50.九月十三日―甘すぎた想定

 動揺や落胆はあるものの、兵たちの行動は迅速だった。

 ロウに言われた通り、順番に手際よく水分補給と休息を行っていく。

 嘆いていても仕方がない。

 まだ戦いが続くというのなら今はそれに備え、できる限りの万全を期すことしかできないのだから。



 そんな中、ロウたち要の面々は魔門ゲートから少し離れた場所に集まっていた。


「で、どういうことなんだロウ。まだ戦いは続くのか?」

「わからない。俺もこんなのは初めて見る。ただ、魔門が閉じなければいつ、また降魔こうまが現れるとも限らない」

 

 リアンの問いに、ロウは何かを考えるように呟いた。

 大人しくシンカとカグラの手当を受けているロウは、最初はそれを拒絶していたが、二人の懸命に訴える心配そうな顔を見て、半分何かを諦めたような表情を浮かべていた。

 一見微笑ましくも見えるが、ロウの傷を見ればそうも思っていられない。


「にしても、魔憑まつきってのはみんながみんな、そんなにもタフいんですかい?」

「た、確かに打たれ強いですし、か、回復力も高い……です、けど……」

「この人が特に異常なのよ。特にね」

「なんだか……不思議と妙に納得しました」


 カルフの問いかけに答えたカグラが、どこか言い辛そうにロウを見上げると、シンカがその先を半ば無意識的に補足した。するとタキアが呆れたように苦笑いを浮かべる。


 確かに魔憑とはカグラの言った通り、打たれ強く自然治癒力も高ければ体力の回復も早い。常人からすれば魔憑というだけで、すでに規格外のような存在なのだ。

 しかしロウのそれは、魔憑という括りでは収まらないほどに感じられるものだった。

 まるでそう、神話に出てくる人ならざる者……亜人種のように。

 

「リアンと一緒で強がりなんだよ」

「黙れ」

「セリスの言うこともあながち間違ってはいまい。貴様の負けず嫌いは軍内でも有名だ」

「そういうトレイト隊長は、嫌味たらしいことで有名ですね」

「リアン……貴様がそれを言えた義理か?」

「だぁぁぁ~やめろ、二人とも! お前らはなんでいつもそう喧嘩腰なんだ!」


 フィデリタスがリアンとトレイトを諫めると、二人は鼻を鳴らしながら顔を背けた。


「にしても、戦いが続くとしたらいったいいつまで続くんだろうな」

「だな。マークイス級が現れなきゃなんとかなりそうだけどよ」

「でもさ、マークイス級って割とレアキャラなんでしょ? あんだけの群れの中で、結局ロウ君が倒した二体だけだったし。そこんとこどうなの? ロウ君」


 ホーネスとローニーが言った不安要素をキャロが言い換えると、何故だか大した問題でもないように聞こえるのが不思議だと思いつつ、ロウはそれに答える。


「確かにマークイス級の存在はそう多くはない。だが、次にまた複数同時に現れた場合、少し厳しい戦いになるかもしれないな」


 魔憑が普通の人間より身体能力は高いとはいえ、魔力や体力には当然限界がある。これからの回復できる時間にもよるが、万全なマークイス級相手に、長時間の戦闘で魔力を消費しているロウが再び同じ状況で完勝てるほど敵は甘くはない。

 誰もが半ば予想していた事とはいえ、この場の空気が重く……


「でも、マークイス級にもレベルがあるんでしょ? さっきのが十くらいだとしたら、なんレベくらいならいけるのかな? さっきのは結構レベル高かったんだよね?」


 ……ならなかった。


「……キャロ。隊長たちの前だぞ。少しは言い方を考えろ」

「はははっ、そう言ってやるなホーネス。ある意味それはキャロのいいところだ」

「すみません、フィデリタス隊長」

「で、そこんとこはどうなんですかね?」


 カルフが先を促すと、ロウは少し思考した後、纏めた答えを告げる。


「さっきのが十だとして、同程度なら問題ない。仮に三体現れたとしたら六、それ以上ならおそらく俺一人では勝てないだろうな」

「……ロウ。仮にそうなったらどうするつもりなのかしら? ロウのことだから、最悪を常に考えてると思うのだけれど」


 エヴァの問いかけに、皆の視線がロウへと集まる。


「先に結論を言うがそうなった場合、おそらく――俺たちの望む勝利は得られない」


 望む勝利が得られないということは、少なからず犠牲がでるということだ。

 だが、それを聞いてもここに集まった者たちに、大きな衝撃も動揺もなかった。

 元より犠牲が出る可能性は考慮していたものだ。無論、犠牲を最小限に、あわよくば誰一人として犠牲を出さずに乗り越えるのが理想ではある。誰もそれを諦めているわけではない。

 しかし、それを念頭に置いておかなければ、守れるものも守れなくなる。

 

