無価値で無意味な一生を正しく評価してほしい。
正月であった。
とはいえ、これを書いているのは昨年である。予約投稿機能を駆使し、日曜日の元旦深夜という時間に似合うどんよりとした手紙を送る。年賀状とでも思っていただければ幸いだ。
少なくとも正月三が日はネットをほぼ遮断する生活をしている。新年のデジタルデトックスとでもいおうか。何をするかはまだ考えていない。が、普段PCを開きキーボードで益体もない文章を打ち込んだりネットフリックスやアマゾンプライムビデオなど観ている時間を完全になくすと、そこから創作が湧いてくるのが常だ。来年(つまり今年)はどうなのだろうか。
2023年になった。
特にやりたいことはない。
が、なりたい人というか、人物像はできた。
明確になったといった方が正しいか。
私は、何も残さない人間になりたいのだ。
私が死んだのち、誰かがこうぽつりと漏らす。
「あいつはこの世に何も残していかなかったな」
そして、死んだその日には誰からも悲しまれず惜しまれず、といって喜ばれも祝われもしない、そんな人間になりたいのだと分かった。
自らを
そんな大それたものではないか。
事実、何も残したくないとのたまいつつネット空間にがらくたのような言葉の残骸を
それも含めて「何も残さなかった」という(無)評価がほしいということだ。
私は正しく無価値で無意味な人間であったと、そう思われながら死にたい。
年末、とあるブロガーが自身の遺書を発表した。
≪この記事が出るころわたしはもう自殺しています≫
と書かれていたが、その後のSNS上での動きなど見るに偽装自殺だったのでは?という意見も出てきた。
だがそれだけだ。
企図したのであれ偽装であれ、そもそも大した関心は払われず、記事発表直後にわっと反応があったあとは何事もなく過ぎ去っていった。
その人の生死に、ほとんど誰も興味を持たなかった。
というより、死んだのであればそれ以上なにを思おうとも無駄だという冷静な判断があったのかもしれない。
私の死も、そうであって欲しいと思う。
今年もよろしく。
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