5. 憤怒が込み上げる
エルフの森はアスラステラの北北西、小国サレイン城の東を流れる大河――エルサレイン河の上流に位置する。とにかく想像を絶する広大な敷地面積を誇り、くまなく歩くとあれば人間の一生をかけても散策不可能とまで言われているほどだ。どころか長寿のエルフですらこの森の全容を知るものはおらず、そしてまた数百年もすれば生態系ががらっと変わることもあるのだとか。まさに生きる森、というわけだ。そんで、エルフたちが実際に住んでいるのは、そんな森のとある箇所にひっそりと佇む小さな湖の側である。巷ではエルフの里と呼ばれており、生きる森に阻まれるため地図で正確な位置取りができないどころか、エルフ以外の種族が辿り着くにあたっては特定条件を満たすか、とある道具が必要、といわれている。
あまり思い出したくもない記憶なのだが、俺がここでお世話になったとき、魔王エリザベートがエルフを攫うために使わせた四天王たちによって三割の森が焼け果ててしまい、その凄惨は灰色一面の景色は今でもその深い爪痕をみせつけてくる。
河に沿ってエルフの森の入口までやってきた俺は、未だ癒えぬ灰の土地を前に、思わず歩みを止めた
「……………………」
「なんじゃ、こんなところで立ち止まって。エルフの里はまだ先じゃろ」
「…………いや、まぁ、そうなんだけどな…………俺も人間なもんで、色々と思い出すわけ。というかすげぇなあんた……曲がりなりにも自分の部下がこんだけド派手なことやったってのに躊躇というか罪悪感というか、そういうのないわけ?」
「そんなもの抱くわけなかろう。そもそも、どれだけの民草を殺してきたと思っているのだ。もはや記憶に残すまでもなし。それに、全盛期だった頃はあちこちで人も動物もエルフもドワーフも葬ってきたのだぞ。この先、仮に我が謝罪をしたとして、それはすべて表面的で儀礼的で嘘っぱちの行為でしかない。そも、世界征服とは我の意志と野望に反旗を翻すその全てを鏖殺しなければ達成などできんし、罪悪感など抱こうならとっくのとうにこの精神はイカれてしまっているだろうよ」
いやぁ……さすがは元魔王。俺からしてみればその思考がもう既にイカれちまってるんだけど、もはや殺すこと潰すことになれ過ぎちゃってるんだな……。
「……とりあえず魔王も辞めたんだし、殺しは基本なしで頼むぞ」
「目的もなく誰かを殺めたりはせんよ。生殺与奪そのものに快楽を求める主義でもなし。我はこれから先、どう生きていくかを模索するのだから、無価値と看做してきた数多の生きとし生けるものを尊び、その命にきちんと目を向けるということが必要だろう……」
うそぉ……なんか毒気が抜かれちゃった感じなんだけど元魔王……改心したっていうか、目的をなくして無気力になっちゃったのかなこれ……これはこれでちょっと不安というか……え、なんだこのちょっと憎めない雰囲気。
微塵もそんなわけがないのに良い奴ムーヴしかけているエリザベートにくらっときそうだったので俺は気合いを入れて自分で自分の頬を引っぱたき、灰の森を突き進む。
そうして数時間後、辿り着いたエルフの森の入口だったが、そこもまた変わり果てた姿になっていた。
無数の切り株へ折り重なるようにして木々が倒れ、折れ朽ちている。下手くそな森林伐採の跡地のような有様だ。風通しを良くするためでもなければ建築で用いる木々を運び出す目的でもなく、まるでエルフの里に辿り着くまで伐採してやらんばかりに続く倒木たちのなれの果て。
禿げた森を前に、俺は呆然としてしまう。
「……なんだ、これ」
「人為的に木々が折られているな……」
「残ってる足跡も新しい……これをやった奴らか?」
「だとしたら何のためじゃろうな……。森林を伐採したところでエルフの里に近づけるわけでもないことは歴史が証明しておるし、ドワーフらがこんな愚行を犯すはずもなし。もちろん我が従える魔物らも四天王なき後、エルフの里には手を出すなと勅令を発しておるしの……」
「…………っ、万一やつらがエルフに危害を加えるつもりだとしたら放ってはおけない」
「しかしまぁ、これが人間の仕業だとして、如何様にしてこれだけの伐採をやってのけたのだろうなぁ……この世界の文明でこれだけの伐採を一年で為せる技などあったかのう……」
「…………っ」
嫌な予感がする。
エリザベートは小首を傾げているが、俺には心当たりがあった。
隠すまでもないことだが、俺の開発した「スキル」には、この程度のことをやってのけてしまう力がある。数多あるスキルの大多数を開発しては他人に売ってきた、その売買の相手もスキルも全てを記憶しているからこそ、悪寒がするのだ。
「なぁ、エリザベート」
「……お主、なんじゃ、その……世界そのものを滅ぼさんと決意したような顔は…………」
俺を見た元魔王がたたらを踏むように後ずさった。そんなにも酷い顔をしているのか、俺は。
だとしたら、込み上げてくるこの怒りは正常で真っ当で事実で真実で嘘偽りなくごまかしの利かない感情ということだ。エリザベートの令に従って悪辣と虐殺と侵略の限りを尽くした三幻神や四天王や五柱獣や七賢神たちに抱いた感情よりもずっと強大で苛烈で底深く燃えさかる地獄の灼熱にも似た、憤怒だ。
「前言撤回だ」
「……それはつまり、どういうことじゃ」
俺は努めて冷静に、そしてはっきりと告げた。
「この森をこんな惨憺たる有様にした奴らを暴き出したら、殺していいぞ」
いいや、違う。
「生かしておけるわけがねぇ。殺せ。情け容赦なく潰せ」
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