三、山の霊

三、山の霊(1)

 頭の中が真っ白になり、指先は微かに震えた。

「詳しく解るのか?」

 ミツハの問いに、冷たい水を打ちかけられたように、多津野たつのは何とか冷静さを取り戻した。今一度結び目を指で辿る。結び目の組み合わせを読み解き、呟きながら内容を整理する。


 宇都志うつしの使者が三人、郷に現れたこと。鷹森たかもりの外では既に水のれた郷邑さとむらのあること。宇都志には水を涸らしている原因が鷹森にないか疑われていること。その疑いを晴らすため、弥守みもりが自ら人質となって宇都志に連れて行かれたこと。次の新月までに多津野が赤星あかぼしを射落とさねば、弥守の命の保証はないこと。


 以上が、郷で起きたことのおおよその顛末であった。

 ——兄上の命が危ない。

 しらせの内容を考えれば考えるほど、多津野の心中には焦燥と不安とが次から次へと湧きいでた。

 幼少の頃から二人で支え合って生きてきた。かけがえのない家族の身が危険に晒されていると知って、平静ではいられない。


「そうか。では、行くぞ」


 混迷する思考を中断する声に、多津野は戸惑いながら顔を上げる。

「待ってくれ。どうすればいいか考えさせてはもらえないのか?」

「何を考える必要がある?」

 冷たくミツハは言い放つ。

「戻ってこい、とは言っていないのだろう?」

 確かにそうだ。

「そなたの務めは赤星を射落とすことであろう。それが無事に遂げられるよう、そなたの兄は人質になったのだ。そなたが今ここで引き帰せば、折角の兄の犠牲を無駄にするぞ」

 多津野は我に返る。ミツハの言うとおりだった。多津野が今すべきことは兄を心配することではない。

「……そうだな。兄上は、おれよりずっと賢い」

 郷にとって最善となるよう、先を見通して動ける人だ。

 今回だって、何か思うところがあって自ら宇都志に行ったに違いない。

 信じて、任せよう。兄ならばきっと何とかする。

 一人で何度も頷き、多津野はやっと己の心を落ち着かせた。

「ご苦労さま、佐久さく。報せてくれてありがとう」

 愛鷹の頭を指で撫でると、甲高い声で嬉しそうにこたえてくる。

「お前にあげられるものがあれば良かったんだけど……」

 荷の中を探りながら良いえさが見つからず残念そうに肩を落とす多津野に向かって、ミツハが溜め息混じりに言う。

其奴そやつに帰りの餌はいらぬ」

 え、と呟いて多津野はミツハと佐久を交互に見た。

「其奴は帰らずに、そなたの助けとなるつもりだぞ」

「佐久の心が解るのか?」

「同じ言葉でしか通じ合えぬのは人間くらいのものじゃ」

 ミツハは呆れたように嘆息した。

 佐久を見遣みやると、ミツハの言うことを肯定するかのように多津野を見つめ返している。

「あんた、やっぱりすごいな」

 それは実に純粋な感想であり、称賛だった。ミツハが人ならざる者ならば、鳥や獣の心が解るのも不思議ではない。そうと解っていても、自分にできないことができるのはすごいと、多津野は何のてらいもなく思えるのだった。


 おう、と先を促すように佐久がく。愛鷹に応じ、多津野は腕を振り上げた。その動きに合わせ、佐久が腕から飛び立つ。

 羽ばたきは天高く舞い上がり、大きくひろげた両翼が風を捉えた。まもなく、灰色の影となって多津野らの上空を旋回し始める。

「先へ導いてくれるらしい」

 またもミツハが佐久の動きをんだ。


 多津野は鷹に導かれたという先祖のことを思い出す。

 ここは裂地さくちの神が棲むという山である。鷹森の人間にとっては特別な場所だ。ミツハと出会えたことも、佐久が多津野を見つけて導こうとしていることも、何らかの力による巡り合わせなのやもしれぬ。

「行こう」

 多津野は荷を背負う。川岸の脇を登り、木立の中の獣道へ分け入った。

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