79.王都クレイオ

 ――ケラスメリザ王国、王都クレイオ


 どれも似たような造りの白を中心とした建物が多く並び、綺麗な白灰色の石床が長く続いている。どの道も基本的に道幅は広いが、特に城まで続く主道は数台の馬車がすれ違っても余りある程だ。それを辿っていくと王都の一番奥に建つ王城が見える。

 城は大きな湖の中央に建てられており、木造の跳ね橋が架けられていた。


「すげぇなぁ……これが王都か」

「ほわぁ~……」


 セリスとカグラが感嘆の声を上げる中、他の三人の表情は違っていた。

 それは単に、アイリスオウスの使者としての自覚があるかないかの違いだろう。

 小さな少女は別として、軍人であるセリスがこれなのはどうかとも思うのだが。


「セリス、騒ぎだけは起こすなよ」

「わかってるって。俺もそこまでバカじゃねぇよ」


 ロウが注意を促すと、セリスは笑いながら答えた。

 少しばかり不安になるものの、城まではあと僅かだ。ここで問題を起こす方が難しいし、おそらくは大丈夫だろう。


「あまり目立った行動はしないほうがいいな」

「そうね」


 リアンの言葉にシンカが少し緊張した様子で頷いた。

 いくらゲヴィセンから預かった紹介状があるとはいえ、謁見する前に騒ぎでも起こそうものなら、この後の話し合いに支障をきたしてしまうだろう。

 目的はあくまで神話に関する情報と、国として協力体制を敷くとことだ。

 降魔こうまの存在を信じてもらえるかどうかという点においては、大丈夫だと言っていたロギの言葉を信じる他ない。

 とりあえず、まずはこの国の王に会わなければ話にならないだろう。


 途端――


「きゃっ!」


 聞こえたのはカグラの小さな悲鳴だった。

 一人の男がぶつかりカグラの体がふらつくものの、男は何食わぬ顔で通り過ぎていく。


「ちょっと、貴方ね! 私の可愛い妹にぶつかって謝罪もないの!?」

「けっ!」


 シンカの言葉も聞かずに男がそのまま歩いて行くと、ぎゅっと拳を握りこんだ彼女の口から微かな笑いが漏れる。

 笑い、というのは正確ではないかもしれないが、そうとしか言えない。強いて補足するならば、危ない系の笑いだ。笑顔を浮かべつつも、ひくつくこめかみに薄っすらと浮ぶ青筋。


