沼男の目的

「というわけで、どうにか脱出したいんだが」

「……なんで、いつも、あたしに相談するわけ?」


 とか言いながら、呼び出せばやって来るマリアは、呆れ顔でつぶやいた。


 雲谷先生の家にも慣れてきたマリアは、ガスコンロで湯を沸かし、手慣れた手付きで茶を淹れてくる。


「水臭いぜ、相棒!!」

「ふふ、あんたの顔に『生贄召喚!!』って書いてあるわよ」


 笑顔のマリアは、俺の頬に指先をねじ込んでくる。


「とりあえず、現状を、改めて整理したいんだけど……なんで、こんなことになってるの? 雲谷先生の冗談かと思ったら、本当にあんた、この家に住んでるみたいだし」

「話せば短くなるんだが……」

「とっとと、話せ」


 俺は、かいつまんで、マリアに経緯いきさつを話した。モモ先生との関わりについては、かなりぼやかしたが、空気は読める奴なので掘り下げようとはしてこない。


 話し終わった後、マリアは渋面になっていた。


「なんだか、あんたも、大変なことになってんのね……一部の女性に好かれる体質か……字面だけなら、漫画に出てきそう……」

「無限奴隷製造機と呼んでくれ」

「わかった、無限奴隷製造機クズ。あんたの恩師の、モモ先生、だっけ? その女性ひとと雲谷先生の因縁を探りたいのよね?

 だったら、なおさら、脱出方法なんて探らないで、ココに留まるべきじゃない?」

「お前、夜に『暗いですね?』って問いかけたら、ろうそく買ってきて『ハッピーバースデー』とか言う女と何日一緒にいれる?」

「……う、うん、ごめん。脱出しよっか」


 あの女性ひと、寝れない時に、無言で座ってたりするから本当に怖い。悪霊かと思って、塩ぶつけたら、ぴちゃぴちゃ舐め始めたのはトラウマだわ。


「まぁ、お前の意見も一理ある。正直言って、あの女性ひとは、隠し事だらけでシークレットキャラしかいないガチャガチャみたいになってるからな」

「最早、普通のガチャガチャじゃないのそれ……」

「コレ」


 俺は、レシートを取り出して、マリアに渡す。


「どう思う?」


 裏側に書かれた『雲谷渚は、死んでいる』という一行を読んで、マリアはいぶかしむように、何度かレシートをひっくり返す。


「……雲谷先生が書いたの?」

「俺の目の前でな」

「いや、だって……雲谷先生は、生きてるじゃない。同姓同名の他人がどこかにいて、そっちの雲谷渚は死んじゃってるってこと?」

「そういう可能性も考えられるだろうが、なんだか、あの女性ひとの言いたいことはそこにあるとは思えな――」


 ――そして、きっと、私も、な


 先生の、声が、響いて。


 すんなりと、俺は、解答に辿り着いた気がした。


「……男は死んだ。だが、沼男スワンプマンは生きている」

「え?」

「マリア、お前、なんのために生きてる?」

「え、ちょっと、なに、どういう意味?」

「いいから答えろ」


 かされて、しどろもどろになったマリアは、あわあわとしながらも必死に言葉を運ぶ。


「えっと、たぶんだけど、あたしは、将来、素敵な運命の人と出逢って、結婚するためかな。由羅先輩みたいに気が合う人で、遠慮なく物を言い合えるような、傍から視たら仲が悪そうだけど本当は仲が良い、みたいな? 見かけ上は、クズなんだけど、たまにどっか優しくて、あたしのことを尊重して相棒パートナー扱いしてくれるような人が――あんたじゃないからぁ!!」

「は? アラーム機能の壊れた目覚ましかお前は?」


 急に叫びながら立ち上がり、顔を真っ赤にした阿呆を見上げ、考え事をしていた俺は思考を整理する。


「お前も答えた通り、人には、生きる目的がある。『生きたい』でもなんでもいい。必ず、何かしらが存在する。その答えを見失った時、人間ひとは、生きながら死に絶える」

「え、どういうこと? つまり?」


 俺は、閑散とした、雲谷先生の部屋を眺める。


「ココにあったのは、あの制服だけだ」


 首を傾げるマリアの前で、俺は、目を閉じる。


 目の裏側に浮かぶ雲谷先生は、なにものも捉えない、空虚な瞳で世界を視つめていた。


「たぶん、あの女性ひとは……もう、雲谷渚でいることをやめたんだ。落雷に打たれたんだよ。雲谷渚は死んで、沼男スワンプマンとして、余生をひとつの目的に捧げてるんだ。

 だから、あの女性ひとは、自己さえも必要としない」

「よ、よくわかんないんだけど、その、ひとつの目的って……なに?」


 俺は、目を開く。


「救済だ」

「救済って、誰を?」


 ゴミ捨て場から、拾ってきた『幸福な王子』。


 ページの隙間に挟まれていた、一枚の写真を、俺はマリアに見せつけ――彼女は「ひっ!」と悲鳴を上げて後ずさった。


 写真の中で。


 幼い雲谷先生らしき少女と、若き頃のモモ先生は満面の笑みを浮かべている。


「……誰だと思う?」


 ただ、中心に立っている、制服の持ち主の顔だけが――真っ黒に、塗りつぶされていた。

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