第5話 新世界

 その年のオフ、硬式野球の国別世界戦であるWBT、ワールドベースボールトロフィーの開催される翌年3月を見据え、代表選手が発表された。

 藤堂と高村はその選抜選手となり、高校時代以来同じチームでプレーすることとなった

二人は、同じチームでプレーすることをとても楽しみにしていた。と同時に、武士道ジャパンの一員として世界一を目標に共に戦うというモチベーションを高めていた。年内は日本の十二球団から選抜された各選手同士の意思疎通を密にするために時間が割かれ、日本のプロ球団との強化試合三試合をこなし、いずれも勝利を収めていた。


年が明けた二〇〇〇年、二十一世紀まであと一年となり、いよいよWBT開催年となった。この時期になると、各国の代表との強化試合が組まれ、四試合負けなしであった。藤堂はこの強化試合に於いて通算17打数6安打、一本のツーベースヒットと、仕上がりは上々だった。一方、高村も二試合にクローザーとして登板し、いずれも零封とこちらも好調を維持していた。武士道ジャパンの監督、大崎は順調すぎる内容と試合結果に得も知れぬ一抹の不安を感じていた。


 三月中旬、WBTの第一ラウンドが開幕した。WBTの試合形式は十六チームを四つに分け総当たりリーグ戦を行い、上位二チーム計八チームがアメリカで行われる第二ラウンドに駒を進めることが出来る。勝ち抜いた八チームを四チームに分け再び総当たりのリーグ戦を行い、上位2チーム、計四チームがトーナメント方式で優勝を争うとなっていた。

武士道ジャパン属するグループAの対戦国は、


韓国

チャイニーズタイペイ

オーストラリア

 と、かなりの強豪国が同組となった。


第一戦 対オーストラリア 

後楽園ドーム

 

オーストラリアはグループAでも比較的組みやすい相手ではあるが、油断は許されないチームである。

一回裏、いきなり好調な三番藤堂のソロホームランで先制する。四回裏、打線が繋がりタイムリーなどで三点追加。スコア0―4。六回、球数制限でこれまで零封の左腕、東鉄エレファンズの望月が降板。七回から北部アーツの牧野がマウンドに上がる。七回裏、フォアボールとエラー絡みの得点で2点追加。スコア0―6。

最終回、高村が登板。調整の意味があったがオーストラリアも意地を見せて五番シュツワートにまさかの被弾。その後は抑え、スコア一―六で武士道ジャパンは危なげない勝利を収めた。

もう一方のカードである韓国対チャイニーズタイペイは接戦となり4―3で韓国が辛勝した。


第二戦 対チャイニーズタイペイ

後楽園ドーム


 チャイニーズタイペイは地味なイメージだが、選手は粒ぞろいで侮れない相手。対韓国戦でも一点差のゲームだっただけに気は緩められない。

 一回表、武士道ジャパンの攻撃。先発右腕陳の前に沈黙。キレのある直球とスライダーが威力を発揮。武士道ジャパンの先発は鎌倉シーガルズの若手、伊丹。軟投派の真骨頂、的を作らせない投球で相手を翻弄。球数制限まで零封した。片や打線は、陳の前に快音が聞こえない状況。投球制限で陳がマウンドを降りると、二番手劉にスイッチした途端に武士道ジャパン打線が襲い掛かり、七回表に一挙五点の猛攻。負けじとタイペイも中継ぎの熊本モッコスの横田を捕まえ、二点を返す。しかし大勢は変わらず、スコアは5―2。武士道ジャパン二勝で、グループAの2位以内を確定、第二ラウンド進出を確実にした。あとは韓国戦で順位争いとなる。

 

 第三戦 対韓国

 後楽園ドーム

 

 グループAの宿敵、韓国は武士道ジャパンと同じく二戦全勝で第2ラウンド進出を決めている。事実上、順位決定戦となったとはいえ、今後の組み合わせで有利に進めるには負けられないところである。

 先攻の武士道ジャパンは韓国先発の金攻略にてこずるが、五回表、ファーボールを足掛かりに中軸が三連打しスコア3―0。一方、武士道ジャパンの先発、所沢オールフォレストの草間が韓国打線を零封し、七回で降板した。二番手名古屋オールドキャッスルの山本がマウンドに上がる。

