死にたくなった夜への手紙

あなたは真面目な良い子であったか。

 また、気の重くなるような話をせねばならん。


 単なるなまけものであるのを、「真面目な良い子」として扱われてきた人々の苦悩についてだ。


 彼ら彼女らは、いわゆる不良になるほどのエネルギーもなく、努力と頑張りによって自らの生を立てていこうとする気概も持てないが、人に言われたことは辛うじてできる程度の処世は身に着けているため、「真面目な良い子」と評される。


 なぜ、そのような不当な評価がなされるのか。


 いみじくも、私が先ほど書いた『単なるなまけもの』なる文に、問題の一端、あるいはすべてが凝縮されている。


 なまけもので、何が悪い。これである。


 なまけものをなまけものと呼んで、何が悪いというのか。


 あるがままの生態を呼び表すのがはばかられる理由とはどこにあるのか。


 なまけてはいけない、という狭隘きょうあいな規範意識のなせる業としかいえまい。


 そして、規範を押し付けられた子らは、そもそもがただのなまけものであるので、規範的な振る舞いを続けることができず、心身のどちらか、もしくはその両方が壊れ、ある者はひきこもったり、また、自殺したりする。


 勤勉さの見えない真面目さは、なまけものが唯々諾々と大人たちの言うことを棒暗記し、怒られぬよう振る舞っているに過ぎない。さながら、思考実験における『中国語の部屋』だ。入力に対して正しく出力してはいるが、実のところ、入力された言葉の意味は何一つ身に入っていない。


 彼らには生きる気力がないのだ。ちょうど、私のように。


 特段苦しんだ覚えはないが、不当に評価された子供であった私の立場から、処方箋を述べる。


「価値がないこと」に救われる心があることを知っておくことだ。


 たとえば教職にあるとして、「この子は単にやる気がないだけだな」というのは、あなたも気付いておられるだろう。ならばそれをあるがままに受け止めてしまえばよかろう。


 手垢のついた空言を弄して、無理くりな評価をしようなどと思ってはいけない。


 理解無き称賛は、配慮無き叱責と同等である。己が空虚に気付いている子ほど痛みは大きい。通知表の評価欄は白紙で出すがいい。きっと、ホッとした表情を見せてくれるだろう。


 この世には、自分に死ぬ価値すら見出せず、呆けたまま生きている子らが大勢いるのだ。そこに、何らかの中身を詰め込もうなどとはゆめゆめ思われるな。


 空っぽであることは、もっとも安定しているということでもある。しょせんは死にゆく人の脳みそに、どれほどの中身がいるというのか。空のゴミ箱に「寂しいから」という理由で、未使用のティッシュや白紙のノートを詰め込むやつがあるか。


 空虚ならば空虚なまま、フワフワと生かしておいてやってほしい。


 あなたが真面目な良い子であったかは分からないが、できもしないことを「あなたならできる」と言われてやらされる苦悩は想像できるだろう。


 もしくは、今もやらされている最中か。


 だとすれば。


 うむ。


 どうすればいいのだろうな。

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