第2話 遅咲きの救世主

 金山の事件から五年が経過しようとしていた明慶大湘南高校野球部は、その影響からか有望な選手が入学を敬遠し出し、戦績も地区大会でも二、三回戦止まりと精彩を欠いていた。


 監督の上村正樹は事件後の硬式野球部の顧問を引き継ぎ、将来性のある選手の獲得に奔走する日々が続いていた。新年度を迎え、例年の如く校内を隈なく廻り、新人発掘に奔走していた。と言っても校内を走っているわけではない。

 唯一の光明は、主将である藤堂武春という地区でも名の通るスラッガーがいることだった。藤堂は右投げ左打ちの外野手で、高校通算本塁打35本を放つ一方、左右に打ち分ける技術を兼ね揃えていた。人間的にも責任感が強く物静かなタイプで、チームからの信頼が厚くチームの求心力の中核となっていた。

 「あとはピッチャーなんだけどなぁ」

とぶつぶつ言いながら、上村は体育館の横の廊下を少し遅めの歩様でぼさぼさ頭を掻き毟しっている。


 「おまえへったくそだな」

体育館から誰かをからかう声がする。暇な生徒たちがバスケットボールのフリースロー対決を三、四人でやっているようだ。上村はぼんやりとその光景に目を遣る。

 「じゃぁ高村やれよ」

 「やだね」

 「何でだよ」

 「めんどくせ」

 「入んねえんだろ」

 「そんなことはない」

と言って、すくっと胡坐をかいている状態からすくっと立ち上がると、かなりの長身であった。190センチメートルくらいであろうか、バスケットボールを受け取ると高村なる長身の彼は、スリーポイントゾーンの45度くらいの角度からひょいとゴールに向かってバスケットボールを投げ込んだ。放物線を描いたそのボールは、見事ゴールリングを通過した。

 「やるじゃん」

 「別に」

その光景を目の当たりにした上村の体に電流が走った。

『ビンゴ』

と一言呟いて、つかつかと高村なる男子生徒の元へと向かう。

 「君は新入生か」

 「まあ、そっすけど」

 「部活決めたか」

 「いいや」

 「バスケットは経験があるのか」

 「かじった程度だけど」

 「そうか、野球なんかどうだ」

 「無理、無理。殆どやったことねぇし」

 「そう言うな、やってみなければ分からんだろう」

初対面なのに馴れ馴れしく高村の肩や腕の筋肉を確認しながら話を続ける。

 「どうだ、真剣に何かに打ち込んでみないか」

 「・・・」

 「まあ、即答はいいから、練習を見てからでもいい」

上村は高村を背にして体育館の出入り口へ向かうと、掌をグーにして小さくガッツボーズをしていた。

『あいつに賭けてみよう』


上村と高村との運命的な出会いから三日が経とうとしていた。

 「今日も駄目か・・・」

上村はそっと肩を落として呟いた。

 「どうしたんですか、監督」

普段から明るい上村を気遣う様に主将の藤堂が話し掛けて来た。

 「いやなぁ、三日前光る原石を発見したんだよ、ピッチャーのな。だが一向に姿を見せない」

 「そうですか。まあ気長に待っていた方がいいじゃないですか?」

 「そうなんだが、落ち着かなくてな」

 「本人がやる気があるかどうかですから。ま、神様は監督の味方であることを祈りますよ」

 少し笑いながら藤堂は練習と戻って行った。時は四月。地区予選まで三か月。時間が無い。


 練習も終盤に差し掛かり、夕闇が辺りを包む様相を呈してきた。

 「最後はシートノックで上がりだ。気合い入れていけ」

 ノックバットを片手に右バッターボックスで上村が指示を出した。

 「よし、じゃサード」

 持っているボールを上に少し放り投げた瞬間、三塁側のネット越しに背の高い学生服の生徒が練習をそれとなく見ている姿が上村の眼に入った。その事に気を取られボールをぼとりと地に落としてしまった。上村は、一目で高村だと確信した。ボールを拾い上げ、