「犠牲を最小限に抑えるには、対降魔部隊に大きな負担をかけることになる。マークイス級に俺とシンカが二人であたり、対降魔部隊にはカウント級の処理をしてもらうからだ。カウント級自体はナイト級を少し強くした程度だが、やっかいなのはカウント級の持つ魔力。そう簡単には倒せないだろう。そして対降魔部隊がカウント級に当たるということは、ナイト級とバロン級の侵攻がかなり内部にまで食い込むことになる」


 内部にまで食い込むということは、対降魔部隊の後方に控えた者たちも降魔の相手をしなければならないということだ。

 先の戦いでは、降魔一体に対して対降魔部隊の面々は二人一組ツーマンセル、それ以外の部隊は小隊単位で処理していた。


 しかし侵攻する降魔が増えれば、一体に対して処理できる人数が減るのは当然だ。そうなれば、被害が拡大するのは自明の理だといえるだろう。


「なんにせよ犠牲をどこまで抑えられるかは、私とロウがどれだけ早くマークイス級を処理できるか。それ次第ってわけね」

「そうだ。かといって、焦りは禁物だ。常に冷静でいるのを心がけてくれ。みんなもだ」


 ロウの言葉に頷く面々ではあるが、ロウにはどうしてもその不安を拭い去ることができなかった。それはどれだけ鍛えた軍人であろうと、どれだけ精神の強い人間であろうと、平和の中では鍛えることができないものがある。それを知っているからだ。

 そんなロウの雰囲気を察してか、フィデリタスが問いかける。


「どうしたんだ、兄ちゃん。あれだけの軍勢を前にみんな立派に戦い抜いた。冷静に対処していけば被害は抑えられる。やることはさっきと変わらんだろう?」

「……冷静でいられればな」

「ロウ君の言い方だと、まるで冷静でいるのが無理って感じだよね? 軍人は心は熱く、頭は冷静に、なんだよ?」


 キャロの言っていることは正しい。

 それは軍に所属した者、皆の心構えだ。いまさら言われるまでもないだろう。だが……

 

「どれだけ鍛えた軍人でも、精神の強い人間でも、平和な世界では決して得られないものがある。それは……絶対的な恐怖からくるものだ」

「待てよ、ロウ。それを拭い去るために、序盤はお前一人で戦ってみんなを降魔に慣れさせたんじゃねぇのか?」


 セリスが不思議そうに首を傾げる。

 皆もそれに同意するように頷いたのを見て、ロウは静かに息を整えた。

 

「あれは……本当の恐怖じゃない。本当の恐怖というのは、身近で誰かの命が消えた時にこそ感じるものだ。そしてそれを見た瞬間、敵は降魔だけでなく自分の中にいることを初めて知ることができるだろう」

「自分の……中?」


 そう、見たこともない異形の魔物を初めて見たとき、感じるのは恐怖だ。

 それは間違いない。

 だが、何かを、誰かを守る為にここに集まった者たちだからこそ、それは本当の恐怖には成り得ず、心優しき者だからこそ、瞬時に克服し難い恐怖が戦場にはある。


「それは無意識だ。意識の中では戦わないと、守らないと、そう理解することができていても、本能からくる無意識がそれを受け入れない。頭ではわかっていても、それを行動に移すことができない。戦わないといけない場面で、本能からくる無意識が体を逃がそうとする。誰かが逃げれば、みんなが無意識の内にそれを追いかけるだろう。降魔の前での硬直が、降魔を前に背を向けることが、死の連鎖に繋がると気付かずに……」


 その光景を想像したのだろう。皆の顔が少し強ばり、ゴクリと生唾を飲み込んだ。

 たった一人の犠牲が、多くの犠牲を生み出すきっかけを作る。できた穴を塞げる強さを持った者はロウとシンカ以外おらず、当然その穴からいとも簡単に隊列は乱れ瓦解していくだろう。


「だが、ここに集まった兵において、より心配すべきはもう一つの感情だ」


 そして、ロウはさらに言葉を重ねた。


「倒れた者がより親しい者なら、無意識は逃げるでなく逆に突き動かすこともある。よくも、許さない、必ず仇を……そういった思いは体を前へと突き動かす。だが、これも結果は変わらない。ただの無謀な突貫は、その者自身も周りをも危険に晒す」

「対策はあるのですか?」


 そういったタキアは、意外にもこの中で一番冷静だったといえるだろう。

 さすが総合管制部隊の第一小隊長を務めてるだけはある。


「逆に聞くが、目の前で起きた仲間の死に、怒りも恐怖も抑え込み、自分の役割をこなし続ける自信はあるか? 事前に再度警告はする。だが、それはあくまでやらないよりは良い程度で、理解していてもそうできないのが無意識だ。初めて立つ命を賭けた本当の戦場での仲間の死は、人から冷静さを簡単に奪い去る。つまり……」

「対策はない……ですか」


 訪れたのは沈黙だった。

 集まった兵のうち、感情を抑え込み、涙と悔しさを背負ってでも自身の役割をこなし続けれる者は当然いるだろう。だが、すべての兵がそうともいかない。そしてたった一人の行動は連鎖する。

