頑張らなくていい

 とある鬱病患者の闘病記を読んで、目を引いた記述がある。


『本末転倒な話だが、いつまでたっても鬱のままなのは、「治す気がない」のである。なんとなれば、治ったとして、その後40代で碌な職歴もないパートタイマーの独身中年男が、どこで何をして生きていけばいいのかが分からない』


 怠惰の隘路あいろと、医療のまゆ。人によっては、顔をしかめる向きもあろうが、私には、彼がこう言っているように感じた。


「もう、頑張りたくない」


 希死念慮をなくしたいとか、幸せになりたいとか、そんなことはどうでもよい。単に、もう頑張りたくないだけなのだろう。私は、そう思った。


 希死念慮に関して、認知療法や薬などで“治療”する方法がある。


 しかし、たとえそれら精神的な問題がクリアできたとしても、その先に待っているのが、ただ寝て起きて食っていればいいというような生活では無いことも分かっている。


 頑張らなければならない。


 自分なりに頑張って生きた結果として疾患にかかったのに、治ったらまた前と同じく頑張れと言われる。無間地獄かなにかであろうか。もしくはさいの河原か。“頑張り”が積むための小石で、鬱病が鬼である。


 どう生きていたいかという展望などない。頑張らなければ生きていけない設定に、うんざりしている。


 毎朝、とっくに折れている足を急ごしらえに接着剤やセロテープでくっつけて出かけているようなものだ。そんなことをしていても絶対に完治はしないし、いつか本格的に歩けなくなる日が来ることも知っている。けれど、治したところで結局歩かなければいけない。その繰り返しの果てに、いっそ再起不能になってしまえ、自棄を起こす。その果てが自殺だ。生とは、死によってしか癒されぬ病である。


 酷い話だ。


 頑張ろうが頑張るまいが、どうせ人は死ぬというのに。幸福に追い立てられて、死ぬほどの責め苦を味わう人が後を絶たない。


 何が本末転倒か。人類皆すべて平等に、生の自家中毒患者ではないか。


 馬鹿馬鹿しい。


 結論を述べる。


 あなたがたは、もう頑張らなくていい。いわば同盟罷業どうめいひぎょう、ストライキ。やってられるか、ということである。


 大丈夫だ。数人の自殺志願者が生をサボタージュしたくらいで、何も起こりはしないし、変わりもしない。この社会の正当な運営者は、我らが何もしなくてもどこからか生まれてくる。そういうことになっている。そうでなければ、絶滅だ。結構なことではないか。


 死の苦しみなど、いずれ行く道だ。今は、せいぜい楽に生きようではないか。

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