28.勝利の条件

 時刻を知らせる針が十五時を指そうとしている中、本日二度目の軍議が始ろうとしていた。

 壊れた壁はすでに元通り綺麗になっている。修復石を使ったのだろうが、あれだけの穴を埋めるとなると、相当な数の魔石を使用したのだろう。


 顔ぶれは一度目の軍議と変わらないが、今はカグラの隣にロウが座っている。

 シンカやカグラが最初に感じていた居心地の悪い視線はもうすでに感じない。

 しかし、この部屋を満たす空気は一度目に比べ、さらに緊迫したものとなっていた。


 難しい表情を浮かべる面々の中、ロウを見る視線は明らかな化物を見るような視線も混じっている。あれだけのことをしたのだから当然だろうが、当のロウはそんな目で見られることをまったく気にしていない様子で、静かに軍議が始まるのを待っていた。


 そして議長宣言の元、二度目の軍議が執り行われた。

 九月十三日に降魔がミソロギアを責めて来ることを前提とした軍議の中、まず降魔こうまの危険性について説明を求められたのはシンカだ。


「降魔には階級が存在しています。まず下から順にナイト級、バロン級、カウント級、マークイス級、デューク級。これより上の階級も存在するとされていますが、私が実際戦ったことがあるのはマークイス級までです。降魔は基本群れを形成していますが、まず数の一番多いナイト級。これは小型で鋭い爪牙を持ち、動きが素早い。リアンさんに聞いた特徴から、リアンさんが戦ったのはこのナイト級だと思われます」


 シンカの説明に周囲が騒めいたのは言うまでもないだろう。

 リアンが苦戦を強いられた相手が、降魔の中で一番階級が低いということは皆に衝撃を与えるには十分すぎるものだった。


「ナイト級はここに集まった皆さんなら、きっと勝つこともできるでしょう。でも、複数を相手取るのは正直厳しいと思います。そして次に数の多いバロン級。これは大きさはナイト級と変わりませんが、鋭い爪牙も持たず動きも鈍い。ですが、腕力はナイト級を優に上回るため、油断は禁物です。バロン級は純粋に力が強く、打たれ強い。皆さんがこれらを倒すには、余程磨かれた戦闘技術を持たない限り、大砲や銃を用いる必要があります」


 一呼吸を置き、長机テーブルの上に置かれた硝子杯グラスの水を一口含むと、シンカは話を再開した。


「次に数は少ないですがカウント級。ここからが問題です。カウント級はナイト級を二回りほど大きくしたような外見ですが、厄介にも魔力を扱ってきます。その能力は火、水、雷、といった単純なものほとんどですが、遠距離から放たれると対処するのは難しいでしょう。中でも、自身を強化させる個体だけはくれぐれも注意が必要です」


 シンカの説明が進むにつれ、この場にいる者たちの表情がより強張っていく。眉間に皺を寄せる者、唖然としている者、深く何かを考えるように両眼を瞑っている者、様々な表情が浮かぶ中、シンカはさらに続けた。


「そしてマークイス級。外見は個体によって違う、といっても、私もマークイス級と出会った回数は二度ですが、少なくともこの二体は外見が異なっていました。この降魔の強さには大きな個体差がありますが、能力を扱うのは当然として、その身体能力はこれまで説明した降魔の比になりません。おそらく……いえ、マークイス級を倒せるのは魔憑まつきだけだと断言します」


 降魔の階級のうち、ナイト級、バロン級は所謂雑兵だ。

 カウント級は魔力こそ扱えど直接対峙しなければ、隙をついた大砲や大型弩弓バリスタで消滅させることもできる。これらの降魔の強さはほぼ一定で、個体差はそれほど大きくはない。

 

 しかし、マークイス級は身体能力、知能、扱える能力においても下の階級を遥かに上回り、それぞれの個体差はかなり大きなものとなってくる。それらを鑑みれば……


「最後にデューク級以上の降魔となりますが……カウント級とマークイス級の差を考えれば、その強さは計り知れないものがあります。推測の域を出ず、ここで明確な答えを出すことはできません。……以上です」


