88.記憶無き傍観者

「ロ、ロウさん。これからどうしますか?」

「シンカたちがセリスを助けに敵の拠点に向かったと言うのなら、俺たちも向かうべきなんだろうが……場所がわからない」


 金銀の鎧を着た男たちが立ち去った後、ロウとカグラは空き地の中でこれからのことを考えていた。


「さっきの二人がセリスさんを連れ去ったんですよね? あ、預かったって言ってましたし。でも、心配しなくても会えるって言ってました。お姉ちゃんたちが、無事に連れて帰るってことじゃないんですか?」


 結局、ブラッドとヴォルグはロウたちに危害を加えることはなかった。

 ロウに道を指し示すような助言を残していっただけだ。

 そこに何か裏があるのかどうかは定かではないが、相手の言葉を簡単に信じてしまうのはカグラらしい。そこが彼女の良いところでもあるのだが。


 とはいえあの二人には、その言葉が真実であると思わせる何かがあったのは否定できない。

 それは以前、シンカたちと初めて出会った森で彼女たちを助けた後、ハクレンが鎧の二人を気にしていたというのもあるが、セツナ以外知るはずのない記憶の喪失を知っている時点で、決して無視できるものではない。

 仮に裏があったとしても、立ち向かう他選択肢はないだろう。


「あっさり返すつもりなら、何が目的でセリスを……」


 ロウは状況を整理してみるものの、納得のいく答えが出てくることはなかった。

 昨日からあまりに多くの事が続けて起こり、世界を救う為の手段を探す中、突きつけられた自分への選択。ブラッドたちに言われたことが、ロウの集中力を酷く掻き乱していた。


 ――過去か、現在か。


 残り二つの導きのうち、今のが選択だったのだろうか。

 だとしたら、最後に二人へと投げかけたロウの言葉で何か未来は変わったのか。


 今のロウは、とてもまともな判断ができる状態とは言えなかった。

 そんな中、導きの札カードの選択が終わったのかを確認するため、ロウがカグラにもう一度導きを見てもらろうと判断した、そのとき――


「また、お会いしましたね」


 静かな声が響いた。

 ロウたちが声の方へ視線を向けると、そこにいたのは狐面を着けた一人の女だ。


「……デュランタ」


 ロウが彼女の名前をぽつりと呟くと、デュランタは薄く唇を動かす。


「覚えていてくれたのですね」


 運命の日の前の出来事を思い出したのか、カグラの顔が青褪め酷く強張った。ロウの服をぎゅっと握った手は、可哀相なほどに震えている。

 ロウがデュランタに貫かれたあの日の出来事は、少女にとっての心的外傷トラウマだった。デュランタを目にしただけで怖じ気づくのも無理はない。

 むしろ、膝を折ることなく立っていられるだけで、十分に褒められることだろう。

 

 そんなカグラを背に庇いながら、ロウはデュランタに言葉を掛ける。

 

「昨日は助かった、ありがとう」


 その感謝が意味するところは、リアンがイダニコ村で鈴の音を聞いたという情報のことだ。

 降魔こうまの魔力塊を撃ちぬいた一筋の閃光。それがデュランタによるものなら、なにかしらの反応があるだろう。

 しかし、彼女は少し首を傾けながら……


「はて、記憶にありませんね」


 わざとらしく言ってのけた彼女に、深く聞いても良い答えは返ってくるまい。

 しかし、唐突もなく身に覚えのない事を言われた側の反応にしては、少しばかり違和感を覚える反応だ。それはある種の肯定ともとれるだろう。


「そういうと思ったよ。それで……今度はなんの用なんだ?」 


 すると、デュランタは半面の下で小さなくすり笑いを零し、鞘に収まったままの刀を突きつけた。同時に、刀についた五つの鈴が音も無く揺れる。

 その動作を見た瞬間、ロウに緊張が走った。どうやら戦闘は不可避のようだ。


「それはもちろん――あなた方の歩む運命を阻むこと、ですよ」


 告げた瞬間、デュランタが凄まじい勢いで間合いを詰め、ロウへと斬りかかった。

 反射的に刀でロウがそれを受けると、デュランタは後方へと距離を取りながら満足気な声を漏らす。


「頭の中がそのような状態でも、今のを止めますか」

「……逃げろ」


 デュランタの言葉を無視して、ロウは振り返ることなく静かに呟いた。


「え?」


 カグラがロウを見上げると、険しい表情を浮かべたその額には汗が滲んでいる。

 

