二、鷹の主(2)

 おうなに導かれ、畑の脇の木蔭に三人腰掛ける。

 話の口火を切ったのは鷹主彦たかぬしひこであった。

「空に妙な星が現れたのには気付いておるか」

「ええ。あの赤星あかぼしでございましょう」

 堅香子かたかごは天を仰いだ。

 真昼の空に赤い光を放つ星。

「あれが現れてから、夜天の星々が消えてしまいました。何か良くないことが起きるのではないかと、むらの者達も不安に思うております」

「残念だが、わしにはその不安を拭ってやることができぬ」

 堅香子は片眉を上げ、鷹主彦の顔を見た。

弥守みもりたのじゃ」

 歳を重ねて色の薄くなった嫗の瞳が大きく開かれる。

「更にこの者が視たところによれば、水がれるらしい。我が郷の川は無事だが、外の郷は水を失うところもあるそうだ」

 嫗は息を呑み、うつむく。

 果たして信じてもらえただろうか。

 星見の力は視えぬ者にとっては妄言にも等しかろう。実際に、弥守が星見の才に目覚めた幼い頃には、周囲の者達に気味悪がられることも珍しくなかった。そのため今では、弥守が星を読めるということは、鷹主彦と多津野、それと一部の側近だけが知る秘密となっている。

 星を読んだとき、弥守は必ずその内容を父へ伝える。しかし父はそれをそのまま外に伝えるわけではない。星見の内容を元にして、郷の民が無事に過ごすための方策を練り、行動する。そうすることで、民にとっては鷹主彦が先を見抜く優れたおさとして映るのみで、弥守の力が気付かれることはない。

 しかし今回ばかりは、星見を隠して民に事を説明するのは困難だ。大水おおみず山犬やまいぬの出現といった程度の話ではない。如何に見識があろうと、郷の外で水が涸れるなどという事態を見通せはしない。信じてもらうには、自身の星見の力を隠さず、弥守が自ら視たことを語るしかないのだ。

 何も知らない邑人むらびとに星見の力を信じてもらうことは難しい。だが、信じてもらえなくても、説くしかない。

 館にいるばかりで郷の民との関わりを持ってこなかった己を悔いる。信じてもらえるか解らないことを話すのは、恐い。しかし、それくらいせねば、鷹主彦の息子だなどと称するのは恥ずかしい。

 はらの中身が迫り上がってきそうな感覚を押し込んで、弥守は堅香子の反応を待った。

「我らは再び郷を捨てねばなりませぬか?」

 嫗の口から出た言葉は、弥守にとって意外なものだった。

 彼女は弥守の星見を信じてくれたのだ。故に、どのような危機が迫っているのか思い至ったのだろう。鷹森の川は涸れぬとしても、自分たちの暮らしが守られるわけではない、むしろ危うくなるのだと。

 嫗の訴えるような強い視線に、鷹主彦は返答にきゅうした。無論、郷の長として郷を守る所存ではあろうが、守り切れる保証などどこにもない。外の勢力の規模も、強さも、長らく山々に囲われた郷での暮らしに慣れてしまった鷹森の者には正確な判断がつかない。無責任な返答はできない。そんな父の葛藤を察し、弥守が嫗へ答える。

「いいえ。そんなことにはさせません」

 迷いなく言い切った弥守に、鷹主彦も堅香子も瞠目していた。弥守は更に言葉を継いだ。

「水をす元凶であるあの赤星を止めるため、私の弟が川上の山へ入りました。多津野は、必ずや赤星を射落とすでしょう」

 嫗は弥守へ鋭い視線を向けた。皺の刻まれたまぶたの奥から覗くのは、その言が嘘か真か探る容赦のない目だ。

「それも、弥守様がご覧になったことでしょうか」

「ええ、明瞭はっきりと。私にはその様が視えました」

 弥守が目を逸らさず頷くのを見て、嫗の目尻に柔らかく皺が寄る。

「ほんに、よく似ていらっしゃる」

 堅香子の反応に、今度は弥守が驚いた。

佐々良ささら様もまた、星をお読みになりました。夜空の中に、私どもには見えぬ物事を視ていらした。普段は物静かでたおやかなお方なのに、星のことを語るときは決まって、毅然と断言なさった。貴方はお母君の血を濃く受け継がれたのですね」

「母上が……?」

 星見の力を持っていた?

 弥守は物問いたげに父を見遣みやる。

 しかし確かに目が合った筈なのに、鷹主彦は弥守に答えようとはしなかった。

「弥守様がご覧になったのならば、それはまことのことでございましょう。我らは事が為されるのを信じて待つのみです」

 無数の皺に縁取られた嫗の目は、弥守を越え、遠くの空を眺めていた。

「私は幼き頃、親に手を引かれて険しい山道を逃げ彷徨さまよい、やっとこの地に落ち着けた。生まれたところを離れるのは辛かったが、休めるところがないことの方がずっと辛かった。同じ思いを邑の幼子おさなごらにはさせとうない」

 畑の方から子供達の甲高い笑い声がする。

 元気よく駆け回り、飛び跳ねて遊んでいる。

「そうですね」

 無邪気な姿がひどく羨ましく、愛おしい。

 自分には許されなかった幸せを、この子達から奪いたくない。

 弥守と堅香子は同じ思いを抱いている。

「川より西の邑には、特に警戒をしていてもらいたい。郷の外の者が来るとすれば、西の山の向こうからであろうから」

 鷹主彦が請うと、堅香子はすぐさま頷いた。

余所者よそものを見たら、館へ鷹を飛ばせ。相手が武者であれば、向こうが手を出してくるまで、こちらから手を出してはならぬ。もし飢えや渇きに窮した者であれば、助けてやれ」

「かしこまりました。邑の者達にはよく言っておきます」

「儂はこれから鷲羽わしばの元へ向かう。話は付けておく故、何かあればまず奴を頼るが良い」

 鷹主彦の言葉に堅香子の表情が少し強張る。

「弥守様もお連れになるのですか」

 堅香子に問われ、鷹主彦は怪訝けげんそうな顔をした。

「無論そのつもりだが。何か障りがあるか?」

「いえ……」

 堅香子は言葉を濁し、心配そうに快晴の空を見上げる。その視線はそのまま弥守へ向けられた。

「あまりご無理はなさいませぬよう」

「え?」

 何かを見透かされたような一言に、どきりと胸がねる。

 堅香子はそれ以上、弥守に言葉をかけなかった。

 弥守も尋ね返す機を逸してしまい、父に促されるまま、堅香子の邑を後にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る