「ふ……ふふふっ、いい度胸してるわね……。カグラの前に跪かせてやるわ!」


 男へと殴りかかろうとした妹を愛する姉シスコンをロウが慌てて止めに入った。

 そしてシンカの脇から腕を回し、憤る彼女を必死に押さえながら、


「シ、シンカ、ちょっと待て! そこのお前もだ、今何か盗――」


 ロウが男に声をかけた瞬間、止める暇もなくリアンが男の鳩尾を殴った。

 男は石床に倒れ込み、ぶくぶくと蟹のように泡を吹いて気絶している。

 たったの一撃でその様だが、それも当然だろう。今のリアンは魔憑まつきなのだから、ただの拳といえど常人の気合い拳スーパーパンチとは訳が違うまったくの別物だ。


 明らかにやりすぎだが、ただでさえ仲間にしか気を許さない彼は悪人に対して容赦はしない。ぶつかった相手が悪かったと、諦めてもらうしかないだろう。

 しかしどうして今、このタイミングなのか……


「おい、ばっ、リアン! 今さっき、目立つなって自分で言ってただろ! ほんの数秒前だぞ!」


 堪らずセリスが声を荒げた。彼にしては珍しく、まともな突っ込みだ。


「私にも一発殴らせて!」

「だから待て! シンカもリアンに同意してただろ!」

「そ、そうだよお姉ちゃん! 私は平気だから、ねっ?」


 ロウとカグラの二人が必死にシンカを抑えている。

 そんな中、リアンが男の懐をごそごそと漁り、中から導きの札カードを取り出した。


「これがないと先には進めないだろう」

「だからって、二人とも目立ちすぎだ」

「こいつがわざとカグラにぶつかるからよ」

「俺は悪くない」


 ロウから解放されたシンカは”ふんっ”と鼻を鳴らしながら視線を逸らし、リアンは何食わぬ顔でカグラに導きの札カードを手渡した。


「あ、ありがとうございます」

「いやぁ、確かに悪くはないけどよ。……大注目だぜ?」


 セリスが周囲を見渡しながら、堪らず引きつった笑みを浮かべた。

 周囲からの視線はまるで野蛮な者を見るそれだ。状況を知らない者から見れば、リアンのとった行動はただの窃盗、追剥ぎだ。中には憲兵を呼ぶ声すら聞こえてくる。

 吹き出す嫌な予感と同時に、少し離れた所からロウたちの方へと向けて勢いよく走ってくる憲兵の姿を捉えると、ロウは溜息混じりに言葉を口にした。


「頼むから……もう目立つことはするなよ」

「カグラに何もなければね」

「ふん、俺は悪くない」


 ロウの言葉を受けてなお、反省の色がまるで見えない二人。

 そんな二人にロウが深い溜息を吐くと、三人の憲兵が彼らの前に到着した。


「この騒ぎの原因はお前たちだな?」

「確かにそうだ。そうではあるんだが……とにかく抵抗はしない。話を聞いてくれ」


 言って、ロウは事情を説明し始めた。

 泡を吹いて倒れている男がカグラの物を盗ったと証言できる者はおらず、憲兵はロウたちを怪しげに見ていたが、それを救ったのはロギが彼に持たせた紹介状だった。

 その封に用いられている封蝋ふうろうには、菖蒲の紋章が記された印璽いんじされている。

 つまり、中立国アイリスオウスの正式な菖蒲の印璽の入ったそれは、ロウたちがアイリスオウスからの使者であることの証明であり、彼らの疑いはあっさりと晴れた。


 当然、事情があるにせよやりすぎだというお叱りは受けるものの、ここで憲兵と出会えたのは不幸中の幸いだろう。三人の内、二人が窃盗犯を連行していくと、一人の憲兵はそのままロウたちを王城へと案内していくれた。


 ロウは内心、すぐに誤解が解けたことを安堵すると同時に、この国の危うさを感じていた。

 この国、というよりも今あるこの世界がというべきか。

 例えばこの紹介状が本当は別の人のものであり、ロウたちがそれを奪っていたのだとしても、それに気付きもせずに信じ込んでいたのだろう。


 それはこの世界がそれだけ平和であったことの証であり、ロウはそう考えてしまう自分に違和感を覚えた。


(やっぱり、俺の過去が原因……なんだろうな)


 ロウにはまだ仲間に明かしていない秘密がある。

 別に意図して隠しているわけではないとも言えないが、それを言う機会もなければ言ったところでどうにかなるわけでもない、という理由からだ。 

 下手にそれを告げたところで、皆もどう言葉を返していいのかわらかないだろうし、無駄な心配はかけたくない。

 なら、どうしてもそれを告げなければならない機会が訪れるまで、黙っていた方がいいだろう。


 ロウの横で楽しそうに会話しながら歩いているシンカとカグラにそっと視線を送ると、二人がそれに気付き「どうしたの」と問うかのように首を傾げた。

 それに対して微笑みがらロウが首を左右に振ると、二人は頭に疑問符ハテナを浮かべながらも会話を再開した。


 そうこうしているうちに王城が見えてくると、橋の門番に憲兵が話を通す。

 跳ね橋の向こうに見えるのは、大きな扉の前に立つ精工な女性の彫像だ。


 ロウ以外の面々は初めて見る目の前の王城に感動していたが、中でもセリスとカグラの二人は特に目をキラキラと輝かせていた。

 カグラに至っては城というよりも、黄色の花が描かれた旗の方に興奮しているように見える。

 胸元でぎゅっと拳を握りこみ、いつものように気合いを入れ直していた。……かわいい。


 ミソロギアにある議事堂より遥かに大きな建物の中に、いったい何人の人が住んでいるのか。こんな素敵な城に住んでいるのはどんな人なのか。そんな想像を膨らませながら中に入ると、ロウたちはと待合室のような場所に通され、そこでしばらくの時間待たされることになった。

