第4話 燻る才能
あの決勝戦から二年が経過した。当時三年だった藤堂は、その年のドラフトで阪京トレインズに3位指名で入団した。しかしプロの世界は想像以上に厳しく、入団一年目はファームで過ごすことになった。高村に至ってはあの試合のショックで高校二、三年と振るわず、甲子園出場を果たせずにいた。
十月、ドラフト会議の時期となった。高村はそんなの関係ないと思い、家で横になりながらその様子をテレビで見ていた。
四順目に差し掛かった時
「安芸ファイヤーズ、高村光太郎、投手、明慶大付属湘南高校」
「はぁ?」
高村は呆気に取られた。 数分も経たないうちに電話が鳴った。
「先輩、森です。おめでとうございます。頑張って下さい」
「おう」
と返答すると、次々電話が鳴り続けた。
「何で電話が鳴るんだ?」
当の本人も状況が呑み込めず、小首を傾げていた。
夕食を摂る午後七時前、またまた電話が鳴った。藤堂からだった。
「よかったな、おめでとう」
「何で色々な人たちがお祝いの電話を寄こすのでしょう?」
「そりゃお前、プロ野球で指名を受けたからだろ」
「だって俺活躍してないっすよ、高校生活半分は」
「見ている人がいるって事だろ。本当に御目出度いやつだな、お前は」
「俺、プロになるんすか」
「そうだよ。まぁ俺とリーグが違うけどな。交流戦か日本シリーズでしか俺とは対戦がないから勝負できる日が来るといいがな」
「勘弁してくださいよ」
「じゃ、また」
「ありがとうございました」
電話が終わった後、やっと実感が湧いてきたのか、ガッツポーズが自然と出て雄叫びを上げた。
年が明けた二月、各球団がキャンプインする。高村は藤堂と違うリーグながらも一年目のプロのキャンプインだ。さすがに戸惑う高村であったが、すぐにチームの雰囲気に馴染んでいった。背番号は65。流石に高卒ルーキーはその数字が大きい。
高村を四位指名した安芸ファイヤーズは、スモールベースボールを信条としたチームである。走攻守のバランスも取れているが、如何せんいい選手が育つとFAなどを行使してチームから去っていく体質も孕んでいる。裏を返すとその育成力のあるコーチが居るということになる。その面では高村にとってはラッキーと言えるだろう。
高村の指導役として五年目の松田が就くことになった。松田は先発ローテーションに加わるチームをけん引する選手の一人である。
松田は高村にこう告げた。
「プロになったからには、どんな選手であろうと一回リセットされるんだ」
「リセットって何ですか?」
「新人たちはそれなりの結果を残してここにいる訳だが、そんな過去の話はここでは通用しない。だから自身の栄光は消し去らせてもらう、っということだな」
「はぁ、じゃあ俺は関係ないっすね」
「お前の場合は単細胞だから体で覚えてもらう」
「ひぇー」
「まぁ覚悟してもらうさ」
「了解でーす」
とあっさり答えてしまう高村だったが、基礎トレーニングが続く毎日は苦痛の何ものでもなかった。
三月、開幕が近づくと一軍入りの選手が発表される。高村は開幕一軍とはならずファームでその日を迎えた。
一方、プロ三年目の藤堂は阪京トレインズのセンターとして開幕を迎えていた。体つきは高校時代とは見違える程となっていた。
四月、ペナントレース開幕。阪京トレインズは好調な滑り出しを見せ、開幕三連勝を飾っていた。一方、高村のいる安芸ファイヤーズは一勝二敗として今一つのスタートとなった。
藤堂は六番に起用され、開幕から三試合でヒットを二本放ってそのうちタイムリーが一本、打点を稼いだ。その後着々と打率を上げ、このまま行けば三割までもう少しとなっていた。
六月、蒸し暑い季節を迎え、選手たちも少し疲労が見えて来る時期でもある。藤堂は、着々と成績を残し二割八分の打率を残しており、ホームランも計九本放っていた。
一方、高村はファームでの地獄の特訓が実を結び始め、身体もそれなりになっていた。
そんな折、安芸ファイヤーズは成績も奮わず、得点は挙げるもののチーム防御率がリーグ五位と投手の屋台骨がぐらついていた。追い打ちをかけるように、中継ぎの左腕の笹井が肩に違和感を覚えて二軍降格。高村はその補填として一軍召集となった。チャンスが回ってきた。
その二日後、対アイヌベアーズ。根室ドーム。高村は3―2のリードしている状況で、六回裏一死一塁からの初登板を迎えた。
新人ながら初登板の気負いは無く、逆に気合いを入れてマウンドに上がる。対するは、五番ガーリック。左打者の渋太い助っ人外人と対峙する。
「おい、いきなり外人かよ」
ぼそっと呟きながらプレートを右足でなぞる。セットポジションから第一球。
プロ初の投球は外角へのストレート。ちょっと甘めに入った148Km/h。さすがは助っ人、初球から振ってくる。一塁側スタンドに入るファール。
「振り遅れてるな」
ベテラン捕手、倉井の脳裏に浮かんだ。倉井は直球押しを選択した。第二球、内角へのストレート146Km/h。コースが外れ1―1。第三球、カーブを選択。相手が裏をかいたヒットエンドランを仕掛けて来た。甘く入りライトに技ありの打球。一、二塁間を抜けるヒット。一死一・三塁と傷口を拡げる結果となった。
「そんなに甘かーねえよな」
と、呟く高村。
現在の高村の持ち球は、140Km/h台のストレートと緩いカーブ、キャンプで習得したスライダーと三種類。プロでやっていくには少ない方である。しかし、ストレートはキレがあり、少し強引だが適当に荒れるところが最大の長所で、打者に的を絞らせない。
