53.九月十三日―鈍色の暴走

 デューク級降魔こうまが紫黒の魔力粒子を霧散させながら消滅すると、途端にフィデリタスが頭を抱えて苦しみだした。涎を垂らし、浮き出た血管。ギラついた眼は血走り、開いた口からは人の声とも思えないようなこえを上げている。

 フィデリタスの作り出した結界が徐々に範囲を広げていくにつれ、ロウたちはそれに合わせるように後方へと撤退した。

 その結界の範囲内に入った剣、槍、矢、銃、兜、鎧、様々なものがフィデリタスの方へと吸い寄せられていく。


 そんな中、背後から駆け寄って来たのはリアン、セリス、カルフ、トレイトの四人だった。


「ど、どういうことなんですかね、これは……なんでフィデリタスの旦那が」

「フィデリタスさんには魔憑まつきとしての素質があった。そして……覚醒したんだ」


 カルフの問いに答えたロウに、次に疑問を投げかけたのはトレイトだ。


「だ、だが降魔はもういない。なのになぜ隊長は苦しんでいるのだ?」

「あれは暴走だ」

「暴走? ロウが過去になりかけたってあれかよ」


 セリスの言葉にロウは頷くと、静かに状況を説明していく。


「原因は力の強さ……階級だ。だがこれは魔獣だけの階級じゃない。階級には二つの意味がある」

「二つの意味?」

「一つは魔獣の強さを表す階級。もう一つは、魔獣を操る魔憑の階級。これが重なり合う階級が、本来操れる力の目安だ。わかりやすく階級を降魔に当てはめると、魔獣がデューク級でも魔憑がバロン級なら、扱える力の階級はバロン級になる。逆に魔憑がデューク級でも魔獣がバロン級なら、当然扱えるのはバロンの階級の力までだ」


 魔憑や魔獣に正確な階級があるわけではないが、敢えて分かりやすく説明したロウの示すところは、簡単に言えば魔獣の力にフィデリタス自身が耐えきれなくなっているということだ。


「つまり、自分では扱いきれない魔獣の力を引き出したがために、魔獣に取り込まれている。俺にも似た経験があるからな。おそらく間違いない」


 皆の視線の先には、今も尚苦しみ続けているフィデリタスの姿。

 口から漏れる声は、獣の唸り声のようでありながらも、助けを求める悲鳴のようだった。

 早くその苦しみから解放してやりたいという気持ちは誰もが同じだ。

 この場にいるすべての降魔が消滅しても、このままではフィデリタスが危険であるということは、たとえ魔憑でなくともわかる。


 だが――


「どうやって止めるんだ?」

「わからない」


 そう尋ねるリアンに、ロウは一言で答えた。


「お前自身も経験があるんだろ?」

「そうだ。だが、俺自身そのときのことはよく覚えていないんだ。気が付いたら元に戻っていたし、そもそもここまで酷い状態じゃなかった。ただ、今言えるのは俺たちにフィデリタスさんを確実に元へと戻すすべはない」


 それはあまりにも受け入れ難い現実だった。

 それならば、このまま暴走を続けるフィデリタスはいったいどうなるというのか。


「魔獣は宿主の強い意思を糧に成長する。今、フィデリタスさんの中にいる魔獣はおそらく憎悪に塗れたものだ。このままだと本来の魔獣の意思には関係なく、憎悪に塗れた本能のまま、この一帯を破壊し尽くしてしまうだろう。そして、魔憑の体はそれに耐えきれずにいつか滅ぶ」


 その言葉に、この場の全員の背筋が凍った。

 特にカルフに至っては、フィデリタスは親のような存在だったのだ。その顔は血の気を失ったように青褪めている。


「どうすんだよ!」


 咄嗟に出たセリスの言葉に、ロウは何かを考えるように押し黙った。

 そんな中、言いにくそうに静かに口を開いたのはシンカだ。


「やるしかない……わね」

「ちょッ、ちょっと待ってくれ。ま、まさかフィデリタスの旦那を……」


 ――殺す気なのか、と言う台詞をカルフは呑み込み、言葉として音を発することができなかった。言葉にすることさえ躊躇とまどうほどに、それはあまりに辛い現実だ。


「あのままだといずれ死ぬのなら……そしてロウさんの言う通りなら、ミソロギアも、後ろにいる多くの兵たちも……助からない。だ、だったら、他のみんなを救うためにも、今ここで私たちが止めるべきよ。それができるのは……今ここに私たちしかいない。もうこれ以上、犠牲を増やしたくないの。もう駄目……これ以上は……もう……」


