人間について

命のルールは昨日と変わらない

 笑ってしまった。


 薬局に買い物へ出かけると、トイレットペーパーが売り切れていた。


 どういう訳か分からぬが、風の噂で、そうなっているらしいことは伝え聞いていた。


 問題は、その後だ。


 空になった棚の前で、親子連れが写真を撮っていた。


 記念撮影であろうか。


 これは、何かの祭りか。トイレットペーパー買い占め祭り。日本伝統の奇祭か。


 合理的では、ある。


 生活必需品を、売り切れてしまう前に買う。


 多少は嵩張るが、腐るものでもないので、買って損はない。


 だから、馬鹿ではない。のだが、間抜けには見える。


 昨今の情勢と照らし合わせて、なにがどう繋がってトイレットペーパーに走ったのかは、恐らく人類史における謎の一つとして保存されるだろう。風が吹いて桶が売れたようなものだ。


 なので、これ以上トイレットペーパーについて語ることはしない。


 だが、人々が慌てている。パニックと言っていい。


 その恐慌ぶりに、気になる点がある。


 よく足元を見て欲しい。


 今日と昨日を見比べて、何か変わったことがあるか。


 風邪や肺炎が流行っている。


 こじらせれば死ぬ。


 当たり前ではないか。ここに何か、特別なことでもあるか。


 ある、と思われる方は、引き続き慌ててくださればよい。私は止めない。


 ただ、命のルールは、昨日と今日とで何も変わっていないのだということは申し上げておく。


 人間、いつかは死ぬのだ。老衰にせよ、事故死にせよ、病死にせよ。メメント・モリ。普遍的なルール。

 

 生きていれば死ぬのは当然のことだ。


 予防を尽くしたとしても病気になるときはなるし、なれば死ぬかもしれないのは、当たり前の話だ。


 突然突っ込んできたトラックに轢かれたり、誤ってホームに落ちたりすれば、それも死ぬ可能性が高いだろう。


 もちろん、運が良ければ、生還することもある。ゆえに、死ぬのは、運が悪かったと諦めるしかない。これも生きる上で至極普通のルール。


 人は、賽の出目が悪ければ死ぬようになっている。人類史上不変のルール。


 さて、ここまで読んでいただいた段階で、今一度問おう。


 風邪が流行る前の世界と、後の世界で、なにが変わったいうのか。


 巨大な隕石が明日にも降ってくるとニュースで取り上げられただろうか。


 恐怖の大王が盛大な遅刻をかまし、申し訳なさそうに世界を滅ぼしにやってきただろうか。


 一日のうち一時間を、笛に合わせて踊り狂わねば死ぬ世界に変わっただろうか。


 三〇歳までに性行為を終えなければ、性器から赤い球が飛び出して宿主に憑りつき殺す世界が到来しただろうか。


 友よ。不安に思ったときは、胸に手を当ててこう自問すると良い。


「昨日の世界と今日の世界、命のルールが、変わっただろうか」と。


 呆れるほど変わっていないことに、気付くはずだ。



※2020年7月17日追記

新型ウイルスについて「風邪に似た症状が出る風邪とは違う病気」ということが分かったので訂正させていただく。とはいえ、いまさら誰も読んでいないであろうが。

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