続く六番は右打席に坂下。比較的小柄だが左右に打ち分けるスプレーヒッターだ。
倉井は引っ掛けさせてダブルプレーを狙う配球を組み立てる。
第一球、外角ストレート、145Km/h。見逃してストライク。二球目、内角ストレート145Km/h。高めに外れて1―1。三球目、内角へカーブ128Km/h。予定通り御誂えのショートゴロ。ゲッツーで攻撃終了。高村のデビューはほろ苦い平凡なものとなった。
ベンチに戻る際、キャッチャーの倉井が高村に駆け寄り、
「お前、やればできるやんけ。この結果で終われば合格やで。次も気張りや」
「あ、ありがとうございます」
高村は困惑してどんな内容だったか頭が真っ白になって記憶に刻まれない様な心地でいた。
次の七回裏、再びマウンドを託された高村は前の回よりも落ち着いていた。というよりも視野が開けた感覚を覚えた。
「何とかなるかな」
ピッチャープレートの土を右足で慣らしながら呟いた。
アイヌベアーズの攻撃は七番の銚子が右打席に入る。
高村の初球。倉井のサインに頷き、放ったボールはカーブ。124Km/h。思わずあっと声を上げる。高めにボールが浮いた。
次の瞬間、強振した銚子のバットから快音が響く。打球を見上げる高村。白球はレフトスタンドに消えて行った。マウンド上で頭を下げて帽子を取る高村。倉井はキャッチャーマスクを右手に取り、レフトスタンドへ目をやる。
倉井が銚子のホームインを見届けると、マウンドへ駆け寄って行った。3-3の同点。
三塁側ベンチから菅井投手コーチが慌ててマウンドに小走りする。と同時に、山野監督が三塁ベンチを飛び出し球審に次の投手を告げる。傷口を最小限度に抑えるためだ。敢え無く高村は交代となった。高村はマウンドから三塁ベンチに向かって、少し俯きながら小走りで戻る。ベンチの控え選手たちが、高村を労ってか頭やら背中やらを叩いて手厚い出迎えをする。
「ふー」
ベンチに腰を下ろしてタオルを肩に掛けると菅井コーチが高村に話し掛けた。
「お前、油断しただろ。プロは甘いボールであれば打順や背丈に関係なく一発は打てるんや。160Km/hを超える球でも球種が分っていれば打つことが出来る。それを肝に命じとけ」
拳が高村の胸にトンと刺さった。
試合は高村の被弾の後、打線が挽回し4―3となり勝利した。高村には勝ち負けつかずとなった。
ロッカールームでキャッチャーの倉井が高村に言った。
「まぁ、あの程度ならまだええ方やで。負けが付かんかっただけラッキーやと思わんとな」
はい、と座って項垂れながら帽子を取る。
倉井の言うとおり、プロの世界は厳しい。そう結果が出るものではないと共に、高村には覚悟が足りなかった。プロとは結果が出て評価されるもので、普通の会社員でも同様だ。特にスポーツの世界は全国、いまや各国にマスメディアを通してそのプレーが見る事が可能のため、批判や中傷されるのは周知の事実だ。一流になればなるほどそのプレッシャーは計り知れない。
苦々しいデビューとなった高村は、ロッカールームで着替えていると携帯が鳴った。藤堂からだった。
「高村です」
「おう、藤堂だ。お前のデビュー登板、番記者に聞いたよ。お前にしては上出来じゃないのか。山野監督に助けられた感は否めないけどな」
「はい、本当はもう少し投げられましたけど、チームに迷惑かけずによかったです」
「何言ってんだよ、野球は九人でやるんだぜ。相変わらず甘ちゃんだな。勝利が目的なんだから、例え自分が作った悪い流れでもチームの皆を信じていなきゃだめだ。ゲームは生き物で、一つのプレーが全部の流れがどっと流れてくる時もあるが、逆に野球の神様に見放されることも多々ある」
「自分はまだそこまで行ってない青二才です。先輩から声掛けられるだけ恵まれてますよ」
「そうか、まずルーキーは結果を考えず、ただがむしゃらに進んでいけ。成果は後から付いてくるもんだ」
「はい。がむしゃらにですね。肝に命じます」
「じゃあな。俺もまだ五里霧中だ。お互いいい結果が出るように日々精進だな」
「はい、ありがとうございました。先輩がいて助かります。自分も日々成長できるよう頑張ります」
「おう、がんばれ」
「はい、失礼します」
高村は藤堂に救われた様な心地になった。
このシーズン高村は九試合に登板、一勝二敗ホールド1の結果となった。一年目のルーキーにしては上々の結果であろう。一勝は押し出しでサヨナラゲームになったもので、俗にいう「棚ぼた」の勝利であった。
その年の十一月、オフシーズンに入った高村は藤堂と共に戸野田橋スポーツ広場でミニキャンプを張ることにした。
まずは下半身強化の為、ひたすらランニングに時を費やした。
「どうだった、今年は。収穫はあったか」
「そうですね、やっぱり今のままではだめですね。もっと研究しないと」
「そうだな。おれも三年目に入るが、やっぱりフルシーズン働ける基礎体力作りが必須だ。だから最初は走り込みだな」
「そうっすね、じゃああの頃の様に三十分走しますか」
「望むところだ」
と、じゃれ合う様に走っていく二人であった。
年が明けた平成十一年、正月の休みもあっという間に過ぎて行き、春季キャンプシーズンに入った。高村は、二年目になることもありキャンプの振る舞いの要領を得てきた。しかし、まだこれと言って自分がプロで通用する武器があるのかは自信が無かった。何をどうすれば良いかが分からない。そんな折、菅井コーチが話しかけてきた。
