ちゃんと生きる、とは

 大事なのは一貫性を保つことよりも、絶えず変化を受け入れ続けることだ、と、私にとって尊敬できる多くの人物がおっしゃっていた。


 承知した。


 だが、『人生の無意味・生命の無価値』といった私の考えを変えてくるような強烈な変化など、果たして訪れるのだろうか。


「そんなものは気の持ちよう、解釈の問題であろうが」との反論は十分に理解できる。


 ただ、納得ができないのだな。


「人生に意味はある」という教義ドグマを受け入れるに足る―――納得できるものが、この身の内から湧き上がってこぬうちは、私は自殺を肯定し続けるし、自分を含めた全人類の生命を無価値と断ずることにいささかの抵抗もない。


 いつかは消えてなくなるものだ。

 最初から無意味だったということで結構ではないか。

 だから、異教の友よ、もし、人間が死ななくなったら起こしてくれ。


 私の話はここまでとして、別の教義ドグマを与えられたロボットについて書こうと思う。


 Boichiぼういちさんの漫画『ORIGIN』では、限りなく人間に近い超AIを持ったロボット“オリジン”が、「ちゃんと生きていけ」との指示を“親”から与えられる。


 万能のロボットであるはずのオリジンの生活は、困窮している。


 人間を遥かに超えた性能も、排出される膨大な熱を冷やすことができなければ自らを破壊してしまうので、生きて行くのにたいそう金がかかる。


 人間には当然備わっている代謝という能力がオリジンにはないので、普通の人なら放っておけば治るようなことも、しっかり手間と金をかけて修理しなければならない。精密機械は人間よりも扱いが繊細になる。本作の笑いどころで、人体の無駄な高機能さに考えさせられるところだ。


 そういった困難を伴う上で「人として、ちゃんと生きていけ」というドグマが、彼を困惑させ、成長させる。


 そして、読者にも同様の疑問を投げかける。


 そもそも、いったいこの世のどれほどの人間が、「ちゃんと生きて」いられているのだろう。


 死にゆく最後の一瞬に、「ちゃんと生きた」と言えるのだろうか。


 さて、「ちゃんと生きる」ことなどに興味もない私ではあるが、こうして考えてみると、意外なほど、できているのではないかと思えてきた。


 創作活動は順調そのものだ。


 昨夜も、14万字の小説を一本書き上げて、ひとまず、エンドマークを打った。


 長い長い道のりだったような気もするのに、総執筆時間は、二カ月もかかっていないらしい。一年以上かけて青色吐息で書いていた頃に比べれば、慣れてきたものだ。


 こういう生活であれば、悪くはない。


 今ここで死んでも、「まぁ、いいか」と納得はできる。


 少々、作品のネタバレになってしまうが、オリジンの命もまた永遠ではない。


 彼は「ちゃんと生きられた」のか。


 それについての感想は、墓場まで持って行くとしよう。

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