第3話 白い十字架

 数日後、授業が終わるといつもの様に野球部員たちはグラウンドに集合する。高村もグラウンドに一礼して練習へと合流する。後を追うように藤堂ら二、三年生が集まる。

 「おーっす」

 下級生たちが三年部員に挨拶する。数分後、用意が終わると全員でランニング、柔軟体操、キャッチボールといつものルーティンをこなしていく。

 高村は、小走りにブルペンへと向かう。最近は監督の上村キャッチャーの赤川とコンビを組むよう指示されていた。高村はこの短期間でかなりの上積みが顕著に見られていた。赤川は副キャプテンで、キャッチャーとしては小柄の方だが野球をよく知る知性派である。

 「高村、今日は真っ直ぐ五十球、カーブ二十球でいくぞ」

 「はい」

 徐にセットポジションから赤川のミットへと投げ込む。

 「ぴしっ」

ミットが鳴る。

 「いいぞ、高村。その調子だ」

 「はい」

 高村は少し興奮気味に答えた。

 ストレートの五十球を投げ終わると、次はカーブの投球練習だ。

 「お前の課題はカーブだ。その上背からならコントロールさえ付ければカウント 球としても使える。緩急も武器としても利用できるからな」

 「はい」

 カーブ二十球。なかなか赤川の構えたコースに球が収まらない。

 「くそっ」

 苛立ちが隠せない高村に赤川が、

 「もっと力を抜け。半分くらいの力でいいんだ」

 「つい力んでしまって。すみません」

 「決めに行こうとするからだ。もっと球の軌道のイメージを膨らましてみろ」

 「わかりました」

 カーブの制球に苦しんでいた高村は、自分自身に苛ついていると同時に、必ず習得して投球の幅を広げるため投球練習に臨むように心がけた。しかし、思うようにカーブのコントロールが定まらない。高村は焦っていた。

 ブルペンを後にすると、バッテリー陣は打撃とバントの練習に移る。

高村のバッティングはからっきしで、たまに大きな当たりを打つくらいであった。バントはそこそここなしている。

 「お前のバッティングは、よく分からん。難しい球は打てるのに、簡単な球はからっきしなんて正に悪球打ちだな。何かの漫画に出てきそうだ」

 藤堂がからかうと、周りもくすくす笑っていた。

 「そうですかねぇ」

と小首を傾げながらバッティングゲージから出てくる。

 「まぁ、ピッチングで活躍してくれればいいさ」

 「はぁ」

 褒められているのか、馬鹿にされているのかよく分からない高村だった。


 バッティング練習が終わると、ランニング三十分走。これが結構きついメニューだ。バッテリーは三組六人いる。ビリはもう十分ペナルティで走らなければならない。高村は持久力がまだ備われていないので、いつもビリだった。

 「今日こそ」

 頭では分かっているのだが、如何せんビリだった。

 「いつまで人のケツ見て走ってんだ?」

 赤川に冷やかされると、

「そのうち、俺のケツ見て走ることになりますよ」

 息切れしながら言い返すと、

「おれが引退するまでに頼むぞ」

 あはは、と息のあがった他の選手たちも声に出して笑っていた。


 練習が終わると高村は、

 「監督、ニューボール一個貸してくれませんか」

 「いいが、どうした」

 「自主練習で使います」

 「そうか」

 ぽいと高村に真新しい硬球を投げ渡した。

 「ありがとうございます」

と一礼して帰宅した。野球を始める前の高村の面影はもう無い。


 明くる日、ストレートとカーブの投球練習をひたすらしてきた高村だが、突然上村からバッティングピッチャーをするように指示があった。実戦向けの練習と上村は考えていた。カーブのコントロールの悪さを割り引いて、マウンドから少し前目から投球させた。高村はセットポジションから投げ下ろすと、バッターはその球の威力に手が出なかった。

 「ほおー」

と感心する他の打者たち。

上村は、

 「おい、もう少し力を抜いて打者に打たせろ」

 「はぁ」

 高村は自分の投球に球威がある事を十分に理解できていない様であった。その後、バッティングピッチャーの回数が増え、制球力も増した。ストレートだけでなく、時折悪球があるもののカーブも制球出来るまで成長していた。


