二、鷹の主
二、鷹の主(1)
山々は常と変わらない。
今日もそこにあり、明日もきっとそこにある。
悠然と
季節が移ろうときはまた格別だ。
山野が纏う色を変える時間は短い。その
日に日に、山の青が濃くなっていく。夏が迫っている。
命の盛りの季節。いつもならその訪れを喜ぶところだが、
そろそろ、
弟を想い、弥守は東を
神の
そこから流れ来たる水。
山の奥から止め
鷹森を流れる川はこの一筋のみだ。この川が鷹森の人々の生命を支えている。弥守の星見では、この川は
恐らく、既に水は涸れ始めている。
鷹森とは別の水源の川、池、沼。
そこに住む人々の絶望した表情。
あの夜、星々に見せられた光景が脳裏に蘇る。
山向こうの他の郷ではどこまで事態が進んでいるだろう。
一刻も早く、水が涸れるのを止めねばならぬ。鷹森を救うために。
——頼むぞ、多津野。
祈り、
弥守は生まれつきあまり丈夫でない。この身では、険しい山道を登ることも、弓を引くこともできない。
精々が他人より物事がよく見通せるというだけ。それが己の運命であると、随分前に悟ったはずだ。それ以上に何かしたいなどと、できもしないことを望んでも仕方がない。それなのに、何故だろう。胸の奥が
「弥守?」
父に呼ばれ、顔を上げる。
「どうかしたか」
「いえ、大丈夫です」
今は己の役目を全うせねばならない。
郷の人々に危機を
父の背を追い、目的の邑へ向かう。
郷のほぼ中央を流れる川を渡った先の、西側の邑だ。
大きな
邑人の声を受けて、一番
「息災か、
「この通り、身体はまだよく動きます。邑の若い者がよくしてくれますから、暮らしも不自由なく。彦の方こそ、少し老けたご様子」
「そなたが我らの元を去って十五年は経ったのだ。
和やかに談笑する二人を、弥守は不思議そうに父の
「
嫗が口にしたのは、母の名だった。
「母をご存知ですか」
弥守は思わず一歩前へ歩み出る。
線は細いが背は
「ああ、うむ、そうか。よう見れば
嫗の視線に鷹主彦は頷いた。
「儂の息子。弥守じゃ」
「あのときの
意を
「貴方様にお会いするのは初めてではございません」
「どういうことです?」
「貴方がお生まれになったとき、貴方様を取り上げたのは他ならぬこの私ですから」
驚愕のあまり、弥守は息を
「かつて私は鷹主彦の
丸い背中をなるべく起こして弥守を見つめる嫗の目の中に、慈しみの情が宿っている。そのような眼差しを他人から向けられたのはいつぶりだろう。
「すみません。そのような方がいたとは存じ上げず」
「よろしいのですよ。まだお小さい頃のことですし、私もその時分は既に老いておりましたから、大した働きはしておりませんもの」
「謙遜するな。そなたほどの働き者はおらぬ。我が家は堅香子がいなくては回らぬと父上からもよく聞かされていたぞ」
鷹主彦が笑いながら口を挟む。
「父上の、父上から…」
弥守が思案していると、堅香子は目を細めた。
「弥守様の祖父、先の鷹主彦の頃から館に仕えさせていただきました。幼き頃には、その前の鷹主彦をお見かけしたこともございます」
つまり、弥守の曽祖父。この郷を築き、初めて鷹主彦を名乗った男。その人を、この嫗は見たことがあるのか。
父よりもずっと長く生きている人。そのような人が存在するという事実に、弥守は驚く。館の中で過ごすだけでは知り得なかったことだ。
「堅香子はこの地が鷹森と呼ばれる前から生きている。儂も、そなたの祖父も、この者には逆らえなんだ。堅香子こそ、郷で一番の
冗談めかして父が加えた一言は余計ではなかったろうか。そう案じて弥守が堅香子を見てみると、柔和な微笑みの奥の目が笑っていない。
「ところで、彦。
堅香子に下から顔を覗き込まれ、鷹主彦は慌てて
昔馴染みと言葉を交わしたせいなのか、いつも威厳ある父が
「実は、皆に伝えたいことがあってな」
「伝えたいこと——?」
曖昧な表現に、嫗は眉を
「よろしゅうございます。お伺いいたしましょう」
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