王子様の遊園地

 兄さんは、『王子様』と呼ばれていた。


 私の兄は、矛盾の塊のような人で、王子様というあだ名には、似つかわしくない格好をしていた。


 校則に反した金髪で、ワイシャツの胸元は開けられていて、ポケットにはいつも三本だけ入った煙草のパッケージが入っていた。見た目は完全に不良だったが、物腰は柔らかく、『テメー』とか『ざけてんのか』とか言う癖に丁寧で優しい人だった。


「兄さんは、どうして、吸いもしない煙草をポケットに入れてるの?」

「あぁ~ん? 正義の味方になりたいからぁ?」


 弱者には……特に子供には、異様なまでに優しい兄さんは、同じ見てくれをした不良には異常なまでに厳しかった。だが、同時に、彼らの更生を心から願っていて、そういった輩の不貞行為の“罪”を引き受けるための道具として、煙草をもっていたらしい。


 だから、この格好自体が、極一部の不良アホたちを助けるためのもので。不器用にも程があるし、この人は、誰も見捨てられないのだとも思う。


「理由もないのに、煙草をもってるなんて……兄さんって、バカだよね」


 そのことに、あの時の私は、気づいてあげれなかった。


「え……渚ァ、テメー、反抗期なの? どうした? 兄ちゃん、久しぶりに、お前の好きな炒飯でも作ってやろうか?」


 彼は、底抜けに優しくて、底抜けに愚かで、底抜けに綺麗な笑顔を浮かべる人だった。


「渚ァ」


 私が交友関係で躓いて、落ち込んでいたりすると、兄さんはシルバーネックレスをチャラチャラ揺らしながらやって来る。


「遊園地でも行こーぜ」


 そして、笑いながら、そう言うのだ。


 兄さんは、朝から晩まで、バイト漬けで働いている。そして、そのほぼ全額を、慈善事業やボランティア活動に費やし、へらへら笑いながら「博打でスッちまった」などと、平気な顔で言う(私が、後にその事実を知れたのは、兄が痕跡を消しきれなかったからだ)。


 だが、そんな彼でも、私のために残しているお金がある。兄さんは、その金を使って、いつも近場の遊園地に連れて行ってくれた。


「やべーなァ、渚ァ!? 楽しくねぇかァ!? さっきのゴンドラよぉ、こうドゴドゴーンって!! ぱなくねぇかァ!? 俺はァ、感動したねぇ!! 昨今の日本の技術力はよぉ、こんな片田舎の遊園地くんだりにまで手を伸ばしてやがんだぜ!?」


 いつもいつも、兄さんは、遊園地で子供みたいに大はしゃぎする。


 正直言って、私はその様子が恥ずかしかったし、落ち込んでる自分への励ましにイラついて「こんなのつまらない」などと言ってしまったりする。


 兄さんは、歳を経る毎に、つまらなそうな顔をする私を視て、哀しそうに「そっか」とだけつぶやいていた。


わりいなァ、渚ァ」


 兄さんは、ぽんぽんと、私の頭を優しく叩く。


「兄ちゃん、渚と違って、すんげー頭、わりぃからよぉ。それに、ダメ人間だから、手持ち金は博打でスッちまうし……どうしたら、渚が笑ってくれるのか、バカだからわかんねぇんだよ」

「いつも、そうやって、遊んでるからバカなんだよ」


 私は、愚者だった。


「いつもいつもいつもっ!! バイトばっかりで!! アホみたいな友達と遊んでばかりいるから程度が下がるんだよっ!!」


 本当に、愚かだった。


 あの人がしていたことも知らず、あの人が抱えていたことも知らず、あの人がなにを守りたかったのかも知らず。


 ただ、子供じみたわがままで、兄にもっと傍にいて欲しかったのだ。


「貴方みたいなバカが、身内ってだけでもうんざりする!! 本当に、血が繋がってるの!? 私、何歳だと思ってるのよ!? こんな子供じみた遊園地で、いつまでも、キャッキャッって喜ぶとでも!?」

「そっか」


 兄さんは、へらへらと笑う。


「ごめんなァ、ダメな兄ちゃんで」

「貴方なんて……あんたなんて……」


 ただ、その笑顔にカッとなって――


「嫌いだっ!!」


 その日、はじめて、私は兄と一緒に、観覧車には乗らなかった。


 絶対に、欠かさず、帰る直前に乗っていた観覧車。


 夕暮れに染まる空を見上げながら、上っていき、兄さんと一緒にはしゃぎながら、そのオレンジ色を見つめるのが好きだった。勉強ばかりで凝り固まった頭が、橙色の中に染み出して、ストレスから解放される気がした。


 本当は、乗りたかった。


 乗りたかったのに……あの日、私は、兄の手を振りほどいて逃げた。


「渚」


 あの時の声が、今でも、耳にこびりついている。


「ごめんな」


 その日以降、兄は、私を遊園地に誘わなくなった。


 いずれ、仲直りすれば、もう一度、兄さんと一緒に遊園地に行けると信じていた。今度は、自分から誘うのだと、溜めたお小遣いでチケットを二枚買って、心の中では後悔していた私は渡す日を待ち望んでいた。


 そして、ついに、勇気を振り絞ろうとした日。


「こんにちは」


 その日――


「私は、西條桃。先週から、お兄さんと、お付き合いさせてもらってるの。

 貴女が、渚ちゃん? よろしくね」


 私は、モモ姉と出逢った。

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