これからも、死ぬまで生き恥をさらし続ける。

 また小説を書き始めた。


 最近、TVもネットもラジオでさえも、外の情報、特にニュースに触れることがほとんどストレスにしかならなくなってきた。


 しばらくは小説を読んだり映画を観たり、音楽を聴したりして膨大な暇を繋いできたのだが、その弾もそろそろなくなりつつあった。そうなればもはや取るべき方策は自給自足というわけだ。


 するとどうだろう。何故だか体調もすこぶる良くなったようで、いつにも増して気分は爽快、夜は快眠。何事かを書き記していくという行為が、これほどまでに心地いいものだったのかと感動すらしている。


 それだけ、部屋の外で起こっていることのいちいちに付いて行けなくなっているのであろうな。


 いずれ文章が溜まれば連載として公開するが、それ以前に“書く”ことそれ自体に楽しみを見出してしまっている。目的無き手段の行使、いや、今の私には、手段こそが目的なのだ。


 しかしながらスラスラと書き続けられるわけではない。むしろ、何も書けないまま立ち止まっている時間の方が長いといえる。


 何しろ私は物を知らん。


 勉強という苦役について、その一切を放り捨てて生きてきた。以前も書いたが、高等学校は己の名を漢字で書ける程度の知識さえあれば受かるところだ。大学? なんだそれは、食えるのか?


 だが、書くためには知識が必要だ。その時点に至ってようやく、私は何周回も遅ればせながら絶望したものだ。


 勉強してこなかったことに、ではない。それはただの自業自得である。


 問題は、こんなに何も知らない人間が、よくぞここまで生きてこられたという部分だ。


 さらに、この世界にあまねく存在する疑問や謎は、まだそのことごとくが解明されておらず、帰納的に得た仮説が未だ次々に生え続けている事実にも驚愕した。


 私だけではない。我々だ。ヒトとは、ここまで何も分からないくせに、何もかも分かったような顔をしてのうのうと生きていられるものなのだ。


 猿や犬ならまだいい。連中は謙虚だ。顔に「おいどんはこの世の何も分かりません」と書いてある。


 対して、我らの面の皮と傲慢さといったらどうだ。まるでこの宇宙の何もかもを解き明かす権利があるかのような振る舞い。しかめっ面であれこれと問題を捻り出してはいるが、結局のところ、賢しらぶっているばかりで、自分がどうしたいのか、どうなりたいのかも分かっておらん。


 不毛だ。無意味だ。無価値だ。私たちはまた、我々を生んだ宇宙に向けて生き恥をさらし続けるのだろうと思う。


 阿呆はせめて阿呆の顔をすべきだ。なので私はこれから、IQが感じられない阿呆の小説を書く作業に戻ることとする。


 

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