「頼む」

「で、でも……」


 ロウにはわかっていた。

 今の自分がどう足掻いても、デュランタには敵わないということを。

 相手の正確な能力はわからないし、何より身体能力、そして九つの惑星エニアグラムにおいても間違いなく格上の存在だ。


 しかし、カグラは胸に手を当て、逡巡するように視線を泳がせている。

 過るのはロウがデュランタに斬られ、貫かれたあの日の情景。

 真っ赤に染まる視界、生暖かい感触……そして、崩れ落ちるロウの体。

 自分がここにいても何も出来ないことはわかっているし、何もできないどころか足手まといでしかないのも理解している。


 だがしかし、それでも少女はすぐに動くことができなかった。

 あの日よりもロウをより一層大切だと思える心が、あの日の血の情景が、カグラをこの場に縛りつけている。


 が、その硬直を解いたのは意外にも……


「いいですよ。カグラさんには逃げて頂いても」


 どうぞ、とでも言うかのように、デュランタは半身になりながら細い手を空き地の出口へと向けた。その行動に、ロウは戸惑いを隠せずに問いかける。


「……運命を阻むためと言っていたな。それなのに、カグラを逃がてもいいというのはどういうことなんだ?」

「ロウさん。今回は貴方が狙いですので」

「俺が狙い?」

「そうです、貴方を……いただきます」


 言って、デュランタが再び距離を詰め、刀を上から振り下ろす。

 ロウが刀で受け止めた瞬間、デュランタの左足がロウの側頭部へ襲いかかった。

 右腕でその蹴りを受け止めるが、衝撃を受けきれず、蹴り飛ばされる。


「ロウさん! っ!?」

「早く逃げないからですよ」


 ロウの側にいたカグラ眼前にはデュランタの姿。

 その視線が合った瞬間、カグラは咄嗟に後ろへと飛び退き、距離を取った。

 しかし、目の前にいたはずのデュランタの姿はすでにそこにはない。


 途端、首の後ろに感じる鈍い痛みと共に、少女の視界はいつの間にか地面を捉え、倒れ込むと、そのままあっさりと意識を手放してしまう。

 そして、気絶したカグラをデュランタはそっと抱き上げた。


「待て!」


 ロウの声に視線を向けると、その頭上に浮ぶ三つの氷刃がデュランタに狙いを定めていた。

 しかし、デュランタが慌てる素振りを見せることはない。


「落ち着いて下さい。今回の目的は貴方だと言ったはずです。カグラさんには、邪魔にならないよう少し眠って頂いただけですので」


 デュランタは冷静にそう返し、空き地の隅へと歩いて行った。


 彼女の目的がわからない以上、カグラの身の安全が完全に保証されたわけではない。それでも、戦う姿を見なくて済むのならそれに越したことはないだろう。

 少なくとも、カグラを人質に取られた時点でロウの敗北は決定していた。

 それをしないというのは、余程自分の力に自信があるのか、別の意図があるのか。仮に前者だとしても、人質を取る方がより楽に事を成せたはずだ。


 ロウがデュランタの行動を注視し続ける中、彼女はカグラをそっと空き地の隅に寝かせると、言葉通りカグラに危害を加えることなくロウへと向き直った。


「さて。それでは改めて……いきます」


 駆けるデュランタに向けて、ロウは上空に待機させていた氷の刃を放つ。

 一本目の氷刃をデュランタは最低限の動きで横に避け、二本目の氷刃を刀で弾き上げると、三本目の氷刃を振り下ろした返しの刀で打ち落とす。

 その程度の攻撃でデュランタの動きが止まることはない。


 ロウが地面に手をつくと、鋭利な霜の刃が地面を駆け抜けるが、デュランタはそれを跳んで躱し、上空からそのまま勢いのついた右足を振り下ろす。左腕でその足を受けたロウは、刀を逆手に持ち替えて斬り上げた。