 といっても、先にロギが早馬を出していたこともあってか、それほど待つこともなくロウたちは謁見の間に通された。

 

 広い空間の奥、少しばかりの段差で高さを出した位置づけの豪奢な椅子に、一人の男とまだ若い一人の少女が座っている。美しいブロンドの髪と瞳。

 この国の現国王パソス・ヴァスリオとその娘、スィーネ・ヴァスリオだ。


 本来ならもっとたくさんの兵士がいるのだろうが、今ここにいるのはその二人と御側付の女が二人。そして、精工な鎧に身を包んだ三人の騎士だけだ。

 大切な話をする中、信頼できる者だけを残したというところだろう。


 ロウたちは赤い絨毯の敷かれた広間の中央まで歩を進めると、膝をついて頭を垂れた。

 するとすぐさま太い声がロウたちへと注いだ。

 

「固くする必要はない。貴公らは我が国の民でもあるまいて。楽にせよ」 

「………………それでは失礼して」


 少し溜めた後、ロウが立ち上がると同時に、横にいたシンカが小声でロウの名を諫めるように呼びながら、戸惑う視線をロウとパソスの間で泳がせた。


「よいのだ。私とゲヴィセンとは旧知の仲でな。昨日、そのゲヴィセンの元から早馬が届いた。今はその話を詳しく窺いたい」

 

 パソスの言葉にロウ以外の面々も静かに立ち上がると、御側付の女がロウへと歩み寄る。

 ロウは御側付にゲヴィセンから預かった紹介状と書状を手渡した。

 御側付からそれを受け取ったパソスがじっとそれを読んでいる間、静寂に包まれた空間の中で、ロウたちは静かにパソスがそれを読み終わるのを待った。

 このような空気に慣れていない二人の少女は、固唾を呑みながら祈るような瞳で見守っている。


 そして……


「貴公がロウだな」

「はい」


 パソスの視線がロウを真っすぐに捉えた。

 ロウは内心、ゲヴィセンに自分のことをどういった風に書かれたのかと思いつつも、国王からの視線をまったく微動だにすることなく正面から受け止めていた。

 すると、一呼吸置き、パソスが静かに声を発する。


「教えてくれぬか。貴公の考える……この世界の行く末を」

 

 国王パソス・ヴァスリオの言葉にロウは瞑目し、静かに息を吸い込むとそれをゆっくりと吐き出しながら、頭の中を整理した。


 導きはケラスメリザを示した。ならば、ここでの一件はこの先の運命を左右するものに違いないだろう。……慎重にいかなければならない。そう、ロウは自分に言い聞かせる。

 物音一つ立てず皆がロウの言葉を待つ中、彼はゆっくりと目を開いた。


「ディザイア神話の再来において、当然こうなるという断言はできません。ですが、一つだけはっきりしているのは、このままではやがて世界が終わりを迎えるということです。現在、その理由はわかりませんが、降魔の発生は中立国アイリスオウスに留まっています。しかし、その戦禍はいずれ世界全土を呑み込むでしょう。この国にもいつ魔門ゲートが開くとも限りません。このまま何もせずにいれば世界は降魔に蹂躙され、対抗する術を持たない人々は次々にその命を散らし、この世界は終わりを迎えると……そう考えます」


 広い部屋に静かに響いた声。返って来る言葉はなく、この空間を包んだのは尚も続く静寂だ。

 そんな中、パソスの視線はロウを見据えたまま動くことはなかった。

 パソスからの返答はなく、まるで何かを待っているかのように少しの沈黙が流れた後、ブラウンの瞳を細めながら開口したのは、控えていた三人の騎士の内の一人だった。

 鎧の細部が異なることから、おそらく他の二人よりも立場は上なのだろう。


「何を言い出すのかと思えば、とんだ世迷言を。そのようなことを言うために、わざわざこの国まで足を運んだと言うのか? 本当の狙いはなんだ?」

「本当の狙いとはなんのことでしょうか? 私は正式な書状を携え、中立国アイリスオウスの使者としてこの国に真実を伝えに来たにすぎません」


 ロウの返した言葉に、男は眉を寄せながら苛だつような表情を浮かべた。


「名も聞かんような奴に、そのような大役を任せること自体がそもそも不自然だ。フィデリタス・ジェールトバーはどうした?」


 その言葉に、ロウたちの顔に影が落ちる。

 男の疑問はもっともだろう。本来、重要な案件を持って他国への使者として赴く者は、決まってある程度地位の高い者だ。その代表が軍服に身を包んでいるでもなく、内二人は少女ときた。

