのセリスだけは違っていた。


「スキア」


 至極真面目な表情で、静かに名を呼ぶセリス。


「なんだ?」


 スキアも至極真面目な表情を作り、それに答えた。

 真剣な眼差し……二人の視線が交差する。


「……認めよう。こいつは確かにイケイケ君だ」

「わかってくれたか、セリス」

「あぁ、もちろんだとも!」


 言って、固い握手を交わす二人。

 そんな彼らに、周囲は冷たい視線を送っていた。

 そして……


「……茶番だな」


 リアンが小さく呟いた。



「それじゃあ、スーパーイケイケスピードで行くが、構わないか?」

「俺は構わないが……」


 確認を取るように、ロウが二人の少女に視線を送る。

 シンカは両眼を強く閉じ、小さく唸りながら考えこんでいた。

 そして少しの葛藤の末、確かに時間を短縮できるのは悪いことではないし、ロウが一緒なら危険はないとの決断を下した。


「……はぁ、仕方ないわね。カグラ、大丈夫?」

「う、うん。私は平気だよ」


 胸の前で握り拳を二つ作り、やる気を示した小さな少女。

 スキアのことだ。安全面は大丈夫だろう……おそらく。


「オーケー決まりだな。じゃあ、ちとついて来てくれ」


 その言葉に面々は互いに顔を見合わせて首を傾げると、大人しくそれに従った。


 そして周囲に何もない一室へ通されると、二組に分けられる。壁の材質は以前の部屋とは異なり、どこか避難所シェルターのようにも見えなくはない。


 分けられたのはロウ、シンカ、カグラ組とリアン、セリス組だ。

 カグラ、ロウ、シンカの順に座らされ、リアンとセリスも隣同士で座らされた。

 そしてなぜかリアンだけが袋を手渡される。

 ロウたちとリアンたちの間には何か仕切りのようなものを置かれ、それを螺子ネジで固定。お互いの姿は確認できないが、声だけは聞こえる状態だ。


「いったいこれはなんなのかしら?」

「さぁな」

「な、なんだか……こ、怖いですね」


 シンカが周囲へ視線を送る中、カグラは不安げな声を漏らし、そっと控えめにロウの服の裾を摘まんだ。


 三人の会話を聞き、セリスが仕切り越しに話しかける。


「怖いってより、わくわくするな」

「この袋はなんなんだ? ロウたちも貰ったのか?」

「いや、こっちは何も貰ってないな」

「……ふむ」


 そうして、スキアに言われた通りに暫くの間じっと待っていると、部屋の天井に取り付けられた魔石から声が流れてきた。


『え~、皆様。本日は当船、スーパーイケイケ君改にご搭乗頂きまして、誠にありがとうございます』


 スキアの声だ。

 誰の物真似をしているのかはわからないが、きっと気持ちは船長に成り切っているのだろう。


『本日の天候は晴れ、または曇り。後に雨または雷、ときどき降魔こうま


「なによそれ。結局どんな天気なの?」

「海の天気は変わりやすいからな」

「で、でも、降魔は嫌ですね……」


『皆様には目的地まで、快適な時間をお過ごし頂きたい……とは思いますが』


「……ふぇ?」


『まぁぶっちゃけ結構やべぇけど、我慢してくれよな!』


「え!? なにっ!? それってどういうこと!?」

「はわわわわっ」


 あまりに大雑把なスキアの不穏な説明に、二人の少女が取り乱した瞬間――


『それじゃ、しゅっぱ~つ!』


 スキアの声が無慈悲にも出航を告げた。

 途端、ガクッと一瞬揺れた後、ロウたちはもたれた壁に押さえつけられるほどの衝撃を受ける。


「「きゃぁぁぁ――――っ!」」


 シンカとカグラは豊満な胸を押しつぶしながら強くロウにしがみつき、声を揃えて絶叫した。

 

「うおぉぉぉぉぉ――っ!」


 その仕切りの反対側では、セリスの興奮気味な声が上がっている。


 この船はと今、とてつもない速度で進んでいた。

 船の前部が少し浮き上がり、向かう風もものともせずに、波を切り分け突き進んでいる。 


 そしてしばらくすると、セリスの楽し気な声が急に途絶えた。

 さらに少しして……


「うっぐ……うぃ、ぎ……ぎもぢわるい」

「ま、待て。セリス」


 不吉な声を零すセリスの隣から、戸惑うリアンの声。


 あぁ、なるほど……と、このときリアンは理解した。


 女性陣にセリスのこれを見せるのは、確かにこくというものだろう。

 かと言って、女性陣だけを別にすると万が一が危険だ。

 だからそこにロウをあてがったのはいい。仕方のないことだ、認めよう。


 そう思いながら、リアンは静かに自分の手にした袋へと視線を落とした。


 そしてその袋の意味を理解した、そのとき――


「も、もう……駄目だ……○×△□※(汚物)」

「スキア、貴様ぁぁぁぁぁ――ッ!」


 リアンの悲痛な慟哭が船内に木霊した。

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