 「ああ、悪い悪い。もう一度サード」

 普段より気を張って三塁へボールを打ち放つ。内外野に一通りのノックをした後、キャッチャーフライを高々と打ち上げ、本日の練習は終了となった。

 部員たちはグラウンドの整地へと向かう。一方、上村は背の高い高村の元へと向かう。

 「おお、来てくれたか。待ってたぞ」

 「はぁ」

 「じゃあ、早速明日からみんなに混じって練習してくれるか?道具やユニフォー  ムは持っていないんだろ」

 「ないっす」

 「そうか、お古でよければ用意しておくから心配するな」

 「はぁ」

 練習を見に来た割には、気のない返事が多少気になったが、ともあれ高村は硬式野球部に入部する事となった。


 翌日、授業が終わり放課後になると、生徒たちは各々部活や帰宅の途に就くもの様々だ。硬式野球部の一年生は道具出しや、整地をするため小走りにグラウンドへと向かっていく。その後二年、三年とグラウンドへ集まって来る。

 午後四時半、いつも通り監督の上村を取り囲んで、練習メニューについて話が始まるが高村の紹介が先に行われた。

 「今日、入部してきた高村だ。一言挨拶してくれ」

 「えーっと、高村光太郎です。野球は殆ど経験がありませんが、宜しくお願いし ます」

 部員たちは温かい拍手を送る。高村は照れ隠しに頭を搔きながら一礼した。

 「よし、おまえらもう地区予選まで時間が無い。それぞれ何か課題を持って練習に励んでくれ。いいな」

 「うーす」

 と重低音の返事が返ってくる。部員たちはグランドへ散って行った。

 「おい、高村、お前は別メニューだ。お前にはピッチャーになってもらう。うち  のチームは投手力が課題でな。お前にひと肌脱いでもらおうと思っている。ラ  ンニングと準備体操が終わったら、ブルペンへ向かってくれ」

 「ブルペンって何すか?」

 「ピッチャーが投球練習をする所だよ。日よけの傘があるところだ」

 「ああ、あそこね」

 ブルペンも知らなくて大丈夫か?と思う上村だったが、自分の目に狂いはないことは確信していた。

 準備体操が終えると、上村と高村は小走りにブルペンへと向かった。

 「まずは野球をする前に言葉遣いを直せ。それと態度もな。それと先輩たちの行  動を見てサポートすることも大事だ。同期とも仲良くして色々教えて貰え」

 「はぁ」

気のない生返事を上村に返した。

 「めんどくせーな」

高村は上村に聞こえないような声で呟く。

ブルペンに到着すると、

 「おい、グローブだ。」

右投げ用のグローブを高村に手渡すと、

 「監督さん、俺投げるのは左なんだけど」

 「おお、そうか。悪い、悪い」

上村はキャッチャーミットで頭をポンと叩いてにやりとした。

「左とは嬉しい誤算だ」



 「白い板があるだろ、そのプレートから思いっきり投げてみてくれ。」

 「はい、はい」

マウンドに登った高村は、ピッチャープレートから思いっきり上村へとボールを投げ込む。が、放たれたボールは上村の構えたミットには行かず、かなり高い所への暴投。しかし、その速度に上村はほうと感心した。およそ130KM/h後半くらいは出ている様に感じられた。その後、20球ほど投げ込んだが、半分以上は暴投であった。

 「よし、今日は終わりだ。明日から道具を揃えてみんなと合流しろ。」

 「はーい」


 翌日、高村は先輩のお古の練習着を着てみたものの、若干短めで「つんつるてん」な感じになった。左投げのグローブも先輩の使わなくなったものだった。本人はあまり気にしていない様だ。