 話の内容と合わせると、とても信じられるものでもなければ警戒して当然だろう。

 すると、パソスの口が動いた。まるで、これを待っていたというタイミングだ。


「一つ頼みがある。この者たち三人と貴公一人で、決闘をしてはもらえぬか? もちろん、貴公の・・・武器・・を使うことなくだ」


 普通なら考えられないパソスの言葉に、周囲の者は絶句した。

 まさかいきなりそのようなことを言われるとは、ロウたちも思ってはいなかっただろう。

 しかし、一番それに驚いていたのはロウたちではなく、王国側の者たちだった。

 

「お、お父様! それはあまりにも……この者たちは我が国の精鋭騎士なのですよ?」

「スィーネ様の言う通りです。このような決闘に、なんの意味があるというのですか?」


 精鋭騎士。つまりここにいる兵は、アイリスオウスでいうところのフィデリタス、カルフ、トレイトといった近衛の部隊にあたるのだろう。

 それを一人で相手にしろというのだから、姫や騎士たちの動揺も必然だ。


「貴公はどうだ?」

「私は争いに来たわけではありません。話し合いで解決できるのであれ――」

「本当にそうか?」


 ロウの言葉をパソスは静かに遮った。静かでありながら力の籠った声音だ。

 揺らぐことなく見据えるその双眸は、ロウに何かを求めているかのようだった。


「……わかりました。場所は……」

「ここでよい。そなたらも異存はないな?」

「それが陛下のご意思であれば……」


 言って、三人の男が中央へと歩み寄ると、ロウも静かにその足を進めた。

 シンカたちは少し後ろに下がり、静かに成り行きを見守っている。


 そして、パソスの開始の合図と共に、男たちは容赦なく一斉に攻撃をしかけた。

 が、その勝敗はいうまでもなく一瞬だった。


 ロウは一人目の男の手を取りそのまま軽くひっくり返すと、空いた手で突きを放った二人目の男の剣を掴み、勢いよく引き寄せながらその足を払って転ばせ、三人目の男の顔を目がけて放った蹴りを当たる直前でピタリと停止させる。

 無論、シンカたちにとっては至極当然の結果だが、この国の者からすれば攻防とも呼べないこの一瞬の出来事は、まるで想像もしていなかったことだろう。

 スィーネや御側付の二人の女は、口を少し開けたまま目を大きく見開き、まるで氷漬けにでもなったかのようにぴくりとも動かない。

 

「これでよろしいでしょうか?」

「十分だ。貴公に感謝しよう」

 

 パソスが満足そうに頷くと、三人の男たちは元の位置へと引き返した。

 そのときのロウを見る目は、いったい何者だというかのような険しいものだったが、それを口に出しはしなかった。ただ、得体の知れない恐怖にも似た感情の中、悔しそうな色を浮かべた瞳を向けているだけだ。

 

「この者たちは我が国でもかなりの実力を持つ三人であった。それここまで易々と退けられては、話の信憑性も増すというものだろう。何故、それをしなかったのだ?」

「それは……」

「それで信じてもらえたとしても、友好な関係を結べなくなる、か?」

「……はい」


 パソスの言葉は図星だった。

 アイリスオウスであった軍議の一件は、確実に開く魔門までの時間が差し迫っていたということが大きい。少しの時間も無駄にはできず、力尽くでも無理矢理信じさせる必要があった。


