明日も働くあなたへ

 今日の死を待ち明日の生を呪う放蕩の身ではあるが、突発的かつ単発な仕事というのが入ってくる。そう悪くない報酬の時もある。内容に関しては、そもそも私は自分ができることしかやらない。


 私が労働に心底うんざりとしてしまったのは、生来の無気力な気質もさることながら、営業マンと詐欺師の違いを明確に説明できないでいることにもある。


 口八丁で大して必需でもない品を二足三文で買わせているだけではないか。と、こう思ってしまうのである。時として、有名な企業が、いわゆる情報弱者と呼ばれる層を明確に狙い撃つ光景も見られる。PCのおかしな修理契約やリボ払いなどがいい例だろう。


 そうした労働への疑義はいずれ、「そうまでして生きていたくない」という思いに直結していく。


 そして、人生などと無意味なものを続けるのに、他者を騙したくはないという確信に繋がっていく。


 脳みそが古いのやも知れぬ。私は、数十万年前の、落ちていた木の実を拾い、流れる川の水をすする方が性に合っていて、文明的な生産性を求められる生活は間尺に合わない。それを知ったところで、詳しい人によれば、いよいよ世界のすべてに大なり小なり文明の手が及んでしまったらしい。旧き脳は去るのみである。


 これまで何度か繰り返しているが、私は人生を無意味と、命を無価値と捉えることに何の痛痒も感じない。


  無意味も無価値も心地よい。むしろ、望むところ。


 諦観と倦怠のぬるま湯は、まさしくのんべんだらりと浸かる温泉の如き快適さだ。


 故に堂々と、労働という悪徳を指差して「やっていられるか」と啖呵を切れるわけだが、人には向き不向きがある。虚無に耐えきれない新しい脳の持ち主は、今日の労働を、明日への碌へと変え続けねばならない。


 これは皮肉ではない。心底から思う。


 ご苦労様です。


 あなたが働くその作業が、巡り巡って、私の無意味な一生の一日を生かす糧となっている。感謝はお門違いであろうが、労う気持ちは多分に持っている。


 ただし、ゆめゆめ、ほどほどにしておかれよ。


 我々はアリでもなければキリギリスでもない。コツコツと働いたせいで春を待てず過労死したり、毎日だらけ切って過ごしている私のような物がどうやら今年も年を越せてしまったりする。


 これも何度も書いている。人間万事塞翁が馬。かんおおいて事定ことさだまる、だ。

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