Act.156 暗黒帝国の醜女姫

 遠き日々。

 まだ俺自身の身体も死霊に蝕まれる部分はさほど多くはなかった頃。


 ラブレス王室の側近たる魔族騎士デュラハン・レイ・サブトールと、古代魔導師 ブラック・ハーデイトお付きの元——

 当時我らのあずかり知らぬ場所で〈醜女しこめ姫〉とそしられていた姫殿下……ルクレツィア・ダークブリンガー様がお忍びの遠出に乗り出していた。


 一見、姫殿下をある方向から見る分には容姿端麗にして可憐なる身姿。

 だが見る角度を変えた時に〈醜女しこめ〉と呼ばれた要因が明らかとなる。


 腫れ上がる皮膚に赤と紫がまばらに散り、顔の半分を覆うそれが醜悪なるあだ名の原因だった。


 それは生きている上で刻まれた物ではない——先天性の病だと、お付きの導師医師から聞いた事がある。


 赤き大地ザガディアスではまず知れ渡ってはいないそれ。

 かのアーレス帝国 第二皇子が見出した先進医学的な分野で言い表すなら〈放射能汚染による遺伝性被曝症〉と、表されていたはずだ。


 彼女はそれを罵られる事を嫌い、常に顔を覆う仮面を身に付け……僅かに残る片側の陶磁器の如き頰のみを覗かせるが常。


 そんな姫殿下は一度美しき世界を見てみたいとワガママを放つものだから、お付きを従えラブレスの大地から少し足を伸ばした大地へ踏み入っていた。


 因果は……そこで邂逅したのだ。


「……君、は? どこかのお姫様? 」


「……!? 誰っ!? 」


 清らかなせせらぎと、新緑に囲まれたまばゆき泉のほとりで日光浴をしたいと申し出た姫殿下。

 警戒にとデュラハン、ブラックは彼女を残し木々の壁の向こうへ。

 程なく日光浴のため仮面を外した姫殿下。

 そこへ近付く影は、当時殺気すらない純粋なる御心ゆえ側近も接近を悟れなかったと聞く。

 そのお方こそ、偶然その地方へ遠征に赴いていた当時のアーレス帝国第一皇子――我らが主たるアスタルク卿であった。


 それがキッカケとなり——

 アスタルク卿より真実が漏れ出る事を恐れたデュラハンらは、当時まだ十になるか否かの卿を拘束しラブレス本国へと連れ帰る。


 けれども卿は、己のある心持ちが影響し……さしたる抵抗もしなかったと聞いている。


 その後本国で卿と出会った俺は、経緯を側近より聞き及ぶとそのまま監視の任に付いた。

 連行されているにもかかわらず、あまりに堂々とした様相を見た側近二人も無用な拘束を避けた故の計らいだった。


 そして時を置かず、俺が監視がてらに卿へと言葉をかけた。


「貴君は姫殿下の、仮面の下にあるお顔を見てしまったのだろう? 」


 躊躇ちゅうちょなく聞いたその言葉は、万一この男が姫殿下の素顔を醜女しこめなどとのたまえば……問答無用で双銃の弾幕で撃ち抜く——そんな覚悟を乗せていた。


 しかし帰って来た言葉は予想もしない返答だったのだ。


「あなたはこの国をよく知る方か? よければこのラブレスを案内してほしいのだが。」


 寝耳に水の様な依頼に、思考を飛ばした俺は言われるがまま卿を街へと案内していたのを覚えてる。


 それから俺は卿を案内し街を歩き、それなりの時間を費やした。

 一時間半もそれを続けた街の中央にある古びた橋の上にて。

 唐突に卿は、俺へ先の問いへの解を提示して来た。


 それも問いへ秘めた


「この国を占める民は亜人種デミヒュミアの様だが、これでは世界に蔓延はびこる害獣指定異獣と何ら変わらない。あの姫君が笑顔を失っているとしたなら、それはあなた方にも責がある。」


「……それはどう言う意味だ? 」


 語られる問いの意図が掴めず聞き返す俺へ卿はさらに続けた。

 その時向けられた言葉は、今なおこの脳髄へと刻まれている。


「ルクレツィア姫殿下、だったか。彼女が仮面の下に浮かべていたのは、絶望だ。あなた方が本当の意味での国家のいしずえとなる覚悟を持たねば、彼女が仮面で隠す素顔を超える笑顔を得る事など出来はしない。」


、彼女の心を深く傷付けている事が理解出来ないのか? 」


「我ら……が!? 」


「彼女を真におしたいすると言うならば、まずはこの国の民を変えるべきだ。異獣の巣窟など言語道断。この亜人種デミヒュミア達が大手を振って民と言える様に言葉を教え、倫理を教育し——」


