巣食う影と生きた意味
辿り着いた先には、古びた一軒家があった。
天然スレートの屋根も、外壁に施されたサイディングも、俺の住んでいる住宅街ではありふれた外見で、どことなく年季が入った印象に視える。
手入れされていない庭には、ボールが置きっぱなしになっていて、犬のいない犬小屋が放置されていた。
「兄が捨て犬を拾ってきて、ひとりで建てたんだ」
俺の視線に気がついたのか、先生は苦笑する。
「その次の日に、拾ってきた犬は死んだ。人の願いなんてものはそんなものだ。
入れ。お茶菓子の置き場所が変わってなかったら、茶でも淹れてやる」
寒天ゼリーとか出してきたら殺すぞ……とか思いつつ、熊の木彫りが置かれた玄関で、靴を脱いで上がる。
どうやら、ご両親は不在らしかった。
季節外れの風鈴が、出しっぱなしになって、廊下にぶら下がっている。歩く度に、ミシミシと音が立った。どことなく、嗅ぎ慣れない臭いが鼻について、黒色の木製テーブルのあるダイニングルームに通される。
「すまん、桐谷、茶菓子を探してはみたんだが」
奥の茶棚に頭を突っ込んでいた先生は、申し訳無さそうな顔で戻ってくる。
「小麦粉しかなかった……コレで良いか?」
「良いわけねーだろ、殺すぞ」
『殺す』なんて教師に向かって口に出すなと、理不尽でねちっこい制裁を受ける。年季の入った体罰だった。
仕方ないので、盆の上に小麦粉をたらふく出してもらって、ポケットに入っていた
雲谷先生が余計なことをしたせいで、小麦粉まみれの床を雑巾がけしながら、話を聞くことになった。
「……嫌いだな」
小さな椅子に腰掛けて、煙草を吸っている先生は、開けっ放しの窓から庭を見つめる。そこに落ちているボールには、『なぎさ』と大きく書いてある。近くに犬小屋があるのも相まって、まるで主人の帰りを待つ忠犬のようにも視えた。
「なにがですか?」
「この家だよ」
足を組んだ先生は、煙越しにささやく。
「安っぽい屋根の作りも……剥げかかっている外壁の塗装も……ビー玉を置くと転がるような床も……季節外れの風鈴も……窓から入ってくる生ぬるい風も……このなんとも言えない臭いも……ぜんぶ……嫌いだ……吐き気がする……」
うっすらと笑みを浮かべた先生は、外へと這い出ていく煙を眺める。
「どこにもかしこにも……影がある……焼き付くんだ……いつも、この家に来ると、焦げて
ふと、先生は、顔を上げて笑った。
「桐谷、線香をあげてくれないか?」
「誰に?」
「影だよ」
ふーっと、天井目掛けて、先生は煙を吹き付ける。宙空で惑いながら、滞留した紫煙は、行き場所を求めながら消えていった。
「この家に巣食う影だ」
先生の実の兄――雲谷渚の仏壇は、廊下の最奥、畳張りの和室にあった。
こじんまりとした和室の中にある仏壇の中心には、満面の笑みを浮かべる青年の写真があった。俺と同い年くらいだ。目元なんかが、先生によく似ている。俺とは違って、モテそうな顔だった。
その笑顔を守るかのように、大量のヒーロー人形が、飾り付けられていた。小さな男の子が好むようなソフビ人形、仏壇に供えられている彼らは、ホコリひとつない綺麗な出で立ちで立ち尽くしている。
あたかも、結界に拒まれる霊のように、先生は部屋の中に入ってこなかった。ただ、じっと、壁に背を預けて目を凝らしている。写真の中にいる兄が、実在していたのかを、疑うかのように。
「……終わったら、呼んでくれ」
俺を残して、先生は去っていく。
閉められたふすま、俺は、彼と向き合った。置いてあった線香に、束ごと火を点けて、線香立てへと無造作に放る。
大量の煙が、もくもくと上がって、線香臭さに顔をしかめた。
「俺に面倒な妹押し付けて死んでんじゃねーよ」
俺は、彼に話しかける。
「なんで、善人として生きようと思った」
笑顔の彼は、答えない。
「あんたが、悪人だろうと、生きていれば……一番、愛してた妹は救えたんだぞ」
煙で涙がにじみ、俺はつぶやく。
「救う順序を間違えるなよ……誰も彼も救えてたら、世界はスーパーヒーローだらけだ……あんたは、ただの人間だろ……救えるのは、精々、数人だ……欲張った人間が、どうなったか、絵本にも書いてあっただろ……?」
むか~しむかし、あるところに――モモ先生の声が、耳元で聞こえた。ただの空耳だろうと思いつつ、彼女が教えてくれたことを思い出す。
「でも、俺は」
――ぼく、きりたにあきらは、しょーらいのけっこんあいてであるももせんせーにやくそくします!
「欲張りな人間は、嫌いじゃない」
――ももせんせーのまわりを、ぜーんぶ、しあわせにします!
「だから、後は任せろ」
俺は、彼の写真に微笑みかける。
「あんたの代わりに、俺が願ってやるよ」
彼に背を向け――音を立てて、写真立てが落ちる。
振り向いて、落ちた写真立てを手に取る。
仏壇へと戻そうとして、俺は、裏に挟まっている“なにか”を見つける。取り出して、それが、最後の
驚いて、俺は、彼の笑顔を見つめる。
物言わない彼は、笑いながら俺を見つめ続ける。
「鉛の心臓は残らなかった……」
それから、笑った。
「でも、あんたの生きた意味は残った」
ソレを胸ポケットに入れて――
「そうだろ、王子様?」
俺は、ふすまを開いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます