第一節『これは月が導く宿命の標』
61.一夜明けて
一夜明け――ミソロギアは朝からある噂で持ちきりだった。
過酷な戦いの後、睡眠時間も十分には取れていないというのに皆が皆、その体に生気が満ち溢れているように見える。
それも噂の真実を物語っているにようにも思えるが、それを見たことがない者からすれば不思議でならないだろう。
しかし、実際にこうも体が軽いと否定するのも難しい。
噂の内容はこうだ。
明け方、昇る朝日と共に、焼け焦げた戦場で歌うディーヴァを見た。
時間や場所を問わず、負の感情を持ち去っていく歌姫と呼ばれる不思議な少女。
彼女が何故ここに現れたのかはわからない。
ロウはディーヴァを見た事がないが、シンカとカグラは一度だけ彼女をペルセの町で目にしたことがある。
とても不思議な感覚に見舞われたようだが、詳しいことはわからないようだった。
何にせよ、その歌が兵たちの癒しとなったのなら今はそれでいい。
そして昼食を終えた頃、兵たちが交代で魔門の見張りをする中、昨夜のメンバーと同じ顔触れが一室に集まっていた。
今朝方、カグラの導きが次の行き先を指し示したのだ。
――ケラスメリザ王国
中立国アイリスオウスの港から船に乗り、四日ほどで着く大陸だ。
「ケラスメリザ王国ですか。なら、目指すは王都クレイオでしょうね」
「あそこは比較的うちとは仲が良かったと聞いてますね。フィデリタスの旦那も前に行ったことがあるって言ってたんで。助けを請え、ということでしょうか?」
タキアに続いてカルフが言うと、ずっと何か考え込むように俯いていたエヴァの口が動いた。
「あのときに見えたのは……廃墟。そう、廃墟のような荒地……なら……」
深く記憶を探るように眉を寄せ、彼女は難しい表情で独り言を呟いている。
「エヴァ、思うことがあるなら言ってみろ」
「だな。エヴァの勘って怖ぇくらいに当たるしよ」
リアンとセリスの声に顔を上げると、エヴァはこれまでに纏めた考えを自身も確認するように、ゆっくりと言葉を紡ぎ始める。
「この世界の国や土地、人の名前にまだ元の名残があるものの、話す言語は共通している。話す言語が共通になった根源は諸説あるけれど、
この世界の大陸は大きく分けて八つあり、文化や信じる神は違うものの、話す言語はすべての国に共通している。
いつから、何故そうなったのか、その真実はわからない。彼女の言う通り様々な憶測はあるものの、現状においてはディザイア神話の説が一番信憑性を持っているだろう。
ディザイア神話にはそもそも多くの謎がある。それは今まで何も気にしていなかったことだが、神話の通りに運命が動き出そうとしているのであれば、気になる点は多々あった。
まずディザイア神話について書かれた書物は数あれど、各国に伝わる内容が違う上に考古学者の見解も様々だ。原本についてもその所在がわからないため、実際のところどれが正しいのか判断することができない。
その中でも絵本として描かれているものが一番認知度が高く、子供の頃から皆が一度は目にしたことがある内容ではあるものの、大抵の人の神話のついての知識は、絵本の内容だけに留まらないのだ。
ディザイア神話が預言書のようなものだと仮定するなら、それらの話の中、どれがいったい真実なのかを見極める必要があるだろう。
「ルインって、報告書にあった組織の連中だよね?」
キャロの言葉に頷くと、エヴァは言葉を重ねた。
「もし、降魔の侵攻の裏にルインがいて魔門の先が廃墟……ルインのいる場所に繋がってるのだとしたら……」
エヴァはさらに深く考えこむように、親指を下唇へと押し当てる。。
魔門が開き続ける以上、それはこの先、ずっとこのミソロギアが戦場の最前線となるということに他ならない。
魔門をどうにか閉じる方法を、一刻も早く見つけ出す必要があるのだ。
「……エクスィの名乗りを思い出してみると、彼はこう名乗っていたわ」
”――俺の名は秘密だ。まぁエクスィとでも呼んでくれ”
「本名を名乗らず言った名前。エクスィというのは、共通の言語で言うところの六という数字。この数え方は元々、ケラスメリザ王国の数え方よ。ディザイア神話を信じるとして、七つの国が手を取り合った。という点に焦点を当ててみると、それぞれの国にもディザイア神話は伝わってるはず。だとしたら、ケラスメリザ王国に伝わる神話の中に、魔門を閉じる鍵があるのかもしれない」