 勝利目前の九回裏、勝ちを意識した山本は三連続フォアボールでノーアウト満塁のピンチ。一発出れば逆転サヨナラの場面。

 急遽、高村がマウンドに上がる。キャッチャーも恋女房の倉井にスイッチ。火消し役としては荷が重い場面となった。

 投球練習を終えると、倉井がマウンドに駆け寄り声を掛ける。

 「いいか、高村。いい機会と思って勉強させてもらえ。普段通りでええ」

 帽子を被り直して、俯きながら頷く。マウンドを均しながらロジンに手をやる。

 韓国の一番、朴を迎える。さすがに緊張してか、高村はプレートを外し、もう一度ロジンに手をやりふぅと深呼吸する。二、三回ジャンプしてスパイクの土を落とした。再度プレートに左足をセットし、倉井のサインを伺う。

 第一球、外角低めストレートの要求。頷いた高村は、セットポジションからミットを目掛けて渾身の一球。力んでしまったか、大きく外れてボール。カウント1―0。グローブでとんとん、と頭を叩いた。ロジンに手をやり、ホームに背を向け、声を掛ける。

 第二球、内角へのカーブの要求。サインに頷くと、投球モーションに入る。外角から打者の懐へ、いいコースに決まりストライク。カウント1―1。

 とりあえず、ストライクを取り一安心したが、油断はできない。朴は二球とも、反応して来ない。

 ロジンに手をやり、第三球、倉井の要求は内角低めのストレート。高村は頷いて、セットポジションから投げ下ろす。投球は、コースが甘めに入ってしまった。

 朴はこの等級を見逃さず強振。打球は右中間に向かってぐんぐん伸びている。

 センターとライトが必死に打球を追い掛けるが、無情にも白球は二人の間を割って右中間を引き裂く。

 韓国チームのランナーたちは、歓喜の声を上げながら、ぐるぐるダイヤモンドを回っている。結果、走者一掃のスリーベースヒットとなり、スコア3―3の同点。更に無死三塁でランナーが生還するとサヨナラの場面。

韓国ベンチは、蜂の巣を叩いたかの様に大騒ぎになっている。高村はカバーについたバックネット裏からとぼとぼとマウンドに向かっていた。

 倉井が再び高村の下へ駆け寄る。

「まだ同点や。一こずつやで。」

 高村はこくりと頷く。

迎える韓国の打者は二番の鄭。チームの中でも小柄ではあるが三振の取りづらい、所謂「いやらしい」タイプの選手だ。

高村は動揺が隠しきれず、頭の中は真っ白になっていた。無意識の反応でロジンに手をやる。

 鄭に対する第一球、外角低めストレートの要求。サインに頷いてセットポジションから投球動作に入る。右脚を上げ、左腕を振り抜いた瞬間、鄭がすっとバットを持ち替え、バントの構えに変化した。それを見た高村の脳裏に、「あの時」の事がフラッシュバックされた。と同時に、倉井が飛びついても取れない高さの暴投になってしまった。三塁ランナーは悠々ホームを陥れ、サヨナラゲーム。高村はマウンドに蹲り頭を抱えた。この期に及んで「最悪の癖」が疼きだした。


 武士道ジャパンはグループAの二位で第二ラウンドへ進む事となった。武士道ジャパンは初黒星を喫してしまい、監督の大崎の序盤の好調ぶりに覚えた一抹の不安を抱えて渡米する結果となった。



第一ラウンドの結果は次の通りとなった。

グループA

韓国 日本


グループB

オランダ イタリア


グループC

アメリカ メキシコ


グループD

キューバ プエルトリコ


 第二ラウンドでの武士道ジャパンの初戦はグループCの一位、アメリカとの対戦と決まった。


 先回の韓国戦の後、高村はロッカールームで頭を垂れながら愕然としていた。自分のせいで敗戦したことを悔いていた。「あの時」の場面が脳裏から離れない。そんな折、高村にと或る訪問者が現れた。

 「おい、高村。お客さんだぞ」

と、声を掛けられて入口に目をやると、車椅子を押す中年女性とその車椅子に乗った青年がこちらへ近づいてくる。親子らしい事が察しられた。

 「初めまして、中島と言います」

 車椅子を押している女性が挨拶する。車椅子に乗せられている青年の鼻にはチューブの管が痛々しく挿入されており、傍らには点滴でよく見られる液体の薬品がぶら下がっている。

