キャピキャピ、家探しタイム
「あ……どうも、お邪魔してます」
トランプで俺と『スピード』をプレイしていたマリアは、帰ってきた家主を前にして、ぺこりと頭を下げる。
「はい、俺の勝ちぃ~!!」
「はぁ!? 一旦、タイムに決まってんでしょ!? それに、カードがなくなったら、台札をバンバンって両手で叩かないとダメなのよ!?」
「いや、知らんし、そんな
質素なシャツとジーンズという出で立ちの雲谷先生は、特に驚く様子は見せず、部屋に上がり込む。
「なんだ、マリアか。想定よりも、2日ほど早かったな。
桐谷、コレでいいのか? なんだか、最近、模様替えに凝ってるみたいだが……ブラックライトまで、使うことはないだろうに」
「日光が当たらない箇所には、ソレを使わないとダメなんで」
俺は、先生から、蓄光シールを受け取って礼を言う。
「あ、あんまり、驚かないんですね? あたし、桐谷から話を聞いて、正直、かなりびっくりしたんですけど」
「驚愕の仕方は、数年前に忘れてな」
お使いの帰りに、スーパーに寄ってきたらしい。雲谷先生には似つかわしくない、食材を詰め込んだ、ビニール袋をもっていた。
袋を置いた先生は、簡素なゴムで髪の毛を軽く束ねる。書店から買ってきたらしい料理本を取り出し、使用感のないキッチンに立った。
「先生、なにしてんすか。立ち位置、間違ってますよ?」
「料理を作るんだよ、お前のために。男を定住させるためには、愛情のこもった料理が一番だと聞いてな」
台所に立つよりも銀行に立って欲しい……料理よりも料金を出して欲しい……ただ、俺は、先生に引き出し上限のないATMでいて欲しい……
「なら、あたしも、手伝いますよ。たまに、ママのお手伝いで、料理作ったりもするので」
「ママぁ~?」
「う、うっさい! ママはママなの!」
顔を赤らめたマリアが、指でたわめたトランプを飛ばしてくる。
妙にやる気を出しているマリアは、ヘアピンで前髪を留めて、雲谷先生と並んで台所に立った。調理器具は新品のものが開けられていき、無表情の先生が、的確な位置関係を構築していく。
「どう、桐谷」
小生意気にも目を細め、
「カワイイ女の子が、自分のために台所に立つって……良いでしょ?」
カワイイ女の子が、自分のために労役に励むって……良いよね。
仲良く料理を開始したふたりを眺めていると、手持ち無沙汰になったので、背後から覗き込んでみる。
「マリア」
「え、あ、はい」
先生は、直定規を取り出した。
マリアの切った人参に対して、平行に定規を当てて、教師らしい綺麗な測り方をする。
「これは、3センチメートルではないな……3.25センチだ」
「え!? い、いやいや! こんなの適当でいいんですよ! そんな、いちいち、定規で測って切ってたら、時間が幾らあっても足りな――」
ストン――先生のもっていた包丁が、直角に落ちて、人参が分断される。
「3センチ」
見事なまでに、3センチに切り揃えた人参を前に、雲谷先生はマリアを
「3センチが正答だ、マリア」
「なら、俺は」
ふたりの間から、トランプを突き出した俺は、人参を切り裂こうとし――
「12センチだ」
切れるわけもないが、元から12センチだったので、なんだか俺がトランプで12センチに切ったみたいで格好良かった。
「ま、冗談だ。
経験則からなる目利きについては、私とて、疑うところはない。人間の味覚をデータ化して、最も、適した食材配合を行うことには誰も成功していないからな。
「な? 言っただろ、マリア? この
「桐谷。あんたの後ろの
なんだかんだ言って、きゃいきゃい騒ぎながら、雲谷先生たちは料理に励んでいた。
俺の目から視ても、先生は演じるのが上手い。実に楽しそうで生徒思いの教師に視えるが、彼女が、本当に楽しんでいるかと言えば違う気がする。
――男は死んだ。だが、
参ったな。
――渚を助けて欲しい
そのお願いは、想像以上に、難しそうだよ先生。
