百八つの赤い縫い目

最近は痛風気味

第1話 名門校の名折れ

 私立明慶大湘南高等学校野球部は、過去甲子園出場十回の神奈川県下の名門校で、今年も県大会の下馬評ではおそらく優勝するだろうと目論まれていた。それもその筈、県下で知らない者はもぐりだとも言われている、金山信也が4番に居座っているからでもあった。左投げ左打ちの、或る漫画の主人公を想像させる体格の一塁手だ。彼は公式試合本塁打40本を放つほどの強打者だ。


 平成三年夏、神奈川県大会予選も準決勝を迎えていた。明慶大湘南も順当に駒を進めていた。準決勝の相手は全員野球が信条の箱根鉄道高校だ。

 試合は意外にも箱根鉄道高校が食い下がり三対三の同点で九回表を迎えた。箱根鉄道高校はラッキーなヒットからバントで送り、一死二塁。ここで次の打者がセカンドゴロを放つ間に二死三塁となり勝ち越しのチャンスを迎えた。明慶大湘南の投手、梶原はしきりに額の汗を拭い、動揺を隠せずにいた。三番バッターを迎えた梶原は、コントロールが定まらない。

 初球、外角のストレートが外れボール。二球目、逆玉のストレートがインコースに行きストライク。ワンボールワンストライク。三球目、カーブがど真ん中に行き、失投したがタイミングが合わず空振り。梶原に余裕がよぎった。四球目、その余裕が仇となった。決めにいたフォークがワンバウンド、捕手が後逸しワイルドピッチで三塁ランナーが生還し土壇場で逆転した。

 その裏、明慶大湘南は一番からの好打順だったが、野手の正面を突いた当たりが続き、あっという間に二死になった。明慶大湘南は絶体絶命に立たされた。しかし、三番の大井が粘って四球を選び、二死一塁。ここで四番の金山に打順が廻ってきた。一発出ればサヨナラのチャンスとなった。

 初球、外角のボール球を金山が強振。バットが空を切る。0―1。二球目、投手が警戒しているのか、またも外角に外れボール。1―1。三球目、カーブが甘く真ん中外目に行ってしまった。金山は逃さず強振、打球はセンター方向へ伸びていく。ボールは放物線を描きながら、バックスクリーンに吸い込まれていった。劇的な幕切れで五対四のサヨナラ勝ちを収め、決勝へと駒を進めた。


 「いやぁ、今日はヒヤッとしたけどいい勝ち方だったなぁ」

 「そうだな、金山様々だよなぁ」

 「まぁ、この勢いで甲子園だな」

 「まぁ俺様の力なんてのはこんなもんじゃないよ」

 と誇張して金山は答えた。

 「おい、みんな。ちょっと早いが、祝賀会やろうぜ」

 と、金山は提言した。

 少し間があって、

 「き、今日もいい勝ち方したし、一丁やりますかぁ」

 「そ、そうだな、そうしよう」

と、皆賛同した。

 「じゃあ、それぞれ飲み物持参でひまわり公園に八時集合な」

 「おー」


 夜八時前、人も疎らなひまわり公園周辺は人通りも少ない。路上駐車の車両がぽつぽつ有るばかりだ。程無くして、数本の炭酸飲料を抱えた丸坊主の若者が、四方八方から集まってくる。最後に金山がやってきた。

 「みんな集まったか?それじゃあ、甲子園出場確定祝勝会始めまーす」

 金山の発声と同時に全員が一斉に缶を振り始めた。

 皆歓喜の声を出しながら、溢れ出る炭酸飲料を互いにかけあった。

 ふと金山の手元を見た某が、

 「キャプテン、それビールじゃね?」

 「そうさ。そんな時はこれよ」

と言いながら美味そうにビールを口にしている。

 その瞬間、路上駐車の車両の隙間から一閃の光が金山に向かって放たれた。その事に誰も気付いてはいなかった。その後も若者達の宴は続いていた。


 狂喜の勝利から一夜明け、決勝戦の本日は激しい雨が夜中に降り、朝方も結構な雨が降り続き、試合は順延となった。

 昨日のヒーロー金山は、朝方のコンビニへと歩を進めていた。目的は自分の活躍をこの目にするために、新聞を買いに出掛けた。コンビニは徒歩三分くらいの距離にあった。急いでいたため、傘を忘れて濡れながら小走りに店内に入って行った。店内はまだ早い時間だったため客数も少ない。