「お前の長所は、ストレートとカーブの緩急の差だ。それを徹底的に磨け」
「わかりました」
と首を縦に振ると、ブルペンに一目散に駈けて行った。ブルペンの捕手は、昨シーズンも組んだ倉井である。
紐で作成されたストライクゾーンが設定された。その枠に入らないと捕手に面倒を掛ける、ごくシンプルなコントロール養成機器である。
高村は倉井と相性が良いのか、当初からまずまずのコントロールを見せた。倉井は高村に駆け寄り、
「いいか、右打者だったら内角低めぎりぎり、つまり膝元の低め左打者なら外角低めになるが、そこにストレートを100%の確率で投げ込むつもりでやりぃ。それがお前の生命線や。わかったか」
「はい」
この練習とドロップに近いカーブを徹底的に磨いた。
時が過ぎるのもあっという間で、キャンプも打ち上がり三月となるとチーム的には徐々に実戦モードに切り替わっていた。
某日のオープン戦、今年初めて高村の登板となった。相手チームは着実な進塁でコツコツ点を重ねる熊本ロッキーズ。徹底的に左右の低めのストレートに加え、ドロップ気味のカーブに磨きをかけてきたという自信に似た確信で臨む高村。
六回一死一・二塁の場面で中継ぎを任された。スコアは4-3でリード。迎える打者は七番、右の巧打者相沢。攻撃側としてはここは是が非でも二、三塁にしたい場面だ。
第一球、ドロンと落ちる外からのカーブ、120Km/h。少し外寄りでワンストライク。第二球、相沢は高村が投球する直前にスッとバットを持ち替え、バントの構えに変化した。高村は焦った。と同時に、『あの』映像が頭の中を過った。
「あっ」と思わず声が漏れた。ボールはバッターの背後をかすめ、とんでもない所に投げてしまった。キャッチャーの倉井はバックネットに向かって一目散にボールを取りに行く。その間ランナーはそれぞれ進塁し一死二・三塁。高村はホームベースのカバーに行くことを忘れている。キャッチャーの倉井がマウンドへと駆け寄る。
「そんなランナーは気にせんでもええ。楽に行ったれ」
とミットで頭を軽くこづいた。
相沢に対する第三球。甘くなったストレートを弾き返され、三塁走者が生還で、4-4の同点。山野監督がゆっくりと立ち上がり、選手の交代を告げる。高村ワンアウトも取れず無念の降板となった。
レギュラーシーズンを迎えても高村は、敗戦処理の様な試合に起用されるようになり、勝ち負け付かずのケースが増え、前半を折り返した。
七月、オールスターゲームが行われる為、選出されなかった選手にとって貴重な休息時間になる。選出外の高村は熊本ロッキーズの一件が脳裏からどうしても離れず、苦悩していた。あの高校時代の『悲劇』がフラッシュバックしてしまう。意を決し、この休みを利用して藤堂に相談することにした。
高村はシーズンオフに利用する戸野田橋スポーツ公園へ藤堂を呼んだ。藤堂は気をまわして高校時代の捕手、赤川にも声を掛けておいた。
「すみません、お休みのところお呼び立てして」
「いや、構わないさ。俺も丁度体を動かしておこうかなと思っていたところだ。赤川も連れてきたぞ」
「おう、久しぶりだな高村。また三十分間走でもするか?」
「赤川さん、冗談よしてくださいよぉ。今競争したら圧勝ですから。さらに走った後倒れちゃいますよ」
「誰がだ?」
「勿論先輩ですけど」
「ま、まあな」
赤川の目尻が微妙に引きつっている。
「それより本題は何だ」
と、藤堂が口を開く。
「試合中、緊迫した場面で咄嗟にバントの構えをされると、高校時代の対京浜高校との決勝での事がフラッシュバックして制球できなくなるんです。まだ自分はひよっこなので、この弱点は知られていません。知られる前に克服したいんです」
「トラウマだな」
と赤川。小首を下げる高村。
「うむ、難しいな。なるべく同じシチュエーションをつくるしかないか。俺がバッターで、アトランダムにバントの構えをする。最初は七分位のスピードで投げ、改善されたらフルに近いスピードで投げたらどうか。カウントもしっかり取るぞ。ランナーも仮想設定する」
「わかりました。お願いします」
と高村。
「OK」
赤川がキャッチャー道具を付け、スタンバイする。
最初はランナー無しの設定から始める事にした。高村が赤川のミット目掛けワインドアップで投球する。最初は七分くらいの力で投げ込む。初球、藤堂は見送る。ストレートで0―1。二球目を振りかぶる。高村はカーブの選択する。藤堂が投球と同時にバントの構えに変化した。内角に大きく外れてボール。
カウント1―1。
「そんなに緊迫したシチュエーションじゃないぞ」
高村に発破をかける藤堂。
「はいつ」
額の汗を拭う高村。
「どんどん来いや」
赤川も高村をけしかける。
三球目、高村は大きく振りかぶる。投げ込んだのはストレート。藤堂はまたもバントの構えをした。投球は、内角ストレート。低めに辛うじてストライクを取った。カウントは1―2。免疫が多少出てきた。
四球目、高村は大きく振りかぶり赤川に向かって投球する。藤堂は、バントの構えをしない。あれっと思った高村の投球はカーブ内角高めに大きく外れた。
「今バントの構えをすると思っただろ。先読みして不意を突かれるとコントロールが乱れるな。動揺せずに投げ込め」
「はい」