 「どうも、高村です」

 と返答するも誰だか認識できない。

 「私たち、覚えていませんか?この子も野球やっていたのですよ」

 言われた瞬間、高村ははっとして思い出した。

 「あっ、失礼しました。京浜高校の・・」

 「そうです。あの高校時代、決勝戦でデッドボールを受けた中島の母です」

 「ご無沙汰致しております。その節は息子さんに取り返しのつかない事をしてしまいまして、何と言ったらいいか・・・」

 「息子はあの時の後遺症が酷くて、今はこうして車椅子で自由に動けるようになりましたが、一年くらい寝たきりでした。それでも野球が好きみたいで、病室でも欠かさず野球を観戦しています。特にあなたの登板の時は食い入るように観ています。それは恨みとかではなく息子なりに応援しているんだと思いますが、私はあなたのことを憎んでいないと言ったら嘘になります。あんな事さえなければ普通に生活できたと思うと、時折涙がでます。今更そんなことを思っても、仕方がありませんが・・・。ひとつあなたに約束して欲しい事を告げるため参りました」

 「何でしょうか」

 「この大会で優勝して、息子にウイニングボールを手渡しして欲しいのです。それがこの子にとって最高の宝物になるような気がするんです」

 高村は一瞬固唾を呑んだ。

 「わかりました。約束は必ず守ります。ウイニングボール、取ってきます」

 「お願いします。息子も救われます」

 「救われるのは僕の方です。野球を続けていて、息子さんの事がずっと心の隅に引っかかっていました。こうして訪問して頂いて、胸のつかえがようやく取れた気がします。今まで誰かの為に何かする事なんて正直ありませんでした。今日は情けない内容でしたが中島君、そしてお母様の為に必ず優勝します。言葉は悪いですが、自分のできる最大の罪滅ぼしかも知れません」

 「宜しくお願いします」

中島の母親は静かに一礼して、ロッカールームを後にした。高村は彼らが出て行くまで頭を下げて見送った。


 一週間後、武士道ジャパンの選手たちは、決戦の地であるサンフランシスコへと移動した。準々決勝の相手は、地元アメリカ。メジャーリーガーが多数いる強豪で、しかも地元という事もあり、地の利も味方に付けた完全アウェー戦となった。


 

準々決勝 対アメリカ

 A&Aパーク 


 先攻の武士道ジャパンは、ランナーを出すものの決定打が出ず、五回まで無得点に終わっていた。一方、アメリカも同様に三番のリードのソロホームランによる一点のみに留まり、五回を終えてスコア0―1。

 六回表、下位から始まる武士道ジャパンは疲れの見えるアメリカのスコットを攻め、フォアボール絡みで一死二、三塁のチャンス。上位に回り二番、静岡ブルーマウンテンの小宮が渋太く二塁後方へのテキサスヒット。二人のランナーが生還し、逆転に成功。スコア2―1。その後、アメリカもランナーを出すもののタイムリーが出ず、ゼロ行進。

 九回表、三番藤堂に待望のアーチが飛び出し、スコア3―1。その裏高村がヒットを浴びるも、しっかり押さえて勝利。準決勝へと駒を進めた。

 この試合での高村の投球には迷いがなく、第一ラウンドでの姿とは別人の様だった。それを察知してか、藤堂は一発も出た事もあり高村の出来をマスコミに求められると、高村を珍しく素直に評価した。


 二日後、準決勝を迎えた。対戦相手はイタリアを破ったキューバ。総じて運動能力が高く、どこからも得点が取れる打線に加えて、最高速160KM/h台をマークするチュッパマンを筆頭に中継ぎ陣、ストッパーも充実している今大会の優勝候補のチームである。武士道ジャパンにとっては、最大の難敵である。



準決勝 対キューバ

  A&Aパーク 


 先攻はキューバ。武士道ジャパンの先発、長崎クリスチャンズの天草が攻められ、三回までで三失点と苦しい展開に二番手の祇園レジェンズ浅田に早めのスイッチ。何とか七回まで一失点で抑える。スコア4―0。

 一方、追いかける形になった武士道ジャパンの攻撃は、先発チュッパマンの前に沈黙。フォアボールからの一得点のみに留まり、七回終了時でスコア4―1。

 八回裏、苦しい展開となった武士道ジャパン。しかし、投球制限でマウンドを降りたチュッパマンからゴメスへスイッチすると攻撃陣が息を吹き返し、怒涛の六連打で4―6と逆転に成功。最終回は高村が締め、逆転勝ちを収めた。

