自殺の文脈
物心ついたところから、私は特に大きな変化もなく生きている。身体的には大きくなったが、心情的、性根の部分は何一つ変わっていない。
生まれたときからすべてが無意味に思えていたし、それでいて享楽的で放蕩であった。
成長とは自らの文脈を断ち切ることだと言った人がいた。昨日の自分を捨て、今日を新しい自分として生まれ変わる。それこそが成長だというのなら、なるほど、私はまるで成長していない。
私は十分に刹那的な生き方をしながら、他方で、幼少期からの文脈に依存している。
今回は、この文脈というものについて書く。
愛読しているブログというものがある。ブログは良い。長く更新されているそれは、その人の人格が宿る。まさしく、文脈の世界だ。
だというのに、それについたコメントの刹那的なことといったらどうだ。
一つの記事だけを読んで、その人となりのすべてを理解したかのような書きぶりには、たいそう面食らう。
といっても、大多数の人間にとっては、それが当たり前なのかもしれない。
過去から書き連ねた文章を、その人の人格として一本の線で繋がんとする性癖は、むしろ珍しいのか。
誤解なきようにしていただきたいのは、他者に一貫性を求めているわけではない。ぶれているのも含めてその人だと思っている。それこそ、過去の文脈を断ち切り宗旨替えをするのは成長だ。
さて、自殺志願者にも死のうと思い至るまでの文脈があるだろう。
それはあなたにか書けないものだ。文章にしたためなくても良いが、知らない文脈は断ち切ることもできない。己の希死念慮を問い直す時間というのも、必要だと思う。
愛読していたブログの中には自殺してしまった方もいる。
最初から希死念慮を赤裸々に語っている者もいれば、それなりに日々希望を持って記事を更新していたのが、ぱったりと途絶え、風の便りで自殺したと知らされるものもあった。
いずれも、それぞれに尊い文脈であったと思う。
これは余談だが、最近、新しい小説を書き始めた。私という人間の文脈は、この手紙だけに依らない。興味のある方は、暇潰しに是非ご覧いただきたい。「何も変わってないなコイツ」と思っていただけたら幸いである。
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