 が、デュランタは受けたロウの左腕を支えに小さく跳躍し、ロウの背後に着地。


 ロウが振り返りながら刀を横に振るうが、デュランタはそれを低く屈んで躱すとロウの足を鋭く払う。後ろにずれて躱したロウが僅かに体勢を崩すと、間髪入れず下顎へと突き上げるデュランタの掌底。

 顎を引き、それを紙一重で躱した瞬間、デュランタの手首が鋭く返され、さらに体勢を崩したロウの胸倉を掴むと、そのまま地面に強く叩き付けた。


「かはっ!」


 背中を強く打ちつけ、ロウは肺の酸素を一気に吐き出した。

 だが同時に、ロウの手が地面に触れた途端、数多の氷刃が地面から突き出す。

 しかし、デュランタはそう来ると分かっていたかのように、ロウの上から飛び退きながら離れてそれを回避した。


 その隙にロウは跳ねるように起き上がるが、構えを取る前にすかさず地を蹴り、再び間合いに入ったデュランタがロウの顎を蹴り上げる。

 顎への攻撃でロウの脳が揺れ、意識が飛びそうになるのをなんとか堪えながらも地面に膝をつく、その刹那、デュランタはロウの側頭部を強く蹴り飛ばした。


 地面すれすれを飛ぶロウの体が十数メートル先で落下し、地面に直線を描くように砂埃を舞い上げる。

 なんとか意識は保っているものの、ロウの体はまるでいうことを聞かないでいた。相手は魔力すら使っていないというのにこの様だ。

 口の中に広がる鉄の味を噛み締めながら、なんとか呼吸を整えていく中、デュランタはゆっくりとした足取りでロウへと歩み寄っていた。


「ロウ!」


 そこに、一人の男の声が響き渡る。



 …………

 ……



 リアンとシンカが部屋を出ようと扉を開けると、丁度中に入ろうとしていたところのか、扉取手ドアノブに手をかけようとした状態の店員の男がいた。

 そのすぐ後ろには、医者も同行している。


「よぉ。どうするか決まったのか?」

「仲間が宿にいるはずだから、相談に行こうとしていたところだ」


 その言葉に、男と医者は顔を見合わせた。


「みんなのお金を合わせたら、金貨百枚用意できるはずだから。そしたら、彼を迎えに来るわ。それでいいでしょ?」

「ま、待ちなって。仲間があんな状態になっちまったんだ。とりあえず今はまだ休んで気持ちを落ち着かせろよ。宿の名前を教えてくれりゃ、俺が行って来てやるからよ」


 慌てて言った男の様子に、リアンは怪訝の表情で眉を寄せた。


「セリスへの対応といい、やけに親切なんだな」

「ここは王都だぜ? 互いが助け合うのはみんな当然だと思ってる。な?」

「えぇ、そうですとも。命は何よりも重いものですからね」


 もっともらしい言葉を述べた男が話を振ると、医者もそれに頷いた。

 が……明らかに怪しい。二人をここに留めようとしているのが見え見えだ。

 しかし、同時にわからないこともある。シンカが金貨を用意できると言ったのだから、ここは別に留める必用のない場面のはずだ。……目的は金じゃないのか。

 

 そう思いつつ、リアンは言葉を投げかける。


「だが、気持ちだけで十分だ。外を歩くことも気分転換になる」

「そうね。正直こんな地下にいたんじゃ、余計に気が滅入りそうになるもの」


 そう言って歩き出そうとするシンカたちを、男が再度制止する。


「わ、わかった。じゃあ俺が宿まで案内してやるよ。ここまでの道も覚えれてねぇだろ?」

「大丈夫だ。道を覚えるのは得意なんでな。迷うことはない」

「す、凄いな兄ちゃん。わかった、もう止めねぇよ。でも……」


 途端、男が急に勢いよく扉を閉めた。次いでガチャリと施錠の音が響く。


「しばらくは、大人しくしといてもらうぜ」


 リアンが扉取手ドアノブに手を掛け扉を開こうとするが、やはり外側から鍵をかけられて出ることができない。

 最初この部屋に入った時も確認したように、この部屋は閉じ込める為の構造になっている。元々は精神病患者たちに使う部屋だったのかもしれないが、今のリアンにとってそんなことはどうでもいい。