 「教育係は藤堂、よろしく頼む」

 「わかりました」

 「じゃあ、練習を始める。気合い入れていけ」

 「おーす」

 部員たちは散り散りにグラウンドへ向かって走り出した。最初のメニューはランニング。三人ずつ縦に並んでグラウンドを三周する。

 「明慶、ファイ、オー、ファイ、オー、ファイ、オー」

 掛け声をあげて三周する。ただ三周するのではなく、呼吸と列を合わせて走る。高村は、要領が分らず何となく調子を合わせる。

 ランニングが終わり柔軟体操。高村は主将の藤堂とペアになって体操をこなす。意外と柔らかい体である事に藤堂は少しびっくりした。

 「お前、意外と柔らかいな」

 「そっすか」

体操をしながら会話する。

 「一つ言っておくが、野球をやる以前に正しい言葉使いをすることが基本だ。先輩を敬い、同期、後輩を大切にする事が大事だからな」

 「はい」

 上村と同じ様な事を言われた事に気づき、即座に言葉遣いを改めた。彼なりに何か感じるものが合った様だった。

 柔軟体操を終えると、キャッチボールを始める。予めキャッチボールのペアは決まっており、部員たちは一斉にボールを投げだす。    

 高村は藤堂と組む。

「キャッチボールは、野球の基本中の基本だ。俺の胸に向かって投げろ」

「わかりました」

 キャッチボールを始めた二人だが、高村は本格的にキャッチボールをするのが初めてだった。案の定、藤堂の胸元にはなかなか投げられず、左右に行ったり、ワンバウンドしたり、はたまたとんでもない上ずったボールを投げてしまい、藤堂を少し困らせた。十分程経ってトスバッティングを始める。

 堪り兼ねた上村が、

「おい、藤堂。トスに合流しろ」

と声を掛けると、藤堂は皆と混ざって行った。

「俺が相手になる。今日は一日キャッチボールだ」

「わかりました」

 今度は高村が上村に向かってボールを投げる。やっぱり上手く投げられない。

「課題は山積みか」

 頭を悩ませながらキャッチボールを続ける。


 二日、三日と経ち、段々まともに投げられる様になった。上村は少々感心した。

十日くらい経つと、呑み込みが早く他の部員と遜色ない程になっていた。

 「よし、じゃあブルペンで投球練習だ」

 「はい」

 二人は小走りにブルペンと向かう。キャッチャーとして上村が投球を受ける。

 「自分の力の8割くらいの感覚で投げてみろ」

 「わかりました」

 ゆっくり振りかぶって上村に投げ込んだ。少し浮いた球だが、最初に球を受けた時よりはるかにキレのあるボールだった。上村は無言で高村にボールを投げ返したが、その心中は微妙に高まっていた。


 「よし、じゃあ10球投げてみろ」

 「はい」

高村は返答すると、黙々と上村のミットを目掛けてボールを投げ込む。ビシンと上村のミットが音を立てる。隣のマウンドにいる三年の投手もちょっとびっくりした様子だ。かなりの成長と併せて、だんだんストライクゾーンに球が入るようになっていた。

 「よぅし、ラストだ。思いっきり投げてみろ」

 「はい」

とセットポジションからボールを投げ下ろす。シューっと糸を引くような球筋で上村のミットに吸い込まれるように収まる。

 「いいぞ。今日はこれで終わりだ。また明日やるぞ」

 「ありがとございました」

 一礼してブルペンを後にする。上村は球を受けた左手をぶらぶらさせながら笑みを浮かべた。


 藤堂と高村は、家の方向が同じで帰り道も途中まで一緒だった。

 「高村、大会まで日が無いが、それまでに何とか頑張ってくれ。監督もかなり期待している様だ。大変だと思うが、俺もできるだけサポートするつもりだ」

 「自分でもよく分かりませんが、できるだけ力になれる様に努力します」

 「そうか、まぁ細かい事は抜きにして、只管がむしゃらにやるしかないな」

 「はい、自分は細かい所まで分からないので、キャプテンの指導がとても為になってます。」

 「そう言ってもらうと嬉しいよ。できないヤツの成長を見るのも楽しいしな。皆、最初はそういうもんだ。俺も初めて野球を始めた頃は何にも考えていなかった。できなかった事ができるようになる事ほど嬉しいことは無い。お前は急成長しているから分からないだろうが、野球というものは実に奥が深い。それが分かると一段と楽しみが増えるんだ。そこまで短期間に分かれというのも酷な話だが、経験を積んで得られるものだしな。大会の勝ち負けよりも野球の奥深さや、できない事が成果として得られたときの嬉しさを感じられれば俺としてはそれでいいと思う」

 「自分は新参者なので、言われた事を着実に熟せる様に気をつけます」

 「よし、明日も頑張ろう」

 「はい」

 「じゃぁな」

 「明日も宜しくお願いします」

そういって藤堂と高村はそれぞれの家路と歩を進めた。

 風薫る五月、県大会まであと二か月。

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