 説明し終えたシンカが大きく息を吐きながら着席すると、


「……なるほどな。嬢ちゃん、ありがとよ。氷の兄ちゃんに質問があるんだがいいか?」


 その説明を受け、中央守護部隊所属第一小隊隊長のフィデリタスがロウへと問いかける。ロウがフィデリタスに視線だけで答えると、彼は質問を投げかけた。


「兄ちゃんの強さはさっきのでわかった。で、魔憑ってのは実際どういったのもなんだ?」

「人間は誰でも知らずのうちに魔力を内に秘めている。魔憑というのは、個人差はあるがその魔力量が極めて高い。だから普通の人間より単純に力が強く、打たれ強く、俊敏だ。傷を受けたとしても、その傷を治す自然回復力はみんなが想像している以上だろう。魔憑が持つ能力はそれぞれで、基本は一つの力しか扱うことはできない。俺の場合は氷だ」


 人の体内に流れる魔力は、謂わば生命の力そのものだ。

 魔力を扱えない者でも、無意識のうちに自身に流れる極僅かな魔力を使用していることがある。

 感情の高ぶりや、自身が危機に瀕した時、誰かを守ろうとする時に、時折不思議な力を発揮することがあろうだろう。その所謂、火事場の馬鹿力というものこそ、人が知らず知らず無意識に魔力を使用している瞬間なのだ。


 そして魔憑はその生命の力たる魔力が極めて多く、自分の意思でそれを使用することができる。


「……化物が」


 中央守護部隊所属第三小隊隊長のトレイトがぽつりと小声で呟いた。

 フィデリタスが黙ってろ、といわんばかりに睨みつけると、トレイトが不満げに視線を逸らす。どうやら今のがシンカとカグラに聞こえていないことに、フィデリタスが安堵の息を吐いた。


 ロウの様子を見るに、トレイトの雰囲気から何を呟いたのは粗方察しはついていただろう。

 今のが少女たちに聞こえていたなら、ロウが黙ってはいないだろうということは、まだ会って間もないフィデリタスにも容易に想像できることだった。


 その様子に二人の間に挟まれた男、中央守護部隊所属第二小隊隊長のカルフが苦笑しながら溜息を零すと、ロウへと疑問を投げかける。


「魔力ってのが誰にでも備わってるってなら、俺たちも魔憑になれるんですかね?」

「誰でも、というわけじゃない。魔憑になるには素質と共に、何か強い意思が必要だ」

「……現状より戦力強化は見込めんか」

「そのようですね。ならば――」


 都市保安部隊所属第一部隊隊長の男の言葉にロウが頷くと、次に言葉を発したのは議長の左隣に座るロギだった。


 小休止を挟む際、壊れた壁のことでロウはこの男と話していた。ロウの渡した貨幣を受け取れないという程度の簡単なものだったが、思えばロウが力を使った後、ロウに嫌な視線を投げかけていなかったのはこの男を含むたったの四人だけだった。


 議長ゲヴィセン・パトリオス、その補佐官ロギ・ヴィエールナ、中央守護部隊所属第一小隊長フィデリタス・ジェールトバー、唯一の女だけで構成された総合管制部隊第一小隊長タキア・リュニオン。

 この四人にはロウの行動がむしろ好印象だったようで、それはロウからしてみれば驚くほど意外なことだった。


「貴方はこの戦い……どう見ますか? 率直な意見を聞かせていただきたい」

「……なら、逆に聞かせてくれないか。ここにいるみんなは、どうすれば勝利と取ることができる?」


 ロギの問いかけに、ロウは一瞬の沈黙の後、周りを見渡しながら静かに問いかけた。

 

「何を馬鹿な質問を。降魔を全滅させればに決まっている」

「無論、脅威を取り除くというなら、それくらいは必要だろう」

「私も同意だ」


 トレイトの発した言葉を皮切りに、次々とそれに賛同していく隊長たち。

 その中で難しい顔で何も言わずに黙っているのはゲヴィセン、ロギ、フィデリタス、タキアと、総合管制部隊の第二小隊長のみだった。


 リアンはこの軍議中、ずっと両眼を閉じたまま腕を組んでじっと座ったままだ。

 シンカとカグラは同意の声は発しないものの、ロウの質問の意図をきちんと理解しきれていないのだろう。少女たちが不安げに見つめた視界の中、ロウは瞳に憂愁の色を宿しながら中空を見つめていた。