 この扉の仕組みは最初からわかっていたことだ。


「……どういうつもりだ?」


 発した声の音を低くしながらも、リアンは冷静に問いかけた。

 しかしそんなリアンの声も届いていないのか、扉の向こう側から聞こえてくるのは慌てふめくような取り乱した声だった。


「いったいどうするつもりだ!?」

「うるせぇな、仕方ねぇだろ! 時間が稼げりゃなんでもいいんだよ!」

「し、しかし……」

「いいから、今のうちにずらかるぞ!」

「わ、わかった。せめて、女に貰った魔石だけは回収させてくれ! あれはきっと貴重なものだ!」

「わかったわかった、急げ!」


 そんな会話を残し、二つのドタバタとした足音がこの場から全力で逃げるように遠ざかっていく。


「ちょ、ちょっと! 待ちなさいよ!」


 扉を叩きながら呼び止める声も虚しく、男たちの足音は聞こえなくった。

 

「いったい、何がどうなってるのよ」


 元より払うつもりはなかったが、金も回収せずに逃げた男たちの会話を信じるなら、彼らの目的は言葉通り時間稼ぎだったということになる。

 あの慌てっぷりから察するに、その会話自体が罠ということはまずない。

 気になるのはに貰ったという魔石だが、依頼者と報酬、といったところだろうか。


 だが、今シンカが一番懸念すべき事は、すぐ後ろから感じる激しい怒気だった。

 

「あいつら……」

「あ、あの、ね……リアン。ここは地下だしほ、ほどほどにね?」


 リアンは怒りを押し殺したような声で呟くと、確かな赫怒を宿した瞳で前の扉を睨みつけ、その手に炎を纏った。



 ………… 

 ……



「ロウ!」


 名前を叫ぶ聞きなれた声の正体はセリスだった。


「セリス、無事だったのか」


 倒れているロウの元へ駆けつけようとするが、セリスの前にデュランタが立ちはだかる。


「いいタイミングですね」

「狐面の女……前にロウをやったやつかよ」

「えぇ、デュランタと申します。私の目的はロウさんですので、来て早々申し訳ありませんが、お引き取り願えませんか?」

「退くわけねぇだろ!」


 当然、この状況を前に逃げる選択などない。

 そう迷い無く銃口を向けるセリスに、デュランタは哀れむような深い溜息を吐いた。

 そして、心底呆れたような声音で問いかける。


「はぁ……セリスさん。貴方にこの状況を変えられますか? 痛い思いをするだけ損ですよ」

「そ、それでも、仲間を諦める理由にはならねぇ!」


 叫びながら、向けた銃口から放たれる弾丸。

 しかし、デュランタはその場から一歩も動くことなく、飛んできた弾丸を軽々と刀で弾いた。

 人間離れした技。その身体能力は魔憑まつきである確たる証だ。

 セリスが勝てる確率は、万に一つもない。


「――ッ」

「真っすぐに飛ぶことしかできないただの鉛弾が、私に当たると思いましたか? それもわざわざ急所を外して狙うなど、愚行でしかありません。そもそも貴方は銃の扱いを間違っています。ロウさんから、何も教わっていないのですか? そんな貴方が――」


