51.九月十三日―本当の戦い

「ッ!」


 放たれた雷をロウが氷の盾で防いだ瞬間、その盾は粉々になって砕け散った。


「脆イ。脆イゾ人間。我ヲ相手ニ本当ニ独リデ、イイノカ?」

「お前を封じれさえすれば十分だ」

「モウスグ内界ヘノ門ハ開キキル。誰モ助カラ、ナイ」


 言ったデューク級降魔こうまの体が光を発し、放たれる雷撃を躱しながらロウは考えていた。

 ロウが知る未来の予測の中に、ロウはいないはずだった。何が未来を変えるきっかけになったのか断定することはできないが、今の戦いにロウは参戦してデューク級の降魔とこうして対峙している。


 ならばロウが参戦できなかった未来では、このデューク級降魔を誰がどう相手をして倒したのか。倒せなかった、ということはないだろう。それは全滅を意味するのだから。


 運命の日、それはミソロギアが崩壊する日であって、ミソロギア軍が全滅したわけではない。

 だがここでデューク級を倒せる者がいなければ、誰一人生き残る者などおらず、アイリスオウスの九割の軍が一気に失われたことになる。

 それはミソロギアの崩壊に止まらず、国自体の滅亡と同義なのだ。


 ならばシンカが倒したのだろうか。いや、今の彼女にそれほどの力はない。

 シンカとカグラがいても尚、運命は変わらないというのか。

 そこにロウが加わって尚、運命はミソロギアを崩壊させるのか。

 いくら考えても結論がでることはなく、デューク級の猛攻を防ぐだけで手一杯の状況で、ロウはやっと異変に気付いた。


 ――あまりにも静かだ。


 ロウがデューク級を注視しつつ、視線を素早く左右に振り状況を確認すると、その静けさの原因に短く鋭い息を呑んだ。




「なんなの……これは……」


 シンカがポツリと呟いた。

 思わず腰を抜かしてしまいそうになるほどの目の前の光景を、現実だと受け入れることができない。

 嘘だ、これは夢だ。だれか嘘だっと言って……お願いだから。

 そんな何かに縋るような感情が胸の中に渦巻いている。

 それでもこれは現実。シンカたちが変えようとした、運命という強敵なのだ。


 この――数え切れない数百という降魔の群れこそが。


 ロウとデューク級が戦う向こうで、それだけの数の降魔がずらりと並んでいる。

 それはあまりにも異様な光景だった。


 降魔とは魔門ゲートの中から単体、もしくは群れ単位で現れ、その数は魔門の規模によって違ってくる。そして、現れた降魔は本能的に魔力を求めて襲いかかる。

 ナイト級は足が速く、バロン級は足が遅いことから、ある程度距離さえ離れていれば同時に相手取る必要は無く、群れ一つ一つを順に叩いていくことができるのだ。

 だがらこそこれまで戦うことができた。


 だが、目の前の光景はそれに当てはまらない。どう見ても数が異常だ。

 現れた群れはすぐさま標的を狙うではなく、じっとその場に留まっている。

 まるで急に知能を得たかのように……

 まるで誰かに指示されているように……


 受け入れ難い現実を前に、シンカの脳は正常に働くまで数十秒の時間を要した。

 頭を強く左右に振り、少女は前に広がる降魔の群れを睨みつける。

 後ろの兵たちの状態を気にしている暇も余裕も微塵もなかった。

 これだけの降魔の数ともなれば、当然カウント級の数も増えているだろう。

 一体たりとも通すわけにはいかない。一体でも通せば被害は拡大してしまうのだ。


 マークイス級がいないということが、不幸中の幸いだといえるくらいだろう。

 後ろにいる兵たちのことはリアンやフィデリタスに任せるしかなく、少女は目の前の降魔の中からカウント級の数を把握しようと、視線を素早く動かしていく。

 と、そこに一つの影が凄まじい勢いで、シンカの横を通り過ぎたのが視界の端に映った。



 

 一瞬、ほんの一瞬だった。

 ロウが周囲の状況に鋭く息を呑んだ隙を、デューク級の降魔は見逃さなかった。

 放たれた電撃がロウへと直撃し体が硬直した瞬間、デューク級はロウの頭を掴み、地面へと叩きつける。


「――ッ!」


 そのままロウを持ち上げると、黄色い魔力の塊をロウの腹部へと叩きつけた。

 至近距離の魔弾を受け、吹き飛ぶロウの体がシンカの横を通過し、そのまま地面へと倒れ伏す。

 

