番外編⑤雲谷渚と遊園地で恋人ごっこする話

「……なに考えてんですか、あんた?」


 俺の問いかけに、正式オープンを迎えた、『アトロポスパーク』のチケットを振って雲谷先生は答える。


「なんだ、桐谷。深窓のご令嬢と、無料タダでデート出来て、あまつさえも恋人のフリを出来るんだぞ? 嬉しくないのか?」

「先生は、深窓しんそうのご令嬢じゃなくて、深檻しんかんのゴ霊長リラで……すいませんでした。真っ昼間からの暴力行為ヴァイオレンスはやめましょう」


 頭を掴まれた俺は、素直に謝る。


 この人、体感で、握力80kgはあるからな……リンゴが潰せるっちゅうねん。


「で、なにが狙いですか?」

「別になにも」


 煙草を取り出して――仕舞った彼女は、ささやく。


 シャツにジーパンという、色気の欠片もない出で立ちの我が教師は、どうやら俺との『恋人ごっこ』を望んでいるらしい。


「教師が、教え子の男子高校生連れ回してて、だいじょうぶなんですか?」

「今更な話だな」


 ぽんぽんと頭を叩かれて、ソレを契機に、俺は歩き始める。


 搭乗ゲートから遊園地の中に入ると、一度は視た光景が飛び込んできて、クソやかましい音楽がスピーカーから垂れ流される。あの地獄のトリプルブッキングを終えた後、二度と来るまいと思っていたが……まさか、こんなにも早く、再入場することになるとは。


「で、桐谷」

「なんすか?」

「デートって……なにするんだ?」


 純朴な顔立ちで、三十路教師はそう言って、俺は思わず呆ける。


「……は?」

「いや、デートだ。デート。一応、国語辞書で引いてはみたんだが、日時や場所を定めて男女が会うことと定義されている。ともすれば、もうデート本来の意味は、完全に満たしたと言っていいと思うが」


 俺は、あの部屋を思い出し、納得が言って頭を抱える。


「その歳で、デートが何たるかを知らんのですか」

「まぁな」

「では、男性とのお付き合いは?」

「ないな」


 三十路教師は、恥ずかしげもなく、そう答える。


「では、教え子の男子高校生との禁断デートがはじめてですか?」

「そうなるな。ふふ。なんだか、楽しくなってきたぞ」


 ニコニコ笑い始める26歳児を前にして、俺は、強烈な畏怖と哀憐を覚えざるを得なかった。


「あぁ、でも」


 雲谷先生は、哀しそうに微笑む。


「兄さんとは来たことがある」

「家族は、カウントされませんよ。

 バレンタインデーに、『俺、チョコ、二個もらった~! 母親と妹~!』とか言っちゃう輩と同レベルです」

「まぁ、安心しろ! 桐谷!」


 そう言って、雲谷先生は、おびただしい数の付箋が付いたパンフレットを取り出す。


「予習は完璧だ! 私には、お前を、楽しませられるという強い自負があるからな! 泣いて喜んでからだと遅いぞ!」


 張り切りすぎて、子供に煙たがられるお父さんかよ。


「まずは、空中ゴンドラに乗るのが、初心者カップルにオススメらしいな……なぜだ?」

「係員さんに聞いてみたらどうですか?」

「それもそうだな」


 止める間もなく、雲谷先生は、係員さんに突撃する。


「隣同士に座ると、丁度、肘が当たって、必然的にボディタッチが起きるかららしい。ちなみに、お前のことを彼氏だと紹介したら『絶妙ですね~!』と褒めていたぞ」

「間違いなく、褒め言葉ではありませんね」

「ボディタッチ……」


 雲谷先生は、俺の手を見つめる。


「ほら、桐谷」


 そして、自身の手を差し出した。


「手を繋ごう。私たちは、恋人なんだからな」

「…………」


 仕方なく、手を重ねると、雲谷先生は微笑んでぎゅっと握り込んでくる。


 周囲から、俺たちがどう視えているのか。


 引率される男子高校生の図、には視えないだろうな。淫行教師と連れ去られる絶妙少年でもない。たぶん、姉と弟、が一番良く当てはまる。


 空中ゴンドラの列に並んでいる間も、雲谷先生は、俺の手を握ったまま離さなかった。なにを考えているのか、その表情からは読み取れない。俺の頭は話題を探していたが、ついには諦めて夢想に入る。