 しかし、今回の目的は協力と警告だ。状況と目的が違う以上、軍議の時と同じように行動するわけにはいかない。

 だからこそ、ロウは慎重になっていたのだが……


「く……くくくっ、はははははっ!」

「お、お父様?」


 突然、可笑しげに笑い声を上げたパソスに周囲の視線が集まる。

 使者を前にこれだけ笑い飛ばす国王には見えなかった。事実、そうなのだろう。

 隣にいるスィーネや三人の騎士、御側付の二人ですらいったい何事かと目を丸くしている。

 あまりに突然のことで誰もが戸惑いを見せる中、パソスはロウを見つめながら二つの魔石を取り出した。


「らしくない、実にらしくないぞ。ゲヴィセンの言っていた男がこうも大人しいと、逆に気味が悪いというものだ。もっと楽にせよ。言葉も貴公らしくでかまわぬ」

「……え? あっ、で、ですが……」


 さすがのロウも意表を突かれたかのように困惑する中、パソスは取り出した魔石の内、一つの表面をなでる。と、中空にある映像が流れ始めた。


「なっ!?」

「……あぁ~」

「と、撮られてたんですね……これ」


 驚愕に目を見開くロウの横で、シンカとカグラが苦笑しながら声を零した。


「嘘だろ……」

「知らなかったのか? 議事堂だぞ。記録石を置いてないわけがないだろう」

「なははっ、馬鹿だなぁ、ロウは」


 リアンが不思議そうに言った中、セリスは笑いながらその映像を見ていた。


 しかし、ロウ自身よりも一層驚きを隠せなかったのはこの国の面々だ。映像とロウの間を行ったり来たりと視線を泳がせている。

 驚くことが連続で起こりすぎ、もう何に驚いているのか自分でもわかっていないような顔つきだ。


 記録石という魔石はその大きさにもよるが、その名の通り一定時間の映像をそのまま記録することができる。今流れていたのは軍議が始まり、ロウが乱入した場面だった。

 そしてその映像が消えると、パソスが言葉を口にする。


「早馬が来た時に私だけはこれを見ていた。試すような真似をしてすまなぬ。だが、我が国を口説き落とすというのであれば、これぐらいの気概を見せてもらいたかったものだ」

「……」


 冗談めかして言う国王の言葉にロウがどう答えていいものか戸惑っていると、ふと彼の表情が哀切なものへと変わる。

 明らかに悲しみの色を濃く浮かべた瞳でロウを見つめ、振り絞るような声が静かに流れた。


「……して、フィデリタスは安らかに逝ったか?」

「なっ!? あの男が逝ったとはどういうことですか、陛下!」

「……」


 騎士の問いかけに何も答えず、パソスはじっとロウたちを順繰りに見つめ、返って来る言葉を待っていた。

 この国の者たちは皆、パソスの言葉が信じられないといった表情を浮かべている。

 なにせフィデリタスは、アイリスオウス最強の称号を持つ男だったのだ。

 ここにいる者たちは過去にフィデリタスと何度か直接会っている。とても死ぬような玉ではないと、そう思っていたのだから、簡単に信じられないのも無理はないだろう。

 

「私が言えるのは――」

「ロウ」

「本当によろしいのですか?」


 声を遮るパトスの言いたいことを、ロウは理解していた。

 しかし、相手はこの国の王だ。

 ロウが問い返すと、飛んできた言葉は実に予想通りの言葉だった。


「いいわけがなかろう! 陛下、少しはお立場をお考え下さい!」

「ファナティ・ストーレン。私がよいと申したのだ」


 パソスが力の籠った双眸でファナティと呼ばれた男を見据えると、彼はきつく唇を結びながらそのまま押し黙った。

 

「フィデリタスさんの最後が安らかだったとは……決して言えない。だが、あの人は多くの命を護り、滅びるはずだったミソロギアを救った。それだけは紛れもない真実だ……」

「……で、あったか」


 それを聞いたパソスは、まるで思い出に浸るように両眼を閉じ、深い息を吐いた。

 剛毅な男。優しさの中に強さを秘め、まるで先を見るような深い瞳。酒が好きでいつも近しい女性に小言を言われては苦笑し、笑いの絶えない愉快な男。

 しかしその実力は折り紙付で、騎士隊長であるファナティも何度か手合わせをしたことはあるが、終ぞ一度も勝利することはできなかった。

 それが、この国の者たちの中に在るフィデリタスの姿だった。


「あのフィデリタス殿が戦死……」

「あれだけのお人が、そんな……馬鹿な……」

「……ッ!」


 今まで何も言わず、ずっと成り行きを見守っていた男たちの口から堪らず漏れたその言葉は、フィデリタスがこの国でも大きく評価されていた男だと告げている。ファナティは下唇を強く噛み締め、視線を下へと向けていた。