「そして生を重んじる文化を育てなければ、今後彼らの存在こそが彼女の笑顔を永久に奪い去る事になる。心されよ。」


 卿は言った。

 愛しき姫殿下を傷付けているのは我らだと。

 そんな我らがラブレスの民として真の目覚めを迎えなければ、姫殿下の笑顔を永久に奪い去ると。


 そう……彼は——

 後に我らを率いしアスタルク・ダークブリンガー卿は、ルクレツィア姫殿下の素顔を目撃したはずなのに……ただの一言も口にしなかったのだ。



 語られた言葉は俺の誤った思考を貫き——

 気が付けば双眸へ雫を湛え、彼の足元へひざまずいていたのだ。



∫∫∫∫∫∫



法規隊ディフェンサー……お前達は、アスタルク卿にさえ並ぶと言うのか。くくっ——僥倖だ。」


 ほんの僅かの時。

 死霊の支配者リュードは記憶の奥底にあった、崇拝する主 黒衣の将アスタルクとの思い出にふける。

 それは暗黒大陸に居を構える国家が、まだ亜人種デミヒュミアを化け物の軍勢とし力任せに世界へ打って出んとしていた頃の出来事。


 彼の思考通り……帝国の運命が大きく動いた時の記憶である。


「あの時から卿は……街を闊歩する亜人種デミヒュミアらから言葉を僅かに理解出来るオーガを、よく動く働き者のコボルドを——さらには文化伝達を容易とする基盤として妖術を熟すゴブリンシャーマンを探し出した。」


「それらを徹底的に教育する姿に打たれた俺は、即座にそれを支援し……すでに支配下であったバファル武器商人の力も借り——帝国へ亜人種デミヒュミア主導展開を目的とした商店開発にも取り組んだ。」


 死霊の支配者に蘇る記憶。

 害獣指定異獣然とした亜人種デミヒュミア跋扈ばっこする国家が、時を追うごとに文化の花を咲かせていった暗黒からの脱却時代。


 確かにそれ以前までは得体の知れぬ未開の大地と恐れられたそこに、


 眼前の乱戦最中を、砂塵巻き上げ迫り来る法規隊ディフェンサーを見やり……眼帯へ手を添え独りごちる死霊の支配者。

 己の身体が如何にして、思わず零していた。


「だが……そもそも妖魔と呼ばれた彼らに、文化を伝える事は脳医学的な見地からしても容易ではない。だからこそ俺は、そのキッカケを得るため死霊術式でも禁呪と呼べる物へと手を出した。」


「元来この術式は武力に転換する様なものではない——死者の魂から過去の英知を学び取る、言わば先達の技術継承を目的に生み出された上位古代魔導秘術の一端だからだ。」


 今も術式展開による肉体浸蝕が進むそれ。

 しかし彼が運命の転機を迎えた頃は、その肉体も健全に近しかった。


「それでも俺は、卿の言葉を実現するべくこの身を死霊へと捧げた。例えこの身体が朽ち果てようと、亜人種デミヒュミア達へ生命種としての文化が根付くならば安いものと。」


 そこまで語る死霊の支配者へ歩み寄る巨大な影。

 彼が零す独り言を聞いていた側近たるオーガ兵である。


 オーガ兵は耳にしてしまった言葉へ、感銘を受けたとばかりに膝を折り声を上げた。

 亜人種デミヒュミア達の思いを代表する様に。


「このオーガ族首長たるロード・ベンディッタ……そのアンドラスト卿のお言葉へ、皆を代表して返させて頂きます。あなた様は決して死してはならないお方だ。卿がおらねば我らはただの世界を汚す愚物同然——」


「そんな我らへその身を削り、授けて下さったのはアンドラスト卿……あなた様です。我らにとってあなた様はアスタルク卿や姫殿下同等の、己の命を懸けるに値する君主にございます。」


 数メトもあろうオーガ兵が、ひと種へ抱く想いのまま深くこうべを垂れかしこまる。

 今の赤き大地ザガディアスでそれを見た生命種の多くは、それこそ異様その物と取るだろう。


 だが——

 すでにそれを目の当たりに出来る場所に迫る法規隊ディフェンサー……桃色髪の賢者ミシャリアは全く別の思考を宿す。


 双眸に映るは、紛う事なく


「お待たせしたね、リュード・アンドラスト! さあ、君の誇る素晴らしきつわもの達を越えてここまで来たんだ! ちゃんと相手をしてくれるのだろうね!? 」


 賢者少女の咆哮へ、死霊の支配者も咆哮を上げる様に返す。

 己の配下たるラブレスの民への、最大の敬意を込めた賢者少女の配慮へ向けて。


「僥倖だ、法規隊ディフェンサー! その中心たる賢者ミシャリア! 相手に取って不足なし——」


「ここからは我らの明日を懸けた戦いぞ! 見事それを叩き伏せて見せろっ!! 」


 死霊の支配者の声は、ひざまずいていた真摯なオーガへの合図となり……立ち上がるそれが巨大なるハルバードを振り翳すや暴風すら巻き起こす。



 王国領海外の孤島の戦いは第二ラウンドにして最終決戦。

 鋼鉄の死竜に、オーガ・ロード兵……そして死霊の支配者と法規隊ディフェンサーとの死闘が開始される――

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