高村は気合いの入った返事をした。カウント2―2。
五球目、ワンインドアップで振りかぶり投球動作に入る高村。さっとバントの構えに入る藤堂。ストレートが外角低めに決まった。
「その感じだ」
と藤堂が力強い口調で言った。
「何となく掴みました」
とにこやかに藤堂の言葉に答える高村。
「あとは、練習と実戦だな」
と赤川が付け加えた。
その後、三人はシチュエーションを変えたり、球速を変えたりして丸一日その練習に費やした。
オールスターの休日が終わり、藤堂と高村は再びレギュラーシーズンの戦いに戻って行った。暫くすると交流戦の期間に入る。高村の所属する太平洋リーグの安芸ファイヤーズと、藤堂が所属する日本海リーグの京阪トレインズとの対戦は、高村がプロに入って二回目になるが、一回目は高村が一軍で無かったので、プロになってからは藤堂との対戦は初めてとなる。
対京阪トレインズ。高村は、初の先発を言い渡された。正直面食らったが、内心チャンスが来たと胸を熱くしていた。
先攻京阪トレインズ、後攻安芸ファイヤーズで試合は開始された。藤堂は、三番センターでスタメン出場。一回から同門対決となった。
試合開始。一、二番を打ち取った後、藤堂に打席が回って来た。何とも複雑な心境ではあったがそこはプロ。個人の関係性など持ち込めない。
第一球、120Km/hのカーブが外角に決まり0―1。藤堂はピクリとも反応しない。初球は様子見か。第二球、やはり外角。140Km/hのストレートを藤堂が強振。バックネットに刺さるようなファウルチップで0―2。もろにストレート狙いが伺える。第三球、外角へ大きく外れるストレートで1―2。
勝負球の第四球、ストレートを待っていると踏んだ捕手の倉井がカーブを要求。だが、高村は首を横に振る。藤堂に対して真向う勝負を挑んだ。倉井からストレートのサインが送られた。高村は首を縦に振る。渾身の一球。だが、力みすぎてボールが内角の高く浮いた。藤堂もピクリと反応した。カウント2―2。
第五球、迷わず真向直球勝負のバッテリー。150Km/hのストレートが真ん中高めに行ってしまった。
「あっ」
思わず声が出てしまった。藤堂が強振。カッと乾いた快音と共に、高く打ち上げられたボールがレフト方向にぐんぐん伸びて行く。
飛距離十分のボールはレフトポール際に吸い込まれていった。ホームラン性の打球は辛うじてファール。高村はふぅと肩をなで下ろした。慌ててキャッチャーの倉井がタイムを取りマウンドに駆け寄る。
「あからさまのストレート狙いやで。カーブも織り交ぜたらどうや」
「大丈夫です。ストレートで勝負させて下さい」
「そうか、同門対決やしな。思い切ってやったれ」
「ありがとうございます」
倉井はホームベース方向に小走りで戻って行った。高村は右のスパイクでマウンド上を均しながら気持ちを落ち着けさせる。
カウントは変わらず2―2。倉井からサインは出ない。第六球、外角低めのストレートがいいコースへ糸を引く。
「よしっ」
倉井は心の中で呟く。藤堂のバットが出掛かる。
「バシィ」
良い捕球音が響いた。倉井はミットを若干持ち上げた。
「ボール」
球審からの声を大にした判定。倉井は悔しそうにミットを何回か地面に叩きつけた。かなりギリギリの判定だった。倉井は両手を縦にして高村に謝った。高村もグラブを立てて左右に振った。カウント3―2。
第七球、またもノーサイン。息を整えて大きく振りかぶった高村は、渾身のストレートを投げ込む。150Km/h近いボールは藤堂の膝元を突いた。次の瞬間、白球が快音と共に大きな弧を描いてレフトスタンドに吸い込まれた。
藤堂は悠然と一塁ベースを踏み、ダイヤモンドを回っている。
「完璧だったのに」
高村と倉井は、同じ想いであるに違いなかった。
その後は、順当に後続を無安打に抑えた。
迎えた四回表、ワンアウト走者なしの場面。スコアは0-1で、再び藤堂と対峙することになった。藤堂はゆっくりと右打席に入った。高村は同じ轍を踏むまいと初回以上の意気込みで臨んでいた。
「最初は敢えて直球勝負を挑んだが、今回はそうはいかない。必ず抑える」
心の中で念じるように呟いた。
第一球、倉井は藤堂が初球は打ってこないタイプとみて、ストレートを選択。ど真ん中の直球を見逃し、カウント0―1。第二球、外角低めにストレートを要求。見事に決まりカウント0―2。第三球、倉井は内角にカーブを要求。第一打席で打たれたコースとほぼ一緒だが、軌道が違うのでボールになってもいいと考えていた。一方高村は、倉井の考えと異なり三球勝負のつもりでいた。裏をかこうとしていた。
高村は、大きく振りかぶりサイン通りカーブを投げ込んだ。少し浮いた。
「カツーン」
またも快音が響き渡る。ライト方向に飛んだ打球はぐんぐん小さくなってゆく。あっという間にスタンドへ吸い込まれていった。そのバッティングフォームは、伝説のスラッガーを彷彿させた。またもや悠然とダイヤモンドを一周する藤堂。それを見てマウンドの土をスパイクで蹴り崩す高村。ホームベース近辺を足で均してホームインを見届ける倉井。今日打たれているのは藤堂のホームラン二本のみである。二人とも悔しさを隠しきれない。
倉井はマウンドに駆け寄り、
「高村、次はスライダーを混ぜるで。安定感には欠けるが、藤堂の頭の中には無いはずや。次こそ抑えるで」
「はい」