 劇的な逆転勝利を収めた武士道ジャパンはついに優勝まであと一勝となった。高村の頭の中は、『世界一』よりも中島親子と交わした『約束』を果たす事で飽和していた。またその『約束』を果たすべく、決勝戦の舞台であるA&Aフィールドに中島親子を招待していた。その瞬間を目の前で焼き付けてもらう事くらいしか償いはできないと高村は考えていた。

 

 決勝戦は因縁の宿敵、韓国と決まった。高村にとっては第一ラウンドの借りを返すべき相手となった。


 その前夜、同部屋になった藤堂とこれまでの道程についてあれこれと話し、笑い話に花を咲かせたが、野球の話題は殆ど無く、ひとしきり笑い話が終わったところで就寝した。

時計の短針は十一を指していた。



 「おーっとデットボールです!何という幕切れでしょうか!京浜高校サヨナラゲームで甲子園の切符を掴みました。しかし大丈夫でしょうか。投球は頭部直撃でしたからねぇ、柴木さん」

 「そうですねぇ、ボールが打者の足元に落ちましたから。ボールが遠くにはじけた場合は心配無いのですが・・・」

 打者はその場に横たわり微動だにしない。


 「うわぁぁ」

と高村光太郎はうなされて飛び起きた。

 「またあの夢か」

とチームメイトの藤堂武春が問いかける。高村はこくりと首を少し下に動かした。時計は四の文字で重なろうとしている。辺りは薄っすら明るい。

 「ちょっと汗流してきます」

と高村はタオルを左手に持ち部屋を出ようとした。

 「もうあの時の自分とは違うことを実証してみせます」

 「そうか、俺もひと汗かくかな」

と藤堂も漆黒の木製バットを持ちながら、高村と一緒にホテルの庭に向かった。

 ワールドベースボールトロフィー決勝戦、対韓国戦が丁度十二時間後に迫っていた。サンフランシスコの夜の帳が開き始めた。


決勝 対韓国

  A&Aパーク


 二〇〇〇年三月二十二日の午後六時、WBT決勝戦の試合の幕が下ろされた。観衆は約五万人、立ち見が出る混雑ぶりである。日本はもとより、韓国を応援する人に加え地元のアメリカや中南米の人も見られる。その中に高村が招待した中島親子も三塁側のスタンドで静かに見守っている。

 先攻は武士道ジャパン、後攻は韓国となり第一ラウンドと同じ格好となった。ベースボールの頂きを決する試合が幕を下ろす。


 韓国の先発は、第一ラウンドで好投した金を起用。一回表、武士道ジャパンは金の前に三者凡退。その裏、武士道ジャパンの先発、東京ラークの伊東も無難の立ち上がりで零に抑える。スコア0―0。

 二回表、四番所沢オールドフォレストの森田がレフト前ヒットで出塁するも、併殺打などで得点ならず。その裏伊東は、韓国の四番林に四球を与えると、五番黄に一、二塁間深めの二ゴロで一死二塁。後続を抑え残塁。スコア0―0。

 三回表、武士道ジャパンの攻撃。八番京阪トレインズの田端がしぶとくライト前ヒットで出塁。すかさず盗塁を決め、その後二死二塁。一番に返って安芸ファイヤーズの町田。深めのショートゴロで、渾身の一塁ヘッドスライディング。内野安打となり、その間の好走塁で先制。スコア1―0。

 三回裏韓国の攻撃。下位打線が伊東の前に沈黙。リードを堅守する。

 更に四回表、武士道ジャパン上位からの攻撃。三番の藤堂が金の甘いカーブを捉え、ライトへ値千金の一発。スコア2―0。武士道ジャパンに押せ押せムードが漂う。韓国は早い投手交代で、二番手劉にスイッチ。その裏、韓国の朴がお返しの一発を見舞い、スコア2―1。

 五回以降、両者一点ずつを加えしスコア3―2として九回を迎えた。

 九回表、武士道ジャパンは得点圏にランナーを進めるも一本が出ず、嫌な流れのまま韓国の攻撃に移った。武士道ジャパンはクローザーに高村を送った。

 高村は中島親子との約束を果たすべく、一種鬼の形相を呈してマウンドに立っている。例のごとくピッチャーマウンド、プレート周りを自分好みに均して投球練習を行う。それを受ける倉井が一球ずつ頷きながら、投球を受ける。

