29.すれ違う心

「ここにいたのか」


 時刻が二十二時をすぎたころ、庭園の片隅でじっと座り込んでいる姉妹がその声に振り向くと、そこにいたのはセリスを引きずったリアンだった。

 シンカの目が何かを探すように周囲へと泳ぐが、リアンたち以外に誰もいないことを確認すると、立てた両膝に顔を埋めてしまう。


 何か、いや、誰かを探していたのかはいうまでもない。

 そんな少女を見て、意識が真っ白のはずのセリスの顔に影が落ちるのに気付いたのはリアンだけだっだ。


「座るぞ」

「本当に……ごめんなさい。軍議中にいなくなったりして」

「かまわん。それより、方針が決まった」

「……そう」

「ど、どうなったん……ですか?」


 顔を上げず曇った声で返事をすると、姉に変わって、カグラが戸惑いがちに問いかけた。


「明日、各隊長から各部隊に真実を話す。軍内部が纏まったら、次はミソロギアの民間人にも、すべてではないが大よそのことが通達されるだろう。その後、民間人を周辺の町に一時的に避難させる。あとは、自分の意思で残った軍人たちをかき集め、皆が帰るためのミソロギア居場所を死守するといった単純なものだ」

「自分の意思で残った、ね。あ……あのっ、えっと……あの人・・・は……戦うの?」

「九月十三日はロウを戦力に入れない作戦を立てることになった」

「そ、そう……よね」


 その答えをシンカは半ば予想していた。


” ――命が幾つあっても足りない。

 ――それを許容し、君について行くことはできない ”


 そう言ったロウの声が、頭の中に今も響いている。

 確かに予想はしていたがそれでもリアンにそれを聞いたのは、心のどこかでロウならと、自分たちを仲間と呼んでくれたロウならと……そう期待していたのだ。

 だが、互いの道はあまりにも早く別たれてしまった。


 自分の両膝に強く顔を押し付けたカグラの肩が、小刻みに震えている。時折漏れる微かな嗚咽が、小さな少女の心情を素直にあらわしていた。

 誰も口を開かず、ただ静かな時間が過ぎる。


 暫くしてカグラの嗚咽が収まったころ、シンカは気持ちを切り替えるように自分の両頬を強く叩いて気合を入れた。


「私がこんなんじゃだめよね。戦えるのは魔憑まつきの私しかいない、私がやらなきゃ……」

「まるで一人で戦うような台詞だな」

「えぇ、犠牲なんて出さない。私が……私が守ってみせる」

「お姉ちゃん……」

「大丈夫よ、カグラ」

「……うん」


 シンカの出した答えにカグラは納得のいかない様子だったが、それでも静かに頷いた。

 戦える魔憑が他にいない以上、危険が伴うのは最初から覚悟していたことだ。

 それでもやらなければならない。そのために、この時代にやって来たのだから。


「本当にそれでいいのか?」

「かまわない」


 シンカとリアンの視線が交差する。

 少女の瞳に嘘は浮かんでいなかった。あるのは強い覚悟だけだ。

 そんな中いつの間に目覚めたのか、というよりも、今目覚めたように振る舞うセリスが首を捻らせながら問いかける。


「でもよ、ロウがここにいたらなんて言っただろうな」

「ッ! いない人の意見を考えても仕方ないじゃない! あの人は私たちを見捨てた! この先の過酷な戦いになんて、どうせ耐えられないのよ! 本当に自分の命がかかれば、どの道裏切ってたに違いないわ! だって、自分で言ってたじゃない! こんなんじゃ命が幾つあっても足りないって! 先にある生死をかけた中で裏切られるより、早い内にいなくなってよかったのよ!」

「……お姉……ちゃん?」

「……あッ、ご、ごめんなさい。私……違うの、そんなつもりじゃ……本当に、私……ッ」


 勢いに任せて声を張り上げたシンカの言葉に、カグラが目を丸くした。

 心底驚いたように見つめるカグラを見てシンカが我に返ると、自分の発言を後悔するかのように、彼女は悲痛な面持ちで謝罪した。

 まるで自分の口から出たその言葉を疑うように、そんなことを言った自分を嫌悪するかのように、戸惑う瞳を泳がせている。


「いいって。それより頑張ろうな」

「……そうね」


 セリスが軽く笑いかけるが、シンカの表情が戻ることはなかった。


 静かな夜が過ぎていく。

 リアンは目を瞑り、収納石から取り出した緑茶を静かに飲んでいる。セリスは芝の上に寝そべり、夜空を見上げていた。

 カグラは何か聞きたそうに、前にいるリアンとセリスをちらちらと見ている。

 そして覚悟を決めたのか、静かに声を振り絞った。


「……あ、あの」

「なんだ?」

「お、お二人はロウさんのことをどう思ってるんですか?」

「ん? そりゃ大切な仲間だ」

「あぁ、信じれる奴だということは間違いない」

「そ、そう……ですか」

「そういう二人はどうなんだよ?」


 いつものような軽い調子で質問を返してきたセリスに対して、カグラはぎゅっと拳を握りしめる。

 そして、言い辛そうにそっと声に出した。


「しょ、正直に言えばわかりません。助けてくれたり、あんなことを言ったり。優しいのか……つ、冷たいのか、ロウさんのことが……よくわかりません。で、でもっ! ……でも、期待させて裏切るのは……ひどいと思います」


