54.九月十三日―倒れゆく仲間
「ぐっ!」
巨大な一塊の氷刃。その重い衝撃に、魔獣は堪らず膝をついた。
「いくら剣や銃弾が効かない強固な鎧でも、衝撃は防げない」
「だが……それでも尚、効かヌ。我に膝をつかせたこと……後悔するがいイ」
言って、魔獣はさもダメージがないかのように立ち上がった。
とはいえ鎧の中はフィデリタスだ。こうなった以上、気絶させるには致命傷に近い傷を与える必要があるが、覚醒したばかりのフィデリタスの体がどこまで持つかはわからない。
中にいる彼のこと気遣い、シンカは無意識に力を抑えてしまっていた。
「あんなのくらって、余裕で立ち上がるってどうだよ」
先が鉄球と化した鎖を魔獣が勢いよく回し出すと、魔力を纏った鉄球が弾けるような音を立てた瞬間、あり得ない角度からそれは撃ち出された。
「ちっ!」
咄嗟に長剣で防御するリアンだが、斥力を利用した勢いは凄まじく、鉄球は軽々と彼の体を吹き飛ばした。
紙一重で反応できただけでも重畳だといえるが、常人にそれを耐えうるだけの力があるはずもない。
「リアン!」
セリスが横目に視線を向けて叫ぶが、当然リアンに反応はない。
まったく動くことなく地面に倒れ伏していた。
それと同時に、今の光景を少し離れた位置から見ていたトレイトの足が、自分の意思とは関係なく動き出していた。
背中に聞こえる名を呼ぶカルフの声にさえ答えることもなく、ただひたすらトレイトは駆けた。傷ついた体に鞭を打ち、全力で、ただただ無我夢中で駆けた。
それはまるで恐怖から逃れる逃走兵のように、振り返ることなくミソロギアへと向けて。
「次は……誰ダ?」
「くそっ!」
セリスは銃弾で魔獣の纏った鉄屑でできた鎧の隙間を狙うが、その銃弾のすべては集められた鉄塊によって容易く阻まれる。鉄を打つような音が虚しく響くだけだ。
「……無駄なことヲ」
「うるせぇよ! 無駄だってわかってても、やらねぇよりはマシだろ!」
「馬鹿な男ダ」
無造作に投げられた鉄球が、セリスの撃ち出す弾丸をいとも簡単に弾きながら突き進む。
常人には驚異である弾丸も、魔獣の前では豆粒に相違ない。
咄嗟に躱そうと体を捻るものの、肩に当たったセリスの体が悲鳴の尾を引きながら宙を舞った。
「……次ダ」
セリスが倒れると同時に、魔獣の背後には迫るシンカの姿があった。その気配に気付き魔獣が振り返ろうとするも、いつの間にか足が氷で地面へと固定され、振り返えることができない。
「……ッ!?」
「いくわよ!」
溜めに溜めた黒い魔弾が、魔獣の背中に至近距離から直撃する。
間髪入れずに足元の氷が砕け散ると、魔獣の体が一直線に吹き飛ばされた。
飛んだ体が地面へ激突すると共に、濃い土煙を舞い上げる……が。
「……くッ、本当に丈夫な奴だ」
ロウがそう口にすると、魔獣はその重そうな体を起こして立ち上がった。
「今のが本気なら、お前たちに勝ち目などナイ。人間が群れても我には勝てヌ」
言って、魔獣は半球上の磁場を作り出すと、地面に転がっている数多の鉄でできたものがその周囲へとへばり付いた。そしてそのすべてが、次々にロウとシンカへと襲いかかる。
四方八方から容赦なく襲い掛かるそれらを前に、二人は防戦一方となっていた。上手く隙を突いて間合いを詰めようにも、僅かな隙を生み出すだけでも困難だ。
躱し、弾き、受け流しながら回避し続ける中、ロウは瞬時にある存在を把握した。
(
だが、この猛攻を前にそちらを気にしている余裕はなかった。凄まじい速度で次々に飛翔する得物を回避する最中、少しでも隙を見せれば体に大穴を空けることになるだろう。
反応を感じたのはたった二体のナイト級程度の降魔だ。
カルフとトレイトで十分対処できると思ったのも束の間、現にその降魔の魔力はすでに感じなくなっている。誰かが上手く処理してくれたのだろう。