 ロジンを手に取った後、帽子を取りぶつぶつと念仏を唱えている。帽子のツバには「全力」の二文字。何かを自分に言い聞かせているのだろうか。

 対する打者は九番のチェ。得意のカーブを引っ掛けさせサードゴロ。打順は上位に返って一番の李。初球のカウント球を右中間に運ばれ三塁打で一死三塁。マウンド上の高村の顔色は変わっておらず、冷静な様子だ。ここで迎えるは因縁の鄭。奇しくも第一ラウンドに似たシチュエーションとなった。

 高村は自分の投球で敗戦した前回の事を勿論忘れてはいなかった。しかし動揺した様子は全く見られない。

 鄭に対する第一球。倉井のサインに頷く。引っかかったのか、インコースに外れるストレート。カウント1―0。ロジンに手をやり心を整える。

 第二球、インコースへのカーブの要求。セットポジションからいい落差でストライク。鄭は腰を引いて見逃し。カウント1―1。

 第三球、倉井は鄭がインコースを嫌がっていると踏んで、徹底的に攻める選択をした。倉井はもう一球インコースのストレートを要求する。高村は頷いて150KM/hの渾身のストレートを投げ込む。始動した鄭のバットが高村の投球を捉えた。

 倉井ははっとして打球の行方を追う。大きな弧を描いた打球はレフトポールを目掛けて飛んでいく。打球はポールの左側をかすめ、すうっと観客席へと吸い込まれていった。三塁線審が両腕を広げ上げた。判定はファール。倉井は立ち上がってマスクを取り、大きな息を吐く。高村もさすがに帽子を被り直して、呼吸を整える。カウント1―2。

 倉井は攻め方を余儀なく変えざるを得なくなった。俯いて鄭の足元を見ながら配球を考えるが、時間を少し長く取った。

 第四球、倉井は様子見で外角のストレートを要求した。高村も倉井の意図を組んで、中速度のボール球を投げ込んだ。鄭も反応しない。カウント2―2。

 第五球、ロジンに手をやる高村。ふぅと一呼吸する。倉井は高村にシグナルを出す。が、高村は一度二度、三度と首を振る。倉井はなるほどと思いながら四度目で高村の同意を得た。キャッチャーミットをポーンと叩くと、高村はセットポジションに入る。右脚を上げて投げ込む。外角に投じられた白球は、ホームベースギリギリのコースを辿った。シンカーだ。鄭が投球に反応する。投球はホームベース手前で左に弧を描きながら沈む。鄭はハーフスイングでバットを止め、見逃した。

 「ボール」

時間を置いて主審のコール。高村は非常に際どい一球だっただけに、両手を膝に置いてしゃがんだ。カウント3―2。倉井がタイムをかけマウンド上の高村に駆け寄る。

 「歩かせるか?」

 「いえ、勝負でお願いします」

 「一応、意思確認だ。投げ急ぐなよ」

 ミットで高村の頭を叩いた。倉井のタイムの間、鄭は三塁コーチに駆け寄り何やら話している。

 第六球、倉井は半分ボールでもいい公算で外角のストレートを要求した。高村も頷いてセットポジションから右脚を上げて投球する瞬間、鄭はスッとバントの構えに変化し、三塁ランナーもスタートを切っていた。韓国はフルカウントからスクイズという奇策を仕掛けてきた。高村の脳裏には「あの場面」が過ぎったが、今は無心にボールを外す事しか無かった。

 「よし」

と呟いて投じた一球は外角に大きく外れるウエストボールとなった。鄭はバントする事が出来ず、三振でツーアウト。さらに三塁ランナーを三本間での挟殺プレーとなった。投球を捕球した倉井がランナーを三塁方向へ追い詰めた後、三塁手に送球。ボールを受け取った三塁手が本塁方向へ追いつめる。カバーに入った高村へ送球。

 高村は全力でランナーを追いかけ、ダイビングでランナーの背後をタッチアウト。スリーアウトで試合終了。意外な幕切れとなり、武士道ジャパンは優勝の栄冠に輝いた。高村は天に左腕を突き上げた。その手にはウイニングボールが握られていた。

 ベンチにいた選手たちが三塁側から大歓声の中、諸手を挙げてマウンドへ駆け寄る。守備についていた選手たちもマウンドに群がる輪に加わる。

 これまで指揮を執っていた大崎監督が、少し遅れて小走りにマウンドに到着すると同時にさっと体を持ち上げられ、優勝の胴上げが始まった。一回、二回と満天の星空の下その体は宙に舞った。胴上げ投手となった高村も皆に抱えられた。一回、二回と宙に舞うと天にも昇る心地だった。余韻に浸っていると、胴上げ三回目で皆が胴上げを止め、高村は地面に落とされてしまった。

