たまたまだ
血液センターから、献血のお願い状が届いた。
私は、かれこれ十年ほど献血を続けている中堅選手ではあるが、ここ最近八カ月ほど、献血ルーム付近に行く用事がなくサボっていた。こういう便りがくるというのも良い機会なので、連休明けにでも行こうと思う。無論、平日の真昼間に行く。私は暇人だ。
もしかしたら、風邪と肺炎の流行を恐れて、足が遠のいている人もいるのかもしれない。
だとしたら、そこまで過敏に恐れることはないと伝えたい。
どう生きてみたところで、どうせ死ぬのであるからして。
病、および死は、いつでも我々の傍にある。風邪やインフルエンザ、災害が起こったときばかり慌てふためくのではいけない。
生まれてしまったからには、いつか死ぬしかないのであるからして。
我々の生命活動は、神秘のベールに包まれてはいない。
代謝機能。細胞分裂。血液の循環。神経系。心臓・腎臓・膵臓・肝臓・胃腸・脊髄・脳。セロトニン・ドーパミン・オキシトシン。
ウイルスや細菌の侵入も、細胞の癌化も、日々あたりまえに起きていることだ。
それらによって、私とあなたがまだ死んでいないのは、ただの偶然である。
早死にも、長生きも、たまたまそうなっただけだ。
母なる地球の大地にへばりついていなければ、生身では到底生きていかれない。その程度の存在が、何を御大層に死ぬことを恐れているのか。
分かっている。
理屈でいくら分かっていることでも、動物的な部分が死を忌避する。そのようにできていることもまた、人が人である所以であろう。
それにしたって、びくびくとし過ぎであると申し上げたい。
普段から手洗いうがいを奨励しておらんから、メルカリに売られた数万円のマスクを焦って購入することになるのだ。
そして、個人でできる自助努力など、手洗いうがいが関の山で、あとは野となれ山となれ、己の悪運とサイコロの出目に委ねるしかないではないか。
病と死は、災厄ではあるかもしれないが、だからこそ悪ではない。地震・台風・山火事・雷・大津波に怯え続け、果ては怒りをぶつける不毛さを思えばお分かりになるだろう。しょせん人間さまにはどうすることもできんのだ。身の程を知れ。
というわけで、週明けには血を提供しに行ってこようと思う。
それで命を繋いだ方がいたとしても、それもまた、たまたまである。
最後には骨になるのであるからして。
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