しょーらいのやくそく

「……終わったか?」


 部屋に戻ると、ベランダで煙草を吸っていた雲谷先生が、物憂げにこちらを振り返る。


 闇の中に、ぼうっと、浮かび上がる


 なにも宿ってはいない両目が、紫煙の只中から、気だるげな視線を浴びせてくる。なにもかもを諦めきったかのような、悲しい瞳。


「大体、理解しました」


 俺は、電話を投げ渡し――


「先生は、俺を救うつもりですか?」


 雲谷先生は受け取って、口端だけを器用に曲げた。


「……そうだと言ったら?」

「現実的じゃないですね。なにしろ、俺は、存在するだけで狂愛を創り続ける、狂愛製作者インサニティ・メイカーなので。先生が俺を監禁し続けたところで、いずれ、なんらかの破滅が訪れる。

 モモ先生の言う通り、俺が貴女に恋着したところで……救われない」

「だが、お前は、選ばなかった」


 煙を吐きながら、先生は天を仰ぐ。


「お前が選ばないなら……私が救うしかない」

「モモ先生が、水無月さんとフィーネをたぶらかしたのは、生涯、自分の代わりに俺を保護する対象……恋着対象アタッチメントを作り出すためですよね? 俺の誘引情報フェロモンによって、水無月さんとフィーネが、俺と結びついていたから」


 俺は、笑う。


「俺の22,000,000,000,000,000,000,000,000分の1によって、影響を受ける女との結びつき……ヒモとでも呼びましょうか。モモ先生の目的は、俺を救うために、そのヒモを多方面に伸ばすことでしょう?

 まるで、生命を繋ぐための宿主を探す寄生虫みたいに」

「…………」

「俺は、あの時から」


 ――アキラくん、あなたは


寄生虫ヒモとして、狂愛ヤンデレに飼われることを宿命付けられた」


 ――誰かに恋着寄生して生きていきなさい


「桐谷」


 哀しそうな顔で、雲谷先生はつぶやく。


「水無月もフィーネも、手段を間違えてなんてない。お前を他の女に渡さないためには、監禁する他ないからな。お前が発している誘引情報フェロモンを断ち切るには、社会との繋がりソーシャルディスタンスを限りなく遠ざける必要がある。

 だから、モモ姉は、あんなことを口にした」

「俺が存在する限り、狂愛主義者ヤンデレたちは生まれ続けるんですか?」

「…………」


 無言で、雲谷先生は肯定を示す。


「そんな……そんなことって……」


 感情のたかぶりを抑えきれず、俺は、両手をわなわなと震わせる。


 その様子を視て、雲谷先生は、申し訳無さそうに顔を伏せた。


「桐谷。

 ショックなのはわかるが、落ち着いて聞い――」

「つまり、俺は、労せずして無限の奴隷を生み出せるのか……最高じゃないですか……もう、働く気が一切起きない……ありがとう、神様……」


 ぽろりと、雲谷先生が煙草を取り落とす。


「き、桐谷、お前……ほ、本気で言ってるのか……?」

「本気ですが」


 しれっと、言い放つ。


 雲谷先生は我を取り戻し、ズボンに落ちた火の粉を慌てて払った。


「い、意味がわかってるのか……水無月もフィーネも淑蓮も衣笠も……お前に対して、感じていた愛情は、すべて作り物だったんだぞ……これから先、お前の誘引情報フェロモンにあてられた女たちが、お前目掛けて殺到するんだぞ……嫉妬に狂って、刺し殺そうと計画するかもしれない……!」

「いや、知りませんが」


 隕石が降り注ぐ地球破滅を前にしたかのように、雲谷先生は目を大きく見開いて、俺のことを見つめる。


「桐谷、お前は、意味がわかっていない……お前が良くても、お前の誘引情報フェロモンにあてられた女たちはどうなる……オキシトシンで脳を狂わされて、永遠に、お前に焦がれ続ける女性たちは……!?」

「俺のピンナップ写真を、一枚あたり千円で売りつけますね」


 驚愕でぽかんと口を開けた先生に、俺はウィンクを返す。


「一回、三万円で、握手会を開いてもいいよっ☆」

「桐谷……お前……」

「なら、首でも吊れば満足ですか?」

「違うっ!! 極論で煙に巻くなっ!!」


 怒号を発する先生の前で、俺は後頭部を掻いた。


「極論で煙に巻いてんのは、先生のほうでしょ。全部が全部、先生のおめでたい妄想で、どっちに転ぶのかなんて神だけが知っているオンリー・ゴッド・ノウズですから」

「アキラッ!!」


 懐かしい呼び方をされて、俺は、息を荒げている彼女に向かい直る。


「なんですか、渚先生」

「モモ姉が、お前のために、どれだけの犠牲を払ってきたと思ってる……桐谷彰……お前は、救われる……否、救われなければならない……なんのために、お前の傍に居続けていたと思ってる……」

「押し付けないでくださいよ、独りよがりの救世主様セイヴァー


 暗闇の中で、雲谷先生は、寂しげに笑みを浮かべた。


「桐谷……私が愛してやる……だから、大人しくしていろ……私に恋着して生きていけ……お前は、選ぶことにしくじった……必ず、大多数の女を魅了して不幸の道を辿ることになる……私は、お前を愛したいんだ……」


 ――ぼく、きりたにあきらは、しょーらいのけっこんあいてであるももせんせーにやくそくします!


「わかるか、桐谷。私だけが、本当に、お前を理解してやれるんだ。水無月もフィーネも淑蓮も衣笠も、全員、お前から選ばれなかった。彼女たちの愛は、ただの作り物で、真実の愛はそこにはなかった」


 ――ふふ……はい、どうぞ。誓ってください


「愛情ホルモンだ。受容体が刺激されて放出されるまがい物を、有難がって、人が好む要素をふりかけているだけだ。この世界のどこにも、真実の愛なんてない。ただの、遺伝構造システムなんだ」


 ――ぼく、きりたにあきらは!


「桐谷、お前なら、わかってくれるだろう……?」


 ――しょーらい、せんせーに、しんじつのあいをささげます!


「桐谷……?」


 ――ふふ、そっか、でもどうやって?


雑魚オマエが」


 俺は、思い出から――顔を上げる。


「愛をかたるなよ」


 ――ももせんせーのまわりを、ぜーんぶ、しあわせにします!

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