 「神スポ、神スポっと」

と呟きながら、神京スポーツ新聞を手に取る。レジで精算を済ますと、建物の傘で新聞を開く。

 鼻歌混じりにざざっと新聞を一枚、二枚と拡げて、三枚目で手が止まる。

 「えっ・・・」

 金山の手から新聞がばさりと地面に零れ落ちた。

 「明慶勝利の立役者、金山が美酒に酔いしれる」

 という文字が踊り、金山が飲酒している写真がでかでかと掲載されていた。

 「そんな馬鹿な・・・」

 金山は焦点が合わないまま、七月の生暖かい雨に打たれ続けていた。


 早速明慶大湘南高の野球部員が学校へと呼び出された。

 「おい、お前ら。どうなっているんだ!」

 選手たちは、項垂れて誰もしゃべろうとしない。

 「どういうことだと言っているんだ!」

 監督の顔面は硬直し、怒りが収まらない。副主将の斎内が重い口を開いた。

 「昨日、金山のお陰でいい勝ち方をしたので公園で盛り上がって・・・」

 「盛り上がってどうした」

 「・・・金山だけビールを飲んでそれで」

 「それでどうした。ふざけるな!何様のつもりだ。プロ野球の猿真似か。呆れてものも言えない。おまえらはそんなことを出来るような身分じゃ無い事くらい分かってるだろ。しかも甲子園出場があと一歩のこの大事な時に何やってるんだ!涙も出ねえよ」

 金山は一点をぼーっとしてうつろな表情をしている。

 「このあと大会本部から連絡があると思うが恐らく出場停止だろう。それまで自宅待機してろ。わかったな」

選手たちは、こくりと頭を縦に振った。当の金山は未だに一点をぼーっと見詰めている。

 帰宅の途に付いた選手たちは足に錘が付いている囚人のように足取りが重かった。

 「やっぱり出場停止かなぁ」

 「そうだろ」

 「あんだけでかでかと載っちゃえばなぁ」

そんなことを呟きながら各々家路に付く。その日の午後、電話で出場停止処分が各部員に知らされる事となった。

 結局、神奈川大会の優勝は常連の京浜高校が甲子園の切符を手中に収めた。

 

 甲子園の熱戦も終わり、京浜高校も二回戦敗退であった。と同時に、明慶大湘南高の硬式野球部員の夏も終わった。後は普通に学校に通う毎日だけが残される事になった。

 

 九月一日、夏休み明けの登校日である。元副主将の斎内が一緒に登校しようと金山の自宅を訪れていた。

「ピンポーン」

 金山家の呼び鈴を押す。反応がない。もう一度呼び鈴を鳴らす。またも反応が

ない。

「信也くん、いますかぁ」

と言いながら玄関のドアをそろーっと開ける。

「お邪魔しまーす」と小声で家の中に入るが一階には人気がない。二階から母親の、金山の名前を連呼する声がする。ゆっくりと階段を上る。母親の声がはっきり聞こえ、その声は啜り泣いているようだ。

「信也く・・・」

声のする部屋の戸を開けた。

 金山は紐を首に巻いて吊るされている。その足元に縋る母親。父親はその場で正座をして佇んで動かない。

「おい、金山。大丈夫か!何て事してんだ馬鹿野郎!」

と震えながら紐に吊るされている状態から解放し横に寝かせた。

「おい、解るか、斎内だ。金山!お母さん救急車、救急車呼んでください!」

と言ったものの、名前を連呼して泣き崩れる母親にはまったく届かない。

「お父さん、早く救急車を!」

父親もショックの余り、未だにぼーっと正座したまま佇んでいる。

 机の上には遺書らしきものがあった。

「すべてぼくのせいです。もういきていけません。とうさんかあさんごめんね」

平仮名で子供の字のような筆跡だった。

 それを読んだ斎内は慌てて119番に電話した。およそ20分後、サイレンが辺りに響き渡った。


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