日々の話
捨てろ、捨てろ、少し残せ
年の瀬である。
以前にも書いたが、“節目”の時期は希死念慮・自殺願望が高まってくる。暦の区切りでしかないものに、自分の人生を重ねてしまう。「命を粗末に」などと悪し様に言われがちだが、自殺志願者は、存外真面目な人間が多いのだ。
今年は三本の小説にエンドマークを打った。
これ(https://kakuyomu.jp/works/1177354054884295565)が今年の話とは驚きである。創作者にとっての一年は長い。
現在連載中の作品(https://kakuyomu.jp/works/1177354054890888855)も、頑張れば終わらせられるが、私は頑張らない。なんとなれば、それが私のアイデンティティであるからだ。
このように私は怠惰な人間であるが、断捨離気質なところもあり、今は暇を見つけては自宅の大掃除を敢行している。
世に言われるライフハック的な断捨離とは違うかもしれない。ストレス解消。温泉に入るようなものだ。ただし、こちらはやればやるほどへとへとになってしまう。難儀である。
そして、やり出すと止まらなくなるのだ。先日など、家中の微妙に暗かった蛍光灯をすべて取り替えていた。確かに生活空間は明るくなったが、溜まったほこりを随分吸ってしまった気がする。難儀。人生は事細かに難儀が満ちている。
ここで本題である。
あなたの部屋はどうであろうか。
足の踏み場もないほど散らかっているのならば、それはまだいい。
居住空間に、最低限の物しか置かれなくなったときが、危機的な状況だと思う。
外に着ていく服がないほどに断ち、捨ててしまったら、自分の命が剥き出しになってしまう。
それは危険だ。なぜなら、命とは本来的に価値の無いものである。そんなものを丸裸で晒してしまったら、意に沿わぬ自殺まで秒読み段階である。
人は裸では生きられぬ。現実的にも、比喩的にも。
自殺志願者でなくとも、私に近い精神性を持っている方なら分かるだろう。捨てるのは心地いいのだ。が、少しは残さねばならない。
我々は無駄を積み上げることで生きている。無駄をすべて取り払った自分など、見つめる必要はない。それこそ無駄な行為だ。すべてが無駄だと否応なく突き付けられることになる。
最後に。
困ったことに、というほどではないが、過去に書いた小説の断片なども、根こそぎ捨ててしまうので、自分が今よりもっと未熟だった時期に立ち返ることができない。
すべてを捨ててしまえる心境になったとき、残すべきものとして「かつての創作ノート」をリストアップしておくといい。
私からのライフハック術だ。
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