郷愁の導雷針

「なるほど」


 苦笑した先生は、片手で自分の目元を覆った。


「さすがは、桐谷彰だ……悪どいな」


 俺の提案した勝負方法を聞いて、真正面から失礼なことを言ってくる。聖職者の癖して、生徒を悪人扱いするなんて非道としか言えない。


 早朝のファミレスだった。


 窓際の席に差し込んでいる朝日が、テーブルに置かれたウーロン茶を透かしている。可愛らしい制服を着たバイトが、臆面もなくあくびをしていた。眠そうな顔をしたスーツ姿の営業が、ラップトップを叩いている。


 雲谷先生ひとりに対して、ぎゅうぎゅう詰めの俺たちは、対面の長椅子に座っている。緊張感をもって望んでいるのは、俺と先生くらいで、水無月さんたちは俺の飲み物について、本人そっちのけで激論を行っていた。


「アキラくんは、オレンジジュースって決まってるの。100%のストレートジュースよ。濃縮還元は許されない。つまり、このファミレスで、アホ面下げてオレンジジュースを持ってくるような女はアキラくんには相応しくないってこと。

 ココで、アキラくんが飲むべきなのはウーロン茶」

「桐谷、この勝負方法は、お前が考えたのか?」

「はぁ? 私ぃ、妹、ですけどぉ? 別にお兄ちゃんは、ストレートジュースみたいなこだわり持ってませんから。どっかのこだわり女は、感覚センスが有史前くらいにまで遡っちゃってるんじゃないんですかぁ?

 お兄ちゃんは、オレンジジュース。世界が滅んでも、オレンジジュースですから」

「まぁ、そうですよ。ただの勝負では、つまらないでしょ?」

「Shut up……アキラくんは、炭酸抜きメロンソーダの王になるべき存在なの。この少女Girls漫画comicに載っていた♡型のストロー、フィーが片方からブクブクして炭酸を飛ばして、すかさずアキラくんが炭酸が抜かれたメロンソーダを飲む。

 アキラくんは、炭酸抜きメロンソーダしか選ばない」

「お前ら」


 両肘をついていた俺は、思わず、ため息を吐いた。


「少しは、真剣にやったらどうだ……緊張感をもて……俺たちに必要なのは、一致団結、絆の力、協調関係だ……俺にはわかる……お前たちには、既に絆が芽生えてるんだ……きっと、混じり合って仲良く出来る……」


 俺の目の前で、ウーロン茶とオレンジジュースと炭酸抜きメロンソーダがミックスされて、おぞましい色をしたソレを手渡される。


「絆なんて薄っぺらいモノになんの意味がある……大事なのは、自分の意思を貫き通す力……個々の力を際立たせることが勝利に繋がるんだ……オンリーワンの精神で、戦っていくべきだと思わないか……だから、俺は、そんなドブ水は飲まない……」


 また、ギャーギャーギャーギャー、言い合いが始まる。


 先生に、泥水みたいな色をしたミックスジュースを渡すと、嫌な顔ひとつせずに飲み干した。


「水無月たちをまとめられるのか?

 龍と虎は交わらない。常に、彼らは、対立構造で描かれている。牙と爪、剣と銃、善と悪、この世にある暴力の図式は、対照的だからこそ、相乗効果を発揮する。追従ついしょうの絵巻を描けるとは到底思えないが」

「水と油だって、間に石鹸が混ざれば、混じり合うようになる。仲介人の間立ちで、効力を発揮する場合ケースは幾らだってある」

「朝なのに、頭も口も回るな」


 先生は、コーヒーを口に運ぶ。


「で、先生、踊ってくれるの?」

子供ガキが、洒落た言い回しで大人を誘うな」


 コトン、と、コーヒーカップを置いてから、先生は朝靄に包まれている街を見つめた。その両目には、郷愁に近いものが宿っていて、遥か彼方の天を通してなにかを見定めている。


 その横顔を捉えながら、俺は待ち続けた。


「……受けよう」


 諦めに近い彼女の言葉に、俺は笑いかける。


「良いね」

「無駄だよ、桐谷。お前の狙いは、この勝負の勝敗とは別のところにあるんだろうが、こんなことで私は揺らぎはしない」


 目を閉じた先生は、足を組み直す。


「もう、なにも感じないんだ……死人の心臓は動かない……」

「なら、電気ショックだ」


 俺は、一枚の写真をテーブルに置いた。


 『幸福な王子』に挟まっていた写真……雲谷渚とモモ先生と、目の前の彼女にとって“切り取られた幸福”。制服を着ている雲谷渚の顔は、真っ黒に塗り潰されていて、底なしの空洞が空いているように視える。


 かつてを見下げた先生は、無表情のままで俺を見据える。


「死人の絵だ」

「違う」


 俺は、笑う。


「いずれ、コレが導雷針になる」

「……どういう意味だ?」

「雷だよ」


 とんとんと、テーブルを指先で叩きながらつぶやく。


「あんたの心臓を、もう一度、動かすための雷だ……分厚い灰色の雲が、上空を覆い隠し……かき集めた導雷針で、雷を呼び寄せて……」


 俺は、口を鳴らして――彼女を指した。


「あんたを貫き生かす」

「この勝負内容は……お前、なにを考えてる……?」

「楽しみにしててください」


 俺は、立ち上がる。


 俺がコーラ派かソーダ派かで、凶器を突き付け合っているヤンデレ共を退かして、先生へと背中を向けた。


「生き返ってから仰天するなよ」


 俺は、颯爽と立ち去ろうとして――伝票を手にとった。


「俺の奢りだ」


 微笑して、額面に目をやってから、テーブルに置いた。


「やっぱり、先生の奢りだったわ……」


 所持金250円の俺は、早足で退店した。

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