2011年3月11日
3月11日だ。
2020年現在、日本国において、これほど死を身近に感じる日というのもないだろう。
毎年、我が創作活動の片輪である音楽をどこかで鳴らすようにしている。黙祷のつもりだ。
その前日には、必ず2011年の津波の映像を観るようにしている。
これほど死についてしつこく書き連ね続けているにもかかわらず、実際に宮古や釜石などを襲う津波と、それに飲み込まれる人間の姿を見ると、原始的な恐怖と怖気が立ち上ってくる。
「これがまったく容赦のない死だ」と、愚かにも毎年新鮮な実感を持つのである。
我々がいかに脆弱で、自然の掌で踊る儚い生命体であるかを思い知らされる。
同時に、日常の些末な出来事に一喜一憂、
片方では「命は大切だ」と語りながら、片方で殺し合いを止めない醜いマッチポンプを続けている愚か者たちのことを思い、憐れみを覚える。
自分たちが何故生まれてきたのか知りたいと願いつつ、「無意味である」「無価値である」という分かり切った模範解答を拒絶する人々に、哀しみを抱く。
どうせ死んでいく一生を気楽に過ごすことができず、幸福などという儚い快楽を永遠のものとする無間地獄の生を選び取る方々に「どうかお気をつけて」と申し上げることしかできない自分の無力さ。
それらすべてを押し流す、圧倒的な災禍の力に思いを馳せる一日である。
我々人類は、その日暮らしを当面、地球に許されているに過ぎない。
肝に銘じていなければならない事実を、つい忘れそうになる。
友よ。
今日はそのことに、共に思いを馳せて頂けないだろうか。
亡くなった者たちを悲しむ必要は、ないと思う。
悲しみや苦しみは最期の先などにはなく、常に死の手前、生のただ中に待ち受けているのだ。
死んでしまった方々に、もう苦痛はない。
すべては終わったのだ。
良いも悪いもない。
慰めでも説教でもない。
単なる事実の確認作業。
そういうことであった。
今まさにやってくる、死を想う日よ。
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