人生の締め切りを守れる人、守れない私。

 先日、また一本の長い長い小説を書き終えた。


 ここでいつもやってしまうのが、なかなか次の作品にとりかかれないことだ。


 次に書きたいもののはある。いくつもある。だが、どうしてか、どうにも身体が思ったように動いてくれないのである。


 書き終えた直後で、創作に使う体力がすっかりへたばってしまっているのか、なにか趣向や技巧を凝らしたものをやろうとして気後れしてしまっているのか。


 マンネリにも美学があるとはいえ、得意技で勝負するのとそれしかできないのは違う。同じようなことをやっているように見えても、何かしら自分の中で新しいことをやりたい欲も出てくる。


 おそらく、そういった理由のすべてがのしかかってくるのだろうと思われる。


 それらを解消する手段は思いつかないし、恐らく、ない。


 これまでも、だらだらうだうだとやりながら、それなりの数を仕上げてきたのだ。これからもそうやって作り続ければいい。


 クオリティのことは知らん。無茶苦茶に積み上がったショボい九龍城砦か、出来損ないのシュヴァルの理想宮だとしても、数をたのみ眺めてみればそこそこに壮観になってくるかもしれないだろう。


 といった才能不在な物書きの開き直りが済んだところで、その上で「これをやってはいけない」ことが一つだけある。


 切りの良いところまでやろうとしないこと。これである。


 一日十五分でも二十分でもいい、何かしら手を動かしていれば一行二行の文章はニョキニョキと生えてくるものである。


 しかしながら、これを「今日は一時間、PCの前に座っていよう」だとか「今日までに一話分を書き切ろう」だとか考えてしまうと、もういけない。


 せいぜいが隣町までいくエンジンと燃料しか積んでいないのに、県境を超えて小旅行を敢行するようなものである。必ず途中でガス欠になるか、書こうという意欲自体がお釈迦になるのがおちだ。


 また、たとえば今日は二月一日であるが「月始めに第一話を投稿しよう」だとか、「日曜日までに」だとか、個人的な締め切りを設定するのも、私の場合は上手くいかない。


 追い詰められて花が咲くような人間ではないのだ。蕾のまま、下手をすれば芽のまま枯れて、そのまま根腐れていってしまう。


 さて、やや急旋回ではあるが、これは自殺企図にも通ずる話だ。


「○○年の○月〇日に死のう」とか「来年の誕生日に死のう」とか企画しても、恐らく私は実行できない類の人間だ。その日が来ても何かしら理由を付けてダラダラと先延ばしにするのが目に見える。


 逆に、常に納期だとか締切だとかを守りながら、いわゆる修羅場になるほど気分が高揚し、やる気に燃え上がってしまうようなタイプの方は要注意かもしれない。


「俺は私は絶対にこの日に死んでやるんだ」などと、ある種の頑固さ、意固地さが湧き出し、本当のところは生きてもう少しやりたいことなどあったのに、自身をコントロールできない躁状態に陥り、あまりに手痛い人生の幕引きを図ってしまってはつまらない。


 我々はできる限り苦痛のない生き方を選択すべきだと思っている。


 自分から最大級の痛みをわざわざ引き受けに行くことなどない。


 今月は私の誕生日がある。


 自殺することは無いだろう。願わくば、何かしらの新しい小説など書き始めていればいいのだが。

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