 そう言ったカグラの表情は、とても悲しそうだった。

 自分でそう言いながら、まるでそう言っている自分を責めるようにその瞳は悲痛な色に満ちている。

 いまださっきの発言を引きずっているのか、俯いた顔を少し上げながらシンカがリアンに問いかけた声は、とても弱々しいものだった。


「ねぇ……ロウさんは何が言いたかったの? ずっと考えてるけど、やっぱり私にはわからないの。頭ではわかってる。確かに犠牲をまったく出さないなんて無理かもしれない。でも、最初から犠牲を許容するなんて……。本当のロウさんが私には見えない……」

「わ、私もです」

「……そんなにロウが気になるのか?」

「そんなんじゃないわよ」

「そうだな、気になってるはずがないか」


 シンカは静かな夜でなければ届かないほどの小さな声で、ぼそっとリアンの言葉を否定すると、リアンは皮肉ともとれる言葉を零しながら少し微笑んだ。


「っ! ど、どうしてよ」

「今、お前がここにいるからだ。話合おうとは思わないのか?」

「それは……あの人は自分の意思で戦いに参加しないことを決めたんでしょ? なら……無関係の人を無理に巻き込むのは、やっぱり気が引けるからよ」

「ふっ、俺たちを巻き込んだ奴がよく言ったものだ」


 その言葉に、二人の少女の体がびくっと反応した。

 ミソロギアを守ることについてだけいえば、シンカがリアンたちを巻き込んだというには語弊があるだろう。

 リアンとセリスはミソロギアの軍人だ。ミソロギアが危機に瀕したとき、シンカに言われるまでもなく戦うことを決めたはずなのだから。


 しかし、ミソロギアの問題は運命を変える第一歩にすぎない。ミソロギアを無事救うことができた後のことは、カグラのカードに導かれただけで、リアンたちが戦うための確たる理由はないのだ。


「心配するな、責めてるわけじゃない。そういえば、姉の方はロウのことを嫌っていたようだったな。そんなに嫌な出会いだったのか?」

「姉って……ちゃんと名前で呼んでよね」

「気が向いたらな」

「……そう。ロウさんとの出会いはむしろ逆よ。傷ついた私たちを助けてくれたから」 

「ならなんで嫌ってたんだよ」


 すでに遠い過去を振り返るように、すっと細めたシンカの瞳は哀切に染まっていた。

 そんな彼女にセリスが首を傾げると、シンカは立てた両膝に顔の下半分を埋め、中空を見つめたまま静かに声を漏らした。


「私にとって、人を信じることが難しいからよ。なにより、知り合って間もないくせに私たちの手助けをしたいだなんて言うのよ? おかしいわよね。事情も聞かず、なんにも知らなかったくせに。それに――」


 ”――どうして……君は泣いているんだ?”


 その時の温かい手の感触を思い出すかのように、シンカは自分の頬にそっと手を触れた。


「ほんと……何も知らないくせに」

「なるほどな。それはお前が正しいだろう。その状況で信じるのは無理な話だ」

「確かに。ナンパと勘違いされてもおかしくねぇよ」

「ななな、ナンパ」


 セリスが惚けながら笑うと、カグラの顔が真っ赤に染まった。

 やはりといったところではあるが、色恋の話は不慣れなのだろう。


「リアンさんも最初は私たちを信じなかったでしょ? いきなりだったし仕方ないけど、それと同じよ」

「ははっ。ロウはいつも肝心なところを言わねぇから、基本わかり辛いんだよな」

「ど、どういうことですか?」

「なぜ、俺たちが簡単にロウを信じれるかということだ」

「それがわかれば苦労はしないわ」

「こればっかりは言葉で言っても意味ねぇよ」

「なによそれ」


 拗ねるように視線を逸らしたシンカに、リアンはお茶で乾いた喉を潤すと、夜空に輝く寂しげで、そして慈しむような月を見上げながら静かに言った。


「他人を簡単に信じない。別にかまわないさ。今お前が言ったように、俺もそうだ。会って間もないなら尚更な」

「じゃあ何が――」


 シンカの言おうとしたことを先回りするかのように、リアンの声が割って入る。


「すべてを信じたわけではない。だが――俺たちはお前たちのことを信じたからこそ、ここでこうしている」


 その言葉にシンカは鋭く息を吸い込み、目を丸くした。


「言葉でなんてどうとでも言える。例えば……そうだな。実はセリスの正体は狸だ」

「ポンッ!」


 …………

 ……


「は?」


 二人の少女がぽかんと見つめる中、セリスがお腹をポンポコと叩きながら、狸の物真似を始め出した。

 今までの張りつめたような真剣な空気はなんだったのか。

 そんな風に何がなんだかわからない様子で、シンカは間抜けな声を上げた。


「信じれないか?」

「普通に考えて信じる馬鹿はいないわよ」

「なら、その妹がセリスの正体を見て、実は狸だったと言ったら?」

「それは……信じ難いのは確かだけど信じる、かもしれないわね」

「なぜだ?」

「カグラが嘘をつくはずないもの」


 リアンとシンカの視線が交差し、彼の質問に迷うことなく即答するも、続く質問に対してはその勢いはなく、


「ロウを信じている俺たちが、ロウを信じろと言ったら?」

「…………わからないわ」

 