 そう言ったものの、少女の声は弱々しく震えていた。

 言葉とは裏腹に、そうする覚悟ができていないのは誰からみても明らかだ。

 華奢な肩が小刻みに震え、それはまるで得体の知れない何かに怯える子供のようだった。


「私も頭ではわかっている。だ、だが……隊長を……くッ!」

「この世はもう、平和だったこれまでとは違う。この先、こんなことは何度でもやってくる」


 冷静に告げるリアンの言葉に、カルフとトレイトの二人は言葉を詰まらせた。

 どれだけ反論したくとも何も言えず、悔しそうに歯を食い縛っている。

 とはいえ、冷静に振る舞うリアンもまた、その心は酷いものだった。懸命に、努めて、冷静さを維持しているだけにすぎない。

 そんな中、ロウは一つの可能性を提示する。


「だが、それは最後の手段だ。大きな負荷を与えて、気絶させることができればあるいは……。正直期待は薄いかもしれないが、試す価値はある」

「ッ! ロ、ロウさん! お願いします! 旦那を……フィデリタスの旦那を!」


 ロウの言葉に縋るような視線を送るカルフ。

 その視線に胸が痛くなるのを感じながら、ロウは静かに頷いた。


「約束はできないが……最善は尽くす。お前たちは下がってろ」

「……っ」


 大切な人のために何かしたくても何もできないことが、余程悔しいのだろう。

 だが、暴走しているフィデリタスの強さは予想もつかない。

 なぜなら、本人の意思に関係なく魔獣が身体を突き動かすのであれば、先の階級に当てはめれば魔憑の強さは考慮されず、魔獣自身の強さがそのまま表へ現れるということだ。

 つまりこれは、正真正銘魔憑の領分。常人が踏み入れられる領域ではない。


 噛んだ唇から血を流し、カルフとトレイトは後ろへと下がっていった。

 しかし――


「おい、ロウ」

「どうした? お前たちも早――」

「どうした、じゃない。返答しだいではお前でも殴ることになるが、一応聞いておく。俺にまで下がれとは言わないよな?」

「なんだよ、リアン。俺じゃなくて、俺たちだろ? 俺をのけ者にすんな」

「私は当然残るわよ。だからいちいち聞かないわ」

「はぁ……」

 

 リアンに続きセリスが、そしてシンカが口にした言葉に、ロウは小さく溜息を吐いた


「……頑固者」


「貴女ほどじゃないわ」「お前ほどじゃない」「ロウほどじゃねぇよ」


 重なり合った声が響き、ロウは心外だと言わんばかりに表情を歪めるも、どうやらこれ以上口論を続けている余裕はないらしい。

 

 フィデリタスの苦しむ声が止むと、静かに顔を上げた彼の口から低い音が発せられる。

 その声はフィデリタスであるものの、その口調はまったく違っていた。


「……許さヌ。すべてヲ……滅ぼス」

「完全に呑まれたか。今のお前は魔獣だな?」

「いかにモ……我ハ魔獣。扱いし力ハ磁力」


 ロウの問いに、魔獣は静かに答えた。


「もう降魔はいねぇんだ! 俺たちが戦う必要ねぇんだよ!」

「許さヌ……。我は許さヌ。あるじの意思のまま……すべてを、滅ぼス」

「ちっ、やはり説得は無理だな。だから暴走なんだろうが……」


 セリスの説得を前に、手当たりしだいに周囲の鉄を引き寄せて纏った魔獣は、ゴツゴツとした出来の悪い鉄人形のようになっていた。

 そんな姿を前にリアンが舌打ちを返すと、魔獣はいかりの付いた鎖を手に引き寄せる。

 手にした軍艦の錨の先にさらに鉄屑が引き寄せらせ、それはまるで大きな鉄球のように膨らんでいた。


あるじのためニ……ここで死ぬがイイ」

「死ねるかよ! つか、まじで引っ込めよ!」


 セリスが銃弾を撃ち込むが、魔獣の鎧の前にはまったく通じない。

 甲高い音を立てながら、すべての弾が弾かれていた。


「魔憑でもない者ガ、我に勝てるとでも思うたカ。その程度の攻撃、避けるまでもなイ」

「なら、これはどうかしらっ!」


 シンカが黒い魔弾を放つ。

 が、魔獣の目の前に近くの鎧が引き寄せられ、魔弾に当たった鎧が砕けた。


「そのような初歩的な技……効かぬナ」

「たかが一度防いだくらいでいい気にならないで」


 さらに魔力を込めた密度の高い黒弾を打ち出すが、魔力を纏った鉄塊の前に四散した。次いで魔弾を連続で撃ち込んでいくものの、魔獣が鎖を大きく横に振ることで宙を舞う魔力を纏った鉄球が、その悉くを爆散させる。