スコア2-0。高村はフォアボールがあるものの後続は依然と抑えていた。味方も高村を援護し、2―3と逆転した。山野監督も高村の出来もそう悪くないので代え時に困っていた。取りあえず六回までと踏んでいた。
その六回表、先頭バッターをフォアボールで歩かせると、三度藤堂との対決となった。例のごとく、ゆっくり右打席に入る。
「絶対ぇ抑える」
と呟きながら両頬を叩く。今回はランナーが一塁にいるので、初のセットポジションからの対戦となる。球速が遅くなるので要注意だ。しかし今回は藤堂の頭にないだろうスライダーを織り交ぜる。勝算はある。
一塁への牽制球を投げた後、藤堂への第一球、盗塁対策もありストレートを選択。外角低めに決まった。0―1。第二球、同じくストレート。内角高めに行ったが、かろうじてストライク。カウント0―2。藤堂は二球とも反応しない。第三球、同じくストレート。外角に外れ、1―2。
勝負どころの第四球、盗塁なしと見切った倉井は、外角のスライダーを選択。高村も首を大きく縦に振る。セットポジションから白球が放たれる。球速130Km/hの投球が外側からホームベースの外角を微かに撫でるような軌道を描いていく。藤堂が強振。乾いた快音を残して、打球は右中間にぐいぐい伸びてゆく。センターとライトが打球を追った後、フェンス前で追うことを止めている。高村はマウンド上で崩れ落ちた。スコア4-3となる逆転ホームランになった。
山野監督はベンチから重い腰を上げ、主審に投手交代を告げた。試合はそのまま終了し、高村は負け投手となった。前代未聞の先輩後輩対決での三打席連続ホームランはマスコミの恰好の餌となり、新聞にはその記事が躍っていた。
翌日、高村は寮のベッドの上で寝転がりながら昨日の事を思い出していた。藤堂さんは抑えられないのか、何が悪いのか、どうすればいいのか、の三フレーズが頭の中をぐるぐる回っていた。考えすぎて疲れたのか、微睡み始めたその時ドアをバタンと開ける音で目が覚めた。キャッチャーの倉井だった。
「おい、マスコミはどこも酷い扱いだな。こりゃなんとかしねぇとな。さっさと支度しろ」
と急き立てられた後、練習着に着替えブルペンへと向かった。そこに入団一年目に世話になった松田が待っていた。
「クラさんに頭下げられちゃあしょうがないな。ってことで、変化球を伝授しに来た」
松田は最近不調で、一軍には登録されているものの出場の機会が減っていた。球威は落ちたが、変化球の切れは一級品だ。
「変化球って何のですか?」
「おう、お前さんと同じ左投げで決めにいく球だ。よく見とけ」
いつの間にかキャッチングポーズをしてミットを構えている倉井に向かって投げ込む。ボールの軌道はシュートしながら落ちて行った。高村は暫し呆気にとられた。
「スクリュ―ボール?」
「正解だ。当分、お前の登板の合間を見つけて伝授するから習得しろ」
「はい、分かりました。ありがとうございます」
それから松田との二人三脚が始まった。スクリューボールの握り方から始め、時間を見つけてはブルペンに赴き、毎回五十球ほどを投げ込んだ。
ペナントレースは終盤に差し掛かり、日本海リーグは藤堂が属する阪京トレインズが早々優勝を決めていた。太平洋リーグは混戦となり、高村擁する安芸ファイヤーズは辛うじて三位に滑り込み、リーグ一位決定戦のチャンピオンシリーズの出場を果たした。
十月中旬、クライマックスシリーズの激闘も終わり、日本シリーズの出場チームも決定した。順当に決めた阪京トレインズとリーグ三位から勝ち上がった安芸ファイヤーズが下剋上でリーグ優勝を果たした。
高村にとっては、初めての日本シリーズであり、藤堂との因縁の対戦となった。
高村はシーズン途中で、異例となる先発からクローザーへの転向がなされていた。成績は一勝二敗十二セーブと結果を出していた。
大一番、日本シリーズが開幕。開幕戦は阪京トレインズの本拠地である広辞園球場。昨年日本海リーグのチームが優勝したため、アドバンテージで第一・二戦及び六・七戦は広辞園球場開催となり、第三戦から五戦は安芸ファイヤーズの本拠地である安芸県民ドームで行われる。先に四勝したチームが優勝となる。
第一戦 広辞園球場
先攻 安芸ファイヤーズ
後攻 阪京トレインズ
序盤、両チーム堅さが目立ち、六回まで無得点。七回裏、阪京トレインズがフォアボールを足掛かりにタイムリーヒットで先制。
八回裏、阪京トレインズの四番パースのソロホームランで得点。
安芸ファイヤーズの打線は沈黙し完封を喫す。スコア0-2で阪京トレインズの勝利に終わった。
阪京トレインズ 一勝
安芸ファイヤーズ 〇勝
第二戦 広辞園球場
先攻 安芸ファイヤーズ
後攻 阪京トレインズ
序盤から安芸ファイヤーズの打線が活発化して、ヒットからバント攻撃やヒットエンドランが功を奏し、二点リード。片や阪京トレインズは、中盤藤堂のツーベースからタイムリーなどで追いつく。終盤、安芸ファイヤーズの三番守門が値千金のツーランホームランを放ち、4-2と勝ち越し。最後は高村が締め試合終了。この時、藤堂との対決は無かった。
阪京トレインズ 一勝
安芸ファイヤーズ 一勝
第三戦 安芸県民ドーム
先攻 阪京トレインズ
後攻 安芸ファイヤーズ
安芸県民ドームに場所を移した三戦目。息詰まる投手戦。両チームの先発投手が踏ん張り、六回まで互いにゼロ行進。七回表、阪京トレインズがファースト岩城が均衡を破るタイムリーヒットなどでスコア2-0。