 ようやく口を開いたのは、隣り合って、ゴンドラに乗り込んだ後のことだった。


「桐谷」

「なんすか」


 スタッフの手によって、安全ベルトで固定される。巨大なゴンドラが揺れ始める直前、先生はささやいてきた。


「肘と肘、ぶつかってないよな?」

「そうすね。あの絶女、嘘つきやがりましたね」

「困ったな……ドキドキさせるつもりだったんだが」

「まぁ、仕方な――」


 雲谷先生のエルボーが、俺の頬に突き刺さる。


「桐谷」


 先生は、真顔で言った。


「ドキドキ、するか?」

「…………」

「ドキドキ、するか?」

「…………」

「ドキドキ、す――」

「すんげぇ、ドキドキするぅ!! 胸がきゅうんきゅうんっ!! アキラ、こんなの、はじめてぇえええ!!」

「そ、そうか……」


 ……すぞ。


 空中ゴンドラが、ついに、動き始める。


 こういった乗り物に対して、特段、感じるもののない俺は、ゆらゆら揺れとるなぁとしか思わなかった。対する雲谷先生は、幼子のようにはしゃいで、きゃっきゃっ言いながらスリルを楽しんでいた。


「いやぁ、桐谷!」


 エアリーショートを掻き上げて、爽やかに雲谷先生が笑う。


「とんだ、子供騙しだったな! パンフレットには、大人も楽しめるなんて書いてあったが、とんだ大うそつきだ!」


 たぶん、俺が楽しんでいないのを、横目でしっかりと確認していたのだろう。気遣いという名の、社会人スキルを発揮した雲谷先生は、はしゃいでいた自分を戒めるように「楽しくなかった」を連呼した。


「先生」

「ん?」

「俺、先生のこと好きだよ」


 雲谷先生は、口を開けて――顔を赤く染めた。


「か、かかかかかば!!」

「バカ、ね」

「表紙をからかうなっ!!」

「教師、ね」


 初心うぶだ。初心うぶ過ぎる。将来が不安だ。


「俺は、俺に優しい人間が好きなんで。だから、あんまり、気を遣わなくていいんですよ。恋人同士ってのは、互いに、気遣いしないもんなんです」

「そ、そうなのか……」

「えぇ」


 俺が自然に手を握ると、雲谷先生は「あ」の形で口を開いて……抵抗もせずに、うつむいた。


「き、桐谷」

「なんすか」

「こ、これはその……マズくないか……?」

「今更な話ですね」


 独身の手を引いた俺は、ショップエリアにまで戻って、雲谷先生を座らせてからアイスを買って戻ってくる。


「先生の奢りです」

「普通、買ってくる側が言わないセリフを吐いたなコイツ……せめて、了承をとれ了承を」

「はい」


 俺は、付属のスプーンですくって、先生に差し出す。


「あ~ん」

「な、なんだ……ひとりで食える……」


 そっぽを向いた先生の手の甲をなぞると、頬だけが赤く染まっていて、実にちょろいなと思った。


「恋人同士の定番でしょ?

 ほら、あ~ん」

「…………」

「あ~ん」


 ついに観念したのか、雲谷先生は口を開く。


「あ~――」


 そして、俺は、アイスを食べ始める。


「…………」


 両手にもったアイスを、同時に、無表情で食べ始め――下側から突かれて、俺の顔に、アイスが炸裂した。


「桐谷、あ~……って、なんだ、遅いじゃないか。せっかく、私が、下側から、あ~んしてやったのに。

 どうした、食え。食っていいんだぞ。ほら、食え。食え食え食え」

「ひゅいまふぇんでしちゃ、ちょうひこひまひひゃ」


 ぐいぐいとアイスを押し付けられて、顔中に塗りたくられる。その挙げ句、食べ物で遊ぶな、粗末にするなと説教を受け、自身の顔面に残ったアイスを食わせられた。


 頬杖をついた雲谷先生は、ちゅばちゅば食べている俺を眺めて、しあわせそうに微笑みを浮かべていた。


 『完全攻略ガイド』なるパンフレットの情報を元に、俺は、あらゆる方向へと連れ回される。最初から最後まで、雲谷先生は楽しそうに笑っていて、対する俺はそんな先生を観察していた。


「…………」

「なんで、当たり前のように寝てんだこの人」


 最後に、観覧車に乗りたいとほざくので、一緒に乗ってやったら爆睡された。


 ゆっくりと、観覧車は上へと登っていき、黒と赤の混じりこむ夕焼けの境界が、視界の高さと重なった。窓に顔を押し当てて、すやすやと眠る雲谷先生は、教師とかいうブラック職業のせいで疲れ果てているらしい。


 なんとなく、俺は、その寝顔を見つめている。


 ふと。


 なにかの拍子に、彼女の眼尻から、綺麗な涙が流れ落ちる。


 橙色の夕日が閉じ込められた、透明色の器――ゆらゆらときらめきながら、ぽたり、赤色の座席うみに落ちた。


「……お兄ちゃん」


 窓枠に肘をついた俺は、目を逸らして外に目をやる。


 窓に映り込んだ先生は、静かに涙を流していて……俺は、ただ、早く下りることだけを願っていた。

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