「でもミソロギアがこんな状態なのに、私たちがここを離れるわけには……」
シンカが何か良い案を振り絞ろうと眉を寄せる。
自分たち魔憑がここを離れては、降魔が現れたときに今のミソロギアではひとたまりもないだろう。昨日の惨劇が脳裏を過る。
しかし、そんな少女の苦悩をいとも簡単に否定したのはカルフだ。
「何言ってんだい、嬢ちゃん。こっちのことは気にせず行ってくれ」
「そうだよ。迷う必要なんてあるの?」
続いて、心底疑問に思っているかのようにキャロが首を傾げた。
「そんな簡単に……降魔と戦えるのは私たちしかいないのよ? 魔門だって今はなんともないみたいだけど、またいつあの領域が進むかもわからないのに」
「まぁ……シンカちゃんの言いたいことはわかるけどな」
シンカに同意するように言葉を発したセリスが、いつになく難しい表情を浮かべた。
「セリス。お前さんは確かにミソロギアの軍人だが、今は嬢ちゃんたちの仲間でもある。お前さんには背負ったものがあるだろ?」
「カルフ隊長……」
セリスの中での答えはすでに決まっている。というよりも、難しいことを考えるのは苦手だ。
ロウならどうするかをわかった上で、それでも後ろ髪を引かれるのはシンカと同様、やはり昨日の戦いが残した心の傷だろう。
そんな中、数度の扉を叩く音が聞こえてくる。
出向いたタキアが扉を開くと、そこにいたのはゲヴィセンとロギだった。
「失礼しますよ」
「ロウさん。貴方に頼まれたものを持ってきました」
「わざわざありがとう。本当は俺から取りに行くべきだったのに」
「いえ、これくらいなんでもありません。私たちにできるのはこれくらいですので」
「それはなんですか?」
ロウがロギから受けとったものを見て、タキアが問いかけた。
その封に用いられている
つまりそれは、重要な書簡がしたためられているということだが……
「これはケラスメリザ王国への推薦状です。今朝、ロウさんが報告と方針の話をしに来られたときに頼まれました」
「国とのやり取りとなると必要なもの。戦いでは何もできませんでしたが、外交関連では力になることができます」
ゲヴィセンとロギの答えに、周囲の視線がロウへと集まる。
「どういうことなの、ロウ。まさか魔門をあのまま放って行くつもり?」
「……そうだ」
「理由が……あるのよね?」
これまでのシンカだったなら、きっとロウにどういうつもりなのか勢いに任せて問い詰めていただろう。しかし、胸に手を当てながら真っすぐな瞳をロウヘと向け、静かに問いかけた今の彼女はとても冷静だった。
「俺は……二人に託されたことがある」
二人、とういうのはホーネスとローニーのことだとすぐに理解することができた。
だが託されたというのがなんなのか、最後に残した言葉も聞けず、手紙の内容を読んでいない周囲の人間にはわからないことだ。
それでもロウがエヴァとキャロへと一瞬視線を向けたことから、だいたいの察しはつく。だからこそ、シンカは今一度、ロウへとその疑問を投げかけた。
「だったらなおさら、残るべきじゃないの?」
確かにシンカの言うことも一理ある。
降魔の危険性を残したままロウがこの場を離れるというのは、先の言葉に矛盾しているともとれるだろう。とはいえ、無力な二人を旅に同行させるのも危険だ。
しかし、ロウの言葉に迷いはない。
「ここに居座り続けて、魔門がいつ消えるかどうかもわからない中、戦い続けるのか?」
「そ……それは」
「未来を変えるには誰かがそれを成さなければならない、でしたね」
ロギがふと漏らした言葉に、それに聞き覚えのないほとんどの者が彼へと視線を送る。
すると、それに答えたのはゲヴィセンだった。
「この戦いで多くの犠牲がでました。ですが、滅びるはずのミソロギアはいまだ健在。確かに未来は変わったのです。未来を変えるのは決して容易くはありません。それを成すには誰かが不可能を可能へと変えなければならない。そう……ロウさんは教えてくれました。未来を変えるのであれば、それを口にするだけでなく行動に移す必要があると」
「後は皆さんで納得がいくまで話しなさい。どういった結論になろうと、私たちは貴方たちへの協力は惜しみません。それでは、失礼しますよ」