「ま、まじかよ。同じ魔憑の力で……こうも違うのか」


 まるで虫でも払うかの動作で対処してみせた魔獣にセリスが驚きの声を上げるものの、魔獣はそれを一言、否定した。


「……同じにするでなイ」

「ど、どういうことだよ」

「魔獣との意思疎通がはかれぬ者と、魔憑あるじの意思を理解し、自由に力を仕える我では力の差がでるのは至極当然。お前の魔獣も思っているはずダ。使い手の非力さ故に、本来の力を発揮できぬことヲ――妬ましく。だが我は違ウ。主の望みを……叶えル」


 その言葉に、シンカは悔しそうに魔獣を睨みつけた。

 確かにシンカはこれまでにただの一度も、自身の魔獣の声を聞いたことはない。

 魔憑は魔獣との意思疎通を完全に出来てこそ、最大限の力を発揮することができる。

 だがそれはそう簡単なことではない。

 自身が魔憑として目覚めた意思の根源、それを理解できねば叶わないことだ。


 しかし、見下すように言った魔獣の言葉を、


「馬鹿なことを言うな。お前の見る目がないだけだ」


 シンカを庇うように、ロウは否定した。


「我を愚弄するカ。たかガ、伯爵の力しかもたぬ人間ガ」

「なるほど……俺の魔憑としての力はカウント級と同程度だったのか。知れて良かったよ。戦いの中、自分の力を知ることは重要なことだ」

「我より弱いと告げられテ……臆さぬのか?」

「臆する必要がないからな。魔憑の能力だけがその者の強さじゃない。それに仲間がいる」


 圧倒的な力の差があると告げられ、それでもロウは毅然と言葉を返した。

 暴走が始まった時、ロウが敢えて分かりやすく階級に当てはめて説明はしたものの、魔憑や魔獣に正確な階級は存在していない。

 それは降魔とは違い、魔憑や魔獣における力の振れ幅があまりにも大きいからだ。

 

 マークイス級以上の降魔は同じ階級の中でも、確かに個体差はある。

 つまり、降魔の個体差はそのまま降魔の強さの差を指し示してる。


 だが魔憑の、そして魔獣の力の根源は意思の……いや、意志の強さだ。

 仮にカウント級の魔力量しか持たないのだとしても、その意志を滾らせた時、特に魔憑としての意志の根源に関わる状況下においてはその枠を優に超える。

 現にカウント級程度の力しか持たないと宣告されたロウは、これまでにマークイス級を相手に勝利を掴み、デューク級を相手にさえも善戦してみせた。


「ふっ……雑魚が集まって何になル」


 魔獣が鼻で笑うと、ロウは口角を僅かに上げながら鼻で笑い返し、


「なんになるって? お前を――超える存在」


 次の瞬間、ロウが魔獣に向かって駆け出した。

 すると、ロウの目の前に飛んできたのは一本の剣だ。そこにリアンが割って入り、飛んできた剣を長剣で受け流す。ロウは魔獣の横を通過し即座に振り返ると、背後から氷の刃を連続で放った。


「効かぬワ」


 魔獣は振り返ると、寄せ集めた鉄の塊でそれを防いだ。

 次々に放たれる氷の刃は集められた鉄に当たり弾かれるが、数本は魔獣の纏った鎧を掠り、その背後へと飛んで行く。


「貴様。まだ力を制御できておらぬナ? 我への狙いが定まっておらヌ」

「それはどうだろうな」


 言って、ロウは尚も氷の刃を飛ばし続けた。


「このような遊戯、いつまで続ける気ダ。……くだらヌ」


 魔獣はロウの攻撃を防ぎながら近くの剣を二本引き寄せ、ロウに向けて勢いよく射出した。

 だが、リアンとセリスがそれぞれを防ぎ、地面へと弾き落とす。


「邪魔はさせねぇよ」

「お前たちは非力ダ。その上、我と相性が悪イ。それすらわからぬカ」

「関係ないさ。リアン! セリス!」


 ロウが地面に手をついた瞬間、地面から氷の刃のような霜が地を走る。

 リアンたちがそれを横に躱すと、霜の刃が魔獣へと襲いかかった。

 だが、魔獣は鉄塊を地面に勢いよく落とし、地面を砕いてそれを容易く防いでみせる。


「何をしても無駄ダ」

「過信は身を滅ぼすぞ」


 余裕を見せる魔獣にロウがそう告げると、


「……何?」

「ありがとう、ロウ」


 シンカの眼前には白銀の魔力オーラを纏った黒い渦。そこから溢れ出る冷気が、今か今かと解き放たれるのを待つように漂ってる。

 そして放たれるは渾身の一撃だ。

 黒渦から飛び出した巨大な一塊の氷刃が、魔獣の無防備な背中に当たって砕け散った。

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