第3話

 小テストを白紙で提出して、迎えた放課後。

 もっと早く教室から出られるはずだったけど、学級委員長のお叱りが続いて中々帰れなかった。クラスメイト全員には宿題が課された。土日を挟むから時間はあるけど、一体何人やってくるだろうか。週明けには何人生きているだろうか。

 宿題として課された問題集を開いてもさっぱりだ。先輩に教えてもらうのもいいかもしれない。そう思って、先輩の場所に向かう。

 放課後の先輩の行き先は、科学実験室だ。先輩は放課後には化学部に顔を出すのだ。

 今の化学部に残っているのは、昼休みに顔を合わせるあの女のような、どこの馬の骨とも知らぬ相手ではない。わたしの中学からの同級生で、友人だ。


「遅かったわね、でも丁度よかった。これから始めるところだったのよ」


 白衣の彼女はわたしを笑顔で出迎えてくれる。先輩はわたしにへたくそな笑顔を向けてくる。先輩は彼女に実験台にされるのだ、暴れないようにロープで椅子に縛られている。そんな状態。多少の醜態は大目に見てあげよう。

 適当な椅子に座る。友人は薬品を計量して混ぜている。試薬瓶のラベルには明日には忘れそうなカタカナが記述されている。それら薬品を組み合わせて水か何か液体に溶かしている。

 青く濁ったそれをろ過して、先輩の口に流し込む。わたしは眺める。先輩は目を見開いて、口を大きく開く。痙攣して、椅子ごと前に大きく飛び上がる。わたしは眺める。何度か痙攣を続けたのち、先輩が動かなくなる。

 わたしは眺めるのをやめて、立ち上がる。先輩のロープを外してあげる。椅子をどかしてあげる。先輩の心臓は止まっている。


「また失敗かぁ。分量が良くなかったのかしら」


 失敗というのに、あっけらかんとしたものだ。あるいは、科学者になるにはこのくらいのメンタリティが必要なのだろうか。


「もっと慎重にやってくださいね。もう、あんまり人の先輩をおもちゃにしないでください」

「わたしの先輩でもあるし、おもちゃになんてしてないわよ。それにわたしと先輩、二人の合意の上でやってるんだから」


 わたしには彼女と先輩が何をしているのか分からない。聞かされていない。ただ彼女は薬を作りたくて、先輩がその被験者になっている。先輩がわたしに教えてくれたのは、そのくらい。


「もう三時よ。どう? おやつに食べる?」


 横たわる先輩をカッターで薄くスライスして、彼女はほらと渡してくる。わたしはそれを手で制す。


「今日は、いいかな。薬でダメになった先輩は、あんまりおいしくないし……」


 断ると、彼女は不思議そうに眉をひそめる。


「薬品で少しおかしくなった程度で食べられないって、それって、先輩のこと、ほんとに好きなの?」

「好きって」

「ああ、もちろん恋愛的な意味でだから」


 後付けの注釈に対して、何を突然冗談をと思う。けれど彼女は純粋な疑問だと彼女は首をかしげる。


「好きだから、あなたは先輩を食べるんでしょ?」


 急に、何を、言い出すのだろう。わたしが先輩のことを、好きだなんて。

 確かに、そう勘違いされるのは、仕方ないかもしれない。私は先輩とずっと一緒にいるから。

 でも、普通に考えて、好きな人を食べるわけないじゃないか。


「わたしは先輩のことはおいしいと思うけど、別に、先輩のこと……」


 先輩はおいしい。そこは疑いようがない。わざわざ他の人と味比べなんかしなくてもわかる。リンゴが上から下に落ちるくらい当然のことだ。そこに恋愛感情が含まれているはずもない。

 ――でも、そもそも、なんでわたしは先輩を食べるようになったのだろう。

 頭が痛い。ひどく痛い。割れそうになる。その場にうずくまる。

 こんなつらいときは、今までどうしてもらったっけ。ああ、先輩に慰めてもらったのだ。先輩は優しい。わたしが苦しいときは、いつも気付いて、何も言わず、傍にいてくれる。

 縋るように、先輩を見てしまう。先輩はうつぶせに倒れて、物言わぬ死体になったまま動かない。

 わたしを心配する友人。彼女がまだ持っていた先輩を、ひったくって口に入れる。なんでだろう。全然おいしくない。先輩はおいしいはずなのに。おかしい。おかしい。絶対おかしい。


「わたし、帰る」

「……先輩のこと、待っていかないの?」

「ごめんって、伝えておいて」


 そう言って、駆け足でその場から離れてしまう。

 ほんとはごめんだなんて、謝る気持ちは一つもない。わたしがこんな気持ちになるのも、全部先輩のせいなのだ。







「ねえ、もう生き返ってるんでしょ?」


 白衣の少女は、傍らの死体に話しかける。死体は声を受けると、何事もなかったように起き上がる。彼の身体に、傷の一つも残っていない。


「迷惑、かけるね」

「それこそ、お互い様よ。こうなる前からそう。わざわざ言わなくてもいいわ」


 少女は何気ない風に言う。少年は笑顔で返してから、顔を引き締めて口を開く。


「あんまり、あいつをいじめないでやってほしい」

「いじめって、また人聞きの悪い」


 少女は呆れたように、大きくため息をつく。


「そもそも、あなたが煮え切らないのがよくないの。こんな風になった世界で、あなたは、あの子をどうしたいの?」

「……」

「私の見立てだと、何もしなくたってあの子はこのままだと壊れる」


 だから、あなたはどうにかしなきゃいけない。そうでしょ? と少女は問いかける。


「ここまでが、私にできる最大限。私はこれ以上は手伝えない。私が辛うじて正気を保てているのは、貴方が試験体になってくれているから。それには感謝してる」


 でも、と続ける。


「世界のヒーローにはなれなくても、最後くらい、あの子のヒーローにはなってあげて」

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