魔獣の攻撃に対しロウとシンカは回避に専念するものの、その数はあまりにも多く、次第に少しずつその攻撃が二人を捉え始めた。
まだまともな直撃こそはないものの、その小さな傷の一つ一つが二人の体力を蝕んでいく。
氷で防御できるロウはまだしも、能力として防御手段を取ることができないシンカの体力の低下はより顕著なものとなっていた。
だが、途端に激しい攻撃が止むと、魔獣は静かに声を漏らした。
「勝ち目がないと知り、何故諦めヌ。
「……お前は確かに強いよ。だがな、フィデリタスさんの意思をはき違えたお前にだけは負けるわけにはいかない。勝ち目がないと諦めるには早すぎるさ」
「そうね、貴方の
言って、ロウとシンカは静かに息を整えていく。
仮にフィデリタスの暴走を食い止めることができたとしても、その最中に犠牲者を生み出すことだけはできない。
仲間思いの優しい彼が、その温かな手で仲間を討つことだけは許容できない。
たとえどれだけ傷ついても、誰一人として殺させるわけにはいかないのだ。
「この力の差を前ニ……冷静なのは、何故ダ?」
「戦いで冷静さを欠くわけにはいかないだろ。と言っても、色々と冷静でいられない部分を押し殺してるのが正直なところだ」
「貴方って何か弱点はないの? これだけ鉄がある中でその力は少し反則だわ……」
「我に弱点はなイ。が……貴様たちの弱点はわかるゾ」
魔獣が告げた言葉に、シンカは僅かに眉を寄せた。
「なに? 魔獣って力だけじゃなくて頭までいいの?」
少女の問いかけに、魔獣は声ではなく視線で答えた。
魔獣の向けた視線の先。そこには、リアンの傍でしゃがみ込んでいる一人の少女、シンカにとって何よりも大切な妹の姿があった。
「っ!?」
「カグラ、逃げて!」
悲鳴交じりの声で叫びながら、ロウとシンカは咄嗟に駆けだした。
その声にカグラも気が付き、リアンを巻き込まないようその場から離れる為に走り出す。
「何をする気はわからぬガ、死ねばなんの問題もあるまイ」
魔獣が鎖を引き鉄球を持ち上げると、淡い
だが、シンカには間に合わない。
届かない傷だらけの手を伸ばし、悲痛な声でカグラの名を叫ぶ。
途端――聞こえる声はいつの間にか前にいる彼のものだ。
「ボロミちゃん!」
ロウの声に、カグラの
同時に、そこから飛び出したボロミちゃんが地面へとその手を叩きつけた。
地から氷の柱が伸び、飛んできた鉄球を勢いよく打ち上げる。
港町ミステルでの野盗襲撃の際、カグラはロウの魔力が込められていた魔石を、お守りだと言って大切に保管していた。
通常、魔石は魔力を使いきればただの石ころ同然となる。
しかし、ロウの渡したそれは、普通の魔石とは少し違っていた。もちろん無限というわけではないが、魔石に魔力を流し込みさえすれば再度使用することができる魔塊石。
ロウはこの戦いが始まる前に、二つの魔塊石へと再度魔力を注ぎ込んでいたのだ。
「ロウさん!」
思わずカグラが立ち止まり、ロウへと振り返った。だが――
「駄目だ、止まるなっ!」
「……えっ?」
ロウが叫んだ瞬間、氷の柱を貫通し、襲い来る一本の槍。
魔力を帯びた鋭い切っ先が少女の命を狩り取ろうと迫る中、すんでのところでロウが間に合い、それに割って入る。
そして貫かれた氷の柱は砕け、甲高い音を立てながら崩れ落ちた。
「あ……ぁ……」
ボロミちゃんが役目を終えたかのように溶けていく傍らで、ロウの背中を見つめるカグラの丸い瞳は、まるで照準をなくしたかのように揺れている。
口に当てる左手は小刻みに震え、歯がカチカチと小さな音を立てていた。
胸に当てた右手から伝わる心臓の鼓動が、激しく脈打っている。
「――げほっ」