 とても言い辛そうに、シンカは視線を逸らしながら答えた。


「そうか。実はな、俺たちはルインと繋がりがある。これまでのことは、お前たちを油断させるための芝居だ」

「そんなはずないわ」

「俺たちを信じるのか?」

「えぇ、貴方たちはカグラのカードに導かれた。導きは嘘をつかないもの」

「どうしてそう言い切れる」

「私たちは、それを頼りに生きてきた。もし導きが真実でないのなら、私たちはなんのためにここまで……」


 今の問答の中でのシンカの答えが、リアンたちを直接的に信じているわけではないと言っているに等しいということに、彼女は気付いていなかった。


 導き、それは少女にとって大切なものだ。この時代における使命をまっとうすることこそが、彼女たちにとっての存在意義であり、その為に導きというものが必要なのだ。


 時間を遡った影響で記憶が曖昧になった子供にとって、縋れるものはいったいどれほどあっただろうか。

 見知った顔はおらず、頼れる者もおらず、あるのは母親から託された魔石とカードの二つだけ。道を示してくれる何かがなければ、とうの昔に二人は歩けなくなっていたに違いない。


 導き、確かにそれは少女たちにとって大切なものではあるのだろうが、少女たちを縛り付けてしまっているようにリアンたちは感じていた。

 本当はもっと、違う想いが込められていたに違いないというのに。


「なるほどな」

「そういうことだ」


 何かを納得するように頷くセリス。

 そんな彼にリアンも頷いて返すと、今の話についていけないといった表情を浮かべる少女たちが、眉を寄せながら問いかける。


「そういうことって、どういうことよ」

「わ、私もよくわかりません」

「セリス」


 わからないと言う二人に、リアンはセリスに説明するよう促した。

 その間に新しいお茶を入れようと、収納石を取り出す、が……


「おう。いいか? 今からリアンが説明してくれるから、よく聞くんだ――ぐはっ!」


 自信満々に答えるものの、鞘の先がセリスの額を直撃。


「わからんくせに返事をするな」

「きゅ~……」


 セリスが目をぐるぐると回しながら地面に倒れ込んだ。

 そんな彼を呆れたように見ている二人に、リアンは再び問いかける。


「もしここに巨大な隕石が降ってきたとしてだ。その導きとやらが、何かお前たちを導いてくれると……心の底から信じていられるか?」

「……巨大な隕石なんて、さすがにどうしようもないんじゃない? 私たちの運命はそれまでだったってことかしら。仮にそんなことがあったら、だけど。導きはあくまで進む為の標であって、起きた出来事をどうにかしてくれるものじゃないもの」


 シンカの内を探るように、彼女を試すように次々に投げかけられたリアンの問いかけに答え続けてきたものの、最後の問いは少し毛色……というよりも規模が違っていた。

 が、そのような問いかけにいったいなんの意味があるのか。

 そういった表情を浮かべるシンカを、リアンは黙って見据えていた。


「な、なによ」


 鋭く貫くようなリアン視線にシンカがつい後ずさる。

 するとリアンは苦笑しながら議事堂の方へ視線を送り、静かに呟いた。


「なるほど……これではロウも手こずるわけだ」

「どういう意味?」

「そんなの、ロウとのことを思い出してみたらわかるんじゃねぇか?」

「思い出せば出すほど、余計にわからないわ。……手伝うって言ったくせに。言葉と行動が矛盾してるじゃない。あんな嘘吐き……私は」

「わ、私も……お姉ちゃんとそ、その……」

「そうなのか?」


 その言葉に、二人の少女は戸惑うように顔を見合わせた。。

 しかし、そんな考えに至った少女たちを心底不思議がるような声音で、リアンはさらに言葉を重ねる。

 

「本当に、ロウの言葉は矛盾しているのか?」

「そんなの誰がどう考えたって――」

「そうか」


 言いながら、リアンは新しくお茶を入れた湯呑をゆっくりと傾けた。


「なによ」


 意味深な言葉に、シンカは納得のいかないようだ。

 だが、自分で求めたその答えに、少女は耳を疑った。


「いや、たいしたことではない。俺たちの知ってるロウとお前たちの中のロウが、あまりにも違っていただけという話だ。なにせ、俺たちの知るロウは今までにただの一度たりとも……」


 ――嘘を吐いたことがない。

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