 デュランタの声を遮ったのは、背後からの強襲だった。

 が、背後から振り下ろされた一閃を躱し、デュランタはロウの襟元を掴んで放り投げた。

 そして、今の攻撃がまるでなかったかのように、デュランタは話を再開する。


「そんな貴方が、なんの役に立つと言うのですか?」

「くッ、そんなこと……そんなこと、言われなくてもわかってる……」


 拳を握り、歯を食い縛り、セリスはこれまでの戦いを思い返した。

 一度も役には立てず、自分の無力さに嘆いたことが、この短い期間にいったい何度あっただろうか。いつも明るく振る舞ってはいても、それはセリスの深い傷となっていた。

 つい昨晩の出来事にしても、セリスが少しでも戦えたなら、ロウがあそこまで傷つくことはなかったかもしれないのだ。

 只人が魔憑の戦いについていけないのが当然であったとしても、完全に足手纏いでしかない自分が堪らなく情けない。


 そんなセリスに、デュランタは問いかける。


「なら、なぜ貴方はそこにいるのですか?」

「お、俺は……」

「止めろ!」


 声と共に、デュランタの足元の地面から突き出る氷刃。

 それをデュランタは宙返りするように跳躍し、すべての氷刃を刀で薙ぎ払って砕くと、平然とた様子で着地した。

 そして、その視線をロウへと向ける。


「何を止めろと? 私は事実を言ったまでです」

「セリスはまだ、力に目醒めていないだけだ」

「なら、今の時点でもそこそこ戦えるよう、貴方が教えてあげればよかったのではありませんか? すべての武器に精通した貴方が」


 それは妙な言い回しだった。

 すべての武器もなにも、ロウが持つのは刀一本なのだから。

 デュランタと相対するときも、たまたま他の武器を手にしていた、なんていうこともなかったはずだ。


「意味がわからないな。俺は刀しか使ったことがない」

「いいえ。貴方は誰よりも、武器たちのを理解している。誰よりも、武器たちの想い・・を知っている。だから言ってあげればよかったのです。セリスさんに、銃は向いていないと」

「――!」


 言い終わると同時に距離を詰め、下から斬り上げてきたデュタンタの刀を躱し、彼女の空いた右脇腹をロウは刀で薙ぎ払う。

 しかし、デュランタは右脇腹を狙ってきた刀を左手で難なく受け止めると、一度斬り上げた刀をそのまま勢いよくロウの肩へと振り下ろした。


「――ッ! ぐっ……」


 鈍い嫌な音と共に、ロウの左腕がダラリと垂れ下がる。


「刃を隠した鞘など所詮はただの打撃武器。だからこうして、相手に容易く掴まれてしまう。刃無き意志は儚いものですね……終わりです」


 デュランタが再び刀を振り上げた瞬間、鳴り響く甲高い音。

 刀を振り下した先はロウではなく、セリスの撃った鉛弾だった。


「貴方もしつこいですね、セリスさん」

「止めろ!」

「止めませんよ」

「や、止めてくれッ!」


 セリスの願いを砕くように、デュランタが再び振り上げた刀は、ロウの首筋へと容赦なく振り下ろされた。

 そして、力なく倒れ込むロウをデュランタは受け止めると、ロウの腕を自分の首に回して支えるように担いだ。


「早く、カグラさんと一緒に帰りなさい」


 そう言い残し、デュランタが背を向けると……


「だ、駄目だ。ロウは……ロウは連れて行かせねぇ……」


 その声に振り返るデュランタの瞳に映ったセリスの手は震え、瞳は揺れていた。


「いいでしょう、チャンスを差し上げます。私は貴方に反撃を加えませんので、好きに攻撃してください」

「くッ!」


 そう告げられた瞬間、何度も何度も銃声が響き渡る。

 しかし、その弾はすべて刀に弾かれ、弾は虚しく地面に落ちて転がった。

 そして装填されていた弾は尽き、引き金を引く音だけが虚しく響く。

 

 焦る気持ちを抑えながら、セリスは震える手で新しい銃弾を込めようとするが、うまく装填することができず、手から零れ落ちた銃弾が地面に転がった。


「……哀れですね」


 セリスの頭の中には、儚い希望があった。

 もしかすると、ロウがなんとかしてくれるんじゃないか。

 リアンやシンカが、駆けつけてくれるんじゃないか。

 スキアの時のように、誰かが助けてくれるんじゃないか。

 しかし、そんな希望は無いと告げるようにデュランタは背を向け、歩き去ろうとしてる。

 離れていくデュランタとロウの背中を見つめ、セリスは過去の光景を思い返していた。


 セリスがリアンと共に過ごした、大切なパトリダ孤児院。

 その孤児院の最後――黒い雪が降ったあの日の事を。



 ……――――――――――


 中立国アイリスオウス領内の辺境にある小さな村。

 その近くにひっそりとある孤児院。そこが、リアンとセリスの故郷だ。

 

