物語と死
ワニと魔王とメメント・モリ
『100日後に死ぬワニ』が、先日、完結を迎えた。
善い作品であったと思う。
完結直前より始まった、怒涛の如き商品展開が、逆に購買意欲を減退させたことに対しての批判が渦巻いている最中であるが、代理店殿の商売下手をなじっても仕方あるまいし、作品自体の善さは揺るがない。
私は先ほどから、敢えて、善いという漢字を使っている。
人は必ず死んでしまうものだ、という当たり前の事実を、丹念に描写した作品は、良い、ではなく、善い、と書くのが適切だと感じるからだ。
精神的には、この手紙にも通じるものを感じる―――うむ、「自らを二匹目のドジョウに堕すな」「有名作品に擦り寄るんじゃあない」と叱りの声が聞こえてくる前に撤退するとしよう。ワニは善く生き、善く死んだ。
ここからは、章を新たにした最初の手紙として、手前味噌ではあるが、自ら執筆した作品について、思うところを書く。
『手紙』と『小説』では、今一つ読者層が被っている印象もないので、好きなように書かせていただくが、ネタバレもあるので、一応、注意をしておこう。
魔王が現れたので、それを倒す少年の話を書いている。
何とも古臭く、雑なプロットである。
三十年前から一歩も先に進んでいない潔さを自賛したいほどだ。
それは置くとして。
私は当作で、魔王なる存在を『破滅と秩序の化身』と描写した。
ある意味では意志薄弱というか、自らの運命に逆らわない在り方というか、生ある者に死を与える、いわば世界の機能だ。
一方で、滅ぼされようとする命を『創造と混沌の象徴』と描写した。
単純に、生を“善い者”、死を“悪い者”にして紅白合戦を演じさせたくはなかったという、作家性を隠れ蓑にした悪あがきが見て取れる。
とはいえ、善悪の彼岸を曖昧にしたことで、いい風に物語が転がってくれた。
小説の世界の魔王もまた、世界の一部であり、人々の営みの中で当然訪れる死を思い出させる存在なのだと思う。
メメント・モリの具現化だ。
流行りの言葉で言えば、擬人化。ヒトではなく、魔王だが。
人は大なり小なり、『死を忘れるなかれ』とケツを蹴飛ばす存在を求めているのではないだろうか。
そんな思いから、生まれたキャラクターである。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054893957503
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