九回裏、安芸ファイヤーズは一点返したが及ばず敗戦。スコア2-1。
阪京トレインズ 二勝
安芸ファイヤーズ 一勝
第四戦 安芸県民ドーム
先攻 阪京トレインズ
後攻 安芸ファイヤーズ
このゲームを落とすと、王手を掛けられる安芸ファイヤーズとしては負けられない所だが、立ち上がりの一回表、フォアボールを連発した後、タイムリーヒットを浴び二点先制を許した。スコア2-0。その後の安芸ファイヤーズは、ランナーは出すものの点に結びつかない。膠着状態が続いた六回裏、安芸ファイヤーズの四番ダンスのソロホーマーで一点差。スコア2-1。
九回の攻防、阪京トレインズは一死一・二塁のチャンスで三遊間のヒット性の当たりをショートが好捕。6-4-3のダブルプレーに取り、ゼロに抑える。その裏、いいムードの安芸ファイヤーズは一番武江がヒットで出塁。盗塁成功で無死二塁のチャンス。だが、後続が倒れて二死二塁。ここで先程ホームランのダンス。
2-2からの五球目を捉え、サヨナラアーチ。勝ちを収めた。スコアは2-3x
阪京トレインズ 二勝
安芸ファイヤーズ 二勝
第五戦 安芸県民ドーム
先攻 阪京トレインズ
後攻 安芸ファイヤーズ
勝てば王手を掛ける両者。日本一を決めかねない一戦。阪京トレインズの打棒が爆発。
一回から連続安打とエラーで三点を奪取。五回には三番の藤堂がツーランを放ち
5-0。七回、八回と一点ずつ追加し7-0。安芸ファイヤーズの打線は沈黙し、散発二安打。良い所なく試合終了。スコア7-0。
阪京トレインズ 三勝
安芸ファイヤーズ 二勝
第六戦 広辞園球場
先攻 安芸ファイヤーズ
後攻 阪京トレインズ
王手を掛けた阪京トレインズ。前の試合でいい勝ち方をしただけに、この試合で決めたいところだ。
一回表、安芸ファイヤーズは連続ヒットで先制し1-0。その裏、阪京トレインズもツーベースから得点し1-1の同点にする。その後両チームはゼロ行進で迎えた五回裏、阪京トレインズは伏兵の七番五十嵐のソロホームランを放ち均衡を破る。スコア1-2。
六回表、安芸ファイヤーズの攻撃。相手のエラーとバント処理のフィルダースチョイスからチャンスを広げ、安芸ファイヤーズが二得点。スコア3-2。逆転に成功した。阪京トレインズはランナーを出すものの、得点に結びつかないまま最終回へ。ここで高村が登板する。フォアボールを出したが、きっちり抑えて試合終了。スコア3-2で試合終了。ここでも藤堂との対戦は無かった。
阪京トレインズ 三勝
安芸ファイヤーズ 三勝
第七戦 広辞園球場
先攻 安芸ファイヤーズ
後攻 阪京トレインズ
勝った方が日本一となるこの試合、嫌が応にも緊張感が高まる。阪京トレインズの本拠地である広辞園球場の観客席は、チームカラーの水色と黄色で埋め尽くされ、その八割近くを占めている。少ないながら安芸ファイヤーズのファンも熱心な阪京トレインズファンの中でその存在感を主張している。
両チームのスターティングメンバーが発表された。
先攻 安芸ファイヤーズ
一番 武江 中堅手
二番 相模原 二塁手
三番 守門 三塁手
四番 ダンス 一塁手
五番 弘前 遊撃手
六番 秋田 右翼手
七番 山形 左翼手
八番 山梨 捕手
九番 石川 投手
後攻 阪京トレインズ
一番 大雪 遊撃手
二番 霧島 左翼手
三番 藤堂 中堅手
四番 パース 一塁手
五番 正宗 三塁手
六番 吉野 右翼手
七番 五十嵐 二塁手
八番 千寿 捕手
九番 ギャーオ 投手
幾つかのセレモニーが執り行われ、HMG48のアイドルによる始球式。とんでもない所にボールが行き皆苦笑い。一瞬場が軟ぐ。
つい雌雄の決定戦、球審の右腕が上がり試合開始。
序盤の三回まで互いに良い所なく、ゼロ行進。四回表、安芸ファイヤーズの二番相模原がフォアボールで出塁。すかさず二塁へ盗塁する。三番の守門が右中間にツーベース。続くダンスがタイムリーヒットで二得点。スコア2-0。
一方、阪京トレインズはランナーを出すものの、得点に絡まず沈黙。終盤七回裏、四番パースがライトスタンドにソロアーチを放って2-1。
九回の攻防となった。安芸ファイヤーズの攻撃。フォアボールで走者を出したが後続が凡退し無得点。阪京トレインズは、九番の打順で代打に八海山を起用。片や、安芸ファイヤーズは抑え高村がマウンドに登る。
投球練習をした後、キャッチャーの倉井がマウンドに駆け寄る。
「気張らんでええ。一人ずつやで」
「はい、わかりました」
高村は、はきはきした受け答えをした。先回の対戦で三打席連続ホームランの苦汁を嘗めさせられた。《必ずお返ししてやる》と常日頃から心の中に秘めていた。
九番八海山との対決。初球からストレートを連投。1―2からの四球目、カーブを打たせてサードゴロで一死。続く一番大雪、これもストレート攻め。カウント0―2から変化球を混ぜるがしつこくカット。第九球目、カーブを見極められ根負けのフォアボール。一死一塁。
二番霧島を迎え、ランナー警戒で直球主体の組み立てに成らざるを得ない。第三球、スライダーで空振りを誘ったが盗塁を許し、一死二塁。しかしその後、高村のカーブ攻めで敢え無く三振。二死二塁。タイムリーで同点、一発でればサヨナラで日本一の場面に藤堂との因縁の対決になった。
「来たか」と高村は呟き、ホームプレートを背にロジンに手をやる。ポンポンと軽く手に付けた後、ふっと息をかける。白い煙がもわっと出来てすぐ消えた。