 当時新しくできたばかりだったのか、セリスは子供たちの中でも古参だった。

 セリスが修道女に拾われた時、すでにリアンはいたからセリスが二人目ということになる。

 

 修道女シスターは心優しく美しい女性だった。

 皆、修道女シスターを愛していたし、過ごす日々に笑顔が絶えることはなかった。

 悲観することも、後ろめたさもない。

 たとえ本当の親を知らなくとも、その絆は確かなものだったと胸を張って言える。


 だが、紛れもなく幸せだった日々は、唐突に終わりを告げた。

 それは十年前、セリスがまだ八つだった頃の話だ。


 その日の出来事をセリスも、そしてリアンも鮮明には覚えていない。

 覚えているのはその日、空から黒い雪が降っていたということ。

 幻覚だったのかもしれない。今はもう、それを確かめる術はない。

 確かなのは……二人が故郷を失ったということだけだ。


 倒れているセリスの近くには、育った孤児院が無残にも崩れ落ちている。

 セリスの隣には辛うじて保った意識の中、苦痛にもがくリアン。

 他の子供たちの姿はなく、視線の先には母親のような存在だった修道女シスター

 ぴくりとも動かない彼女が一人の男に担がれ、その場を去っていく。


 セリスは修道女シスターの名前を必死に呼んだ……必死に、叫んでいた。

 目の前に転がる折れた槍を握りしめ何度も、何度も、何度も……。

 ぼろぼろと溢れる涙と鼻水で、ぐしゃぐしゃになった顔から漏れる悲痛な声が、ただただ虚しく響き続けていた。


 ……――――――――――


 

「……ロウ」


 だが、二人が復讐にその身を堕とすことはなかった。

 残されていた・・・・・・修道女シスターの手紙が、彼らの心を踏み留まらせた。

 仮に真実を知る機会があったなら、男の正体を突き止めることができたなら、そのときはどうなるのかわからない。いや、おそらく……。


 だがあの日、セリスは槍を捨て、銃を極めようと試みた。


 元々何かをやっていたのか、修道女シスターは体を動かすのが好きだった。

 それに幼い頃からずっと付き合わされていたリアンとセリスだが、修道女シスターはいずれ独り立ちする彼らの事を思い、訓練をつけていたのだろう。

 しかし、そんな技術もまるで役に立つことはなかった。


 幼かったから仕方ない。何も出来くて当然だ。だが……


 あのとき、槍でなく銃が使えたら。あのとき、その手に銃を持っていたなら。

 修道女シスターを連れ去る男を倒せていたかもしれない。

 修道女シスターを失わずに済んだかもしれない。

 当時まだ八歳だったセリスに、そんな思いが銃を持たせた。


 確かにそうだろう。

 相手が普通の男なら、その足に鉛弾をぶち込めば結果は変わったかもしれない。

 相手が只の人間なら、その腕を銃弾で撃ちぬけば未来が変わったかもしれない。


 だが、今の現状はどうだろうか。

 そんな思いから銃を持ち、その練度を上げ、リアンと共に軍で活躍してきた。

 そんな腕と銃を持ちながら、今のこの現状はどうにもならない。


 あのときと違い、その足は動くのに……あのとき動いたはずの手は動かないでいた。

 あのときと違い、ただ見送ることしかできなかった自分はもういないはずなのに……こうして背中を見ていることしかできない現状はなんなのか。


「なんでだ……なんで、俺はいつも何もできねぇんだよ……。もう、嫌なのに……失うのは嫌なのに。失うのは怖ぇんだよ……なのになんで、俺は何もできない……俺は……」


 とてもか細く、小さな震える涙混じりの声。

 このとき、セリスの心の中は、ただただ仲間を失う恐怖に満ちていた。


 昔と全く同じだ……何も変わらない。

 強くなったにも関わらず、その強さはなんの意味も成さない。

 そう、セリスが思った瞬間――頭に響く声。


『――違うよ』


「……誰だ?」


 虚ろな瞳で周囲を見渡すが、そこには誰もいなかった。

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