それなりの時間をかけて、ついに初心者向きとも言えるカレーが出来上がる。ガスが通っていないので、カセットコンロだけで作ったわけだが、電気も通っていないので土鍋でご飯を炊くという無法っぷりだ。
わけのわからない紆余曲折を経て、雲谷先生は、はじめてのカレー作りを終えた。
「…………」
無表情の雲谷先生は、皿によそられたカレーを見下ろす。
ほかほかと湯気を立てているカレーを前にして、俺は、我慢ならずにスプーンでよそって食べ始めた。
「先生」
「……ん?」
「人参、食べて」
俺がスプーンで、人参をとって寄越すと、先生は慌てて口を開く。
「こ、こら! ダメだぞ、桐谷! 好き嫌いをしたら、発育に問題があると、統計学的にも結果が出ているんだ!!」
「だとよ、食えよ」
「どこ視て、言ってるのかな~?」
マリアにほっぺたをつねられながら、俺は、もぐもぐと食事を続ける。そういや、モモ先生が、はじめて俺に作ってくれた料理もカレーだったなと思う。
食後に三人でババ抜きをしていると、時間はあっという間に過ぎていき、マリアが「そろそろ」と言って立ち上がる。
「なんだ、マリア、帰るのか……先生、送ってあげなさい」
「お前が送れお前が」
マリアに無理矢理立たされるが、先生は、既に立ち上がって玄関に移動していた。
「桐谷だと不安だからな、私が送ろう。万が一のこともある」
「あ、え、そうですか」
なにかを期待するかのように、マリアは、こちらを見つめてくる。
寝転がった俺は、トランプをシャッフルしながら「あばよ」とだけ言ってやる。
ようやく、
俺は、マリアに『先生と別れたら、俺に電話をかけて、ワンコールで切れ』とメッセージを飛ばす。
「さて」
家探しを開始した俺は、先生の“
今は、あまりにも、情報不足だ。モモ先生と雲谷先生の縁もわからないし、なにがどうなって、俺を救うことに落着したのかも不明だ。雲谷先生が、そうなってしまったのには、必ず理由がある。
「…………」
狭い部屋の中を、じっくりと眺め回す。
あまり、時間はない。雲谷先生が部屋を空けるのは、そう珍しいことでもないが、あの
まぁ、結局、なにもなかったのだから、時間の無駄だったとしか言えないが。
「やっぱり、コレか」
俺は、クローゼットを開ける。
なにもない。いや、なにもないように視える。
部屋の模様替えと称して、様々なところに蓄光シールを貼り付けておいたが、俺はクローゼットの中にもシールを貼っていた。
「……
シールの表面に、少量、塗りつけておいた蓄光塗料は、紫外線に反応して緑色に光り輝く。俺がブラックライトを当てると、雲谷先生がクローゼットのどこを触っていたのかが、ぼんやりと手の痕として浮かび上がる。
「まさか、俺の部屋の鍵の隠し場所を、淑蓮に探し当てられた時の技術が、今頃になって役に立つとは……」
俺は、手の痕が集中している箇所に、両指を這わせていく。
まるで、なんの違和感もない。当たり前だ。こんな怪しいクローゼット、何度も、調べている。だが、間違いようもなく、痕跡はココに集中しているわけで。なにもないわけがないので、幾度も幾度も、指先に神経を集中してなぞる。
「……ココか」
ほんの少し。
ほんの少しだけ、引っ掛かりがあった。
先生の置いていった定規の角先を、その引っ掛かりに当てて、ゆっくりと力を
「どこの
俺は、両手で、壁をズラしていき、目の前に置いてあった“
「……制服?」
男性ものの制服。かなり古いが、状態はとても良い。
この服って、確か――ワンコール、ツーコール、電話が鳴って――
「悪いな、桐谷」
声、驚愕、振り向く。
視線の先には、昏い目をした、雲谷先生が立っていた。
「ワンコールをご
壁に片腕を当てて、全体重を支えている雲谷先生は、マリアのスマートフォンを閉じて、俺に微笑みかける。
「桐谷」
目だけが、笑っていない雲谷先生は、まるで仮面をかぶっているみたいで――
「本当に、残念だよ」
俺へと、手を伸ばした。
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