「…………え?」


 シンカがゆっくりと後ろを振り返ると、そこにはロウの倒れる姿。

 と同時に、背中からデューク級降魔の雄叫びが響き渡った。


「ギッ、ガアアァァァァ――ッ!」


 途端響く地鳴りの音と共に、降魔が一斉に動き出す。

 数百からなる降魔の群れが、ミソロギアへと侵攻を開始したのだ。

 ロウが倒れ、デューク級降魔はいまだ健在。数え切れない降魔の侵攻。

 当然、これらは兵たちの士気を大きく下げるものとなる。

 誰もが現実を直視できず、虚ろな目でその光景を眺めていた。

 たった三人を除いては……


「お前ら、何ぼけっとしてやがる! 仲間を死なせたくないなら気合を入れろ! 二人一組ツーマンセルを崩すな! 後方の者は小隊単位で敵を潰せ!」


 ……フィデリタスの声が。


「セリス、お前まで呑まれるな! ロウはまだ負けたわけじゃないんだ! 群れたところで一体一体の強さが変わるわけじゃない! これまで通り迅速に、確実に仕留める!」


 ……リアンの声が。


『各隊に通達。領海監視部隊、戦闘車チャリオット大型弩弓バリスタ部隊は砲撃用意。支援部隊は射程範囲に入ったら狙撃開始。降魔は左右に展開しています。東門、西門、正門の前衛部隊は少し前で迎え撃って下さい。乱戦が予想されます。乱戦に入れば鉄砲隊は前衛を、弓兵隊は後衛を援護。負傷兵が出ても運ぶ余裕はありません。衛生兵は各支援部隊に弾薬を輸送して下さい』


 ……タキアの声が。


 三人の力強い言葉が兵たちの硬直を解き、止まった時を動かした。

 数百の群れが吐き出す咆哮に、負けじと気迫の籠もった菖蒲の喊声かんせいが迎え撃つ。

 


「そうだ……それでいい」

「ロウ!」


 ロウは膝を立て起き上がると、心配そうに見つめる少女を睨みつけた。

 その強く鋭い双眸に、シンカの肩がびくっと揺れる。


「何をしているんだ、シンカ! 犠牲を最小限にするんだろ! 俺に構うな!」

「っ!」


 叫びながらロウの放った地面を走る鋭利な霜がシンカの前で左右に割れ、少女の背後に迫っていたデューク級降魔へと襲いかかる。

 デューク級が背後に跳躍してそれを躱すと、すかさずロウは地を蹴り、駆けた。

 シンカの横を通り過ぎ、手にした氷の刀でデューク級に斬りかかる。


「運命を変えるんだろ!? こいつは俺が抑える! 君の今成すべきことはなんだ!」


 放ったロウの言葉がシンカを大きく揺さぶった。

 ロウのことは心配で心配で堪らない。なにせ相手はデューク級だ。

 それでもここでロウの期待に応えられないのは、今までのロウの苦労をすべて無に帰す愚行でしかない。

 故にシンカは駆けた。ミロソギアの為に、皆の為に、そしてロウの為に。

 




 絶え間ない砲撃の音が鳴り響き、土煙がそこら中に立ち上っている。

 兵たちの声が響き、甲高い金属音が、発砲音が周囲を満たしていく。

 尋常ではないこの降魔の数を前に、兵たちは健闘したと言えるだろう。


 だが、それはほどなくして乱戦へと変わり、危惧していたそれは訪れた。


「ぐはっ!」

「ッ! う、嘘だろ!? おい!」 


 降魔に貫かれた兵士の鮮血が勢いよく吹き出し、血溜りに沈む。

 ある者は体を切り裂かれ、ある者は噛み砕かれ、ある者は殴り潰され、またある者は魔力を喰われて跡形もなく消滅する。

 一人、また一人と倒れていく仲間を前に、兵士たちを襲ったのは――無意識だった。


 戦え、戦うんだ。国のために、仲間のために、家族のために。

 そう心では思っても、その足は一歩後ずさる。

 落ち着け、冷静になれ。でも……糞っ! 糞ッ! よくもッ!