そう言い残し、二人は部屋を後にした。
少し早足で遠ざかっていく足音。途中、兵に呼び止められる声が聞こえたことから察するに、忙しい中、最優先でこちらの願いを聞き届けてくれたのだろう。
思い返すと、二人の瞳に精気は溢れていたものの、顔は少しやつれていたようにも見える。
昨日の戦いにおいて、何も力になれずただ待つことのできない中、多くの同胞を失った。その悔しさは想像に難くないものだ。
だが、いつまでも悔いている暇はない。
心がまだ割り切れておらずとも、今はただ成すべきことを成し、死んだ者たちに少しでも報いろうと彼らも必死なのだろう。
そんな二人が部屋を去った後の沈黙を破ったのは、意外にも今までずっと黙っていたカグラだった。
「ロ、ロウさん」
漏らした小さな声に皆の視線が集まると、カグラはびくっと肩を震わせた。
全員が少しは慣れた仲とはいえ、注目されるといまだおどおどしてしまうのは彼女らしい。しかし、それでも弱々しい声を懸命に振り絞った。
「あ、あの……ロ、ロウさんはどうしてケラスメリザ王国に行こうと決めたんですか? み、未来を変える手掛かりがそこにあるとは、その……限らないですよね? た、確かにロウさんに言う通り未来を変えるには、行動しないといけないと思います。で、でも……もしそれが間違いだったらって……怖くないんですか?」
カグラの
それで目が覚めたカグラが皆にそれを伝え、今は昼過ぎ。となると、ロウが推薦状を書いて貰ったのは、カグラの
当然、今のエヴァの推測を聞く前の話だ。
このときのカグラは、何がそこまでロウを迷いなく突き動かしたのかが不思議でならなかった。
しかし、返ってきた言葉はあまりにも
「怖くない」
「ど、どうして……」
「どうしてって……え?」
「え?」
ロウとカグラが互いを不思議がりながら首を傾げるといった、なんとも奇妙な光景に、エヴァとキャロが何かを察したかのように小さな笑い声を漏らした。
「ロウ、シンカさんも不思議そうな顔をしているでしょう? この二人には、ちゃんと話してあげないと伝わらないと思うのだけれど」
「そうだよロウ君。ロウ君のその重要なところを言わない癖、なんとかしたほうがいいんじゃない? 言われてわかることのほうが多いんだよ?」
「そうですね。ロウさんの感性は少しずれてますから」
言って、エヴァとキャロの二人につられるように微笑んだのはタキアだ。
タキアの言葉に、ロウは少しばかり不満気に顔を顰めると、それに追い打ちをかけるようにカルフが言葉を発していく。
「ロウさんのそれは、リアンとセリスを相手にしてるからってのもあるんでしょうがね。付き合いのあったリアンたちに比べて、嬢ちゃんの今までの境遇を考えれば少し不親切だと思いますよ。まぁ鋭いリアンに比べて……セリスはちょいと危ういですが」
「失礼です、カルフ隊長! 俺だってこれくらいはわかってますよ! ってか、じゃあなんでカルフ隊長とタキアさんはわかってんですか?」
「そりゃお前、軍人だからな。人との繋がりは広い。色んな人がいるもんさ。で? わかってるなら説明してやったらどうだ? さっきから嬢ちゃんたちが置いてけぼりくってるぞ?」
カグラは目をぱちぱちと瞬かせながら、呆然と目の前のやり取りを見ていた。
それに対し、シンカは少し拗ねたように唇を尖らせている。
自分より後に出会ったはずのタキアとカルフがわかっていながら、自分がロウの気持ちを察することができないというのが納得いかないのだろう。
要は可愛らしい嫉妬だ。それに本人が気付いているかは定かではないが。
「えっ、あれでしょ? 信じてるからですよ」
「そりゃそうだけど、セリスはなんでそう感覚的なのかな? もっとこう……あるでしょ?」
「ってもよ、キャロ。他に説明しようがねぇじゃねぇか。なぁ、リアン?」
「俺に振るな」
「だってさっきからだんまりじゃねぇか」
「……はぁ。意味のない話し合いに参加する気がなかっただけだ。ロウなら行くと思っていたし、俺もそれに異論はない。俺を生かしたのはトレイトだ。生かされたなら俺はそれに応える必要がある。そして俺はロウを信じてる。だからついて行く。それが答えだ」
「「「「はぁ……」」」」
答えになっているようでまるでなっていない。
同時に溜息を吐いたのはキャロ、カルフ、エヴァ、タキアの四人だった。