 しかし、この場のほとんどの者たちがロウの質問の意味を理解できなかったのは、この世界に生きている以上、仕方のないことだと言えるだろう。

 むしろ、理解することができる感性こそが稀有なのだ。

 争いを……戦争を知らない、この平和に満ちた世界の中では。


「降魔を全滅させれば勝利、か。だとしたら、例えばこのミソロギアのすべてを失っても勝利と言えるか? 民間人に多くの犠牲を出しても、この軍が全滅に追い込まれたとしても、それでも降魔を全滅できれば……それは勝利か?」

「なっ――」


 案の定、そんなことを想定していなかったとでもいうように、面々は引きつった表情を浮かべて言葉を失った。走る悪寒を感じながら、湿った掌をいつのまにか強く握り込んでいることに気付く。

 それでも強がるように震える声で叫んだのはトレイトだった。


「そ、そんなもの、被害を出さずに全滅させればいいだけの話だ! それこそが勝利!」

「その通りだ」

「ふっ、そうだろうとも。私は最初からそれを――」

「だが……」


 ――それは不可能だ。


 トレイトの言葉を遮って響いた冷徹な音。ロウの口からはっきりと告げられたその非情な宣告は、周囲に大きな動揺を与えるものだった。

 先のトレイトの言葉に同意しなかった面々には、そのときから半ばこのことを予想していたのだろう。暗い影は落とすものの、大きな動揺はなかった。


 しかし、その発言にもっとも納得のいかなかったのは”やはり”といったところだろうか。

 ロウが最初から予想していた通り、強く反論してきたのはシンカだった。


「ちょっと! そんな言い方ってないじゃない! なにか……なにか考えれば。私は魔憑で降魔と戦う力がある。私が一人前線で降魔を食い止めれば、後ろに被害は出さないわ。貴方の知恵を借りて、私が……私が頑張れば……そうでしょ?」


 シンカの向ける瞳は、まるでそうあって欲しいと懇願するかのようだった。小さく揺れる瞳がロウを真っすぐに見つめている。

 きっと、ロウなら何か良い案を思いつくんじゃないかと、そういった期待もあったのだろう。


 シンカとカグラは子供の頃からこの時代に送られ、たった二人でこのミソロギアを、ひいては世界を救うことを胸に生きて来たのだ。当然、そう簡単に割り切れるものではない。

 無論、ロウにはそれがわかっていた。

 だからこそ、さっきの自分の発言にシンカが反論することも容易に予想できた。


 彼女がどれほどの想いで、今こうしてロウに縋っているのか、ロウはこの場の誰よりも深く理解していたのだ。だからこそ――


 誰もが固唾を飲んで見守る中、ロウの口から漏れた声は、ひどく冷めきったものだった。


「君は……何を救いたいんだ?」

「……え?」


 まさかロウの冷めた声が自分に向けられるとは、露ほどにも思っていなかったのだろう。言われたシンカはもちろん、それを見守っていたカグラでさえ、大きく目を見開いている。

 その声がよもやロウの口から出たとは、到底信じられないといった様子だ。


 今までシンカがどれほどきつい言葉をかけようが、どんな態度をとろうが、ロウがシンカたちに向けてこのような冷めた瞳を、冷めた声を向けることなど一度もなかった。

 少し震える唇から何か言おうと思っても、上手く言葉を紡ぐことができない。

 そんなシンカを見てもなお、ロウは表情をかえることなく言葉を重ねた。


「人の命を守りたいなら、ミソロギアを放棄することだ。だが、ミソロギアを守りたいなら、すべての人の命を救うことはできない。これは戦争ごっこじゃない。命を賭けた戦いだ。運命は残酷で、目指す未来のために目を瞑らなければならない不条理もある。そう言った人がいたな。それは間違ってはいない。ましてや君が一人で前線に出たところで何ができる? 子供の遊びじゃないんだぞ。すべてを得ることができないならどうするか。選ぶんだ……選ぶしか、ないんだよ」

「――っ」


 シンカにもわかっていた。頭の中では理解している。

 それでも、それでもどうしても受け入れることができなかった。端から犠牲を許容できるほど、少女の心は強くはなかったのだ。

 悔しそうに下唇を強く噛み締め、ロウを睨みつける瞳。まるで泣いているかのような少女の表情に、ロウは強く心を痛めた。

 