 「痛ってぇ、そりゃないでしょ」

 大声で訴える高村を尻目に選手達はげらげら笑っている。

 「次の優勝までお預けだな」

 藤堂が半笑いで慰める。お尻を擦りながら高村は頷いた。選ばれし者達の至極の瞬間は歓喜の大きさと反比例するように儚く消えていく。

 表彰式に移ると、WBT優勝トロフィーが授与され、大崎監督を中心に、選手たちは満面の笑みで高々とトロフィーを掲げる。今までの苦労が報われる瞬間である。

 その後、チャンピオンフラッグを先頭に、フェンス伝いにパレードをする。選手たちは帽子を取り、左右に振りながら声援に答えゆっくりとグラウンド沿いを一周した。


 試合の余韻が残る中、大崎監督の優勝インタビューが始まった。

「放送席、放送席、見事WBTを優勝に導いた大崎監督です。改めて世界一、おめでとうございます。今の気分は如何ですか?」

 「そうですね、まだ実感が湧きませんが、どの試合も相手投手の出来がよく、攻略にてこずった感はありますが、なんとか少ないチャンスで打ち、そして守った結果だと思います。選手たちはよくやってくれました」

 「宿敵、韓国との決勝となりましたがどういう思いで臨まれましたか?」

 「ええ、第一ラウンドで借りを作ったのでいい形で返せてよかったです。その気持ちは高村も持っていたのではないでしょうか。最後はあまり見られない様な終わり方でしたので、ずっと記憶に残るでしょうね」

 「最後に会場のファンや日本で観ている皆さんに向けて一言お願いします」

 「第一ラウンドから決勝まで楽な試合は一つもありませんでした。しかし選手たちは我慢強く、最後まで戦い抜いてくれました。褒めてやってください。そして武士道ジャパンファンの皆さん、おめでとうございます!」

 大崎監督は、最後に両手を挙げて声援に答えた。

 次のインタビューに高村が指名された。恥ずかしそうに、頭を搔きながらお立ち台に登る。

 「さあ、胴上げ投手の高村投手です。おめでとうございます!」

 「あ、ありがとうございます」

 「どうですか、世界の舞台で優勝した気分は?」

 「最高っす」

 「最後のスクイズをウエストしたプレーについてですが、スクイズは頭の中にありましたか?」

 「全く無かったですね。何か必死になっていたせいか、無意識で反応しました。第一ラウンドでも同じような場面で高校時代のトラウマが過って失敗していますし、それを払拭させてくれた人に恩返し、しようと・・・それだけでした」

 高村は涙がこみ上げるのをぐっと堪えた。「最後になりますが、今のお気持ちは?」

 「ほんとに野球をやっていて良かったと初めて思いました。自分がここまで来られたのは、全くの素人を野球に誘っていただいた高校の恩師である上村監督やチームの皆んな、頼れる藤堂先輩。プロに入ってからお世話して頂いた安芸ファイヤーズの皆さん、そしてキャッチャーの倉井さん、山井監督。本当にありがとうございました。また、陰で支えて頂いた皆さんに感謝で一杯です。次回もメンバーに選出される様、一から頑張ります。ありがとうございました」

 深々と一礼して壇上を降りた。


 三塁ベンチ前に眼をやると、車椅子の中島親子が高村を待っていた。高村は駆け足で近寄った。

 「約束のウイニングボールですよ、中島先輩」

 A&Aフィールドの土が付いている大会球を左後ろポケットから抜き出し、中島の右手を取り手渡した。しかし、そのボールは中島の掌からするりと零れ落ちた。高村は慌ててボールを拾い上げた。

 「全身麻痺で、力が入らないのです。幸い自分が見ていることは理解出来る様で、最後の場面も喜んでいましたよ」

と、中島の母親は鼻声でそう告げた。

 「先輩、許して下さい。お、おれはこんな形でしかお返しできません。でもこれから、これからは先輩を笑顔にするために、野球を続けます。だから、だから観ていて・・・」

 高村は泣きじゃくりながら、中島の両腕を取り、膝の上で手を重ねてウイニングボールを二人で握りしめた。中島の微笑みと頬を伝う滴を三日月が照らしていた。

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百八つの赤い縫い目 最近は痛風気味 @Kdsird1730

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