そしてまるで打ち合わせでもしていたかのように、心底呆れた様子で順に言葉を口にする。
「お調子者で感覚的なセリスに……」
「頑固者で素直じゃないリアン……」
「大切な気持ちを口に出さないロウ……」
「シンカさんとカグラさんのこれからの苦労が
言われた三人が顔を見合わせる。納得がいかないのか、彼らが眉を寄せて見合う中、いまだ答えに辿りつけていないシンカとカグラの頭をキャロが優しく撫でつけた。
「お~よしよし。せっかくカグラちゃんが頑張って聞いたのに、あの馬鹿たちはどうしようもないね~」
「あ、あのっ」
「あわわわわ」
どうしていいのかわからず、照れながらも大人しく撫でられている二人にエヴァは苦笑しながら、ロウを諭すように声をかけた。
「ロウの当たり前は、この子たちにとっては当たり前ではないの。少し前に私たちを助けてくれた時のことだって、二人に話してはいなかったのでしょ? それがロウの優しさだったのはわかっているつもり。けれどね、行動だけじゃなくて、言葉にしないと伝わらない気持ちもあるの。いい? 大事なことだからもう一度言うわよ? ロウにとっての当たり前は、この子たちにとって当たり前ではないの。わかった?」
「……はい」
小さくロウが頷くと、次に矛先を向けられたのはリアンだ。
「リアンもよ。貴方はロウの気持ちを勝手に理解して、ちゃんと行動に移せるのかもしれない。けれど、もっと二人のことも考えてあげて」
「……」
「返事はないの?」
「……わ、わかった」
「はははっ! 二人して怒られてやんの」
「セリス、貴方もよ。馬鹿は馬鹿なりに、もっと考えて話しなさい」
「ちょっ! なんか俺にだけきつくねぇか!?」
「はぁ……本当に先が思いやられるわね……」
エヴァが額に手を当てながら嘆息すると、それを見ていた周囲はこの奇妙な上下関係とも言えるような光景に、半ば呆れながら苦笑した。
あれだけの強さを見せたロウに、小隊の隊長を勤めるリアンが大人しくエヴァのいうことを聞いている。こういってはなんだが、まるで母親に叱られる子供のようだ。
そしてそれは昔からで、出会った時からこの関係はあまり変わっていなかった。
そんな中、タキアが分かりやすく噛み砕いて纏め上げる。
「シンカさん、カグラさん。リアンはこう言いたかったのです。自分は心から信じるものを疑いはしない、と。それを二人に当てはめてみて下さい。二人がこれまでずっと、心から信じてきたものはなんですか?」
「それは……カグラと導き、ですけど……」
「ふふっ、そうですね。でしたら、仲間である二人がずっと信じてきたものを、このロウさんが疑うと思いますか?」
「「あ……」」
優しい声音で言ったタキアの言葉に、シンカとカグラは目を丸くしながら勢いよくハッとした表情を浮かべてロウを見つめた。
すると、ロウは少し驚いたように肩を揺らしながら、慌てて問いかける。
「ど、どうした? 二人にとって俺の考えは当たり前じゃなかったのか?」
「あ、当たり前なわけないでしょ?」
「だが前の一件から、俺たちを仲間と認めてくれたと思っていたんだが……」
前の一件とは、野盗襲撃のときのことだろう。
確かに認めた。確かに信頼している。だがしかし――
「私たちがロウを信じることができたってだけで、ロウが私たちをそこまで信じてくれるなんて……その、思ってなかったわよ」
シンカの声が尻すぼみになっていくと、ロウは二人を正面から真っ直ぐに見つめた。
吸い込まれそうな黒曜石の双眸を向けられ、シンカとカグラが戸惑いの表情を浮かべている。
「だったら、ここできちんと言っておく。俺は二人の事を信じてるし、その手助けをすると誓った。導きが世界を救うというのなら、俺は君たちと共に歩むし護る努力を惜しまない。伝わったか?」
「え? あっ、う、うん」
「は、はひ……」
二人の少女は顔を紅く染めながら、こくこくと二度頷き返した。
妹の方に至っては、たった二文字の短い言葉を噛む始末だ。
これでいいのか、といわんばかりにロウがエヴァへと視線を送ると、エヴァは呆れたように苦笑している。
極端なのよ、と小さく呟いたエヴァの声はロウには届いていなかった。
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