 或る日、上村は練習開始時にこうアナウンスした。

「今週の土曜日に紅白戦を行う。本戦でベンチ入りする選手選考も兼ねて行うからそのつもりで取り組め。いいな」

 「はい」

 選手たちは気の引き締まった返答をした。

 バッテリー陣は打撃練習をこなすと、最後は恒例の三十分走に取り組む。このランニング競争の要領を得て来た高村はビリになることも少なくなって来た。

 「今日は一番になりますよ」

 捕手の赤川に言い放った。

 「それはどうかな」

 赤川が言い返すと、

「走ってみれば分かりますよ」

 高村も負けずに言い返す。

 赤川は三十分走では大体一、二番につけていた。赤川も高村にスタミナが付いて来ていると気づいていた。

 三十分走が始まると、高村はぴったり赤川に付いて行った。暫くして赤川はペースを少し上げた。高村もぴったりと食らいつく。ラスト十分、赤川は更にペースを上げた。それでも高村は赤川の背後に位置取る。最後一分で高村が仕掛ける。赤川も併走する。両者譲らずタイムアップ。両者同時に走り終えた。

 「お前も大分成長したな」

 「次は負けませんよ」

 「はははっ。冗談は顔だけにしてろ」

二人は息を切らせながらグラウンドへと向かって行った。


土曜日、紅白戦の日を迎えた。上村はオーダーを読み上げた。

紅軍

一 林田  遊撃手

二 早川  二塁手

三 永井  一塁手

四 藤堂  中堅手

五 藤川  三塁手

六 後藤田 左翼手

七 村山  捕手

八 大田  投手

九 西山  右翼手




白軍

一 山川  二塁手

二 桟原  遊撃手

三 浅井  中堅手

四 麻生  一塁手

五 赤川  捕手

六 梅川  右堅手

七 武田  三塁手

八 五十嵐 左翼手

九 高村  投手


 七回戦の試合開始。先攻紅軍。高村は初めての実戦形式でマウンドに上がる。

一回表、先頭の林田にいきなりのストレートのフォアボール。無死一塁。

二番、早川にエンドランを決められ無死一、三塁。三番永井にまたもフォアボール。無死満塁で四番の藤堂。藤堂との初対決とあり、高村は緊張気味な面持ちである。

 初球、甘く入ったストレートを藤堂がいきなり強振する。ボールは左中間のフェンスを軽々超えて行った。高村は、愕然と頭を項垂れる。4-0。

 これで吹っ切れたのか、打者三人を凡退でチェンジ。

 一回裏、白軍の攻撃。大田の打たせて取るピッチングで三者凡退。

 三回表、紅軍の攻撃。藤堂からの打順。初球、ストレートが外角に決まり、0―1。二球目、内角に直球が逸れ1―1。三球目、カーブが真ん中に入ったところを藤堂強振。ライトの頭上を遥かに超えるソロホームラン。平然とダイヤモンドを一周する藤堂。高村はマウンドの土を蹴り上げる。その後フォアーボールを一つ出すものの凡退に抑え5-0。

 一方白軍はその裏、サード強襲の内野安打とフォアボールで二死一・三塁。赤川がセンター前ヒットで一点返す。5-1。

 六回表、紅軍の攻撃。二番、早川からの打順。セカンドゴロとセンターフライで二死。四番藤堂の打順。高村は今度こそ打ち取ると心に念じて渾身のストレートの初球、藤堂が打ち返す。コースが甘くなったボールを見逃さずレフトへ放物線を描きながらフェンスに吸い込まれていった。6-1。

 七回は両軍無得点で紅軍が5点差をつけて大勝した。高村の甘さが露呈される事となった。だが打たれたのは殆どが藤堂だ。

 上村は、

 「どうだ、実戦は」

と高村に問いかける。

 「悔しいですね。というか未熟さを痛感しました」

 「だが打たれたのは藤堂だけじゃないか。上出来だよ」

 「そうですか。なんか納得できないですけど」

 「あとは際どい所の制球力だ。元々ストレートは速いんだから細かい制球力さえ付けばいける。それとやはり下半身の強化だな」

 「はい。次は頑張ります」

と少し気のない感じで返答した。高村はこの試合を忘れまいと心に刻み込んだ。


 六月に入り、いよいよ県予選が目前と迫っていた。高村はめきめき成長し、制球力も付いた。球速も140KM/H台をコンスタントに出る。カーブにもキレが増してきた。恒例の三十分走も常に一番を取るほどに成長していた。