その時、倉井とベンチの山野監督がマウンドへ駆け寄る。内野の選手も集まった。
「歩かせるか?」
「いいえ、絶対抑えます。歩かせたら一生悔いに残りますから」
「わかった。お前と心中だな、歩かせたくないならな。心中だったら飲み屋のオネエさんとだったら喜んで引き受けるがな」
監督の冗談からマウンドで小さな笑いが起こった。マウンドの円陣は散りぢりになり、プレーは再開された。
高村はピッチャープレートの溝を左足で二三回なぞる。空を見上げふーと深呼吸する。片やゆっくりと右打席に入り、足元を固める藤堂。球場独特のオーラがを二人を包み込んでいる。
日本一が懸かっている場面ではあるが、高村には対藤堂という意識しか無かった。恐らく藤堂も同じような心持ちあったであろう。
状況は九回裏、二死二塁。運命の初球、高村は倉井のサインを覗き込む。サインは外角低めの直球。高村は首を縦に振る。セットポジションから投げ込む第一球。二塁を目視で牽制した後、投じられた145KM/hの直球は、コースも高さも若干甘めに行ってしまった。
「カキィ」
藤堂強振。打球はライト方向へグングン伸びた。飛距離十分だが一塁側アルプス席の上段に吸い込まれた。カウント0―1。一球投げただけで額に汗が滲む。
「やっぱり藤堂さんは俺の投球を見切っているのか」
ふぅと息を吐きながらロジンに手をやる。第二球。倉井の要求を伺う。内角低めにカーブ。サインに頷く高村。セットポジションから二塁を目視で牽制しつつ投球。130KM/hのボールは外角から内角へ軌道を描き、かなり内角に流れた。藤堂は慌てて腰を引いた。判定はボール。カウント1―1。高村は左腕を額に押し当て、帽子を被り直す。ツバに書いてある「全力」の文字を数秒見つめて、ロジンに手をやる。
第三球、倉井の要求は内角ストレート。以前の対戦で内角をホームランされたが直球はまだ打たれていない。高村は頷く。セットポジションから二塁をちらりと牽制。大きく脚を上げた。145KM/hの速球が藤堂の膝元に唸るように投げ込まれる。
「バシィ」
とボールは倉井のミットに収まった。藤堂のバットは一瞬出かかった。
「ストライーック」
主審のコールと共に右腕が挙がった。
倉井は平然と高村にボールを投げ返し、マスクの内側で密かにほくそ笑む。藤堂は冷静に俯いて足元を均していたが、歯ぎしりしている様にも見えた。
カウント2-1。
倉井からの返球を受け取った高村は、自己の投球で初めてストライクを取った事に少し余裕ができた。だがそれは被弾する魔物であることを身に染みて分かっていた。勝負はこれからであることも二人、いや三人には勝負の常套句であった。
第四球、ロジンを手に取ることがルーティンとなっていた高村は、いつもより長くロジンに左手に押し当てていた。ピーカーの付いたスパイクでピッチャープレートを右左に掘り出すと、屈みながら倉井のサインを待つ。倉井は先程の藤堂の反応から、内角にヤマを張っていると踏んだ。
高村に要求したのは、内角のカーブ。緩急さで藤堂を打ち取る配球を選択した。高村も要求に同意し、首を縦に振る。セットポジションから二塁をちらりと牽制し、右脚を高く上げる。投球は大きく弧を描いて外角から藤堂の内角の膝元へと向かっていく。だが藤堂のバットはピクリともしない。
「ボール」
主審の判定が大きくコールされる。倉井は読み間違えたかと顔を歪める。藤堂はいつものように自分の足元を見ながら足場を均している。若干微笑んでいる様にも見えた。高村は左脚でマウンドの土を蹴り上げた。ボールの判定に対するよりも、悔しさから来るものであろう。カウント2―2。
第五球、勝負を左右するカウント。高村はロジンに手をやる。心を落ち着かせる為か、先程より更に長時間左手にロジンの白い粉を付ける。そしてマウンド上で二、三度飛び上がり、両足のスパイクを合わせて土を落とした。
プレートに左足を引っ掛け、倉井のサインを見入る。一回、二回、三回と首を横に振る高村。四回目、ようやく頷く。そうか、と言わんとミットを二、三回叩く倉井。セットポジションから大きく脚を上げ、白球を投げ込む。
外角甘目、中速度の真っ直ぐの軌道に反応する藤堂。バットが唸りを上げんばかりのスイング。ボールは外角から更に外側に変化しながら落ちていく。
「うっ」と藤堂から声が漏れた。体重移動が乱れている。ミートはしっかりしているものの、バットの先っぽに当たった。倉井の目の前には藤堂の折れたバットが横たわった。倉井はミットを叩いた。
鈍い音と共に、打球はライト後方に飛んでいる。ライトが半身になって打球を追っていく。打球は意外に伸びている。二塁走者は三塁を蹴っていた。高村は両手で拝みながら打球の行方を目で追っていた。
「頼む、頼む。」と必死に念じていた。ライトがフェンスに身を寄せると同時にジャンプ。ライトの秋田がボールキャッチのアピール。この瞬間、安芸ファイヤーズの日本一が決まった。
ベンチから選手全員が諸手を挙げてグラウンドに向かって猛ダッシュして来る。倉井が高村に駆け寄る。内、外野の選手たちも声を上げながら二人の下へ駆けつける。一塁方向に眼をやると、藤堂が一塁ベース上で両膝に手をやり、屈んでいる姿が眼に入った。
「藤堂さんに勝ったんだ」
堪えていても自然に熱いものが頬を伝う。マウンドに集まった選手たちは小走りにベンチを出てきた山野監督を抱え、歓喜の胴上げを始める。