「それでも……それでも、私はっ!」

「それはただの無謀だ。君の言い分を通すなら、命が幾つあっても足りない。それを許容し、君について行くことはできない」


 なおも訴えようとするシンカを裏切るように響いたロウの声は、深く少女の心を傷つけた。今にも泣き出しそうなほどに顔を歪め、震えた手は固く握られている。

 何か言い返したくとも、口から零れる言葉はなく、漏れるのは悔しさを堪えるような小さな嗚咽にも似た音だけだ。


 信じてないと言いつつも、少女にとってそれは、死に直面した裏切られても仕方ないと思える場面を想定しての言葉だった。

 それなのに、まさかこんな場で裏切られるなんて……そう思った少女の心は、その現実を直視するにはあまりにも脆かった。


 仲間ができた安堵感から、叩き落されるような感覚。

 一緒に頑張ろうと、そう言ってくれたのに。

 言いたいことはたくさんある。それでも震えた口元は固く閉じたままだ。

 

「お姉ちゃん!」


 気付いたときには、勝手に体が動いていた。シンカは何も言わずに立ち上がると、踵を返して走り去った。それは何も言い返せないからでも、この空気に耐え切れなくなったからでもない。

 シンカは見たくなかったのだ。

 これ以上、そんなことを言うロウの姿を……もう見ていられなかった。


 カグラが辛そうにロウを見つめている。きっと期待していたのだろう。

 ロウならシンカを追いかけてくれると。

 そして、一緒に良い方法を考えてくれるに違いないと。しかし……


 ――少女の丸く愛らしい瞳から、大粒の涙が零れ落ちた。


 シンカを追いかける様子のないロウを見て、カグラは何かを振り切るようにぎゅっと両眼を閉じると、姉の後を急いで追いかけた。


「よろしいのですか?」

「あぁ……すまない」


 ゲヴィセンの声に頷きながら答えた声は、弱々しく掠れていた。

 これが壁に大穴を空けたときと同じ男なのか。そう思わせるほどにまるで別人だ。

 悲痛な面持ちで走り去った少女よりも、涙を浮かべながら追いかけた少女よりも……ここに佇む男の姿は見ていて痛々しいものだった。


「辛れぇな、兄ちゃんも。大切な人なんだろ?」

「大切だ。だからこそ、運命に立ち向かうには必要なことだ……」


 フィデリタスが悲しげに微笑み、それにロウは苦笑して返す。

 そして大きく息を吸い込むと、気持ちを切り替えた。

 

「さっきも言った通り、選ばなければいけない。何を救い、何を捨てるのか。軍人だから戦わないといけないことはない。逃げたい人は逃げればいいが、それは決して情けないことじゃない。むしろ賢い選択だと俺は思う。自らの意思で戦場に立てない者は確実に死ぬ。ここにいる人たちが賢い連中だといい……そう、思ってる」


 これから待ち受けているのは、人と人の戦ではない。人と、魔物の戦だ。

 数を集めればいいという、単純な話ではない。

 弱き心も、人の死も、負の出来事は連鎖する。そしてその隙を降魔は見逃さない。

 不屈の意思を持ち、猛る想いをその身に宿す者でなければ、いないほうがまだマシだ。


「兄ちゃんのいう通りの賢さが俺たちにあったとして、兄ちゃんは一人でも戦うって顔してるがな。……だとしたら、兄ちゃんは愚かだってのか?」

「そうだな……大切な人にあぁ言われたら、応えたくなるだろ?」


 そう言って微笑むロウを見て、この場にいる皆が思ったことはきっと同じだっただろう。

 化物染みた強さを持つロウの初めて人らしい一面を見て、心が温かくなるのと同時に、皆の決心が固まった瞬間だった。


 皆の脳裏に浮かんだのは親、兄弟、恋人、親友、恩人と様々だったが、どれにも共通しているのは大切な人たちの顔、ということだ。

 どうして軍人になったのか。いったい何を守ろうとしていたのか。それは戦うのに必要な意思の根源――とても単純で、とても大切な想いだった。

 

 それからの軍議は思いのほか順調に進んだ。

 方針が纏まり、二度目の軍議が終わったころにはすでに六時間が経過しいた。

 だが、九月十三日までに残された日は僅かしかない、一日目で方針が決まったのは僥倖といえるだろう。


 皆が部屋を後にし、開始から間もなくしてずっと放心したままのセリスをリアンが引きずって部屋を出ようとしたとき、ロウの声が静かに届いた。


「すまないが、議長とロギさん。フィデリタスさんと、え……っと、総合管制部隊の第一隊長さんは残って欲しい」

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