私は幸福に生き、幸福に死んだ
両手を真っ赤に染めたマリアが立っていた。
道路の真ん中で、虚ろな表情を浮かべて立ち尽くす彼女は、こちらに向かってくるゆいたちへと両手を伸ばす。
彼女たちは、ゆっくりと足を止めた。
彼女の脇を、ゆいたちが、駆け抜けてゆく。
「…………」
涙で霞む視界の中に、自分を押した彼の“赤い手形”が付いていた。
――ただ、お優しい王子は、きっと……
その手を握って、
「…………桐谷」
――ツバメだけでも、救ってやりたかったと思うよ
桐谷彰の葬儀に、衣笠麻莉愛は出席しなかった。
「……に! 桐谷っ!!」
眠りこけていた俺は、目を覚ます。
両手足を拘束しているのは、SMプレイ用の手錠だった。
周囲をぐるりと取り囲んでいるのは、大型のペットケージ。彼女の手で改造が施されていて、脱走防止用の高圧電流が流されている。
ペット用の餌入れが、俺の頭の近くで放置されていた。薄暗がりの中で、
マリアの手で、扉が開いていたペットゲージから引きずり出される。
「あんた……なにしてんのよ、ホントに……なんで、こんなことになってんのよ……バカじゃないの……」
涙目のマリアは、呻きながら、俺の胸元に顔を埋めた。
「……アイツには、見つからなかったか?」
「あ、あんたが書き残してったとおりに、裏口から入ったら大丈夫だった。一体、誰なのあの
って、そんなのもうどうでもいい! ほら、とっとと逃げるわよ! 立ってっ!!」
言ってから、俺が動けないことに気がついたらしい。拘束されている俺を担ごうとしたマリアは、悪戦苦闘の
「マリア、頼みがある」
「ココから出たら、幾らでも聞いてあげるわよ! 状況、考えてよっ!! ほら、桐谷、立って!! 早くっ!!」
「雲谷先生の部屋のクローゼットを調べてくれ。壁がズレるポイントがある。そこに全員分の手紙を隠しておいたから、宛名の通りに、お前の手で配って欲しい」
「桐谷っ!! 早く、立って! 立って立って立ってったら!! ふざけんのもいい加減にしなさいよっ!! ほら、早くっ!!」
「絶対に渡せ。お前が渡し損ねたら、死人が出る。いいか、必ず渡せよ。お前の分もある。中身を読んでから、自分で決めろ。由羅に相談しても良い」
「あんた、さっきからなに言ってんのよ!? ぜんっぜん、わかんないっ!! こんな状況に追い込まれたら、直ぐに逃げるのがあんたの信条でしょ!? なんで、諦めきってんのよ!! 立ちなさいよっ!!」
「たぶん……いや、きっと、お前なら正しい道を選べる」
「桐谷っ!!」
俺は、泣きかけているマリアに微笑みかける。
「正直、迷ったよ。なにもかも忘れて、逃げる道も考えた。でも、まぁ、そういう風にはならなかったんだ。悪いな」
「……なに言ってるか、わかんない」
「お前とは、もう、二度と会えない」
息を呑んだマリアは、俺のことを見つめる。
「さよなら、だ。別れの挨拶と、見届けてもらうために呼んだ」
「なんで……?」
俺は、一瞬、
――アキラくんを信じてる
でも、俺は、あの
「なんだかんだ言って、お前とバカやるのは楽しかったよ。一緒に
「だったら」
服裾を掴んできたマリアは、潤んだ瞳で、懸命に訴えてくる。
「だったら、話してよ……あんた、なにしようとしてるのよ……ねぇ……今回、あたし、なんにも聞いてないじゃん……聞けて、ないじゃん……やだよ、コレでお別れなんて……ねぇ、なんで、そんな顔してんの……話してよ……あんたの相棒じゃないの、あたし……ねぇ……桐谷……ねぇ……」
「悪い」
珍しく、俺は、罪悪感を覚える。
「今から、お前は酷いモノを視る。本当に悪い。ココまで、巻き込むつもりはなかった。お前には恩がある。なのに、仇で返すことになる。
でも、お前を選んだのは」
俺は、マリアに笑いかける。
「お前だからだよ、
「……あたし」
今にも壊れそうなくらいに、儚げな笑みを浮かべて、マリアは俺にささやいた。
「あんたのこと大嫌いだ」
「だから、お前を選んだ」
マリアは、ゆっくりと、ため息を吐く。
「あたしが預けてた
「取り上げられたに決まってんだろ。あの女、だまくらかして、お前にメッセージ残すだけでも大変だったんだぞ」
「この『幸福な王子』、雲谷先生のでしょ? あたしへのメッセージ、こんなに書き込んで大丈夫だったの?
庭に投げ込まれた時、本当にびっくりしたんだけど」
性懲りもなく、マリアは、俺のことを担ぎ上げようとする。そこで、俺が下に着込んでいる段ボールの存在に気がついた。
「なんか、前面が分厚いと思ったら……あんた、なによこれ……」
「雲谷先生の家で作った最高傑作、ダンボール・メイル。コレで、
ようやく、マリアは笑う。
「ほんと、あんた、バカね」
「お前よりは、バカじゃな――」
既に外していた手錠を放り捨て、俺はマリアの前に飛び出す。
「え?」
由羅の姿をした
「マリア……走れ……」
女性相手に力負けし始めた俺は、歯を食いしばりながら叫ぶ。
「走れっ!!」
ようやく、正気を取り戻したマリアは、立ち上がって逃げ出そうとし――俺の方へと、振り向いた。
「バカッ!! 早く行――」
押し止めていた刃物の先端が、無謀にも俺を救おうとしていたマリアへと、くるりと方向を変えて――その間に、俺は飛び込む。
「あっ」
マリアの間の抜けた声が聞こえた。
「……ダンボール」
俺は、自分の腹部に突き刺さっている包丁を見つめて――
「意味、なかったな……」
微笑んだ。
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