「万歳!万歳!」
の掛け声で一回、二回と山野の体が宙に浮く。三回、四回と続いて山野の背番号77に因んだのか、七回胴上げしたところで終わった。続いて高村が選手たちに抱えられた。なぜなのか分からぬまま胴上げが始められた。
「万歳!万歳!」
の掛け声で胴上げが始まると、一回宙に浮いたと思ったら二回目になると選手たちは胴上げを止め高村はマウンドに落とされた。
「いってぇ、そりゃないでしょ!」
高村は尻を擦りながら大声で叫ぶも、無視された。
「若手をまともに胴上げする訳ないだろ。されるだけ光栄と思え。
この青二才が!」
目に光るものを溜めながら、倉井ががらついた声で罵声に似た文句を高村に浴びせる。
「そりゃそうですね、三回は胴上げされると期待してました」
と涙を拭いながら独り言の様にぼそっと口にした。
マウンドを降りた選手たちは、チャンピオンフラッグを広げながら、ゆっくりとグラウンドを一周する。感極まったスタンドのファンたちは、選手に大声を掛ける者、応援のプラカードを持ちながらすすり泣く者など、様々であった。
その後、三塁側のベンチ前では山野監督の優勝インタビューが始まっていた。
「監督、優勝おめでとうございます。十六年振りの日本一となりますが、今の気持ちは如何ですか?」
「そうですね、正直長かったです。Bクラスの成績が暫く続きまして、歴任された監督さんたちの為にも何とかしなくてはという思いは強かったですね。最近Aクラスに入れるシーズンが続いたので手応えは感じていました。この日本シリーズも自分は初采配でしたから、このシリーズの勝利は選手たちが頑張ったお陰だと感謝したいです」
「この短期決戦、何を一番重要視されていましたか?」
「そうですね、お互いリーグの代表ですから打撃戦にはならないと思っていたので、敢えて言うなら投手交代のタイミングでしょうか。自分もピッチャー出身ですので」
「一番印象に残ったゲームはやっぱりこの第七戦でしょうか?」
「そうですね、優勝が懸かっていましたから当然ですが、どのゲームも重要ですから目の前のゲームを一戦必勝の気持ちでいましたね。」
「最後に球場のファン、お茶の間の皆様に一言お願いします」
「ここに辿り着いた道のりは決して短く平坦でなかったですが、チャンピオンフラッグを手に入れるまで応援して頂いたファンの皆様、球団関係者などの方々に支えられたお陰です。ありがとうございました。そして皆さん、おめでとうございます!」
帽子を取ってファンたちのいるレフトスタンドに両手を挙げて祝福の声援に応えた。
グラウンドの宴から優勝祝賀の宴へと、品川プリンセスホテルに場所が移された。選手たちはビールかけに備え、武装する姿は様々だ。
球団オーナーの有り難い挨拶もそこそこに山野監督の労いの言葉の後、
「よくやってくれた。皆、ありがとう!」
の言葉を皮切りに、一斉にビール瓶を上下に振るとメレンゲのような泡があちらこちら勢いよく飛び出す。俗に言う「ビールかけ」である。これはリーグ代表戦やこの日本シリーズで優勝したチームだけが行える特権、「ご褒美行為」である。安芸ファイヤーズがリーグ優勝したとき、このときの為に敢えてビールかけは控えていた。一部の選手を除いて初のビールかけとなる為、選手たちには格別のものとなった。
ビールかけ真っ只中で、各局のマスコミが各人のコメントを取る。大概軽装な女子アナウンサーは標的にされ、コメントを取っている選手と共に、頭から大量のビールをどぼどぼとかけられる。殆ど取材になっていない。
高村も取材を受けている。ブシテレビのKアナウンサーが、
「高村投手、おめでとうございます。このシリーズで・・・きゃぁつめたーい、最後の投手・・きゃぁ、になった訳ですが、如何ですか?」
Kアナは頭から滝のようにビールを頭からかけられている。何回も左手で顔を拭っているが、次々と頭からビールをかけられるので、意味を成していない。ビールをかけている犯人はムードメーカーである倉井だった。
「そうですねぇ・・・」とコメントを考えている高村の背後から忍び寄っている倉井が高村のシャツを引っ張って、右腕で高村の背中にビール瓶を突っ込むと同時に、左腕で頭からどぼどぼとビールをかけ始める。
「やめてくださいよー、倉井さん!」
と言うが、一向にビールは止めどなく倉井のビールは途切れない。諦めた高村は、ビールをかけられていることを無視してコメントし始めた。
「最後のマウンドを任されたので、何とかしようという気持ちで行きました。ひやひやさせちゃいましたが、結果的に抑えられたので良かったと思います」
顔にかかってくるビールを拭いながら、インタビューに答える。
「最後は、交流戦で3打席連続ホームランを打たれている高校時代の先輩、藤堂選手との対決になりましたが」
「そうですね、やられっぱなしで終わりたくなかったので。帳尻が合って良かったです」
三時間余り続いた優勝祝賀会も終わると、各マスコミのスポーツニュース番組の出演が待っていた。高村にとって未経験の事ばかりで最初は戸惑っていたが、そのうち慣れてきた。オフになると、バラエティやドキュメント番組にも出演することも多くなった。
こうして、平成十一年のシーズンは幕を閉じた。
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