 一人の背中が、鼓舞が、熱を伝播させ士気を高めるように、周りを突き動かすもののすべてが良いものとは限らない。


 だからこそ軍議で決めた通り、この戦場に集めた兵の最低条件が、覚悟と共に自分の意思で戦うことを決意することだったのだ。

 それでも一度決めた覚悟は揺らいでしまうかもしれないし、冷静さを維持し続けれるとも限らない。

 この場でいくら悩めども、そのとき・・・・が来るまでどうなるかはわからないものだった。


「とりあえず一度戻ろう。フィデリタスさんには兵の士気を高めてもらいたい。貴方が一番、兵からの信頼が厚いからな」


 ロウが立ち上がると、皆もそれに続いて立ち上がり、一度ミロソギアへと引き返した。

 タキアから各隊長に警告を促し、小隊の精神の安定メンタルケアに努めてもらう。

 フィデリタスからの言葉もあり、兵士たちの士気は依然として高いままだ。

 終わったという安堵から一度は落胆したものの、今では来るなら来いといった空気がミソロギアを包み込んでいた。なんとも頼もしい限りだ。

 水分を補給し、軽く休憩をとったことで、余程のことがない限り戦い抜くことはできるだろう。


 願わくば、マークイス級が複数体現れないことを祈るばかりだ。

 誰もがそう祈りつつ一時間が経過した夕刻の十八時――異変は起きた。


 

 ロウが異変を感じると同時に、見張りからの警鐘が鳴り響く。

 正門を出ると、魔門が今までにない膨大な紫黒の魔力を溢れさせ拡大していく。

 激しい音を鳴らし、渦巻くおぞましい紫黒の空間は直径二十メートルに達していた。それは底の見えない深い闇、まるで奈落のようだ。そして――


 そこから顔を覗かせた一体の降魔を目視した瞬間、ロウとシンカの体に戦慄が走った。

 爪先から脳天を突き抜ける混乱と焦燥の中、早鐘のような鼓動が減速し、どうにか人心地が戻るものの、背中に走った深い悪寒は消えてくれそうにもない。

 シンカに至っては体が尚も小刻みに震え、動揺から立ち直れていないようだ。


「どうしたんだ、ロウ。あのマークイス級はそんなに強いのか?」

「でも、一体だけみたいだぜ?」

「ち……違うわ。あ、あれは……」


 リアンとセリスが疑問を投げかけると、シンカの口から出た小さな音は、途切れ途切れの弱々しいものだった。

 距離が離れているため、遠見石で見なければ降魔に埋まった階級を示す石の数を把握することはできない。 

 だが、魔力の感知ができるロウとシンカは違った。離れていても、その異常さを肌で感じることができる。

 ロウのきつく食い縛った歯の根が軋む音が聞こえると、その隙間から振り絞った声に、周囲は驚愕した。


「マークイス級三体のほうがまだマシだった。……最悪の想定が甘かった。あれは……」


 ――デューク級だ。





作戦プラン変更だ」


 ロウの声に視線を向けた面々の顔を見渡していくと、一番動揺を隠しきれていないのはシンカだった。

 無理もない。普通の人間に魔力を感知することはできないのだから、事の重要性を一番理解しているのはシンカだった。カグラに関しても、魔力を感知する感覚はシンカに比べて低いため、先に戦ったマークイス級との戦力差がどれほどかなどといっても、あまり実感できていないのだろう。

 

「俺とシンカが二人がかりでも、デューク級相手にすぐに決着をつけるのは困難だ。だから、作戦プランはさっきの戦いとそう変わらない。シンカがカウント級、みんなはナイト級とバロン級だ。デューク級は俺一人でやる」

「ッ!? 無理よ! い、いくらロウでも一人でだなんて……そ、そんな……」


 不安そうに見上げたシンカの揺れる瞳が、真っすぐにロウを見つめている。

 ロウは苦笑しながら、動揺する少女の頭に軽く手を乗せると、まるで子供をあやすような優しい声音で言った。


「これが一番犠牲を出さない方法だ。心配するな。勝てはしなくとも、負けはしない」

「ロウ……」

「時間がない。みんな、冷静にだ。頼む……」


 そう言い残し、ロウは魔門へと向かって走り出した。

 小さくなるロウの背中へと伸ばしたシンカの手は、力なく震えている。

 

 ――掴みたかった。引き留めたかった。そんな想いがその手には籠もっていた。


 そんな小さく見える少女の肩にフィデリタスは優しく触れると、周りの者へと指示を出した。


「やばいのは兄ちゃんが抑えてくれる! 俺たちはさっきと同じようにやるだけだ! タキア、各部隊への指示は任せたぞ」

「了解」

「よし、全員配置につけ! 一人の焦りが周りを危険に晒す! 多くの仲間を守るために、何があっても冷静に対処するのを忘れるなよ!」


 全員が配置につこうと動き出したとき、遠くで轟く音と共に眩い光が視界を埋めた。

 ロウとデューク級の戦いが始まったのだ。

 すでに魔門からは、新たな降魔たちの群れが溢れ出ようとしている。

 シンカは悔し気に下唇を噛み締め、持ち場へと走った。

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