 最後の調整として、上手の京浜高校との練習試合を組もうと上村は考えていた。

 練習後のミーティングで、

「最後の調整として京浜高校と練習試合を考えている。今週末だ。いいか、決勝戦の気持ちで向かっていけ」

「はいっ」

と選手たちは気合いを込めて返答した。


 その週の土曜日、京浜高校との練習試合が行われた。オーダーは


明慶大湘南

一 林田  遊撃手

二 桟原  二撃手 

三 永井  一塁手

四 藤堂  中堅手

五 武田  三塁手

六 後藤田 左翼手

七 赤川  捕手

八 梅川  右翼手

九 高村  投手


 京浜高校は投手手島、捕手寺井のバッテリーで試合に臨む。寺井は県下屈指のスラッガーで藤堂と並び称される選手だ。


 先攻、京浜高校。

 一回表、高村は先の紅白戦での苦い経験を生かそうと丁寧なピッチングで立ち上がりを三者凡退に切って取る。明慶大湘南も手島の前に敢え無く三者凡退。

 0-0。

 二回表、京浜高校の寺井が先頭打者。2―2からの五球目、カーブが甘く入り、右中間のツーベースを浴びる。

 続く五番がバントで一死三塁。六番がセンター前へ弾き返し得点。その後バントで走者を二塁に送るも実らず。1-0。均衡が破れた。

 その二回裏、四番藤堂からの打順。レフト前ヒットで出塁。五番武田のライト前で無死一・二塁。六番後藤田が送り、一死二・三塁のチャンス。七番赤川が右中間へ運び二者生還で逆転。1-2。その後、フォアボールなどで出塁するも、得点に結びつかずそのまま攻撃終了。

 その後両者譲らず、ゼロ行進で迎えた八回表、京浜高校はフォアボールからの走者をバントで送り、後続がライト前ヒットで一死ながら一・三塁。ここで寺井。

 アウトコースのボール気味のストレートをライト前に運ばれ得点。2-2に追い着かれた。

 その裏、藤堂のソロホームランが飛び出し再び勝ち越し。2-3。

 九回表の京浜高校は、高村が疲れを見せた所のボールを見極め、三者連続フォアボール。無死満塁のピンチ。4人目の打者も歩かせてしまい、押し出しで3-3のの同点に追いつかれた。

 二番の中島が打席に立つ。小技の持ち主でなかなか三振の取れる選手ではない。 初球のストレートを見逃し、0―1。続いて二球目、バットをスッと持ち替えスクイズ。考えていない作戦に同様した高村は、動揺してスタートが遅れた。ホームにトスするも間に合わず、三塁走者が生還。4-3の逆転で、再度無死満塁。三番は何とか三振で切り抜けるが、四番寺井に右中間の走者一掃のツーベースを浴び、7-3となる。

 明慶大湘南の最後の攻撃、手島の前に三者凡退。このまま試合終了。高村は敗戦投手となり、苦いデビュー戦となった。


 試合後に上村が、

 「負けはしたが収穫があった。高村は打たれるべき選手だけにしかヒットを許していない。攻撃は藤堂頼みでなく、いかに走者を次に進めるか、先頭バッターは出塁することを常に念頭に置き打席に立ってほしい」

 「はい」

 選手たちの声には覇気は無かった。

 