 大切な仲間を失った者は、仇を討とうとその足を前に踏み出す。

 隊列は最早瓦解し、次々に血溜りに倒れる兵たち。



「も、もう……駄目だ。こんなの……勝てるわけがない」


 そんな中、前衛の要であるトレイトの心が遂に折れた。

 呟いた力のない弱々し声には、いつもの自信は感じられない。

 そんな彼の様子にいち早く気付いたのはリアンだった。


「っ、糞がッ!」

「ちょっ、リアン! どこ行くんだ!」


 セリスがリアンの援護をする中、リアンはトレイトの胸倉を掴みあげた。


「お前は対降魔部隊に選ばれたんだぞ! 何を諦めている!」

「み、見ろ……あれを……勝てるわけがない」

「だったら諦めるのか!? お前は何のために戦ってるんだ!」


 鋭く睨むリアンの瞳を直視できず、トレイトはそっと目を逸らした。

 その口から漏れた声は、酷く震えている。いつもの皮肉な声は色を失くし、強気な態度でリアンに突っかかっていた瞳はすでに熱を失っていた。


「わ、私は……私は本当は国や仲間のために戦っていたわけではない。私の家は母子家庭だ。母上に立派な姿を見せたくて軍に入り、中央守護部隊にまで上り詰めた。く……ッ、それだけだ! それだけの男なんだ私はッ!」


 トレイトの出身は国の外れにある小さな村だ。

 幼き頃に父親を病で失い、それから女手一つで育ててくれた母に楽をさせるため、軍へと志願した。中央守護部隊に入った時の言葉は今でもよく覚えている。


”トレイト、貴方は私の誇りよ”


 給金のほとんどを実家へ送り、長期の休みには心配する母親を安心させる為に顔を見せに帰る。彼の努力の根底にあるものは、母親への愛だった。

 そんな彼のことを、リアンは内心嫌いではなかった。

 どれだけ皮肉屋でも、嫌味な男でも、家族を大切に想えるその心だけは……


「それの何が悪い! 戦う理由はなんだっていい。だが、ここでお前が諦めたら、お前の大切な人さえも危険に晒されるということを、お前はちゃんと理解しているのか?」


 言って、リアンはトレイトの胸倉を掴んでいた手をそっと離した。


「リ、リアン! もう無理だ! もたねぇ!」


 焦燥を含んだセリスの声が響く。援護し続けるのも言葉通り限界だ。

 だが、リアンは最後に……


「俺はお前が嫌いだ。だが、知っての通り俺は出は孤児院だ。俺にとってシスターが母親だった。あそこで必死に戦ってるセリスも馬鹿だが……俺の大切な義兄弟だ。だから、お前の母親を想う気持ちだけは嫌いじゃない。だが、お前がそれさえも捨てるというのなら……俺にとってお前は嫌いにさえなり得ない、ただの――ッ」


 そう言い残し、最後の言葉を悲痛な面持ちで呑み込みながらセリスの元へ戻ったリアンの背後からは、小さな呻き声が聞こえていた。


 トレイトにとってもリアンは嫌いな相手だった。そんなリアンに対抗意識を持っていたのは、決して過去の対戦で敗北したからではない。

 自分に勝っておきながら、名誉ある中央守護部隊への配属を辞退したことだ。

 そしてその理由が誰かを探すためだと知ったとき、トレイトのリアンを嫌う思いは増すばかりだった。


 彼を倒して初めて、自分は胸を張って母に報告ができるのだと。

 いつか自分を負かしたリアンを越えたいと思っていたトレイトにとって、リアンは自らが勝手に決めた好敵手ライバルだったのだ。


 しかし、何度立ち合いを挑んでも軽く躱すリアンは、自分を見てはいなかったのだろう。

 その事実が、トレイトにとっては許せなかった。目の前にいる自分より、どこにいるかもわからない者のことばかり見ている、リアンのことが。


 そんなリアンが残した今の言葉は、今までトレイト自身が気付いていなかった事を気付かせた。

 トレイトはただ眩しかったのだ。堅物なリアンがそうまでして探そうとしている、本当の仲間というものが。

 本当はただ飢えていただけだったのだ。自分には到底考えられない、そこまでできる仲間の存在に。

 

 それに気が付いたとき、トレイトの呻き声はしだいに音量を上げていく。

 そしてそれは気合の迸った雄叫びへと変わり、リアンの横目に映ったのは必死の形相を浮かべ、目尻に涙を溜めながらも懸命に戦うトレイトの姿だった。

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