吐血したロウの口元から顎を伝い、血がぽたぽたと地面へ流れ落ちる。
氷を貫通した槍がカグラまで届くことはなかった。
それはロウの脇腹を貫通し、震える少女の眼前でその先端を停止させている。
ミソロギアの防壁から、遠見石で戦いを見守っていた兵たちが鋭く息を呑んだ。
中でも特に蒼白に染まった表情を浮かべているのは、エヴァとキャロの二人だ。
血の気が引き、弱々しい音を零す。
「ね、ねぇエヴァ。ロ、ロウ君……大丈夫だよね? 負けない、よね?」
「……当然よ」
そう断言するも、力の籠っていない言葉はまるで自分に言い聞かせているようだった。
胸の前で握りこんだ拳は震え、祈るような瞳は悲痛な色を宿している。
途端、隣にいたホーネスとローニーが頷き合うとミソロギア内へと踵を返し、何も言わずに走り出した。
「ちょっと! 二人ともどこに行くの!? ねぇ!」
キャロの叫びは二人の耳にしっかりと届いている。
それでも尚、振り返らずに走る二人の瞳には、確かな覚悟が宿っていた。
「ロウ!」
名を呼ぶシンカの声を耳に、なんて顔をしてるんだとロウは思った。
「俺もカグラも無事だ。心配するな」
「お、俺もって……どの口が言うのよ」
ロウは刺さった槍を引っこ抜き、腹部を氷で止血すると、心配かけまいと気丈に微笑んでみせる。
「この口だ。それより……」
「ッ! わかってるわよ!」
憤りを発し、シンカは強く魔獣を睨みつけた。
眉間に皺を寄せ、鋭く尖った双眸には、明らかな怒りを含んだ光が宿っている。
「許さない!」
シンカは細剣を構え、魔獣へと真正面から突っ込んだ。
「待て! 先走――くッ!」
ロウはシンカを止めようとするものの、負った痛みに堪らず片膝を地につけた。
制止の声も届かず走るシンカに向かって鉄球が飛んでくるが、最小限の横への動きでシンカはそれを避けた。
「それで避けたつもりカ」
発動した引力の力で、シンカの横を通過した鉄球を魔獣が勢いよく引き戻す。
背後から飛んできた鉄球が、無防備なシンカに直撃する……その寸前――
「お願い!」
シンカの想いに
シンカの背を守ろうと、迫る鉄球にボーロ君の右手が触れた瞬間、ボーロ君はいとも容易く弾き飛ばされてしまう。それでも少女は振り返らず、魔獣への間合いを詰めた。
ズドン――っと、凄まじく重い音が少女の背後で鳴り響く。
その音を聞いて、少女は心の中で感謝と謝罪の言葉を述べた。
(っ……ありがとう)
音の正体である鉄球は、ボーロ君の手に触れた瞬間そのすべてを凍てつかせていた。
引力を失い氷漬けになった鉄球が地面に落ちる傍らで、ひび割れ半ば砕けたボーロ君が静かに溶けて消えていく。
「その重たい鎧が仇になったわね!」
間合いを詰め切ったシンカは細剣の先端に魔力を集め、鎧の隙間に突き刺した。
狭い隙間へ深く刺し込むことはできないが、先端が少しでも入れば十分だ。
「間合いに入れば――」
そして、隙間にねじ込ませた細剣の先端から、魔力を放出しようとした瞬間。
「――かはっ!」
シンカは胸に、何かの攻撃を受けたかのような強い衝撃を感じた。
それと同時に吹き飛ぶ少女の華奢な体。
至近距離からまともに入った一撃は、一瞬にしてシンカの意識を混濁させる。
朦朧とした意識の中、霞むシンカの視界には、体に纏った鉄屑の寄せ集めでできた鎧の一部を斥力の力で弾き飛ばした魔獣の姿があった。
「我に弱点はないと、言ったはずダ」
その言葉を耳にしながらシンカの背が地面へ落ちると、口の端から血を流した少女はそのまま意識を手離した。
「狙いは悪くなかったガ……残りハ……」
言って、魔獣はロウと震えるだけな無力な少女をその目に映した。
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