 いよいよ神奈川県大会予選の日となった。明慶大湘南は二回戦からのシードで順当に勝ち上がって行った。準決勝の箱根鉄道高校に苦しみながら勝利し、決勝へと駒を進めた。

 決勝の相手は先日敗戦している京浜高校。順当な勝ち上がりで決勝へ上ってきた。

 翌日、決勝当日を迎えた。

 「いいか、この間の借りは返して来い。借りっぱなしじゃ終われないぞ」

 「はい」

 気合いのこもった選手たちの声。浜横スタジアムのベンチ裏で出番を待つ両選手。決勝戦が始まる。


 明慶大湘南のオーダーは前回の試合と変更せずに臨む。

明慶大湘南

一 林田  遊撃手

二 桟原  二撃手 

三 永井  一塁手

四 藤堂  中堅手

五 武田  三塁手

六 後藤田 左翼手

七 赤川  捕手

八 梅川  右翼手

九 高村  投手


 「プレイボール」

 主審が右手を上げる。と同時にサイレンが鳴り響く。甲子園への切符を賭け、先攻明慶大湘南、後攻京浜高校で試合開始。


 一回表、明慶大湘南はヒットとフォアボールでチャンスを作ると、四番藤堂のツーベースで二者生還。後続は凡退。その裏の京浜高校の攻撃は三者凡退に終わり、スコア2-0。高村を援護した。

 二回裏、寺井の打席。高村はカーブを有効に使いサードゴロ。後続も打ち取る。

 三回、四回と両校走者を出すものの無得点で終わると、五回の表、藤堂にソロホームランが出3-0。

 六回裏、京浜高校は意地を見せ、上位から打線が繋がり寺井のライト前で3-2まで追い上げる。七、八回は両校得点無し。

 一点リードのまま、明慶大湘南は九回裏の京浜高校の攻撃を迎えた。

 五番からの攻撃。敢え無くツーアウトランナーなし。甲子園まであと一人となった。しかし、高村は肩で息をしている。勝ちを意識してか、七、八番をフォアボールで二死一・二塁。京浜高校は逆転のチャンスを作る。堪らず赤川がタイムを主審に要求し、内野手と共にに高村を取り囲む。

 「そんな固くなるな。思い切って行け」

 「そうだ、俺のミット目掛けて投げて来いよ」

 赤川がキャッチャーミットで高村の頭をポンと叩いた。

  しかしそのタイムも空しく、九番打者もフォアボールで二死満塁。一番打者まで回ってしまった。京浜高校ベンチは押せ押せムードだ。カウント3-2。高村の脳裏に先日の練習試合の負けが見え隠れする。

 1番に投じた六球目、わずかに外れてボール。押し出しで同点となってしまった。出塁状況は変らないが、二死満塁で京浜高校はサヨナラのチャンスとなった。

 ここで二番中島を迎える。一球目、ストレートが外角に外れてボール。二球目、カーブが決まって1―1。三球目、中島はバットを引いてバントの格好を見せる。

 「あっ」

 高村の脳裏に先回の試合の場面が過った。高村が投じた直球は、中島の頭部へと向かっている。ボールは中島のヘルメットに直撃してぼとりと足元に落ちた。中島はその場に倒れ込んだ。


「おーっとデットボールです!何という幕切れでしょうか!京浜高校サヨナラゲームで甲子園の切符を掴みました。しかし大丈夫でしょうか。投球は頭部直撃でしたからねぇ、柴木さん」

「そうですねぇ、ボールが打者の足元に落ちましたから。遠くにはじけた場合は心配無いのですが・・・」


 京浜高校の監督は臨時代走を出し、サヨナラデットボールで京浜高校が甲子園の切符を手にした。中島は担架に乗せられ救急車で病院へ搬送された。

 高村はマウンド上で、膝を折って茫然としている。

 「おい、整列だぞ」

 マウンド上の高村を藤堂が肩を抱えてホームプレートに並ぶ。

 「ゲーム」

 主審が宣言する。京浜高校の選手たちは校歌を大声で歌い終えると、アルプス席の方へ一目散に飛び跳ねて行った。一方、明慶大湘南ナインは愕然としてアルプス席に一礼してベンチへと向かった。その場で蹲る選手や涙を拭う選手も見られた。 高村は朦朧として藤堂に抱えられたままだった。


 その翌日、上村、藤堂、高村は中島の一件で謝罪のため京浜高校へ出向いた。

 「今回は大事な選手を怪我させてしまい、誠に申し訳ございません」

 三者は頭を下げた。

 「中島はまだ意識が戻らないそうです。大事に至らなければいいのですが」

 「私たちもそう祈っています」

 「まあ、硬式野球をやっているのですからこういう事もあるでしょう」

 「はい、そう言って頂けると助かります」

 上村が返答した。

 中島は昏睡状態を続けていた。

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