 そんな中、少し弱々しい声でロウへと尋ねたのはスィーネだった。


「こ、降魔というのは……それほどに恐ろしいものなのですか?」

「……はい」


 途端、この空間に響いたのは確かな怒りに満ちた声。


「き……貴様はそれほどの力を有していながら、なぜフィデリタスが死なねばならなかったのだ! 人の命を救うことができぬのなら、そのような力などあってないようなものだろう! それで世界を救うだと!? 命を守れぬ者が何をぬけぬけと……力を持つなら目の前の人間くらい守ってみせたらどうなのだ!」


 ファナティから投げられる言葉を、ロウは静かに受け止めている。

 が、それを言われて怒りの色を濃く浮かべているのはロウの周りの者たちだ。

 四人の中にある気持ちはどれも等しかった。


 ロウがどれほどの思いで、その身を削りながらもどれほど必死に戦ったのか。

 シンカは苦痛に顔を歪め、強く握り締めた拳が震えている。カグラでさえ、悔しそうに唇を噛み締め、胸の前でぎゅっと手を握り締めていた。

 リアンとセリスにいたっては、今にも殴りかかりそうな形相でファナティを睨みつけている。


 そんな様子を、パソスは止めることなく静かに見守っていた。ロウを見つめるその瞳の奥に、哀切な色を浮かべていたのに気付いた者は、隣にいたスィーネだけだろう。

 パソスの浮かべた表情に気付くこともなく、ファナティはロウたちへと怒号を飛ばす。

 

「なんだその目は! 事実だろう! あの男はまだ死ぬべきではなかった! 違うか!? 反論できるというのならしてみるがいい!」

「……ッ!」


 いよいよもって我慢の限界にきたのだろう。

 リアンが一歩足を踏み出した瞬間、ロウの強い声が広間に響き渡った。


「やめろ!」

「だがな、ロウ!」


 反論しようとしたリアンへとロウが振り返ると、次に出た音は静かなものだった。


「事実だ」

「で、でもロウはあんなにも……」

「……事実なんだよ」


 重ねて言ったロウの言葉に、シンカは悔しそうにその目を逸らす。

 黒曜石のような輝きを秘めた双眸と、静かでありながらも強い音。

 そんなロウの瞳と声には、有無も言わせない何かがあった。

 

「貴方の言ってることは正しい。誰かを守れない力なんてのは、あってないようなものだ。だからこそ……知恵と力を借りにきた。これ以上、多くの犠牲を出さないために」

「……っ」


 ロウの力の籠った声音とその瞳に、ファナティが気圧されるように押し黙る。


 戦う力を持っていながら、多くの犠牲を出した。それは変わらない事実だ。

 ファナティの言ったように、フィデリタスはあそこで死ぬべきではなかった。

 しかし、だからこそ、次の犠牲を失くすためにロウたちはここへ来たのだ。

 言い訳はない。そんな態度のロウにパソスは……


「貴公は何も語らぬのだな」

「……陛下、姫は今年で幾つに?」

「十五だ」

「いいのか?」

「……」

「お、お父様?」


 ロウとパソス、二人の会話の意図を掴めた者は、この中にはいないだろう。

 誰もが眉を寄せながら、その会話に耳を傾けていた。

 

「迷いがあるのなら止めておくべきだ」

「一度は覚悟したつもりだったのだがな……すまぬ」

「それが正しい在り方だと、そう思う」

「貴公に感謝を……」


 確かに覚悟はあったのだろう。きっと、その言葉に嘘はない。

 この会話はロウの推測が正しかった証明でもあり、だとするなら、スィーネがこの場にいることこそが、パソスの覚悟の証であったといえる。

 だが、ロウには今のパソスの心境が痛いほどよく理解できた。

 

「少しだけ時間が欲しい。昼食を用意する。その後町の散策でもしてはどうか? 私が言うのもなんだが、よい都だ。……夕食までには答えを出す」


 そう言って、パソスは御側付の女にロウたちを別室へと案内させた。

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